人類の創造に関する英知

概要

アッラーはこの全世界を、かれの全能性と全知性の証しとして創造されました。そして全宇宙のあらゆるものは、偉大かつ荘厳なるアッラーの崇高さを賛美します。人間はこのことを知った時、主のイバーダ(崇拝)へと向かい、またアッラーの求められている物事を実践しようとするのです。

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Detailed Description

    アッラーへのいざない

    2人類の創造に関する英知

    ] 日本語 [

    الدعوة إلى الله

    2- حكمة خلق الإنسان

    [اللغة اليابانية ]

    ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー

    محمد بن إبراهيم التويجري

    翻訳者: サイード佐藤

    ترجمة: سعيد ساتو

    校閲者: ファーティマ佐藤

    مراجعة: فاطمة ساتو

    海外ダアワ啓発援助オフィス組織(リヤド市ラブワ地区)

    المكتب التعاوني للدعوة وتوعية الجاليات بالربوة بمدينة الرياض

    1429 – 2008

    2-人類の創造に関する英知

     1-アッラーはこの全世界を、かれの全能性と全知性の証しとして創造されました。そして全宇宙のあらゆるものは、偉大かつ荘厳なるアッラーの崇高さを賛美します。人間はこのことを知った時、主のイバーダ(崇拝)へと向かい、またアッラーの求められている物事を実践しようとするのです。

     至高のアッラーは仰られました:-アッラーこそは7層の天と、そして地においてもそれと同様のものを創られたお方。啓示はその間を下って来る。それはあなた方が、アッラーが全てのことをお出来になり、そしてアッラーが全ての事象を熟知されていることを知るためである。,(クルアーン65:12)

     2-アッラーは人間とジン[1]を、何ものをも並べることなくかれのみを崇拝するべく創造されました。崇高なるアッラーはこう仰られます:-そしてわれ(アッラーのこと)はジンと人間を、われを崇拝させるべくして創造したのだ。われはあなた方からの糧も欲しなければ、あなた方がわれに食を与えることも望んではいない。,(クルアーン51:56-57)

    ● 人間が歩む段階と階層:

     アッラーは人間をお創りになり、様々な段階や時代、場所や状況を歩み行くように定められました。そして最後に行き着く先こそが永遠なのであり、それは天国か地獄かのいずれかでしかないのです。

     そしてこれらの段階とは、以下に示す通りです:

     1-母親の胎内:これは人間にとって最初の段階であり、また最初に留まる場所です。そこでの滞在期間は通常9ヶ月[2]ですが、場合によってそれより短かったり長かったりします。アッラーはそのお力と知識と英知によって、この暗闇の場所を人間のためにお創りになり、またそこにおいて人間が必要とする栄養や、最適な休息の場と居場所をご用意下さったのです。そして人間はこの段階において、いかなる義務も課されません。この段階の存在意義は諸々の身体器官の完全な育成であり、それが達成されると身体内部と外部の完全な創造と共に現世へと旅立つのです。

     2-現世:これは母親の胎内よりも広い世界であり、そこで過ごす期間もより長いものです。アッラーはそこにおいて人間が必要とするもの全てをご用意され、理性と聴覚と視覚を人間に授けられ、また諸々の使徒と啓典を遣わされました。また人間がかれに服従して反逆することなく、そうする者には天国を、そしてそうしない者には地獄をお約束なされました。この段階の存在意義は、①アッラーへの信仰の完遂と、②善行の完遂の2点です。アッラーはそれらを天国に入る要因とされました。そして現世を後にすると、人はその行いと共に次の段階へと移行します。

     3-境界:これは来世における最初の段階です。人間は全ての創造物が現世を去り、審判の日が到来する時までそこに滞在しますが、その期間は大方において現世での滞在期間よりも長いものとなります。そこでの安寧と不幸は、自らが携えて来た行いに応じて現世でのそれよりもより大きく完全なものとなります。そしてそこは天国の楽園の一部か、あるいは地獄の穴の一部かのいずれかとなり、そこにおいて人は現世での行いの報いを受け始めることになります。それから人は次に、永遠の段階‐天国か地獄‐へと移行します。

     4-来世:これは永遠の住処であり、またそこでは完全な安寧と享楽が信仰者を待ち受けています。現世で信仰や高徳、善行などのアッラーがお悦びになることを完遂した者には、アッラーも審判の日に彼が望む物‐人が見たことも聞いたこともなく、また想像したこともなかったような喜び‐を完遂して下さるのです。

     一方現世において信仰も善行も積んでこなかった者は、その報いとして永遠に地獄の中に留まることになります。

    そして信仰者というものは次の段階へと移行する度にその世界から離れていくもので、最後には天国に行き着くことになるのです。

    ● 心の安寧の完全性:

     アッラーは人間を最も均整が取れた形にお創りになり、その他全ての被造物よりも尊いものとされました。またアッラーは人間の全ての組織器官にも完全性を備えられましたが、それが完全な形で機能しないと、人は憂鬱さや混乱や苦痛に襲われます。つまり眼の完全性とは視覚であり、耳の完全性とは聴覚であり、舌の完全性とは発声です。そしてこれらの器官がそれでもって完全性を得るところの力を失った時、痛みと不満が発生します。

     これと同様に、アッラーは心にも完全性を与えられました。そして心の安寧と喜び、快楽と平安とはその主を知り、愛し、親しむことなのです。正常な心は、ちょうど正常な眼が太陽を見ることが出来るように、真理を見るのです。

    ● 現世と来世の理解:

     アッラーは全ての物に表象的な美しさと、目的を定められました。

     ゆえに植物の美しさとはその枝と葉と花ですが、それらの目的は種子や果実を実らせることです。

     また衣服にも表象的な美しさがありますが、その本来の目的は身体の恥部を覆うことです。

     これと同様に現世にも表象的な美しさがありますが、むしろそこにある全ての物は現世における装飾と言うことが出来るかもしれません。そしてそれらの目的とは信仰と善行なのです。

     また現世はそれ自体装飾であり、来世こそがその目的でもあります。

     ここで気を付けたいのは、ある物事の本来の目的を忘れるということが、その表象的な美しさに囚われることを意味しているということです。預言者たち(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)とその追従者たちは物事の目的を追求し、現世に執着する者たちは表象的な美しさや遊興や取るに足らない物事に現を抜かします。しかしアッラーは私たちに現世においては必要な分だけ受け取り、そして来世のためには力の限りを尽くすことを命じられたのです。

     もし人生の何らかの物事において表象的な美しさと本来の目的‐つまりアッラーのみへのイバーダ(崇拝)と、アッラーとその使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)への服従‐が衝突するような場合には、私たちはアッラーがお悦びになられる方‐つまりアッラーのみへのイバーダ(崇拝)と、アッラーとその使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)への服従、そしてそこにおいて努力奮闘し、イスラームを広めること‐を優先させるのです。

     1-至高のアッラーはこう仰られました:-実にわれら(アッラーのこと)は、地上にその飾りをしつらえた。それはあなた方の内の誰が果たしてよい行いをするか、試練にかけるためである。,(クルアーン18:7)

     2-至高のアッラーは仰られました:-現世での生活が遊興と享楽と装飾であり、あなた方の間の財産や子孫の自慢やその数の競争であることに過ぎないことを知るのだ。それはちょうど慈雨が作物を実らせて農夫を(一時的に)喜ばせたものの、それからそれが枯れて黄色くなり、やがて朽ち果てるようなものである。そして来世にこそは(不信仰者に対する)アッラーからの厳しい懲罰と、(信仰者に対する)お赦しとお悦びがあるのだ。実に現世とは偽りの享楽に他ならない。そしてあなた方の主からのお赦し(を呼ぶ諸々の服従行為)へと急ぐのだ。その広さは天地の広さほどもある。(それは)アッラーとその使徒たちを信仰する者たちに用意されたものである。これこそはアッラーがお望みの者に与えられる、かれの余りある恩恵である。アッラーはこの上ないお恵みの主であられる。 ,(クルアーン57:20-21)

     3-至高のアッラーは仰られました:-言え、「あなた方の父親や子息、兄弟姉妹や配偶者、近親やあなた方の稼いだ財産、またあなた方が不景気になることを恐れている商売や、あなた方の意に適った住まいがアッラーとその使徒、そしてその道における奮闘よりもあなた方にとって愛すべきものであるのならば、アッラーが事を決行されるまで待つがよい。アッラーは放縦な民をお導きにはなられないのだ。」,(クルアーン9:24)

    ● 来世と比較した現世の真の価値:

     アッラーとその使徒は、来世と比較した現世の真の価値を十分かつ明確な形で以下に示すように説明されました:

     1-その本質的側面における現世の価値を、崇高なるアッラーは次のように説明されました:-そしてこの現世は戯れごとと遊興に過ぎない。そして来世こそは(真の)生活なのである。もし彼らが(このことを)知っていたならば(来世を忘れて現世に溺れることはなかったものの)。,(クルアーン29:64)

     2-その時間的側面における現世の価値を、崇高なるアッラーは次のように説明されました:-信仰する者たちよ、アッラーの道に出征せよとのお達しが出たのに、地上(の享楽)にへばりついて(不精して)いるのはどういうことか?来世を差し置いて現世に満足しているというのか?現世の生活における享楽など、来世に比べればごく僅かな物でしかないのだというのに。,(クルアーン9:38)

     3-その重量的側面における現世の価値を、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は次のように説明しました:「もし現世がアッラーの御許でハエの羽1枚にでも匹敵するのだとすれば、不信仰者はそこにおいて水一口すら口にすることはないであろう。」[3](アッ=ティルミズィーの伝承[4]

     4-その計測的側面における現世の価値を、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は次のように説明しました:「アッラーにかけて。来世に比べれば現世というものは、あなた方がこの指を大海にこう浸し(ここで伝承者のヤヒヤーは人差し指を示しました)、それに付着しているものを目にするようなものである。」(ムスリムの伝承[5]

     5-その距離的側面における現世の価値を、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は次のように説明しました:「天国でのムチ1本分の面積は、現世とそこにある全てのものに優るのだ。」(アル=ブハーリーの伝承[6]

     6-金銭的側面から見た現世の価値:預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は耳が小さい(欠陥のある)1頭の子ヤギの死体の脇を通りかかり、その耳を手にしてこう言いました:「“誰かこれを1ディルハムで買いたい者はいるか?”人々は言いました:“いいえ。そのような物は何の価値もありません。一体それで何をするというのですか?”すると(預言者は)言いました:“それではただで貰えるとしたら?”人々は言いました:“アッラーにかけて。それは生きていたとしても耳が小さいという欠陥があるのに、死体だったら尚更(必要ない)ではないですか?”すると(預言者は)言いました:“アッラーにかけて。実に現世とはアッラーにとって、あなた方に対するこれよりも取るに足らないものなのである。”」(ムスリムの伝承[7]

    ● 幸福と不幸の基礎:

     偉大かつ荘厳なるアッラーは、人間が表す信仰心や善行、あるいはその逆に不信仰や悪行などに応じてその幸福と不幸を定められました。

     ゆえに信仰してアッラーとその使徒の命じる善行を行う者は、現世において幸福を得ます。そしてその幸福は死と共に一旦消失しますが、その際にその者は天使から良き知らせを受け取ります。そして墓場に葬られた際にその幸福は増大し、審判の日の召集の際にはそれが更に増幅します。そして天国に入れられた時、幸福はその頂点に達するのです。

     同様に不信仰に陥り、行いが誤っている人間は、現世において不幸になり、その境遇も悪いものとなります。そしてその不幸は死の際に増大し、墓場、召集の時、と更に増幅します。そしてそれは地獄に放り込まれる時に、その極みに達するのです。

     また現世において様々な種類のアッラーがお悦びになる善行を行った者は、天国において様々な種類の悦楽を得ます。また善行が多ければ多いほど、来世での歓びも多くなるのです。

     また同様に現世において様々な種類のアッラーが厭われるような行いを行った者は、地獄においても様々な種類の苦痛を得ます。またそのような行いが多ければ多いほど、来世での苦痛も多くなるのです。

     1-至高のアッラーは仰られました:-男性であれ女性であれ正しい行いをする信仰者には、われら(アッラーのこと)がよい暮らしを送らせよう。そして彼らが行っていたものに対し、最良の報奨をもって報いよう。,(クルアーン16:97)

     2-至高のアッラーは仰られました:-そしてわれの訓戒から背き去る者には、実に苦しい生活があろう。そして更に、われら(アッラーのこと)は審判の日に彼を盲目にして蘇らせよう。彼は言う:「主よ、なぜ私を盲目にして召されたのですか?私は(現世では)目が見えましたというのに。」(アッラーは仰られる:)「お前のもとにわれらのみしるしがやって来たが、お前はそれを忘れたのだ。そしてこの日、お前も同様に忘れ去られよう。」われらはこのように、放蕩を行い、その主のみしるしを信じなかった者にその報いを与える。実に来世の懲罰こそこの上なく厳しく、永劫であるのだ。,(クルアーン20:124-127)

    ● 自らを益するものを放棄した者は、自らを害するものでもって試練にかけられる:

     そうする機会を有しながらも自らを益するものを放棄した者が、自らを害するものに勤しむという試練に遭い、更にはその益を手にする機会まで失ってしまうということは、アッラーの定められた法則の1つです。

     ゆえにシルクの徒[8]は主の崇拝を放棄するために、偶像への崇拝という試練にかけられるのであり、また使徒への追従を見下して放棄することは、理性や宗教を錯乱させるあらゆるものへの屈従という試練につながります。また人々の導きゆえに下された啓典に従うことを放棄することは、悪質で劣悪で理性に有害な書への追従という試練につながり、一方主への服従ゆえに財を施さない者は病んだ自らの魂とシャイターンへの服従ゆえの財の拠出という試練に遭う羽目になるのです。

     しかしアッラーとその使徒に従い、欲望などその魂が欲するものへの追従を放棄する者には、アッラーがかれへの愛情や崇拝、親しみや改悛などの現世における全ての享楽にも優るような素晴らしいものをお与え下さるのです。

    [1] 訳者注:精霊的存在のこと。

    [2] 訳者注:これはアラブ式の妊娠期間の計算の仕方であり、西欧では一般に10ヶ月と計算されます。いずれにせよどこから妊娠期間を計算するか、ということによる相違に過ぎません。

    [3] 訳者注:つまり不信仰者は来世において恩恵をあずかることがないが、その程度において来世とは比較にもならない現世においてはアッラーからの恩恵を拒まれることがない、という意味であると言われています(ファトワー集「道の光」におけるイブン・ウサイミーンのファトワーより)。

    [4] 真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(2320)。

    [5] サヒーフ・ムスリム(2858)。

    [6] サヒーフ・アル=ブハーリー(3250)。

    [7] サヒーフ・ムスリム(2957)。

    [8] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「シルクとその種類」の項を参照のこと。

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