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イスラームにおける人間のあるべき品格、性格、姿勢といったものを紹介します。

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5-よき品格の徳

  よき人格の徳:

1-至高のアッラーはその使徒を讃えて、こう仰られました:-そしてあなたはこの上ない高徳の持ち主である。,(クルアーン68:4) 

2-アブドッラー・ブン・アムル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は下品なことを口にすることもなければ、卑俗な性質でもありませんでした。そしてこう言っていたものです:“あなた方の内で最良の者は、もっとも人格の優れた者である。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[1]

● 知識の徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-信仰する者たちよ、集まりの場で「場所を空けて下さい。」と言われたら、場所を空けてやるのだ。(そうすれば)アッラーがあなた方のために(天国の)場所を空けて下さるであろう。そして(礼拝、あるいはジハードなどのために)「立ち上がりなさい。」と言われたら、立ち上がるのだ。アッラーは、あなた方の内で信仰する者たちと知識を与えられた者の位階を上げられる。アッラーはあなた方が行うことを実によく通暁されておられる。,(クルアーン58:11)

2-ムアーウィヤ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“アッラーがよきものをお望みになられる者には、宗教における理解を与えられよう。そして私は分配する者であり、アッラーこそはお与えになられるお方である。またこのウンマ(共同体)の内の一部は審判の日が来るまで、アッラーの正しい道にあるだろう。彼らと意見を異にする者たちは、彼らを害することもないのだ。”(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[2]

    忍耐の徳:

 イスラームは3種類の徳を勧めています:つまり①偉大かつ荘厳なるアッラーへの服従行為において、それを実践する上での忍耐、②アッラーへの反逆行為を犯さないための忍耐、③アッラーの定命の内、不運なものにおいての忍耐、のことです。

 1-至高のアッラーはこう仰られました:-そして忍耐する者たちに良き知らせを伝えよ。(彼らは)災難が降りかかった時に「私たちは実にアッラーにこそ属し、そして彼の御許へと還り行く境遇にあります。」と言う者たち。彼らには主からの祝福とご慈悲があり、そして彼らこそは正しく導かれた者なのである。,(クルアーン2:155-157) 

2-アブー・サイード・アル=フドゥリー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「・・・そして(アッラーから)忍耐を授かることを求める者は、アッラーが忍耐を授けて下さるであろう。そして人が与えられるものの内、忍耐ほど良く、かつ活用範囲の広いものはない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[3]

3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:「強者とは、肉体的力(を備えた者のこと)を言うのではない。真の強者とは、怒りの状態にある時に自らを抑えることが出来る者のことを言うのである。(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[4]

 4-アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“実にアッラーはこう仰った:「われがしもべを彼の愛する2つのもの(両眼のこと)で試練にかけ、そして彼がそれに忍耐するならば、われはその2つの償いとして天国を与えよう。」”(アル=ブハーリーの伝承[5]

● 誠実さの徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-この日、(現世において)誠実な者たちの誠実さが自らを益する。彼らにはその下を河川の流れる楽園があり、そこに永遠に住むのだ。アッラーは彼らにご満悦なされ、彼らもアッラーに満足する。それこそはこの上ない勝利なのだ。,(クルアーン5:119)

2-アブドッラー・ブン・マスウード(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“誠実であれ。誠実さは善へと導き、善は天国へと導くのだから。そして誠実であり続け、そこにおいて努力し続ける者は、ついにはアッラーの御許で誠実さを極めた者として記録されるであろう。また、嘘を避けよ。嘘は放埓さへと導き、放埓さは地獄へと導くのだから。そして嘘をつき続け、それに慣れきった者は、ついにはアッラーの御許で虚言極まる者として記録されるであろう。”(ムスリムの伝承[6]

● アッラーに罪の赦しを乞うこと、悔悟することの徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-そして民よ、あなた方の主に罪の赦しを乞い、かれに悔悟するのだ。そうすればかれはあなた方に沢山の雨を送り、あなた方に更なる力を与えられるだろう。だから(私‐フード‐がいざなうところのものから)背き、罪深い者となるのではない。,(クルアーン11:52)

アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“あなた方が砂漠でラクダを失くした(絶望的な状況の)後にそれと再会することが出来た時(の喜び)よりも、アッラーはそのしもべの悔悟をお喜びになられる。”(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[7]

 タクワー[8]の徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-信仰する者たちよ、アッラー(のお怒りや懲罰を招くような物事)から身を慎めば、かれはあなた方に(真理と虚偽との)識別を与えられるであろう。またあなた方の悪行を隠蔽され、罪をお赦し下さるであろう。アッラーはこの上ない恩恵の主であられる。,(クルアーン8:29)

2-至高のアッラーはこう仰られました:-人間よ、実にわれら(アッラーのこと)はあなた方を1組の男女から創った。そしてあなた方を多くの民族や部族に分け広げた。それはあなた方が互いに知り合わんがためなのである。実にアッラーの御許で最も貴い者は、あなた方の内で最もタクワーの強い者。アッラーは全てをご存知になり、全てに通暁されたお方。,(クルアーン49:13)

● 確信とタワックル(全てを委ねること)の徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-人々から「あなた方(との戦い)のために敵が集結している。彼らを恐れるのだ。」と言われても、むしろ(動ぜずに)イーマーン[9]が増大し、「アッラーさえいらっしゃればそれで十分なのだ。全てを請け負われるお方の何と素晴らしいことか。」と言う者たち。そして彼らは何の被害も被ることなく、アッラーからの恩恵と多大な報奨と共に(無事に)戻って来た。そして彼らはアッラーのご満悦に従ったのだ。アッラーはこの上ない恩恵の主であられる。,(クルアーン3:173-174)

 2-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてアッラー(のお怒りや懲罰を呼ぶような事柄から)身を慎む者には、(アッラーが問題の)解決の糸口をお与えになろう。そして彼の思いもよらないような所から、糧をお与えになられる。そしてアッラーにタワックル(全て任されること)する者にとっては、アッラーさえいらっしゃればそれで十分なのだ。実にアッラーは物事を完遂されるお方。アッラーは全てのものに各々の分量や度合いを定められたのだ。,(クルアーン65:2-3)

● 努力の徳:

 1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてわれら(アッラーのこと)ゆえに努力奮闘する者は、必ずやわれらの(もとに到達する)道へと導いてやろう。アッラーは実によく服従する者たちと共にあるのだ。,(クルアーン29:69)

 2-ズイヤード(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアル=ムギーラ(彼にアッラーのご満悦あれ)がこう言うのを聞きました:“預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は足、あるいはふくらはぎが腫れ上がるまで(長時間に渡り)サラー(礼拝)していたものでした。それで彼にそのことが言及されると[10]、(預言者は)言いました:“私は感謝深いしもべでありたいのだ。”(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[11]

 アッラーを恐れることの徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-実にシャイターン(悪魔)はその仲間を怖がらせるだけである。ゆえにあなた方が信仰者であるなら、彼らを恐れずわれのみを恐れよ。,(クルアーン3:175)

2-至高のアッラーはこう仰られました:-そして(清算のため)主の御前に立つ(その日の)ことを恐れる者には、2つの楽園がある。,(クルアーン55:46)

 希望の徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-言うのだ、「(アッラーはこう仰っている:)罪深いわがしもべたちよ、アッラーのご慈悲に絶望してはならない。」アッラーは全ての罪をお赦しになられる。実にかれは赦し深く、慈悲深いお方である。,(クルアーン39:53)

2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“私の魂がその御手に委ねられているお方にかけて。もしあなた方が罪を犯さないのであれば、アッラーはあなた方の代わりに罪を犯し、そしてアッラーにその赦しを乞い、それを受け入れられるような民をおかれるだろう。”(ムスリムの伝承[12]

     慈悲の徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-ムハンマドはアッラーの使徒である。そして彼と共にある者たちは不信仰者たちに対しては厳しく、彼ら自身の間では慈しみ深い。あなたは彼らがアッラーの報奨とご満悦を求めてルクーゥ[13]し、サジダ(伏礼)するのを見るだろう。,(クルアーン48:29)

2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「慈悲のない者は、慈悲をかけられることもない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[14]

 アッラーのご慈悲の偉大さの徳:

1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アッラーは被造物を創造された時、その玉座のもとにあるアッ=ラウフ・アル=マハフーズ(護られた碑版)にこう定められた:「わが慈悲はわが怒りに優れり。」”(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[15]

2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:「実にアッラーには100のご慈悲がある。そしてその内の1つを、ジンと人間、動物や害虫などの間に下されたのだが、それによって彼らは同情し合い、慈しみ合い、野獣も自らの子をいたわるのだ。そしてアッラーは残りの99のご慈悲を、審判の日そのしもべたちをそれでもって慈しまれるべく、取って置かれるのである。(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[16]

● 許しの心と寛容さ、我慢強さの徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-そして赦し、大目に見よ。アッラーがあなた方を赦される事を望まないのか?アッラーは赦し深く、慈悲深いお方である。,(クルアーン24:22)

2-至高のアッラーはこう仰られました:-許しの心を持ち、善を命じ、無知な者たちから遠ざかれ。,(クルアーン7:199) 

3-至高のアッラーはこう仰られました:-そして審判の日は必ずや到来するのである。ゆえに綺麗に赦してやるのだ。,(クルアーン15:85)

4-至高のアッラーはこう仰られました:-そして(彼らの落ち度と罪を)許し、大目に見、隠しておいてやるのだ。実にアッラーは赦し深く、慈悲深いお方。,(クルアーン64:14

● 優しさと穏やかさの徳:

1-アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アーイシャよ、アッラーはお優しいお方であり、ゆえに優しさを愛でられる。そして優しさに対して、荒々しさやその他の何ものに対しても与えられないものを与えられるのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[17]

2-アーイシャ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“優しさというものは、それをもって行われる全てを美しく飾りつけずにはいない。そしてそれを欠いたものは全て、醜くならずにはいないのだ。”(ムスリムの伝承[18]

羞恥心の徳:

1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“イーマーン[19]には60数個の部門がある。そして羞恥心はイーマーンの部門の内の1つなのだ。”(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[20]

2-アブー・マスウード(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“預言者たちの言葉で、人々に伝わるこのような言葉がある:“(あなたの成す事において)羞恥心を感じないのであれば、好きな事を行うのだ。”(アル=ブハーリーの伝承[21]

 よいこと以外には沈黙することと、口を慎むことの徳:

1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アッラーと最後の日を信じる者は、よいことを口にするか、さもなくば黙っていよ。”(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[22]

2-アブー・ムーサー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「(教友たちは)言いました:“アッラーの使徒よ、イスラームにおける最良の者は、どのような者でしょうか?” (預言者は)言いました:“他のムスリムをその口と手でもって害さないような者だ。”(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[23]

アッラーの命を遵守することの徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-「私たちの主はアッラーです。」と言って真理に沿って歩む者たちには、(その死後)天使たちが舞い降りてこう語りかける:「(来世での行く末について)恐れる事も、(過ぎ去った事について)悲しむこともありません。あなた方が約束されていた天国のよき知らせに心躍らせなさい。私たちは現世と来世における、あなた方の守護者です。天国にはあなた方の心を楽しませる全てのものと、あなた方が欲するあらゆるものがあるでしょう。(それらは)赦し深く慈悲深いお方からの歓待なのです。」,(クルアーン41:30-32)

2-スフヤーン・ブン・アブドッラー・アッ=サカフィー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は言いました:“アッラーの使徒よ。イスラームにおいて、あなたの(死)後は誰にも聞くことの出来ないような言葉を教えて下さい。”(アッラーの使徒)は言いました:“アッラーを信じます、と言って、その命を遵守するのだ。”(ムスリムの伝承[24]

敬虔さの徳:

アン=ヌゥマーン・ブン・バシール(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“合法的なものは明らかであり、非合法なものも明らかである。そしてその間には、多くの者が知らない間際らしい物事がある。ゆえにそういった疑念の余地のある物事から身を慎む者は、自らの宗教と尊厳を守ることになろう。そしてそういった物事に陥る者は、禁じられた領域に足を踏み入れてしまうことになろう。それはまるで、禁じられた領域の周辺で(家畜が草を食む)番をする牧童のようであり、それらは今にもそこに入ってしまいそうである。実に全ての王には、(彼が定めた)禁じられた領域[25]がある。そして実にアッラーが禁じられた領域とは、かれの禁じられた物事である。そして実に体には、それさえ健全であれば体全体も健全であり、それが悪ければ体全体も悪くなるところの1個の肉塊がある。そして実にそれは、心臓なのである。”(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[26]

 善行の徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-ムッタクーン(アッラーのお怒りと懲罰を招くような事柄から身を慎む者たち)は(涼しく心地よい)日陰といくつもの泉のもとにある。そして彼らが望むいかなる果実も。(そしてこう言われる:)「あなた方が努力していたことの報いとして、心地よく飲食するのだ。」われら(アッラーのこと)はこのように、善行者たちに報奨を与える。,(クルアーン77:41-44)

2-至高のアッラーはこう仰られました:-いや、そうではない。アッラーのみに真摯に服従し、善行に勤める者には、その主の御許にその報奨があろう。彼らには恐怖も悲しみもないのだ。,(クルアーン2:112)

アッラーゆえに愛することの徳: 

1-アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「(次の)3つ(の要素)を備える者は、イーマーン[27]の甘美さを見出すであろう:アッラーとその使徒をそれ以外の何者よりも愛すること。そしてアッラーゆえにのみ人を愛すること。そして炎の中に投げ込まれるのを厭うように、不信仰に舞い戻ることを厭うことである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[28]

 2-アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「自らの欲するものをその同胞にも欲するようにならなければ、本当に信仰したことにはならない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[29] 

3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“審判の日、アッラーは仰る:「わが荘厳さゆえに愛し合っていた者たちはどこだ?この日、われは彼らをわが蔭にかくまってやろう。わが蔭の他にいかなる影もないこの日に。」”(ムスリムの伝承[30]

アッラーを畏れて泣くことの徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-そして彼らが使徒に下されたもの(クルアーン)を聞けば、あなたは彼らが真理を知ったがゆえにその眼を涙で溢れさせるのを見るであろう。彼らは言う:「われらが主よ、私たちは(彼に下されたものを)信仰しました。私たちを(審判の日、それが真理であると)証言する者たちと共に書き留めて下さい。どうして私たちがアッラーと、私たちのもとに到来した真理を信仰しないなどということがありましょうか?そしてわれらが主が、私たちを敬虔な民と共に(天国に)入れて下さることを望まないことが?」そしてアッラーは彼らの言葉に対して、その下を河川が流れる楽園でお報いになった。彼らはそこに永遠に留まる。そしてそれこそはよく服従した者たちの報奨なのである。,(クルアーン5:83-85)

2-アナス・ブン・マーリク(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は教友たちから何かを聞くと、説教に立ってこう言いました:“私の眼前に天国と地獄が提示された。そして私は、この日ほどの善と悪はかつて見たこともなかったのだ。もしあなた方が私の知るものを知ったならば、余り笑わず、よく泣いたことであろう。”そしてアッラーの使徒の教友たちにとって、その日ほど厳しい日はありませんでした。彼らは(その日)頭を(布で)覆い、むせんでいたのです。(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[31]

3-イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“(次に挙げる)2つ(の種類)の眼は、地獄の業火に晒されることがないであろう:アッラーを畏れて涙を流す眼と、アッラーの道において夜通し監視し、警備し続ける眼である。”(アッ=ティルミズィーの伝承[32]

良い言葉と、愛想の良さの徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてあなたが彼らに対して優しくしたのは、実にアッラーからのご慈悲ゆえであった。もしあなたがぞんざいで頑なであったなら、彼らはあなたのもとから離散してしまったことであろう。,(クルアーン3:159)

2-アブー・ザッル(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は私に言いました:“善行を1つたりともなおざりにしてはならない。それが同胞に向けての微笑み1つであったとしても。”(ムスリムの伝承[33]

● 現世において禁欲的であることの徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてこの現世は戯れごとと遊興に過ぎない。そして来世こそは(真の)生活なのである。もし彼らが(このことを)知っていたならば(来世を忘れて現世に溺れることはなかったものの)。,(クルアーン29:64)

2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アッラーよ、ムハンマドの家族に(最低限の生活に足りるだけの)糧をお授け下さい。”(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[34]

 3-アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「ムハンマドの家族はマディーナ移住後から彼の死まで、3晩連続でパンを満足に食べたことはありませんでした。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[35]

よいことにおいて施すことの徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-アッラーの道において施し、その施しによって恩を着せたり、見栄を張ったり、また悪い思いをさせたりしない者には、彼らの主の御許に報奨があろう。彼らには恐れることもなければ、悲しむこともないのである。,(クルアーン2:262)

2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「毎朝しもべには2人の天使が遣わされる。彼らの内の1人はこう言う:“アッラーよ、施す者には代償をお与え下さい。”そしてもう1人はこう言う:“アッラーよ、(施しを厭う)吝嗇者には損失をお与え下さい。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[36]

試練に耐えることの徳

アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“罪のない姿でアッラーに見えるその時まで、信仰者の男女はその生命と子供、財産において試練に遭遇し続ける。”(アッ=ティルミズィーの伝承[37] 

善行を多く行うことの徳:

1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“今日サウム(斎戒、いわゆる断食)している者はいるか?”するとアブー・バクル(彼にアッラーのご満悦あれ)が“はい。”と言いました。

(アッラーの使徒)は言いました:“今日葬儀に参列した者はいるか?”するとアブー・バクル(彼にアッラーのご満悦あれ)が“はい。”と言いました。

(アッラーの使徒)は言いました:“今日恵まれない者に食を与えた者はいるか?”するとアブー・バクル(彼にアッラーのご満悦あれ)が“はい。”と言いました。

(アッラーの使徒)は言いました:“今日病人を見舞った者はいるか?”するとアブー・バクル(彼にアッラーのご満悦あれ)が“はい。”と言いました。

すると(アッラーの使徒)は言いました:“これらのものを全て行った者は、天国に入るであろう。”(ムスリムの伝承[38]  

2-ウスマーン・ブン・アッファーン(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“アッラーゆえにモスクを1つ建設する者には、アッラーがそれと同様のものを天国に建てて下さるであろう。”(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[39])


[1] サヒーフ・アル=ブハーリー(3559)、サヒーフ・ムスリム(2321)。文章はアル=ブハーリーのもの

[2] サヒーフ・アル=ブハーリー(71)、サヒーフ・ムスリム(1037)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[3] サヒーフ・アル=ブハーリー(1469)、サヒーフ・ムスリム(1053)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[4] サヒーフ・アル=ブハーリー(6114)、サヒーフ・ムスリム(2609)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[5] サヒーフ・アル=ブハーリー(5253)。

[6] サヒーフ・ムスリム(2607)。

[7] サヒーフ・アル=ブハーリー(6309)、サヒーフ・ムスリム(2747)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[8] 訳者注:「タクワー」は「自らを守る」という動詞の名詞形。つまりアッラーを畏れ、またそのお怒りと懲罰につながるような行い‐つまりかれが命じられたことに反したり、あるいは禁じられた事柄を犯したりすることなど‐を避けることで、自らの身をアッラーのお怒りや懲罰から守ることを意味します。

[9] 訳者注:「8.イーマーンとイーマーンの諸特質」の項参照。

[10] 訳者注:他の伝承では、「私たちにも同じ事を課されるのですか?」とか「あなたはアッラーによって罪を赦されたお方なのに、なぜそこまでするのですか?」という言葉が言及されています。

[11] サヒーフ・アル=ブハーリー(1130)、サヒーフ・ムスリム(2819)。文章はムスリムのもの。

[12] サヒーフ・ムスリム(2749)。

[13] 訳者注:礼拝の中における、お辞儀の形式の礼。

[14] サヒーフ・アル=ブハーリー(5997)、サヒーフ・ムスリム(2318)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[15] サヒーフ・アル=ブハーリー(3194)、サヒーフ・ムスリム(2751)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[16] サヒーフ・アル=ブハーリー(6000)、サヒーフ・ムスリム(2752)。文章はムスリムのもの。

[17] サヒーフ・アル=ブハーリー(6927)、サヒーフ・ムスリム(2593)。文章はムスリムのもの。

[18] サヒーフ・ムスリム(2594)。

[19] 訳者注:「8.イーマーンとイーマーンの諸特質」の項参照。

[20] サヒーフ・アル=ブハーリー(9)、サヒーフ・ムスリム(35)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[21] サヒーフ・アル=ブハーリー(3484)。

[22] サヒーフ・アル=ブハーリー(6475)、サヒーフ・ムスリム(47)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[23] サヒーフ・アル=ブハーリー(11)、サヒーフ・ムスリム(42)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[24] サヒーフ・ムスリム(38)。

[25] 訳者注:当時のアラブの王には、決められた土地を牧童たちにあてがい、彼が許可した以外の土地で放牧することを禁じ、それに違反した者を罰する習慣がありました。

[26] サヒーフ・アル=ブハーリー(5304)、サヒーフ・ムスリム(2983)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[27] 訳者注:「8.イーマーンとイーマーンの諸特質」の項参照。

[28] サヒーフ・アル=ブハーリー(16)、サヒーフ・ムスリム(43)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[29] サヒーフ・アル=ブハーリー(13)、サヒーフ・ムスリム(45)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[30] サヒーフ・ムスリム(2566)。

[31] サヒーフ・アル=ブハーリー(4621)、サヒーフ・ムスリム(2359)。文章はムスリムのもの。

[32] 真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(1639)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(1338)。

[33] サヒーフ・ムスリム(2626)。

[34] サヒーフ・アル=ブハーリー(6460)、サヒーフ・ムスリム(1055)。文章はムスリムのもの。

[35] サヒーフ・アル=ブハーリー(5416)、サヒーフ・ムスリム(2970)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[36] サヒーフ・アル=ブハーリー(1442)、サヒーフ・ムスリム(1010)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[37] 良好な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(2399)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(1957)。アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(2280)参照。

[38] サヒーフ・ムスリム(1028)。

[39] サヒーフ・アル=ブハーリー(450)、サヒーフ・ムスリム(533)。文章はムスリムのもの。

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