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イスラームにおける義務の1つであるハッジについて、その意味や徳、法的位置づけについて簡単にご紹介します。

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6-ハッジ(大巡礼)とウムラ(小巡礼)の章

 

①ハッジの意味とその法的位置づけ、及びその徳

 

     ハッジとは:ハッジの諸行を遂行するべく特定の時期にマッカを目指すことにより、偉大かつ荘厳なるアッラーを崇拝することです。

     偉大かつ荘厳なるアッラーは聖なる館(カアバ神殿)を偉大なものとし、ハラーム・モスクをその保護区としました。そしてマッカをハラーム・モスクのそのまた保護区とし、更にはマッカ周辺の聖域をマッカの保護区とし、また更にはミーカート[1]をマッカ周辺の聖域の保護区とし、その上にアラビア半島をミーカートの保護区とされました。そしてこれら全てはかれの聖なる館を偉大かつ崇高な、尊いものとするためであったのです。至高のアッラーは仰られました:-人々の(崇拝行為の)ために設けられた最初の館こそは、祝福に溢れた万有への導きであるマッカのそれ(カアバ神殿)である。そこには数々の明白なみしるしがある。(その内の1つが)イブラーヒームの立ち所(である)。そこ(マッカの聖域)に入った者は安全なのだ。そしてそうすることが出来る人々には、その館を訪問するというアッラーへの義務がある。それを否定する者があっても、実にアッラーは何ものをも必要とされてはいないのだ。,(クルアーン39697

 

     ハッジの美点とその極意:

1-ハッジはイスラームの同胞愛と、イスラームのウンマ(共同体)の体現です。そこにおいて人種や肌の色、言語や祖国、階級などの違いは溶解し、人間がアッラーのしもべたることと同胞愛の真実性が顕現します。ゆえに皆同じ出で立ちをし、同じ方向へと向かい、同じ1つの神を崇拝するのです。

2-ハッジはそこにおいてムスリムが忍耐心を培う、鍛錬の場です。また人々はそこにおいて終末の日と、そこで起きる様々な恐ろしい出来事を想起しつつアッラーのしもべであることの悦びを味わい、主の偉大さと、全ての創造物がかれなしではいられないという事実を知るのです。

3-ハッジはそこにおいて報奨を獲得し、過去に犯した罪を赦免される偉大な時節です。しもべはそこで主の御前にはべり、その唯一性を認め、自らの罪を省み、その主に対して義務を果たすことにおける自らの至らなさを知るのです。そしてハッジを終えると、母親から生まれた日のような無垢で清浄な状態に戻って自分の国に帰るのです。

4-またハッジは預言者や使徒(彼らにアッラーのご満悦あれ)が置かれていた状況や、彼らのイバーダ(崇拝行為)、ダアワ(布教)、ジハード(奮闘)、高徳といった物事を想起させ、かつ家族や子供と離れ離れになることによって自らを堅固な者とします。

5-またハッジは、そこにおいてムスリム同士が互いの状況や学識、貧富や宗教における敬虔さと正しさなどの差異を知ることの出来る、1つの秤でもあります。

 

     ハッジの法的位置づけ:

 ハッジはイスラームの5柱の内の5番目の柱であり、自由民で精神的に健常な成人ムスリムでそれが可能な者は、出来るだけ早い内にそれを一生に1度は行わなければなりません。

 ハッジはヒジュラ暦9年に義務付けられました。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がハッジを行ったのは1度だけで、それが「別れのハッジ」と呼ばれているものです。

 1-至高のアッラーは仰られました:-そしてそうすることが出来る人々には、その館(カアバ神殿)を訪問するアッラーへの義務がある。それを否定する者があっても、実にアッラーは何ものをも必要とされてはいないのだ。,(クルアーン397

 2イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“イスラームは5つ(の基幹)の上に成り立っている:(それらとは)「アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー、ワ・アシュハド・アンナ・ムハンマダン・アブドゥフ・ワ・ラスールフ(私は、アッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、ムハンマドがそのしもべであり使徒であることを証言する)」というシャハーダ(証言)と、サラー(礼拝)を行うこと、ザカー(浄財)を施すこと、ハッジ、そしてラマダーン月のサウム(斎戒)である。”(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[2]

 

     ハッジが遂行可能と見なされる者とは?

 身体的に健常かつ旅行可能で、ハッジに行って戻ってくるだけの余剰財産と移動手段を確保出来る者のことです。また借金や、自らとその扶養者のための法的支出の義務を果たし、かつ本来自らが必要としている物資以上のものを備えていなければなりません。

 

     ハッジが義務付けられる者:

 自らの財産と身体においてハッジを遂行することが可能な者には、自分でハッジを行うことが義務付けられます。またハッジを行うのに十分な財産はあるものの、身体的にハッジを遂行することが不可能な者は、誰かにその代行を依頼することが義務付けられます。また身体的には問題がなくとも十分な財産を有さない者には、ハッジは義務付けられません。そして同様に、経済的にも身体的にもハッジを遂行する能力のない者にはハッジが義務付けらることはありません。

     ハッジを遂行するのに十分な財産を持たない者は、ザカー(浄財)を受け取って、それをハッジの費用に当てることが許されます。というのもハッジは、至高のアッラーの道の1つであるからです。

 

     ハッジとウムラの徳:

 1アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、“最上の行いは何でしょうか?”と訊かれて、こう言いました:“アッラーとその使徒を信仰することである。”そして、“それではそれに次ぐものは何でしょうか?”と訊かれると、“アッラーの道におけるジハード(奮闘)である”と言いました。そして更に“それに次ぐものは何でしょうか?”と訊かれると、“正しく行われたハッジ[3]である”と言いました。(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[4]

 2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこのように言うのを聞きました:“アッラーのみゆえにハッジを行い、そこにおいて淫らな言動や罪深い行いを犯さなかった者は、母親がその者を生んだ日(のような無垢な状態)に舞い戻るであろう。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[5]

 3アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“ウムラを行った後でまたウムラを行えば、それはその間の(罪の)償いとなろう。そして正しく行われたハッジの報奨は、天国以外の何物でもない。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承<

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