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サラー(礼拝)には、スンナと見なされるいくつかの言動があります。それを行えば報奨を得ますが、放棄しても罰せられることはありません。

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サラー(礼拝)におけるスンナ

 

     サラーに含まれる諸々の言動の内、これ以前の項に挙げた諸基幹や義務行為以外のものは全てスンナです。スンナを行う者はそれにより報奨を得ますが、それを放棄しても罰があるわけではありません。

言葉としてのスンナには以下に挙げるようなものがあります:①サラーを開始する際のドゥアー(祈願)、②サラーを始める際に「アウーズ・ビッラーヒ・ミナッシャイターニッラジーム(私はアッラーに、呪われしシャイターン(悪魔)からのご加護を乞います)」と唱えること、③アル=ファーティハ章を読む前に「ビスミッラーヒッ=ラフマーニッ=ラヒーム(慈悲遍く慈悲深きアッラーの御名において)」と唱えること、④タアミーン[1]⑤アル=ファーティハ章の後にクルアーンの別の箇所を読むこと、など。

また動作としてのスンナには次に挙げるようなものがあります:①先に触れた[2]タクビール[3]の箇所で両手を挙げること、②起立状態にある時に右手を左手の上に置くこと、③イフティラーシュ[4]、④タワッルク[5]など。

 

     サラーを無効にする物事:

サラーは以下に挙げる物事によって無効となります:

1-故意に、あるいは不注意からサラーの基幹や条件を満たし損ねること。あるいは何らかの義務行為を故意に放棄すること。

2-無駄な動作を多く繰り返すこと。

3-故意にアウラ[6]を顕わにすること。

4-故意に喋ったり、笑ったり、飲食したりすること。

 

     義務のサラー後のイスティグファール(アッラーに罪の赦しを乞うこと)に関する法的見解:

義務のサラー後のイスティグファールは、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から確かな形で伝えられている行いの1つです。

サラーをする者は読誦やルクーゥやサジダなどの外面的な行いであれ、あるいはアッラーに対する畏怖の念やサラーへの専心などの内面的な行いであれ、サラーにおける至らなさや不注意などから決して免れえません。そういった意味合いから、サラーの後にそのことに関する罪の赦しを乞うのです。

 

     ズィクル(念唱)の形:

 1大小の穢れ[7]、月経、産後の出血の状態にある場合でも、心と舌を用いてズィクルすることは許されています。ズィクルとはつまり、タスビーフ[8]タハリール[9]タハミード[10]タクビール、ドゥアー(祈願)や預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に対しての祈願などのことを指します。

 2-ズィクルやドゥアーは一般的に、声に出さずに唱える方が望ましいと言われます。但し5つの義務のサラーやタルビヤ[11]、あるいは他人に対しての教示のためなど、声に出して唱えることが預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝えられているものに関しては、声に出して行う方がよいでしょう。

 

     タシャッフド(信仰告白)[12]をするのを忘れて立ち上がってしまった場合の法的見解:

2ラクア目が終わった後、イマームがタシャッフドをするのを忘れて立ち上がってしまった場合、完全に起立する前にそれを思い出したら座り直します。しかしもし完全に立ち上がってしまったら、その時は座位姿勢には戻りません。そのような場合はタスリーム[13]の前に不注意によるサジダ[14]をします。

 

     サラーするために家を出たものの、既に人々がサラーを終えてしまっていた場合に関する法的見解:

サラーをするために家を出たなら、もし礼拝の場に到着した際に人々が既にサラーを終えてしまっていたとしても、彼らと同様の報奨があるでしょう。

アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“ウドゥーを良い形で行い、それからモスクに赴いたところ人々が既にサラーを終えてしまっていたような場合でも、偉大かつ荘厳なるアッラーは彼に、そのサラーに参加して完遂した者のそれと寸分も変わることのない同様の報奨をお与え下さるであろう。”(アブー・ダーウードとアン=ナサーイーの伝承[15]

 

     サラーの内外におけるタアミーン[16]に関しての法的見解:

 次の2つの場面において、タアミーンはスンナです:

 1サラー中において:イマームであれ、その追従者であれ、あるいは単独でサラーを行なう者であれ、アル=ファーティハ章を読み終えた後にタアミーンを唱えることはスンナです。イマームとその追従者は声に出してタアミーンを唱えますが、追従者はイマームに先駆けたり遅れを取ったりせず、彼に声を合わせてそうするようにします。またウィトル[17]や災難の折に行われるクヌートの際のドゥアー(祈願)においても、タアミーンを唱えることが出来ます。

 2サラー外において:アル=ファーティハ章を読んだ者と聞いた者、また金曜礼拝や雨乞いのサラー、日蝕や月蝕のサラーの際の説教などにおける特別なドゥアーやそうではない一般的なドゥアーなどにおいて、タアミーンはスンナです。

 



[1] 訳者注:アル=ファーティハ章を読み終えた時に、「アーミーン」と唱えることです。

[2] 訳者注:詳しくは「⑤サラーの形」の項を参照のこと。

[3] 訳者注:「アッラーフ・アクバル」と唱えることです。

[4] 訳者注:左足の上にお尻をつけて座り、右足は立ててその指先をキブラの方に向ける座位姿勢のことです。

[5] 訳者注:「タワッルク」は最後のタシャッフドの際の座位姿勢のことで、以下のような形があります:①右足を立て、寝せた左足を右足の腿とふくらはぎの下から外側に出し、お尻は地面に直接つけて座る形。②左のお尻を地面につけ、両足を右側に出す形(いわゆる女座り)。③右足を寝かせ、左足を右腿とふくらはぎの間に入れて外側に出す形。

[6] 訳者注:「アウラ」とは人前で晒してはいけない体の部位で、男性のアウラはへそから両膝までで、男性に対する女性のアウラは顔と両手を除く全身ですが、その他にも諸見解があります 。

[7] 訳者注:「大きな穢れ」とは、精液の発射、性交、月経や産後の出血などによって陥る状態のことです。一方「小さな穢れ」とは、排便、放屁、熟睡や失神や酩酊などによる一時的な分別の喪失などによって陥る状態のことです。

[8] 訳者注:アッラーの完全無欠性、全ての物事から超越する崇高さを讃えること。「スブハーナッラー」という言葉に代表されます。

[9] 訳者注:アッラーこそが唯一の主であり、真に崇拝すべき対象であることを唱念するための言葉。「ラー・イラーハ・イッラッラー」という言葉に代表されます。

[10] 訳者注:アッラーにこそ全ての賛美があると唱念すること。「アル=ハムドリッラー」という言葉に代表されます。

[11] 訳者注:詳しくは「⑥ハッジとウムラ」の章の「③イフラーム」の項を参照のこと。

[12] 訳者注:詳しくは「⑤サラーの形」の項を参照のこと。

[13] 訳者注:礼拝最後の動作で、右と左に振り向いて挨拶すること。

[14] 訳者注:詳しくは「⑪不注意によるサジダ」の項を参照のこと。

[15] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(564)、スナン・アン=ナサーイー(855)。文章はアブー・ダーウードのもの。

[16] 訳者注:アル=ファーティハ章を読み終わった後に唱える、「アーミーン」という言葉を指します。キリスト教の普及によって日本人が誰でも知るようになった「アーメン」という言葉と同様に、「アッラーよ、(祈りに)お応え下さい。」という意味があります。

[17] 訳者注:「ウィトル」とは、イシャー後からファジュル前までに行うのがスンナ・ムアッカダ(義務ではないが非常に推奨された行為)とされている、奇数回の形式をとる礼拝。

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