イスラームの メッセージ

概要

この小冊子は、全ての預言者がそこへと人々をいざなったイスラームの信仰箇条と、イスラームへの改宗の仕方について説明しています。

Download
コメントを送る

Detailed Description

 イスラームの メッセージ

アブドゥッラフマーン・アッ=シーハ著

最も慈悲遍く、慈悲深きアッラーの御名において

全ての賞賛は、万有の主であるアッラーにこそあり。そしてかれがその使徒ムハンマドとその系譜を称揚され、平安を与えて下さいますよう。

アッラー[1]はイスラームの啓典の中で、こう仰いました:

-言え、「啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)よ、私たちとあなた方との間の正義の言葉へとやって来るのだ。(その言葉とは:)私たちがアッラー以外の何ものをも崇拝せず、かれに何ものをも並べたりしないこと。そしてアッラーを差し置いて、自分たちの内の誰かを主としたりしないこと。」それでもし彼らが(この期に及んでその言葉から)背くのなら、こう言うのだ:「あなた方は、私たちがムスリム(主に対して真に服従する者)であると証言せよ。」,(クルアーン3:64)

イスラームは人が生まれもって備えている天性にそぐう教えです。またイスラームはムスリム(イスラームの教えを受け入れた者)に対し、不可解なことがあればその権威や知識を備えた者に質問することを命じています。イスラームの教えには曖昧さや不可解さというものがなく、あらゆる物事に関して問いかけることが許されているのです。アッラーはこう仰っています:

-もし知らないというのなら、(知識を備えた)啓典の民に訊ねてみるがよい。,(クルアーン16:43)

ごく自然なことながら、人間はその意識の中に数多くの疑問を抱えています。そしてそれらの疑問に対して論理的かつ明瞭な回答を求めているのですが、クルアーン(コーラン)こそはそのような疑問に回答を与えてくれるのです。それではいくつかの疑問を、以下に挙げていってみましょう:

1-人類の原初は?その回答は、アッラーの御言葉(クルアーン)の中に見出すことが出来ます:

-そしてわれら(アッラーのこと)は人間(アダム)を、泥土の抽出物から創造した。それから(アダムとその子孫の)精子を堅固な置き場所(卵巣)に設え、そして精子から凝血を、また凝血から肉塊を、肉塊から骨を造り、そして骨の上に肉をかぶせた。それからわれらは、また別の創造を完成させたのである。偉大なるアッラー、最善の造形者よ。,(クルアーン23:12-14)

2-宇宙における人類の地位は?アッラーはこのことについて、こう仰っています:

-そしてわれら(アッラーのこと)はアダムの子ら(人類のこと)を高貴な存在とし、陸に海に彼らを運んだ。また彼らによき物を糧として授け、われらが創造したあらゆるものの上に位置づけたのだ。,(クルアーン17:70)

3-アッラーは何故人類を創造したのか?この問題に関し、アッラーはこう仰っています:

-そしてわれ(アッラーのこと)はジン(精霊的存在)と人間を、われを崇拝させるべくして創造したのだ。われはあなた方からの糧も欲しなければ、あなた方がわれに食を与えることも望んではいない。実にアッラーこそがこの上ない御力を備えられ、(万有に)糧を授けられるお方なのであるのだ。,(クルアーン51:56-58)

またアッラーはこのようにも仰っています:

-一体あなた方は、われら(アッラーのこと)があなた方をいたずらに創ったとでも思っているのか?そしてあなた方が(現世での行いの清算のために)わが御許に戻って来ないとでも?しかしアッラーはこの上なく崇高なるお方、真の王であられる。偉大なる玉座の主であるかれの他に、真に崇拝に値する何ものもないのだ。,(クルアーン23:115-116)

4-創造者は誰か?創造主はアッラーであり、かれのみが唯一崇拝に値するお方です。アッラーはこう仰っています:

-かれこそはアッラー、かれ以外に崇拝すべきものは存在しない。(かれこそは)真の王。この上なく神聖なるお方。最も平安なるお方。最も平安を与えられるお方。最もよく監視されるお方。最も偉大なるお方。全てを従えられ、最も高遠なるお方。かれは彼ら(不信仰者)がかれに並べて配しているものなどからは無縁な、この上なく崇高なるお方である。かれこそはアッラー。(かれこそは)創始者であり、造物主であり、造形主。かれにこそ美名は属する。天地にあるものは全てかれの崇高さを讃えるのだ。そしてかれはこの上なく偉大で、英知溢れたお方であられる。,(クルアーン59:22-24)

5-アッラーがこの宇宙に創造したものに対して、私たちはいかに対応するべきか?この問いに対し、至高のアッラーはこう仰っています:

-信仰する者たちよ、われら(アッラーのこと)があなた方に与えたよきものを食べよ。そしてあなた方が本当にかれ(アッラー)を崇拝するのなら、かれに感謝せよ。,(クルアーン2:172)

6-人が受け入れるべき真の宗教とは?そして死後、幸福へと導いてくれる道は?アッラーはクルアーンの中で、こう仰いました:

-そしてイスラーム以外のものを宗教として望む者は、決してそれを受け入れられない。そして彼は来世においては損失者の類いなのである。,(クルアーン3:85)

7-心の平安と精神の安らぎへと導いてくれるものとは?この問題に関し、至高のアッラーはこう仰います:

-信仰し、その心がアッラーのズィクル(唱念)で平穏である者たち。アッラーのズィクルによって心が平穏にならないことがあろうか。,(クルアーン13:28)

8-アッラーとその啓示を信仰しないことの結末は?至高のアッラーはこう仰っています:

-そしてわれの訓戒から背き去る者には、実に苦しい生活があろう。そして更に、われら(アッラーのこと)は審判の日に彼を盲目にして蘇らせよう。,(クルアーン20:124)

9-この世における私たちの行き先とは?至高のアッラーはこう仰っています:

-全ての魂は死を味わう。そして審判の日にこそ、あなた方はあなた方の(現世での行いに対する)報酬を全うするのだ。ゆえに地獄の業火から救われ、天国に入れられた者こそが真の勝利者なのである。実に現世での生活は偽りの享楽に過ぎない。,(クルアーン3:185)

10-私たちが死後蘇ることなどあるのか?この問いに対し、至高のアッラーはこう仰います:

-そして(不信仰者は)自らの創造のことを忘れて、われら(アッラーのこと)に向かって(死後の復活を否定する)譬え話をしてこう言う:「朽ち果てた骨を誰が生き返らせるというのか?」言え、「それを最初に創造されたお方が、(また)それに生をお与えになるのだ。かれは全ての創造についてご存知であられる。」,(クルアーン36:78-79)

またアッラーはこのようにも仰っています:

-人々よ、もし復活を疑っているというのなら(考えてみよ)、実にわれら(アッラーのこと)はあなた方(の祖アダム)を土塊から創造したのだ。そして(アダムとその子孫の)精子から凝血を、また凝血から肉塊を造るが、(その肉塊は)完成することもあればそうはならないこともある。(これらは全て)われらがあなた方に(われらの威力を)明白に示すがためのもの。またわれらは(その肉塊を)、われらが望む一定の期限が来るまで子宮に据え、それから子供として(胎内に)出す。,(クルアーン22:5)

11-死後何が起こるのか? 至高のアッラーはこう仰いました:

-啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)と多神教徒たちの内で(真実を)隠蔽し認めない者たちは、地獄の業火に永遠に留まることになる。彼らこそは創造物の内でも最悪の者たちなのだ。そして信仰し善行に勤める者たちこそは、創造物の内でも最善の者たちである。彼らのその主の御許での報奨はその下を河川の流れるエデンの園であり、そこに永遠に暮らすのだ。アッラーは彼らにご満悦であり、彼らもまたかれに満悦する。これこそ(現世で)その主を畏れていた者の報いなのだ。,(クルアーン98:6-8)

親愛なる読者各位へ。イスラームは、現代世界が直面しているあらゆる問題に解決策を提示している教えです。世界はいくつかの大きな問題を解決すべく様々な主義学説を適用してきましたが、それらは単にその不適応性と無力さを曝け出すだけでした。一体人々が、よりよき人生を模索するためにイスラーム法を試行してみよう、と思い立つ時はいつやって来るのでしょう?

C.E.アブドゥッラー・アーチボールド・W・ハミルトンはこう述べています:

「私は私のイスラーム改宗にあたって、私に親切にも手紙や電報を送って下さった全てのムスリム同胞に対し、心からの感謝の念を表明したいと思います。そして私は、私の送る言葉以上の祝福が、彼らに届くことを望んでいます。全世界が血の川の中をよろめき歩いた先の戦争の後、私はてっきり全ての平和と友好が終焉を迎えてしまったものだと感じていました。しかし実際のところ、私の同胞たちは七つの海の向こうから友好の手を差し伸べ、希望と励ましのメッセージを伝えて来てくれたのです。このことが、イスラームこそが世界に平和をもたらすことが出来るのだ、ということを私に強く訴えかけました。」

親愛なる読者各位へ。現代世界のある種のムスリムは道を見失い、その人生においてイスラームの教えを十分に尊んではいません。そして単に名前だけのムスリムに成り下がっています。しかし真のムスリムとは、クルアーンとスンナ(預言者ムハンマドの慣習)をその人生において実践する者のことなのです。真のムスリムとは自分の気に入ったイスラームの一部だけ取り入れ、その他の部分は放棄してしまうような者のことではありません。

そしてイスラームという教えは、ある特定の国や人種にのみ限られたものではありません。実際のところ全てのムスリムがイスラーム法に基づいて堅実な人生を送っているわけではなく、多くのムスリムが真のイスラームの教えを拒み、道を見失っています。またイスラームは、ある人々が誤解しているように決められたある宗教儀式を遂行するだけではなく、信仰、法、崇拝行為、社会的行為に関する諸事なども包含しています。それは宗教であると同時に政治システムでもあるのです。ある者はこう言っています:

「(イスラームは)一体何と偉大な宗教なのであろうか!後は、その教えを実践し、それが命じるものを履行し、禁じるものを放棄する人々が必要なだけだ。」 

W.モンゴメリー・ワットはその著「イスラームとは何か?」の中でこう記しています:

「イスラームを学ぶヨーロッパ人、あるいはアメリカ人が直面する唯一の困難は、偏見である。イスラームを“クルアーンの宗教”とか“今日四億の信徒を擁する宗教”とか描写してみても、すぐそれが“宗教”という範疇には相応しくない分野の説明に入り込んでしまう。現在西欧で使われている“宗教”という言葉の意味は、一体何であろうか?平均的な人であればせいぜい、日常的問題に取り組む力と援助を与えてくれ、他人に優しくするよう励まし、また異性との付き合いの規準を維持させてくれる、日曜日の一時間かそこらで終わる儀式、とでも答えるかもしれない。つまりそれは商業や経済、政治や産業などということからは遠くかけ離れているのだ。そして悪いことには、そういった宗教の概念がより繁栄した個人の中に独り善がりの態度を助長させ、自己満足を育んでいる。またある種のヨーロッパ人は宗教を、開発者が人々をその支配下に確保しておくための麻薬剤として発展させたものであるとすら見ているかもしれない。これらはムスリムが読むクルアーンの節‐“実にアッラーの御許での真の宗教とは、イスラームである”‐の内包している意味と、いかに縁遠いことであろう!ここで“宗教”と訳されたアラビア語の言語は“Deen”、つまり人生の全てに関する手法のことである。それは人生の周辺部のみにしか触れないような、個人に関する私的な事柄だけに限らず、公私に渡って様々な物事を扱っている。つまり教義理論や崇拝行為の形式、政治理論や品行規準の詳細などの他、ヨーロッパ人が衛生学やマナーの分野に振り分けてしまいそうな物事まで包括しているのだ。」

イスラームは、完全な形で預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に啓示された教えであり、そこには少しの変更もありません。変わるのはムスリムだけなのです。ムスリムが犯す間違いが、イスラームに帰されるわけではありません。バラバラの車を組み立てる際、それに関する十分理解可能な説明書を持っていながら失敗してしまったとしても、それがその説明書の欠陥にはつながらないのと同じことです。

私は親愛なる読者各位がイスラームに対する偏見や悪い感情にとらわれず、かつ目的を間違いの粗探しなどではなく真理への到達と定めつつ、この小冊子を読んで下さるようお願い申し上げます。至高のアッラーはクルアーンの中で、こう仰っています:

-そして彼らに「アッラーが下されたものに従え」と言われれば、彼らは言う:「いや、私たちは私たちの祖先がそうであったところのものに従う。」彼らの祖先は物事を理解もしなければ、導かれてもいなかったではないか?,(クルアーン2:170)

論理的な人間とは、何かを受容する際には十分研究し吟味する者です。そして一旦何かが正しいということを証言するや否や、人々の間にそれを広め、自分たちの間違いを改正しようとする者なのです。

最後に、この小冊子において取り上げたことは、イスラームの全側面を網羅しているわけではありません。イスラームはこの世における人間の人生のあらゆる側面を取り扱っている、大変膨大な教えです。これらを全て網羅するとしたら、何冊もの書籍が必要となることでしょう。この小冊子で取り上げられているのは、イスラームの基本的道徳に関しての主要な側面をまとめたものだけです。また随所において、クルアーンと預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のスンナ(言行録)からの典拠にも言及しています。

ある人たちは、イスラーム法が現代の法体系を修正して採用しているということを暗示しようとして、イスラーム法の一部は現代社会において履行されているではないか、と主張するかもしれません。しかしそのような疑念は、イスラーム法が1400年もの昔から存在している事実により難なく払拭されるでしょう。むしろ、それらの社会において施行されている法律自体が、イスラーム法から取り入れられたものと言えるかもしれないのです。 

 イスラームにおける一神論

イスラームは他の天啓宗教同様、アッラーがその信徒に信仰して布教するよう命じたと教えていますが、強制はその目的を達成する有効な手段ではありません。至高のアッラーはクルアーンの中で、こう仰っています:

-宗教に強制はない。実に正道と邪道は明らかにされたのである。,(クルアーン2:256)

またイスラームはその信徒に、宗教をよき作法でもって布教することを命じています。至高のアッラーはこう仰いました:

-英知とよき訓戒をもって、あなたの主の道へといざなえ。そしてよき手法を用いて彼らと議論するのだ。,(クルアーン16:125)

その教えに納得することもなくイスラームの受容を宣言することは、イスラームの基本律に反しています。というのも強制されて改宗すれば、その者の言葉や行いはその信仰との間に不調和を生むことになりますが、これこそはイスラームにおいて「偽信」と定義されているものなのです。イスラームは偽信に厳しい警告を与え、またそれを単なる不信仰よりも重い罪と見なしています。至高のアッラーはこう仰いました:

-実に偽信仰者たちは地獄の業火の最下層に(放り込まれる定めである)。,(クルアーン4:145) 

また人類にアッラーからのメッセージを伝え、強制や腕力を用いたりせずに彼らを正しい道へと導くのは、全ての預言者の任務でもありました。至高のアッラーはこう仰っています:

-そしてアッラーに従い、使徒(ムハンマド)に従え。そしてもしあなた方が背いても、われら(アッラーのこと)の使徒の義務は明白なる(啓示の)伝達に過ぎないのである。,(クルアーン64:12)

 イスラームにおける主な目的

アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は別れの巡礼[2]の際、ミナー[3]の地において人々にこう言いました:

「今日はいかなる日だ?」人々は言いました:「アッラーとその使徒がよくご存知です。」彼は言いました:「この日は聖なる日(アラファの日:ヒジュラ暦の12月9日)である。ではここはいかなる場所か?」人々は言いました:「アッラーとその使徒がよくご存知です。」彼は言いました:「ここ(マッカとその付近の地)は聖なる場所である。ではこの月はいかなる月か?」人々は言いました:「アッラーとその使徒がよくご存知です。」彼は言いました:「この月は聖なる月(ヒジュラ暦12月のズルヒッジャ月)である。実にアッラーはこの日、この月のこの場所における神聖さと同様に、あなた方の生命と富、そして名誉を犯さざるべき神聖なものとされたのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

イスラームがいざない、かつその保護を謳っている最も重要な目的とは、宗教と生命と尊厳と財産と理性の保護です。生命の保護に関し、至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてアッラーが禁じられた(者の)命を、正当な理由もなくあやめてはならない。,(クルアーン17:33)

また財産の保護に関して、アッラーはこう仰っています:

-そしてあなた方の財産を、不正に貪り合ってはならない。,(クルアーン2:188)

また尊厳の神聖さに関し、至高のアッラーはこう仰いました:

-そして姦淫には近づくな。それは醜悪なものであり、悪い道である。,(クルアーン17:32)

またアッラーはこのようにも仰っています:

-そして過ちや罪を犯しながら、それを無実の者に擦り付ける者は、実に虚偽と明白な罪を犯しているのである。,(クルアーン4:112)

また子孫や祖先に対して罪を犯すことの禁止に関し、至高のアッラーはこう仰いました:

-そして背き去っては地上を徘徊し、腐敗を働いたり、農作物や子孫に被害を与えたりしようとする。アッラーは腐敗を愛でられないのだ。,(クルアーン2:205)

またイスラームは弱者の権利保護に対し、多大な配慮を払っています。それは彼らがより不正を被りやすい立場にあるからであり、アッラーはクルアーンにおいて様々な種類の弱者と、及び彼らがいかに不正を被るかという点に言及しています。まず、両親に関して至高のアッラーはこう仰っています:

-そしてあなたの主は、あなた方がかれ以外の何ものも崇拝せず、両親に孝行することを命じられた。彼らの内片方、あるいは二人とも高齢に達したら、うんざりしたり乱暴に応対したりしてはならない。しかし彼らにいたわりの言葉をかけてやるのだ。,(クルアーン17:23-25)

また孤児に対して、アッラーはこう仰られます:

-ゆえに孤児を抑圧してはならない。,(クルアーン93:9)

またイスラームは、孤児の財産保護を命じています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして孤児が成熟するまで、その財産には良い形においてでなくしては近づいてはならない。そして約束を守るのだ。それは問われることになるだろうから。,(クルアーン17:34)

また子供に関し、 至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてあなた方の子供を、困窮を恐れて殺してはならない。われら(アッラーのこと)こそが彼らとあなた方を養うのである。,(クルアーン6:151)

また病人に関しては、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言っています:

「捕虜を解放し、飢えている者に食を与え、病人を見舞うのだ。」(アル=ブハーリーの伝承[4]

一方年長者に関して、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「年長者を敬わない者と年少者を慈しまない者、そして学者に敬意を払わない者は私たちの内の者ではない。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

また困窮者に関して、至高のアッラーはこう仰います:

-そして頼み事をしてくる者に、辛くあたってはいけない。,(クルアーン93:10)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「アッラーはそのしもべが同胞を援助する限り、かれもその援助の手を差し伸べられるのだ。」(ムスリムの伝承)

イスラームがその信徒に実践するよう命じた素晴らしい手法は、他にも沢山あります。そしてそれらの全ては個人の人格を高め、かつ社会全体の改善を促すのです。

 イスラームの特性

1-クルアーンと預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のハディース[5]の中には、全ての宗教は何ものも併置することなくアッラーのみを崇拝するという一つの教義へといざなってきたのだ、ということを示す典拠が沢山あります。アッラーは人々に多くの預言者を遣わしてきましたが、それぞれの預言者が携えて来たメッセージはそれ以前のメッセージを改新するものでした。それはノアの時代から、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の使命の時まで継続したのです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「実に私と他の預言者たちとの関係は、その角に一つのレンガが抜けていることを除いては、完全で美しい一軒の家を建てた者のようなものである。人々はその周囲を回ってそれを賛美するが、こう言うのだ:“もしこの場所にレンガが一つ入れられれば申し分ないのに!”そして私こそがそのレンガなのであり、預言者の封緘なのである。」(アル=ブハーリーの伝承)

預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の後にはいかなる預言者も現れません。唯一の例外はイエス(彼に平安あれ)で、世界の最後の時が近づいた時に彼は地上に降臨し[6]、正義でもって不正と抑圧に満ち溢れた世界を治めます。そしてその際に彼がもたらすものは新しい宗教なのではなく、イスラームでもって世界を治めるのです。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「マリヤの子(イエス)がイスラームによって裁く正義の統治者として降臨するまで、審判の日は到来しない。彼は十字架を破壊し、豚を殺すであろう。また彼はジズヤ[7]を撤廃し、誰もそれを受け取るのを拒むようになるまで富を行き渡らせるであろう。」(アル=ブハーリーの伝承)

アッラーはマリアの子イエスを遣わします。彼はダマスカス東方にある“アル=マナーラ・アル=バイダーゥ(白いミナレット)”という場所に両腕を二人の天使にかけた状態で降臨します。それからダッジャール(偽メシア)を倒し、イスラームによって地上を治め、十字架を壊します。また豚を殺し、人々の間から吝嗇が去るまで財を行き渡らせます。

全ての預言者は、アッラーにのみ主権と崇拝対象としての権利を認め、そこにおいてかれに何ものをも並べないことへと人々をいざいないました。また彼らはアッラーがいかなる欠陥からも無縁であること、そしていかなる仲介者も介さずにかれのみを崇めることを主張したのです。彼らは人類を矯正し、現世と来世において人間が真の幸福を達成出来る道へと導いたのです。 至高のアッラーはこう仰いました:

-(アッラーは)あなた方に、ノアに命じたものと同じ宗教を定めた。そして(また)あなたに啓示したものと、アブラハムとモーゼとイエスに命じたものも(同様に定めた)。「宗教を実践し、そこにおいて分裂してはならない。」,(クルアーン42:13)

2-イスラームはそれ以前の宗教を無効化しました。イスラームこそがアッラーが人類のためにお選びになった最後の宗教であり、かれはそれ以外の教えを認められません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)はあなたに、真実をもって(クルアーン)を下した。それはそれ以前の諸啓典を確証し、かつ従属させるものである。,(クルアーン5:48)

イスラームは最後の宗教であるゆえ、特定の時期に特定の民のために下された他の宗教とは違って、審判の日まで改竄から免れます。至高のアッラーはこう仰いました:

-実にわれら(アッラーのこと)は、訓戒(クルアーンと預言者ムハンマドの言行)を下した。そしてわれらはその守護者なのである。,(クルアーン15:9)

またイスラームの預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は最後の預言者であり、彼以後にはいかなる預言者も出現しません。至高のアッラーはこう仰いました:

-ムハンマドは(彼が授かった本当の彼の子でもない)あなた方の内の誰の父親でもない。しかしアッラーの使徒であり、最後の預言者なのだ。,(クルアーン33:40)

しかしこのことはイスラームが彼以前の預言者や啓示を否定したり、信じないことにはつながりません。それどころかイエスはその民にモーゼが伝えたものと同じメッセージを伝達したのですあり、ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はイエスが伝えたのと同じメッセージを伝達しています。つまりアッラーに何ものも併置することなく、かれのみを崇拝する、というメッセージのことです。

ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は最後の預言者・使徒であり、ムスリムは全ての預言者と啓典を信仰することを義務付けられています。それらの預言者の内の一人、あるいは啓典の内の一つでも否定する者は、イスラームにおいて不信仰を犯していると見なされるのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-アッラーとその使徒たちを信じず、アッラーと彼らの間を分け隔てようとする者たち。そして「私たちは(使徒たちの)これこれの者たちは信じるが、他の者たちは信じない。」などと言って、その(信仰と不信仰の)間に道を見出そうとする者たち。彼らこそは真に不信仰者である。,(クルアーン4:150-151)

3-イスラームはそれ以前の全ての天啓法を完遂し、完結しました。イスラーム以前の全ての宗教は特定の時期に特定の民のために下されたものですが、イスラームはあらゆる時代と人々に適した完全かつ永劫の、普遍的な宗教なのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-この日われはあなた方に対し、あなた方の宗教を完成させた。そしてあなた方への恩恵を全うし、イスラームがあなた方の宗教であることに満足した。,(クルアーン5:3)

このような理由ゆえに、イスラームは最善の宗教です。至高のアッラーはこう仰いました:

-あなた方は善を命じて悪を禁じ、かつアッラーを信仰するところの、人類に出現した最高の共同体である。もし啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)が信仰に入れば、それは彼らにとってよいことであったのだが。彼らの内のある者たちは信仰者となったが、多くの者は放埓者である。,(クルアーン3:110)

4-イスラームは世界的な宗教であり、全人類に向けられたものです。イスラームはある特定の人種や階層のために下ったのではなく、むしろ全人類を平等と見なします。肌の色や言語、場所や血統などによる差別はなく、全人類が共有し、またその統一を促進するような種類の信仰の上に成立しているのです。アッラーが唯一かつ真の主であり、イスラームが正しい宗教で預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が最後の預言者であることを信じる者は、その人種や肌の色や民族を問わず皆ムスリムと見なされます。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)はあなたを、福音と警告を告げる者として人類全てに向けて遣わした。,(クルアーン34:28)

預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)以前の預言者や使徒は、皆特定の民に向けて遣わされました。至高のアッラーはノアについて、こう仰っています:

-実にわれら(アッラーのこと)はノアをその民に遣わした。,(クルアーン7:59)

また預言者フード[8]について、アッラーはこう仰っています:

-そしてアード(の民)には、その同胞フードを遣わした。彼は言った:「民よ、アッラーを崇めよ。あなた方にはかれの他に、崇拝すべきいかなるものもないのであるから。」,(クルアーン7:65)

また預言者サーリフ[9]については、至高のアッラーはこう仰っています:

-そしてサムード(の民)には、その同胞サーリフを遣わした。彼は言った:「民よ、アッラーを崇めよ。あなた方にはかれの他に、崇拝すべきいかなるものもないのであるから。」,(クルアーン7:73)

また預言者ロト[10]について、至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてロトが、その民にこう言った時のこと(を思い出せ)…,(クルアーン7:80)

またシュアイブ[11]については、至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてマドゥヤン(の民)には、その同胞シュアイブを遣わした。,(クルアーン7:85)

またモーゼに関して、至高のアッラーはこう仰いました:

-そして彼らの後、われら(アッラーのこと)はわれらのみしるしと共に、モーゼをファラオとその(配下の)頭目たちに遣わした。,(クルアーン7:103)

またイエスに関して、至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてマリヤの子イエスがこう言った時のこと:「イスラエルの民よ、私は私以前のトーラーを確証し、そして私の後に到来する“アフマド”という名の使徒の福音を告げるべくあなた方に遣わされた、一人の使徒である。」,(クルアーン61:6)

イスラームは世界的宗教であるゆえ、全人類に対してそのメッセージを呼びかけます。またアッラーは、ムスリムがそのメッセージを伝達することを命じられました。至高のアッラーはこう仰いました:

-こうしてわれら(アッラーのこと)は、あなた方を公正かつ最善の民とした。それはあなた方が人々の証人となり、そして使徒(ムハンマド)があなた方の証人となるためなのである。,(クルアーン2:143)

5-イスラームの教えと法は、全てアッラーからのものです。それらは人間の手によって作られたものとは違い誤りや欠陥がなく、また社会や伝統や文化といった外的要素からの影響を蒙ることがありません。これは現在も観察されていることであり、人間が作った法は安定せず、時折改変や修正を求められます。ある社会に適する法は別の社会には適しないかもしれず、またある時代に適するものは別の時代には相応しくないかもしれないのです。例えば資本主義社会の法律とシステムは共産主義社会には適しません。ある法律やシステムは特定の社会に適用する際、その特定の目的や視点を考慮しなければならないのです。更にはもしより見識高く知識に優れた人が現れた場合、彼は既存の法律を改変するかもしれませんし、あるいはそれとは矛盾する概念を提示するかもしれません。

しかしイスラーム法は記述した通り、神授のものです。その法を定めたのは誰ならぬ全ての創造主なのであり、何が被造物の状況に最も適し、最も有益であるかをご存知の方なのです。いかなる地位にある者もこの法に反対したり、改変したり、付加したり、放棄したりする権利はありません。 至高のアッラーはこう仰いました:

-一体彼らは、ジャーヒリーヤ(イスラーム以前の無明時代)の裁決を望むというのか?(アッラーを)確信する者にとっては、裁決においてかれに優るものなどいないというのに。,(クルアーン5:50)

6-イスラームはその典拠が普遍的で、全ての時代と場所に適応する宗教です。しかしその一方で、時間や地域的相違の影響を受けない不変の一般的原則や教義も明らかにしています。例えばアッラーやその天使たち、その諸啓典、諸使徒、最後の日と定命に関する信仰など信条に関連することや、礼拝の動作とその時刻、義務の浄財の定額とそれを与える対象、義務の断食の時期やハッジ(義務の巡礼)の特性と時期と規則など、イバーダ(崇拝行為)に関することなどがそれです。

世界で起こる全ての新しい出来事に関する見解は、クルアーンとスンナ(預言者ムハンマドの言行録)によって吟味されます。もしクルアーンとスンナの中にそのことに関する見解が直接見つからない場合は、敬虔な学者がムスリムの福利とその時代や社会状況を考慮しつつ、法的典拠を根拠に見解を導き出すための努力をします。この作業は クルアーンの句とスンナの一般的意味を調査し、かつ以下に示すような法学的原理を研究しつつ行われます:

1.      イスラームにおいて全ての物事は、それが非合法であるという一般的あるいは特定の典拠が存在しない限り合法です。

2.      社会の共益と福利の保護。

3.      イスラームは易しい教えであり、不必要な困難があればそれを免除します。

4.  害することも害されることも回避されなければなりません。

5.  悪事を、それが広がる手段を封じることで押しとどめます。

6.  切迫した必要があれば、非合法な物事は合法化されます。

7.  切迫した必要があれば、その状況に応じて非合法性を合法化します。

8.      害悪の回避は、福利の成就よりも優先されます。

9.      もし悪い選択しかないような場合は、よりましな方を選択します。

10.     害悪は同様の害悪でもって回避したりしません。

11. 特定の害悪は、一般的害悪を回避するためにその回避を保留したりしません。

 この他にも同じような沢山の法学的原理が存在します。また見解を導き出すための法的努力において、学者は自分の私欲に従ったり、またそれを個人的利益を得るための道具としてはなりません。法学者は法的典拠に反しないような手法でもって、社会的利益を導くために最善の努力をするべきです。イスラームはあらゆる時代に適応し、あらゆる社会の必要を満たす力があるのですから。  

7-イスラームにおいて偏見はありません。その法的項目は経済的に豊かな者と貧しい者、高貴な者と庶民、統治者と臣民、また肌の色などの区別なく全ての者に適用されるのです。イスラーム法の実践において、全ての者は平等なのです。

これに関する出来事として、預言者時代のある日マフズーミー部族(最も高貴な血統であるクライシュ族の支族)出身のある女性が、盗みを犯した事がありました。

人々は言いました:「一体誰がアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)に話して(彼女に対する窃盗の刑罰の免除について)執り成すのだ?アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の寵愛するウサーマしか、それが出来る者はいないではないか?」それで彼(ウサーマ・ブン・ザイド)がその女性の刑罰を免除してもらおうとしてアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に話すと、彼はこう言いました:「アッラーの刑罰において執り成そうというのか?」

そして預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は立ち上がると、説教してこう言いました:

「人々よ!あなた方以前の者たちは、高貴な者が盗みを犯せば放免し、弱者が盗みを犯せば刑を執行する、などということをしていたために滅亡したのだ。アッラーに誓って。もしムハンマドの娘ファーティマが盗みを犯すようなことがあれば、ムハンマドは彼女の手を切るぞ。[12]」(ムスリムの伝承)

8-イスラームの法的典拠は現在に至っても元来の形を保持しており、いかなる省略や付加や置き換えも蒙ってはいません。そしてイスラーム法の主要典拠は、クルアーンとスンナ(預言者ムハンマドの慣行)なのです。

現存しているクルアーンは、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に啓示された当時のままの字と句と章を維持しつつ、元来の形を保っています。クルアーンはただ一つの改ざんも受けてはいないのです。

預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はその存命中、アリーやムアーウィヤ、ウバイ・ブン・カアブやザイド・ブン・サービトなど、教友の中でも最も優れた者たちに、彼に下された啓示を書き留めるよう命じました。それで彼に啓示が下るたび、彼はそれをどの章のどの箇所に書き留めるかを正確に指示し、教友たちがそれを命令通りに書き留めたのです。またクルアーンは書物の形で保存されると同時に、ムスリムの心の中にも暗記という形で維持され続けました。

ムスリムはアッラーの書に特別な敬意を払っています。そしてそれを教授し学習することにおいて、互いに競い合うようにして努力するのです。これも全て、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が約束した来世での報奨のために他なりません。

「あなた方のうち最善の者は、クルアーンを学び教える者である。」(アル=ブハーリーの伝承)

ムスリムはクルアーンに奉仕し、配慮し、またその暗記のためにその時間と財産を惜しげなく費やします。ムスリムはこうして世代から世代へと、クルアーンを受け継いでゆくのです(クルアーンの暗記と朗誦は、崇拝行為の一つと見なされます)。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、こう言いました:

「クルアーンを朗誦する者は誰でも、十の報奨を得よう。“アリフ・ラーム・ミーム”は一つの語なのではない。“アリフ”も“ラーム”も“ミーム”も、それぞれ一語なのである。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

そしてイスラームにおける第二の法源が、クルアーンの意味の明確化と説明の役割を担っているスンナ(預言者ムハンマドの言行録)です。アッラーはスンナに関しても、その一生をそこに捧げた敬虔で信頼に溢れる学者たちの研究により、あらゆる改ざんや偽造から保護しました。学者たちは預言者の伝承の鎖を調査し、それが本当に彼から伝えられたものなのかどうかを検証しました。更には伝承の鎖の中に存在する各伝承者のことも調査し、果たして彼らが十分な敬虔さと信頼性を備えているかどうかを研究したのです。彼らは預言者から伝えられる全ての伝承をふるいにかけ、真正であると判明したもの以外は受け入れませんでした。これらの伝承は、現在まで私たちのもとに届いています。スンナの保存のために用いられた方法論についてご存知になりたい方は、伝承学の書籍に目を通されると良いでしょう。伝承学を研究してみれば、私たちのもとにある伝承に関する信頼性には疑念を挟む余地もないことが分かり、またその保存のために奉仕した学者たちの想像を絶する努力が実感出来るはずです。

9-イスラームは性別や肌の色や言語などの相違に関わらず、全人がその本質において平等であると説きます。アッラーが最初に創造した人間はアダムですが、彼は全人類の父祖なのです。またアダムからその妻であり、全人類の母であるイブが造られ、そして彼らを両親としてその子孫が生まれたのです。その元来の本質と創造において、全人類は平等です。至高のアッラーはこう仰いました:

-人々よ、あなた方を一つの魂(アダム)から創られ、次いでそれからその妻を創られ、そしてその二人から多くの男女を創り広げられたアッラーを畏れるのだ。そしてあなた方がかれにおいて同情し合うところのお方と、親戚の絆の断絶に対して身を慎め。,(クルアーン4:1)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、こう言いました:

「実にアッラーは、イスラーム以前の無知の時代にあなた方が不当に抱いていた誇り‐特に祖先に関する誇りという無知‐の気持ちを捨て去られた。人はアッラーを畏れる信仰者か、あるいは罪深い不信仰者のいずれかなのだ。全ての者はアダムの子であり、アダムは土塊から造られたのである。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

過去の、そして未来の全ての世代はアダムの子孫です。かつて人類は一つの宗教と一つの言語を有していましたが、その数が増大化して地上に散開し、異なった土地に居住したことによってその色や特徴、言語を異にするようになったのです。このことはまた彼らを違う思考様式と生活様式、そして信仰へと導きました。

至高のアッラーはこう仰っています:

-人々は一つの共同体であった。そしてそれから相違が生じたのである。もしあなたの主の御言葉(による定め)が先んじていなければ、彼らは相違したまま裁決を下されてしまったであろうに。,(クルアーン10:19)

イスラームの教えはその性別や人種、言語や民族を問わず、全ての人間を平等と見なします。ただ一つだけ異なるのは、その人生においてアッラーの教えを実践するかどうかという点なのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-人間よ、実にわれら(アッラーのこと)はあなた方を一組の男女から創った。そしてあなた方を多くの民族や部族に分け広げた。それはあなた方が互いに知り合わんがためなのである。実にアッラーの御許で最も貴い者は、あなた方の内で最もアッラーを畏れる者。アッラーは全てをご存知になり、全てに通暁されたお方。,(クルアーン49:13)

イスラームにおいて認識されている平等性によれば、全人類はその自由においても平等です。但しその自由はそれでもって好き勝手に振舞うような動物的自由ではなく、宗教でもって規則付けられた自由なのです。

イスラームは全人に対し、以下に示すような権利を保障しています:

A)     思想と主張の自由:イスラームはその信徒が咎められることを恐れずに真実を話し、その思想と意見を建設的かつ焦点を突いた形で表現することを勧めています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「最高の形のジハード[13]は、不正を働く統治者や指導者の面前での真実の言葉である。」(アブー・ダーウードの伝承)

預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の教友たちは、この信条を実践していました。ある時、ある男が第二代正統カリフのウマル・ブン・アル=ハッターブにこう言いました:

「信仰者の長よ、アッラーを畏れるのだ。」すると他の者がそれを遮って、こう言いました:「お前は信仰者の長に、“アッラーを畏れよ”などと言うのか!?」するとウマルは言いました:「放っておけ。そのまま言わせるのだ。もしお前が私たちにそのように言ってくれなければ、お前には何の良いこともない。そしてもし私たちがそれを受け入れなければ、私たちには何の良いこともないことになるのだから。」

また別の際、アリーは何らかの出来事に関し、自分の意見でもって裁決を下しました。当時のカリフだったウマルは、その裁決について訊ねられてこう答えました:

「もし私だったら、このような判決を下していたろうに…。」そして人々がウマルに、なぜ彼が信仰者の長であるにも関わらずアリーに対して論駁しなかったのか訊ねると、彼はこう言いました:「もしその出来事に関する見解がクルアーンかスンナで言及されていたなら、私は彼に論駁しただろう。しかし彼の判決は彼の意見によるもので、正しいかも間違っているかもしれない。アッラーの御許で、いずれの意見がより真実であるかなどとは誰にも分からないのだ。」

B)     全人は合法的な形で生計を立て、また所有する権利があります:至高のアッラーはこう仰いました:

-アッラーがあなた方のある者に、他の者よりも多く恵まれたものに関して羨望するのではない。男たちには彼らが稼いだものに応じての取り分があり、女たちにも彼女らが稼いだだけの取り分がある。,(クルアーン4:32)

C)     全人は知識を身につける権利があります。それどころか、イスラームは知識の追求を一つの義務と見なしています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「知識の追求は全ムスリムにとっての義務である。」(イブン・マージャの伝承)

D)     全人は、アッラーがこの宇宙に創造した清浄でよい物を、イスラームの教えに従ったやり方で利用する権利を有します。至高のアッラーはこう仰いました:

-かれ(アッラーのこと)こそは、あなた方のために大地を平坦にされたお方。それであなた方はその方々を歩き回り、かれからの糧を食べるがよい。あなた方はかれの御許に召集される身の上なのだ。,(クルアーン67:15)

E)      全人はその能力と必要な技術がある場合において、社会における指導的役割を担う権利があります。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「ムスリムに関する権威を与えられたにも関わらず彼らを欺く者は、地獄の業火に入るであろう。」(アフマドの伝承)

イスラームはそれにふさわしくもない者に対して何らかの権威を与えることを、アッラーから委任された信頼に対しての裏切りと見なします。そしてまたこのような現象は、審判の日と世界の滅亡の到来が間近に迫っていることを示す一つの兆候なのです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「信頼が裏切られる時、審判の日の到来を待て。」ある者が言いました:「アッラーの使徒よ、いかに信頼が裏切られるのですか?」すると彼は答えました:「権威がそれに相応しくもない者に与えられた時、審判の日の到来を待つのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

F)      イスラームには他の宗教に見受けられるように、絶大な権力を備えた自治的な精神的権威のようなものは存在しません。これはイスラームがアッラーとそのしもべの間にいかなる仲介者を介すことも許さないためです。アッラーはかれ以外の何かを崇拝する者を、それが彼ら自身を崇拝することに繋がるとしてこう糾弾しています:

-アッラーにこそ純正な宗教がふさわしい。しかしかれ以外の何かをその保護者とする者たちは、(こう言うのだ:)「私たちはアッラーへと近づけてくれるために、それらを崇拝しているに他ならない。」・・・,(クルアーン39:3)

アッラーはこれら仲介者には何の利益や害ももたらす力などなく、それどころか彼らは自分自身の必要すら満足に満たすことが出来ないということを説明しつつ、その真実を明らかにします。結局のところ、それらもまたアッラーの被造物なのですから。至高のアッラーはこう仰いました:

-彼らがアッラーを差し置いて祈っているものは、あなた方同様(アッラーの)しもべなのである。ゆえにあなた方が本当のことを言っているのだというならそれらに祈り、それらを(その祈りに)応じさせてみるがいい。,(クルアーン7:194)

イスラームはアッラーとそのしもべの直接的関係を強調します。この関係は、アッラーのみが援助や必要の祈願や悔悟など全ての場合において立ち返るべき存在であり、そこにはいかなる仲介者も介在しないという信仰の上に成り立っているのです。もし人が罪を犯したら、その者はいつどこにあろうと慎ましく両手を上げて、アッラーのみにそのお赦しを乞えばいい話なのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-悪事を行ったり、自らに不正を働いたりする者で、その後アッラーにその(罪の)お赦しを乞う者は、アッラーがお赦し深く慈しみ深いことを見出すであろう。,(クルアーン4:110)

またイスラームには、自分たちの意見に従って物事を許され得るか許され得ないかを決定するような聖職者は存在しません。アッラー以外には何者も罪を赦す権利はなく、神とそのしもべの間の仲介には立てないのです。そしてまたアッラー以外の何者も宗教において新しい法を定めたり、信仰に関する法を改変したり、罪を赦したり、それに相応しいと見なす者に天国を約束したりすることなど出来ないのです。法を定めることに関する権利は、アッラーのみに属します。アッラーはこう仰いました:

-(ユダヤ教徒、キリスト教徒ら啓典の民は)アッラーを差し置いて、彼らの学者や僧侶たち、そしてマリアの子メシア(イエス)を彼らの主と拝した。,(クルアーン9:31)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこの件に関して、こう言っています:

「彼ら(ユダヤ教徒とキリスト教徒)はそもそも聖職者たちを崇拝などしてはいなかった。しかし彼らが合法化するものを合法とし、また非合法化するものを非合法としていたのである。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

G) イスラームは全個人に、社会における彼らの異なった役割に応じてそれぞれ特定の権利を与えました。これは人生が円滑かつ最善の形で進行し、また全ての者が宗教から最大限の利益を得るがためなのです。両親や子供、親戚や隣人、友人など、全ての者がイスラームによって与えられた諸権利を有しています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてアッラーを崇拝し、かれと共に何ものをも配してはならない。そして両親と近親と孤児、恵まれない境遇にある者たち、また近い隣人と遠い隣人、そして近しい仲間と旅路(で苦境)にある者、あなた方の右手が所有する者(奴隷)に対して善行を施すのだ。実にアッラーは、自惚れ屋の高慢な者を愛で賜らない。,(クルアーン4:36)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「互いに妬み合ってはならない。また買うつもりもない物を褒め上げて、値を吊り上げてもならない。互いに憎しみ合ったり、背き合ってもならない。また商売が成立しかかっているところに割って入り、自分の商品をそれよりも低い値段で売ろうとしてはならない。むしろあなた方はアッラーのしもべとなり、同胞となるのだ。ムスリムは兄弟同士である。互いに不正を働いたり、裏切ったり、騙したり、蔑んだりしてはならないのだ。敬神の念とはここにあるのである。」そう言って彼は自分の胸を三度指差しました。「ムスリムがその同胞を蔑むことの何と悪いことか。ムスリムは同胞の命と財産と名誉を侵害してはならないのだ。」(ムスリムの伝承)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこうも言っています:

「自らに欲することを同士にも欲するようにならなければ、本当に信仰したことにはならない。」(アル=ブハーリーの伝承)

そしてイスラームはその敵に対してさえも、その権利を認めています。教友ムスアブ・ブン・ウマイルの兄弟アブー・アズィーズ・ブン・ウマイルはこう言いました:

「私はバドゥルの戦役で捕虜となりましたが、その際アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:“捕虜によくせよ”。私はアンサール[14]の集団の中にいましたが、彼らが昼食や夕食を摂る時には‐彼らはナツメヤシの実を食していました‐、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の命に従って私にパン[15]を与えたものでした。」(アッ=タバラーニーの伝承)

またイスラームは、動物にさえもある種の権利を与えています。

アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は飢えのために疲労したラクダを見て、こう言いました:

「自分たちの意思を伝えることの出来ないこの動物たちにおいて、アッラーを畏れよ。それらを乗用に用いるのであれば、(きちんと食事を与えてやるなどとして)それ相応の扱いをせよ。またそれらを食用に用いるのであっても、(十分食べさせて健康を気遣うなどして)それ相応の扱いをするのだ。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

イスラームは個人が集団に提供しなければならない特定の権利を与えると共に、集団が個人に対して提供しなければならない特定の権利も定めています。個人は常に集団の福利を念頭に置くべきで、一方集団は個人の福利を常に心しておくべきです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「信仰者とは互いに支え合う(レンガから成り立つ)、一つの建物のようなものである。」そう言って彼は両手の指を組み合わせました。(アル=ブハーリーの伝承)

もし個人と集団の福利が衝突する場合には、集団の福利が個人のそれに優先されます。例えば崩壊しかけている家があったら、それは解体すべきです。というのもそれは通行人を害する危険があり、もしそうなった場合にはその所有者がその責任を問われることになります。

10-イスラームは慈悲と愛と哀れみの教えであり、粗暴さを禁じます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「最も慈悲深いお方(アッラーのこと)は、慈悲深い者に慈悲深くあられる。ゆえに地上のものに慈悲深くあるのだ。そうすれば天にあるお方が慈悲深くあられるだろう。子宮(アラビア語でAr-rahim)は、わが御名“慈悲深いお方(Ar-Rahman)”に由来しているのだ。その絆(血縁関係)を維持する者にはアッラーもその者との絆を結び続け、またそれを絶つ者に関しては、かれもその者との絆を絶たれるであろう。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

イスラームにおける慈悲は人間だけに限られたものではなく、動物にも向けられます。ある女性はその猫を罰したことで、地獄に入りました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「ある女性が猫を罰した。彼女はそれを死ぬまで閉じ込め続けたゆえに、地獄に入れられたのだ。彼女はその猫に餌も飲み物も与えず幽閉し、放して地上の生物を捕獲すらさせようとしなかった。」(アル=ブハーリーの伝承)

また動物に対する優しさや哀れみの心は、天国に入る要素の一つと見なされます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「或る男が道を歩いている時、喉の乾きに襲われた。すると井戸を見つけたのでその中に降り、水を飲んだ。そこから出てみると、犬が乾きのため舌を出し、ハアハア言いながら泥を食べていた。男は言った。“この犬も喉が渇いているのだな。自分がそうだったように。”そして井戸の中に降りると、靴に水を満たし、それを犬の口のところに持っていって飲ませた。アッラーは彼に報奨を与え、そして彼の罪を赦した。」人々は言った:「預言者よ、畜獣への善行にも報奨があるのですか?」 彼は言いました:「全ての生きとし生けるものには報奨があるのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

この慈悲が動物に対するものであれば、一体人間に対するイスラームの慈悲はどのようなものになるでしょう?アッラーは人間を全ての被造物の上に据え置き、最も高貴な存在としたのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)はアダムの子ら(人類のこと)を高貴な存在とし、陸に海に彼らを運んだ。また彼らによき物を糧として授け、われらが創造したあらゆるものの上に位置づけたのだ。,(クルアーン17:70)

11-イスラームは独身主義や修道院、合法的な現世的享楽の拒否などを認めてはいません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「物事が困難になってしまわないよう、自分たちに対して厳しくあり過ぎてはならない。自らに厳しくあり過ぎる者に対しては、アッラーもその物事を厳しくされよう。そしてそれこそが修道院や修行場に残存している物事なのである。」それから彼はこう唱えました:

-そして彼ら(キリスト教徒ら)が発明した修道院。われら(アッラー)がそれを定めたのではないが、彼らがアッラーのご満悦を望んでそれを始めたのである。しかし彼らはそれをきちんと遵守していたわけではなかった。,(クルアーン57:27)[16]

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、こう言いました:

「浪費や驕慢さや虚飾に陥ることなく食べ、飲み、施せ。実にアッラーはかれの恩恵の印がそのしもべに表れることを愛で給われるのだ。」(アル=ハーキムの伝承)

しかし一方でイスラームは人が物質的生活に浸りきったり、またいかなる制限もなく欲望や享楽にのめり込んだりすることを許してはいません。そうではなく、イスラームは個人の生活を現世と来世の間で互いに補足させ合うような形でバランスの取れたものとする、中庸さの宗教なのです。

またイスラームは、肉体及び精神的要求間のバランスを養うことも命じています。例えばムスリムは日常生活における様々な用事に勤しむ一方、崇拝行為を通じてその精神的要求に関しても想起するのです。 至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、金曜日に礼拝の呼びかけが成されたらアッラーの唱念に勤め、売買を(一旦)放棄するのだ。それこそがあなた方にとって最善なのである。もしあなた方がこのことを知っていたら(そうするのであるのに)。,(クルアーン62:9)

またムスリムはその生活の糧を稼いでいる時であっても、物質的需要やその維持に関する諸事を蔑んだりはしません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして礼拝が終わったら地上に散開し、アッラーのお恵みを求め(努力す)るのだ。,(クルアーン62: 10)

このようにイスラームは、あらゆる側面の良い面を集結することを勧めるのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-取引や商売によって、アッラーの唱念とサラー(礼拝)の遵守、そしてザカー(浄財)の拠出をおろそかにしたりはしない者たち。彼らは心と眼がひっくり返されるその日(審判の日)のことを、恐れているのだ。,(クルアーン24:37)

イスラームは魂と肉体、及び知性の権利をいかなる見地においても極端には陥ったりはしないよう、イスラーム法がそう割り当てた通りにバランスよく保護します。ムスリムは自分自身の保護と、自分が行う全ての行為の自主的計算を任されているのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-それで小蟻一匹の重さほどでも善行を行った者は、(審判の日)それを目の当たりにする。そして小蟻一匹の重さほどでも悪行を行った者は、(審判の日)それを目の当たりにする。,(クルアーン99:7-8)

人は身体的諸事や、飲食や衣服、結婚や仕事などの合法的な現世的享楽を否定すべきではありません。至高のアッラーはこう仰いました:

-言え(ムハンマドよ)、「(アッラーが)そのしもべのために提供されたアッラーの装飾品と、その糧からのよきものを禁じる者は何様であることか?」 ,(クルアーン7:32)

イスラームが禁じるのは精神や身体、財産や社会的側面において害を及ぼすような類の醜悪で有害な物事だけです。人間の魂はアッラーによって創造され、そしてアッラーはかれのみを崇拝させ、かれの法を施行させるべくして人間を地上におけるかれの後継者としたのです。イスラームがそのような権利を特別に認めた場合(刑罰など)でない限り、いかなる者も上記のような人間の側面を損ねたり、破滅に陥らせたりすることは出来ません。アッラーはこの世界を発展させると同時に、崇拝行為や諸権利の遂行などの諸々のアッラーに対する義務行為を満たさせるべく、人間の魂にそれに相応しい十全な肉体を創造したのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-実にわれら(アッラーのこと)は人間を、最良の形に創造した。,(クルアーン95:4)

このようなことから、アッラーは私たちが宗教によって定められた規則に従ってこの肉体を保護し、配慮することを命じています。そしてイスラームはこの目的が達成されるべく、以下のような物事を定めました:

A) 身体の浄化: 至高のアッラーはこう仰いました:

-アッラーは実に(罪から)よく悔悟する者たちと、(汚れから)よく心身を清める者たちを愛でられる。,(クルアーン2:222)

アッラーはムスリムが毎日五度行うことになっている礼拝の有効条件として、身体の洗浄を義務付けました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「礼拝は、身体の洗浄なしには受け入れられない。また施しは、非合法なものによって得られた稼ぎからは受け入れられない。」(ムスリムの伝承)

またアッラーは、性行為の後の沐浴も義務付けています。至高のアッラーはこう仰いました:

-あなた方が(性交渉後の)不浄な状態にあるならば、(水で体を)洗い清めよ。,(クルアーン5:6)

またその他にも金曜礼拝やイード(年に二度の祭日)といった集団礼拝の折や、ハッジ(大巡礼)やウムラ(小巡礼)などの際にも、沐浴は強く推奨されています。

B) 衛生の保護:以下のような行為によって行われます:

1.       食事前後に手を洗浄し、食後には口をゆすぐこと。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「食後に歯の間に何か挟まっていたら、それを除去するようにせよ。また口の中に食事の残りがまだあるのなら、それを飲み込むようにせよ。そのようにすれば、その者はよいことを行うことになるだろう。そしてもしそうしないのなら、それでも害はないであろう。」(アブー・ダーウードの伝承)

2.       口と歯を清潔に保つこと:預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「もし私のウンマ(共同体)にとって難儀とならなかったとしたら、私は各礼拝前にスィワーク[17]を命じたであろう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

3.       細菌や汚物の温床となる可能性のある場所を清潔に保つこと:預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「フィトゥラ(人の自然の天性にそぐう物事)には五つある:割礼。陰毛を剃ること。腋毛を抜くこと。爪を切ること。口ひげを切ること。」(アル=ブハーリーの伝承)

4.       合法的で良性であり、汚染されてはいない飲食物を摂取すること:至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、われら(アッラーのこと)があなた方に与えたよきものを食べよ。そしてあなた方が本当にかれ(アッラー)を崇拝するのなら、かれに感謝せよ。,(クルアーン2:172)

イスラームは人が過度の摂取ではなくほどほどに、良性で汚れてはいないものを楽しむことが出来るような規準を設けています。過度の摂取は健康を害します。至高のアッラーはこう仰いました:

-…そして飲みかつ食べよ。しかし浪費してはいけない。実にかれ(アッラーのこと)は浪費を愛で給わらないのだから。,(クルアーン7:31)

また預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は以下に示すように、食べる時の作法に関しても説明しています:

「人間が満たす最悪の器とは、その胃に他ならない。アダムの子ら(人類)は、背中を真っ直ぐに支えるだけの(少量の)食事で十分なのである。しかしもしやむを得ない場合には、(胃の)三分の一を食事に、そしてもう三分の一を飲み物に、そしてもう三分の一を(空っぽのままにして)呼吸のために充てるのだ。」(アッ=ティルミズィーとイブン・マージャの伝承)

5.       イスラームは死肉や血、豚肉や酩酊を及ぼす物質、麻薬や煙草などの不浄な物質や汚物を扱うことを禁じています。人は健康を維持しなければなりません。 至高のアッラーはこう仰いました:

-あなた方に禁じられたものは、(イスラーム法に則って屠殺されなかった)死体、(流れる)血液、豚肉、アッラー以外の名において屠られたものである。しかしやむを得ない状態にある者は、(その摂取において)度を越さず、(それを口にするのは、他に合法なものがない場合のみであるという)法を超えない限りにおいて(それを口にしても)罪はない。実にアッラーはお赦し深く、慈悲深いお方である。,(クルアーン2:173)

また至高のアッラーは、こうも仰いました:

-信仰する者たちよ、酒と賭け事、偶像とアル=アズラーム[18]は悪魔の行いであり、不浄である。ゆえにそれらを避けるのだ。(そうすれば)あなた方は成功するであろう。シャイターンは酒と賭け事をもって、あなた方の間に敵意や憎悪をもたらし、そしてあなた方をアッラーの念唱や礼拝から遠のけたいのである。一体あなた方は(それらを)止めないというのか?,(クルアーン5:90-91)

6.       レスリングなどの有益なスポーツをたしなむこと:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)自身、ラカーナという名前の男とレスリングをした伝承が残っています(アル=ハーキムの伝承)。

また水泳や乗馬、弓矢なども推奨されています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)に最も近しい教友の一人だった、二代目カリフのウマル・ブン・アル=ハッターブはこう言いました:

「あなた方の子供に弓と水泳と乗馬を教えなさい。」

7.       病気の治療を求めること:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「アッラーは病と共に、その治療薬も創造された。全ての病には治療薬がある。しかし禁じられた物にその治療を求めてはならない。」(アブー・ダーウードの伝承)

8.       イスラームは崇拝行為を命じていますが、それは魂に滋養を与えます。崇拝行為による滋養を阻まれた魂は、苦悩の中にあるのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰し、その心がアッラーのズィクル(唱念)で平穏である者たち。アッラーのズィクルによって心が平穏にならないことがあろうか。,(クルアーン13:28)

イスラームは休息や栄養補給、結婚などの肉体的要求をおろそかにしたり、あるいはその権利を否定したりすることを罪と見なします。教友アナス・ブン・マーリクはこう伝えています:

「三人の男がアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の妻たちのもとにやって来て、彼の崇拝行為の様子について訊ねました。彼らはそれについて聞くと、自分たちの崇拝行為の至らなさを痛感してこう言いました:“預言者は過去と未来の罪を赦されたお方だというのに、(それにも関わらず崇拝行為に非常に献身的であった)彼と比べたら、私たちは一体どうなるというのか?”それで彼らの内のある者はこう言いました:“私は一晩中礼拝するぞ。”またある者はこう言いました:“私は毎日断食しよう。”そして別の者はこう言いました:“私は女性を遠ざけ、一生結婚しまい。”するとこのことを聞きつけた預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がやって来て、こう言いました:“あなたたちがそのようなことを言うのは、一体どうしたことか?アッラーに誓って。私はあなた方よりもアッラーを畏れているが、断食すれば(それを解いて)食べもする。また礼拝(のために夜を明かすこと)もすれば、(そうせずに)眠りもするし、結婚もする。私の慣行から背く者は、私の仲間ではないのだ。”」(アル=ブハーリーの伝承)

[12]イスラームは知識の探求を励行します。至高のアッラーはこう仰いました:

-言え、「一体知っている者と知らない者は等しいというのか?」,(クルアーン39:9)

またイスラームは無知と無学を非難します。アッラーはクルアーンの中で、モーゼがこう言ったと仰ります:

-私はアッラーに、無知な輩となることからのご加護を乞う。,(クルアーン2:67)

またムスリムの日常生活や現世と来世に関する諸事についての知識のように、全てのムスリムが学ぶことを義務付けられる類の知識もありますが、その一方で集団の内の誰かがそれを知っていれば十分である類の知識もあります。アッラーは預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に対し、この現世においては知識以外に追求に値するものはない、と仰っています:

-そして言え、「主よ、私の知識をお増やし下さい。」,(クルアーン20:114)

またイスラームは、学者や知識を探求する者に特別な敬意を払うように命じています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「年長者を敬わない者と年少者を慈しまない者、そして学者に敬意を払わない者は私たちの内の者ではない。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

そして特に学者は栄誉高い地位を与えられています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「敬虔でイバーダ(崇拝行為)に熱心な男に対する学者の優越性は、あなた方の内で最低の位階にある者に対する私の優越性のようなものである。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

知識の拡大とその獲得の励行のため、イスラームは知識の探求と学習、その教授を天国へ続く道において奮闘し続けることによって報酬を受ける者に例えています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「知識を探求に出る者は帰還するまで、アッラーの道に奮闘しているものと見なされる。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこうも言っています:

「知識を求めて道行く者は、アッラーが彼に天国への道を易しくしてくれるであろう。また人々が座って偉大かつ荘厳なるアッラーをズィクル(唱念)するならば、天使たちがその周りを飛翔し、慈悲が彼らを覆い、静寂が彼らのもとを訪れ、そしてアッラーはかれの御許にある一団(天使たち)のもとで、彼らを褒め称えるであろう。」(ムスリムの伝承)

イスラームは宗教的知識だけではなく、全ての有益な知識を求めることを推奨します。このことはムスリム共同体にとっての集団義務であると共に、一種の崇拝行為とも見なされます。至高のアッラーはこう仰いました:

-あなた方はアッラーが天から雨を降らせ、それでもって色とりどりの果実を実らせられるのを見ないのか?また山々には白や赤、漆黒など異なった色の縞模様がある。また人々や動物や家畜もまた、それぞれ色が異なっている。実にそのしもべの中でも、知識ある者たちこそがアッラーを畏れるのだ。アッラーこそはこの上なく偉大でお赦し深いお方。,(クルアーン35:27-28)

このクルアーンの句は人を熟考させ、これらの物を創造した創造主の存在の確信へといざないます。また私たちが、アッラーがこの宇宙に創造した全ての物から利益を得ることについても教示しています。この句に示されている学者とは、宗教学者のみではないことは明らかです。アッラーがこの宇宙に散りばめた諸々の謎を発見する能力を備えた、宗教以外の分野の学者もこの中に含まれるのです。

  例えば科学や力学を通して雲の形成や降雨について学んだり、農学を通して農作物や果実の栽培法や収穫量の増加法を学んだり、また地学によって山について学んだり、遺伝学を通して人間や動物の形成について学ぶ者などが挙げられるでしょう。

[13] イスラームは人が自分の行いを常に振り返り、省みることを勧めます。このことはムスリムが努力し、自らの最善を尽くし、かつアッラーのお怒りを回避することにつながります。

ムスリムは、アッラーが彼らの行いを全てお見通しであることを熟知しています。彼らが宗教的に命じられたことを行い、禁じられたことを回避するのはそれゆえなのです。ムスリムが窃盗から自らを抑制するのは他人を恐れてではなく、アッラーを恐れるがゆえなのです。このようにイスラームは人間の内面と外面をバランスよく調和させます。至高のアッラーはこう仰いました:

-例えあなたが声を大にして喋ったとしても、実にかれ(アッラーのこと)は秘め事も、そしてこれから起こることさえもご存知なのである。,(クルアーン20:7)

また預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、イフサーン[19]という位階についてこう述べています:

「アッラーがまるで眼前におられるかのように、かれを崇めることである。そして例えかれが見えなくとも、かれはあなたをご覧になられるのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

自らの行動や振る舞いを監視することは、以下に挙げるような信仰からもたらされる結果です:

A) アッラーのみが真に崇拝されるべき存在であるという信仰:かれこそはあらゆる面において完璧であり、全世界の全ての出来事を把握し、かつかれがお望みにならないことは起こり得ません。至高のアッラーはこう仰いました:

-かれ(アッラーのこと)は地に入るものも、そこから出るものも、また天から降るものも、そこに昇っていくものもご存知なのだ。そしてあなた方がどこにいようと、かれはあなた方と共にある。アッラーはあなた方の行いを全てご覧になられているのだ。,(クルアーン57:4)

アッラーの知識は物質的なものから、不可知なものにまで及びます。かれは人の僅かな心の動きや、その魂が内面でささやくことすらご存知なのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)が人間を創ったのであり、われらは彼がその胸中で話すことも知っている。われらは彼の頸静脈よりも、彼に近いのである。,(クルアーン50:16)

B)アッラーが審判の日に全ての者を復活させるという信仰: 至高のアッラーはこう仰いました:

-不信仰者たちは、(死後)蘇らされることなどはないと思い込んでいる。言え、「いや、私の主にかけて。あなた方は蘇らされ、(現世での)所業を通達されるのだ。そんなことはアッラーにとって他愛もないことである。」,(クルアーン64:7)

C) 人は自分の行ったことでのみ、報奨や罰を受けるという信仰:至高のアッラーはこう仰いました:

-…そして(罪業の)重荷を背負う魂は、他の(魂が犯した罪業の)重荷まで背負わされることはない。 ,(クルアーン6:164)

全ての者は善行であれ悪行であれ、またそれがいかに僅少なものであれ、アッラーの御前で現世での全ての言行を清算されます。そして善行に対しては報奨で、罪に対しては懲罰でもって報われるのです。 至高のアッラーはこう仰いました:

-それで小蟻一匹の重さほどでも善行を行った者は、(審判の日)それを目の当たりにする。そして小蟻1匹の重さほどでも悪行を行った者は、(審判の日)それを目の当たりにする。,(クルアーン99:7-8)

D) アッラーとその使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)に対する服従は、他の何よりも優先されます。至高のアッラーはこう仰いました:

-言え、「あなた方の父親や子息、兄弟姉妹や配偶者、近親やあなた方の稼いだ財産、またあなた方が不景気になることを恐れている商売や、あなた方の意に適った住まいがアッラーとその使徒、そしてその道における奮闘よりもあなた方にとって愛すべきものであるのならば、アッラーが事を決行されるまで待つがよい。アッラーは放縦な民をお導きにはなられないのだ。」,(クルアーン9:24)

[14] イスラームにおいて善行に対する報奨は数倍にも増幅しますが、悪行に対する報いは倍増されたりせずにそのまま清算されます。至高のアッラーはこう仰いました:

-一つの善行を行った者には、その十倍(の報奨)がある。そして一つの悪行を働いた者は、それと同様の報いしか受けない。彼らが不正を被ることはないのだ。,(クルアーン6:160)

また善行はそれを実行するまでは至らなかったとしても、それをしようと思い立っただけで報奨の対象となります。更にイスラームにおいては、悪行を思い立ってもアッラーを畏れて実行を控えるならば、それによって報奨を受けます。というのもその者はアッラーゆえにその悪行を放棄したからです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、至高の主がこう仰ったと伝えました:

「善行を欲する者は例えそれを実行しなくても、アッラーがそれを一つの完全な善行として書き留められよう。そしてもしそれを欲し、かつ実行するのであれば、偉大かつ荘厳なるアッラーはそれを十倍から七百倍まで倍増させた形で書き留められよう。一方悪行を思い立ってもそれを実行しない者は、アッラーが彼に一つの善行を書き留められよう。そしてもしそれを思い立って実行したら、アッラーはそれを一つの悪行として書き留められるのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また自らの魂の欲望を満足させることは、その意図を正すならば一つの崇拝行為へと昇華します。例えば身体の健康を保持したり、あるいは生活の糧を稼いだり、家族や扶養している親族らをまかなったりするためにするために飲食することは崇拝行為の一種と見なされ、報奨の対象となります。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「アッラーからの報奨を望みつつその家族に出費する者は、サダカ(施し)をしているに等しい。」(アル=ブハーリーの伝承)

また意図さえ良いものであれば、ムスリムが行う全ての行いはサダカ(施し)ともなり得ます。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「全てのムスリムは施しをしなければならない。」教友たちは言いました:「もし施す物がなかったらどうしますか?」すると彼は言いました:「両腕を用いて自らを益する仕事をし、そこから施すのだ。」彼らは言いました:「もしそれも出来なかったら?」彼は答えました:「苦境にある者を援助するべきだ。」彼らは言いました:「もしそれさえも出来なかったら?」彼は答えました:「何か良いことを命じるべきだ。」彼らは言いました:「もしそれも出来なかったとしたら?」彼は答えました:「悪行を避けさせよ。それが彼にとってのサダカとなるだろうから。」(アル=ブハーリーの伝承)

[15] イスラームにおいては、もし罪を犯した者が真に悔悟し、二度とそのような行いは繰り返すまいと固く決心するならば、記録された悪行は善行と変換されます。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてアッラーと共に他のものを(崇拝して)祈ったりせず、また正当な理由なしにはアッラーが禁じられた生命をあやめたりせず、そして姦淫したりすることもない者(は、慈悲深きお方の正しいしもべである)。そのようなことを行う者は、その罪(による報い)を受けるであろう。審判の日、彼には懲罰が倍増され、辱められたままそこに永遠に留まる。但し悔悟して信仰し、正しい行いをする者に関しては、アッラーがその悪行を善行でもって取り換えて下さるであろう。アッラーはお赦し深く、慈悲深いお方。,(クルアーン25:68-70)

これはムスリムのアッラーに対する権利ですが、一方その権利を侵してしまった他人に対しては、彼らに許しを請い、かつその権利を回復させる義務があります。

またイスラームは罪を犯した者の知性に語りかけ、悔悟と罪の放棄を勧めることによってその混乱を取り除くのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-言うのだ、「(アッラーはこう仰っている:)罪深いわがしもべたちよ、アッラーのご慈悲に絶望してはならない。」アッラーは全ての罪をお赦しになられる。実にかれは赦し深く、慈悲深いお方である。,(クルアーン39:53)

またイスラームの教えは、悔悟への道を容易なものとします。至高のアッラーはこう仰いました:

-悪事を行ったり、自らに不正を働いたりする者で、その後アッラーにその(罪の)お赦しを乞う者は、アッラーがお赦し深く慈しみ深いことを見出すであろう。,(クルアーン4:110)

これらは全てムスリムに関してのことですが、一方ユダヤ教やキリスト教から新しく改宗したムスリムに関して言えば、彼らの得る報奨は倍化されたものとなります。というのも彼らは彼らの使徒たちへの信仰と同様に、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のことも信仰したからです。至高のアッラーはこう仰いました:

-われら(アッラーのこと)がそれ以前に啓典を授けた者たちは、それを信じよう。それ(クルアーン)が朗誦されれば、彼らはこう言うのだ:「私たちはこれを信じました。これこそはわれらが主からの真理です。私たちはこれ以前からムスリム(アッラーの教えを受け入れて従った者)でした。」彼らは彼らが辛抱したことによって、倍の報奨を与えられよう。彼らは悪行を善行でもって返し、われらが恵んだ物から施すのだ。,(クルアーン28:52-54)

更にアッラーは、イスラームに改宗することによって彼らが以前に犯した全ての罪をお赦しになります。教友アムル・ブン・アル=アースはイスラームを受け入れるにあたって、アッラーが彼の全ての罪を帳消しにすることを条件付けましたが、このことに関してアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「イスラームが、それ以前に犯した全ての罪を消し去ってくれることを知らないのか?」(ムスリムの伝承)

[16]イスラームは、ムスリムが現世での生活において行った善行に対する報奨を、死後に至っても受け続けることを保証しています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「人は死んでしまえば、もう(報奨の対象となる)行いをすることが出来ない。但し次の三つは別である:(つまりそれは、その利益が死後も)継続するサダカ(施し)、または人を益する知識、あるいは(その死後も)彼のために祈ってくれる正しい子息である。」(ムスリムの伝承)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこうも言っています:

「正しい導きへといざなう者には、それに従った者が得る報奨と同じ報奨が彼にも与えられる。そしてそれによって彼ら(導きに従った者たち)の報奨からは少したりとも差し引きされることはない。そして迷妄へといざなう者には、それに従った者が得る罪と同じ罪が彼にも与えられる。そしてそれによって彼ら(導きに従った者たち)の罪からは少したりとも差し引きされることはない。」(ムスリムの伝承)

ムスリムが善行や正義への勧誘、また悪との戦いやそれに対する警告などによって自らの属する社会の間違いを矯正しようと努力するのは、このようなことが一つの理由となっていると言えるでしょう。

[17] イスラームは知性や思索を尊び、それを相応しい形で使用することへといざなう教えです。至高のアッラーはこう仰いました:

-実に天と地には、信仰する者にとっての多くのみしるしがある。またあなた方自身の内側と、かれ(アッラー)が散開させられる生物の内にも、確信する民へのみしるしがある。また昼夜の交替と、アッラーが天から下される恵みの糧。かれはそれでもって死んだ大地を蘇らせる。そして風向きの変化。(それらは皆)理性ある民へのみしるしなのだ。,(クルアーン45:3-5)

クルアーンはその数多くの章句において理性に訴えかけ、また人を思索へと招きます。アッラーはクルアーンの中でたびたび、-彼らは理解しないのか?,、-彼らは熟慮しないのか?,、-彼らは吟味しないのか?,と仰っています。イスラームはこのように理性に重きを置く一方で、その使用範囲には制限を定めています。人は不可知の領域に関することにおいて理性を無駄に用いるのではなく、物理学的な有形の物事に関してそれを利用するべきなのです。

イスラームが理性の地位を貶めずに使用するのを勧めることを示す好例として、知識や正しい導きもなく他人に盲従することへの非難が挙げられます。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして彼らに「アッラーが下されたものに従え」と言われれば、彼らは言う:「いや、私たちは私たちの祖先がそうであったところのものに従う。」彼らの祖先は物事を理解もしなければ、導かれてもいなかったではないか?,(クルアーン2:170)

[18] イスラームはアッラーが人間を先天的にそう造られたところの、フィトゥラ(天性)に沿った教えです。それゆえイスラームは人間の自然な本性に矛盾しません。至高のアッラーはこう仰いました:

-…ゆえにあなたの顔を純正な宗教へと向けるのだ。(それは)人々がそれを元に創造されたところのアッラーのフィトゥラ。アッラーの創造に改変はない。これこそ正しい宗教である。しかし多くの者たちは分からないのだ。,(クルアーン30:30)

このフィトゥラは、時に外的要因によって損なわれます。そしてそうすることで、正しい道から逸れて行くのです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「全ての子供は真のフィトゥラの状態で誕生する。しかしその両親が彼をキリスト教徒やユダヤ教徒、ゾロアスター教徒に変えてしまうのである。」(アル=ブハーリーの伝承)

イスラームこそは、人を真っ直ぐな正しい道へと導いてくれる教えなのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-言え、「私の主は私を、真っ直ぐな道へとお導き下さった。(それは)正しい宗教、アブラハムの純正な教え。そして彼 はシルク(アッラーに何かを並べて崇拝すること)の徒ではなかったのだ。」,(クルアーン6:161)

イスラームの教えは全て、正しい状態にある理性には矛盾しません。むしろ正しい理性はイスラームの教えの真実と適合性、そして利益を証言します。イスラームが命じ、禁じるものは全て理に適ったことなのです。イスラームはそれが絶対的、あるいは相対的に利益があるものでない限り、何かを命じることはありません。禁じられた物事も同様で、イスラームはそれ自体が悪であるか、あるいはその利益よりも悪性の方が勝るような物事でない限り、何かを禁じたりはしません。このことはクルアーンと預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の言行集を吟味してみると、明らかになります。

[19] イスラームはアッラー以外の被造物に対する崇拝や、あるいはかれと何ものかを併置することから、アッラーのみへの崇拝へと人間を解放します。その対象が使徒であろうと、天使であろうと、それ以外のものであろうと違いはありません。このことはアッラー以外の何ものも害益をもたらしたり、糧を供給したりする権威がないという事実に基づいています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして彼らはかれ(アッラー)を差し置いて他の崇拝物を配するが、それらは創造も出来なければ、それらこそが被造物なのである。またそれらは害する力を持ち合わせてもいなければ、益することも出来ない。そして死も生も、復活も持ち合わせてはいないのだ。,(クルアーン25:3)

また全ての物事は、アッラーの御手に委ねられています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてアッラーがあなたに何らかの災いを下されるならば、かれ以外にそれを払拭される方はいない。またかれがあなたに何らかの幸いをお望みになられたら、その恩恵を突き返すことの出来るものはいない。かれはそのしもべの内の、かれがお望みの者にそれを与えられる。かれはこの上なくお赦し深く、慈悲深いお方である。,(クルアーン10:107)

アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)といえども、このことから例外視はされていません。もし彼が例外視されれば、他の者にもそれが適用されるかもしれないでしょう。至高のアッラーはこう仰いました:

-言え(ムハンマドよ)、「私はアッラーがそうお望みになられたものを除いては、何かを益する力も害する力も有してはいない。もし私が不可知の領域を関知していたら、よいことばかりを集め、災難は回避することが出来ただろう。私は信仰する民への一人の警告者、福音者に過ぎないのである。」,(クルアーン7:188)

イスラームは人のストレスや恐怖、混乱などをその原因を解決することにより和らげ、また解放しました。例を挙げてみましょう:

アッラーは、死がかれの御手に委ねられている避けることの出来ない事実であることを明言し、人間の死に対する恐怖を和らげています。至高のアッラーはこう仰いました:

-アッラーのお許しがない限り、人はこの世を去ることがない。(人の寿命は、運命の碑版に)定め記されているのだ。 ,(クルアーン3:145)

多くの者たちは死から逃れようとしますが、それは必ずややって来るものなのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-言え、「あなた方が逃げようとしている死は、必ずあなた方のもとを訪れるのである。」,(クルアーン62:8)

アッラーは人間を貧困や欠乏の恐れから、自由にしました。かれはこう仰ります:

-地上の全ての生物で、アッラーにその糧を依存していないものは何一つとして存在しない。かれはそれらの居場所も行き先もご存知である。全ては明白な書の内に(記録されて)あるのだ。,(クルアーン11:6)

また病気やその他の災難に関して、至高のアッラーはこう仰っています:

-地上で、そしてあなた方の内に起こるいかなる災難も、それが創造される前にアッ=ラウフ・アル=マフフーズ(護られた碑版)の中に定められていないことはないのである。実にそのようなことはアッラーにとって容易いことなのだ。それはあなた方が過ぎ去ったことに後悔せず、(アッラーが)あなた方に与えられたものにおいて悦に入らないようにするためである。アッラーは全ての自惚れ屋と高慢な者を愛でられない。,(クルアーン57:22)

また他の被造物からの害悪に関して、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「アッラーの掟を犯すことから、あなた自身を守るのだ。そうすればアッラーがあなたを守って下さろう。アッラーの掟を犯すことから、あなた自身を守るのだ。そうすればアッラーはあなたを導き、かつ現世と来世における災厄からあなたを守って下さろう。また、順境においてアッラーを想起するのだ。そうすればアッラーはあなたが逆境にある時に、あなたを気に留めて下さろう。何かを求めるのならばアッラーにこそ求め、援助を乞うのならアッラーにこそ乞え。全ての出来事は既に記録されているのだ。全ての者があなたを益しようと一丸になっても、アッラーがあなたに対して既に定められたこと以外は何一つあなたを益することがない。また全ての者があなたを害しようと一丸になっても、アッラーがあなたに対して既に定められたこと以外は何一つあなたを害することがない。あなたが忍耐出来ることを確信するのなら、そうするのだ。そしてそうでなくても、忍耐せよ。そうすればあなたが厭うそれらの物事は、あなたをよきものへと導いてくれるであろう。勝利は忍耐と共に、そして苦の後には楽があることを知れ。」(アル=ハーキムの伝承)

[20] イスラームは現世的諸事においても、宗教的諸事においても、中庸性を勧めます。至高のアッラーはこう仰いました:

-こうしてわれら(アッラーのこと)は、あなた方を公正かつ最善の民とした。それはあなた方が人々の証人となり、そして使徒(ムハンマド)があなた方の証人となるためなのである。,(クルアーン2:143)

またイスラームは、易しさの宗教でもあります。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「アッラーは、物事を困難で厄介にするために私を遣わされたのではない。かれは私を教師として、そして物事を易しくするために遣わされたのだ。」(ムスリムの伝承)

ゆえにイスラームは、ムスリムが出来るだけ物事を容易にするように勧めています。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「挨拶をせよ。そして物事が人々にとって困難になるようにしてはいけない。物事を易しくし、厄介にするのではない。」(ムスリムの伝承)

イスラームは寛容さと親切の教えです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の妻の一人であったアーイシャは、ユダヤ教徒の一団が彼のもとを訪問した際に、彼に対してこう言ったと伝えています:

「あなたに死が訪れますよう。」アーイシャはこれに対し、こう応えました:「あなた方にも、死と呪いがありますよう。」すると預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アーイシャよ、もっと穏やかに。アッラーはいかなる場合でも、優しさを愛で給われるのだから。」アーイシャは言いました:「アッラーの使徒よ、あなたは彼らが何を言ったのか聞こえなかったのですか?」彼は言いました:「私は既にこう言ったのだ:“あなた方にも、”と。」(アル=ブハーリーの伝承)

イスラームは、全ての者の福利を追求します。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「アッラーにとって最善の者とは、最も他人を益する者である。そしてアッラーにとって最善の行いとは、他のムスリムに幸福を与えたり、慰安をもたらしたり、また債務の肩代わりをしたり、空腹を満たしてやったりすることである。私は一ヶ月の間モスクに閉じこもって献身的に崇拝するよりは、ムスリムと共に歩いてその必要を満たしてやることを好む。その怒りを抑える者は、アッラーによってその個人的諸事をかくまってもらえるであろう。また報復出来るにも関わらずその憤怒を抑える者は、審判の日にアッラーによってその心を喜びで満たしてもらえるであろう。他のムスリムの必要が満たされるまでその者と共に歩く者は、人々の足が揺らぐその日(審判の日のこと)にその足場を堅固にしてもらえるのだ。実に悪い作法とは、あたかも酢が蜂蜜を駄目にしてしまうように人の善行を台無しにしてしまう。」(アッ=タバラーニーの伝承)

またイスラームは困難ではなく、節度を重んじる教えです。至高のアッラーはこう仰いました:

-アッラーは、人が背負い切れないような重荷をお与えにはならない。人は自ら益を稼ぎ、また自ら害を稼ぐのだ。,(クルアーン2:286)

イスラームの全ての命令事は、この理念の上に基づいています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「私が禁じたことを避け、私が命じたことは出来る限りの範囲で行うのだ。あなた方以前の者たちは質問への固執と、彼らの使徒への不服従によって破滅したのであるから。」(ムスリムの伝承)

この件において最も良い例は、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のもとを訪れてこう言ったある教友の話でしょう:

「 アッラーの使徒よ、私はもうだめです。」 預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「何がだめなのだ?」(男は)言いました:「ラマダーン月[20]に妻と交わってしまいました。」(預言者は)言いました:「奴隷を一人解放出来るか?」(男は)言いました:「いいえ。」(預言者は)言いました:「それでは二ヶ月間連続してサウム(断食)することは出来るか?」(男は)言いました:「いいえ。」(預言者は)言いました:「それでは六十人の困窮者に食事を振舞うことは出来るか?」(男は)言いました:「いいえ。」それから(男は)座りました。すると預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとに、ナツメヤシの実が入った袋が運んで来られました。(預言者は男に)言いました:「これでもって施すがよい。」(すると男は)言いました:「私たちより貧しい者に、ですか?二つの溶岩地帯の間(マディーナのこと)には、私たちよりもそれを必要としている者はいないというのに。」すると預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は犬歯が露わになるほど笑われ、こう言いました:「行くがよい。そしてそれでお前の家族に食べさせよ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

イスラームの崇拝行為における命令は全て、人の能力に応じて課されています。人が能力以上のものを課されることはありません。ムスリムはある種の義務行為や崇拝行為において、以下に示すような場合にはそれを免除されることもありえます:

a. 礼拝はそうすることが出来る場合において、立って行うことが義務となっています。しかしもし立って行うことが出来ない場合、座って行うことが出来ます。そしてもしそれすらも出来なければ、横になって行います。そしてそれさえも叶わなければ、仕草だけで行うことが出来るのです。 

b.  もし要求される最低限の財産も所有していない場合、ザカー(義務の浄財)の拠出は義務付けられません。逆にその者が貧しい者であれば、浄財の配当を受ける権利を有します。

c. ムスリムは病気の状態にある時、義務の断食を免除されます。同様に女性は月経や、産後の出血の状態にある時に義務の断食を免除されるのです。

d.  肉体的、あるいは経済的能力のない者には、ハッジ(大巡礼)の義務は課されません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてそうすることが出来る者には、その館(カアバ神殿)を訪問するアッラーへの義務がある。,(クルアーン3: 97)

また飢えのために瀕死の状態にある者は、その必要に応じて普段は禁じられている飲食物‐豚肉や酒類など‐を摂取することが許されます。至高のアッラーはこう仰いました:

-しかしやむを得ない状態にある者は、(その摂取において)度を越さず、(それを口にするのは、他に合法なものがない場合のみであるという)法を超えない限りにおいて(それを口にしても)罪はない。,(クルアーン2:173)

 [21] イスラームは全ての天啓宗教に、その本来の形において敬意を払います。そしてムスリムはそれらを信仰し、またそれらをもたらした使徒たちを愛し尊重しなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-アッラーとその使徒たちを信じず、アッラーと彼らの間を分け隔てようとする者たち。そして「私たちは(使徒たちの)これこれの者たちは信じるが、他の者たちは信じない。」などと言って、その(信仰と不信仰)間に道を見出そうとする者たち。彼らこそは真に不信仰者である。,(クルアーン4:150)                                                                        

またイスラームは、他の宗教や信仰を貶すことを禁じています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして彼らがアッラーを差し置いて祈っているものを、貶してはならない。そうすることで彼らが無知から、誤ってアッラーのことを貶してしまわないように。,(クルアーン6:108)

イスラームはむしろ、他の宗教に属する者たちと良い形で、英知と品行をもって話し合うことを命令しています。至高のアッラーはこう仰いました:

-英知とよき訓戒をもって、あなたの主の道へといざなえ。そしてよき手法を用いて彼らと議論するのだ。実にあなたの主はその道を迷い外れた者のことも、よく導かれた者のこともよくご存知である。,(クルアーン16:125)

またイスラームはアッラーが教示した方法論でもって、実り溢れる話し合いを追求することを勧めます。至高のアッラーはこう仰いました:

-言え、「啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)よ、私たちとあなた方との間の正義の言葉へとやって来るのだ。(その言葉とは:)私たちがアッラー以外の何ものをも崇拝せず、かれに何ものをも並べたりしないこと。そしてアッラーを差し置いて、自分たちの内の誰かを主としたりしないこと。」それでもし彼らが(この期に及んでその言葉から)背くのなら、言うのだ:「私たちがムスリム(主に対して真に服従する者)であると、証言せよ。」,(クルアーン3:64)

[22] イスラームはその社会内において、真の形において平和の宗教です。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「真の信仰者とは何か教えてやろうか?それは他人の生命と財産を脅かさない者だ。そしてムスリムとは、他人がその手と口によって害されないような者のことだ。また真のムジャーヒド(アッラーの道における戦士)とは、アッラーへの服従において奮闘努力する者のことである。そしてムハージル(イスラームゆえに移住する者)とは、罪深い行いを放棄する者のことなのだ。」(アフマドとイブン・ヒッバーンの伝承)

そしてそれは世界的レベルでも同様です。ムスリムと非ムスリム社会の間の相互関係は、権利の不可侵という基礎に基づいているからです。至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰者たちよ、イスラームという服従を余すことなく受け入れよ。そして悪魔の歩みに従ってはならない。彼らはあなた方にとって明白な敵なのだから。,(クルアーン2:208)

しかし自分の権利を侵害された時、ムスリムは沈黙しているわけではありません。至高のアッラーはこう仰いました:

-それであなた方の権利を侵す者に対しては、あなた方がされたのと同様の形でその権利を侵すのだ。,(クルアーン2:194)

また平和を優先させるため、イスラームは戦争時には停戦の申し出を受け入れ、敵がそれを望む際には戦いを止めることを命じました。至高のアッラーはこう仰っています:

-それでもし彼らが停戦を望むのなら、(それに応じて)停戦せよ。そしてアッラーに全てを委ねるのだ。かれは全てをお聞きになり、ご存知になるお方。,(クルアーン8:61)

しかしイスラームは平和維持を標榜する一方で、ムスリムの名誉が貶められたり、あるいは彼らが辱めを受けることには甘んじていません。ムスリムは平和だけでなく、自らの名誉を守ることも命じられているのです。至高のアッラーはこう仰いました::

-ゆえに屈辱に甘んじて停戦を呼びかけてはならない。あなた方こそ勝利するのである。アッラーはあなた方と共にあるのだ。かれはあなた方の行いを不当には扱われない。,(クルアーン47:35)

[23]イスラームにおいて、改宗を押し付けるといった類いの強制はありません。人は自分の満足がいった時にのみ、改宗するべきです。強制はイスラームとその教えを広める手段ではありません。至高のアッラーはこう仰いました:

-宗教に強制はない。実に正道と邪道は明らかにされたのである。,(クルアーン2:256)

何と言っても、信仰と導きはアッラーの御手にのみ委ねられているのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-あなたの主がお望みになれば、地上の全ての者が信仰に入ったであろう。一体あなたは人々が信仰者となるように強制するというのか?,(クルアーン10:99)

[24] イスラームの長所の一つとして、イスラーム社会に属する啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)らが彼らの宗教を実践することを禁じないということが挙げられます。教友アブー・バクルはこう言いました:

「あなた方は僧院で献身的に仕える者たちを目にしよう。彼らと、彼らが仕えているものを放っておくのだ。」(アッ=タバリーの伝承)

また彼らはイスラーム社会にあっても、彼らの間で禁じられていない飲食物を摂取する自由を与えられています。彼らの豚や酒類が損害を受けることはありません。また婚姻や離婚、売買などの社会的諸事においても、彼らはイスラームが設けた指針と条件に添った形で、自分たちの宗教が定めた法に則る自由を与えられます。

[25] イスラームは奴隷を解放することを強く推奨し、またその行為に多大な報奨を約束すると共に、それが天国に入る一つの手段であることを明らかにしています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「ムスリム(の奴隷)を一人解放する者は誰でも、アッラーがその体の全部分をその(解放された者の)体の全部分をもって地獄の業火から救って下さるであろう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

イスラームにおいて合法的な形で奴隷階級が生じるのは、戦争捕虜を通してのみです。これはムスリムの統治者がそれを命じた時に発生します。イスラームにおいて戦争捕虜は、アッラーが命じた特定の方法によって扱われるのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-(戦いで)不信仰者たちと出遭ったら、彼らを数多く殺すまで戦うのだ。そして(拘束するための縄で、捕虜を)しっかりと繋ぎ止めるのだ。その後は戦争が終わってから(それらの捕虜を)見逃してやるか、あるいは身代金と引き換えにせよ。,(クルアーン47:4)

一方でイスラームは、奴隷解放のための多くの手段を定めています。イスラームにおいて、奴隷解放はある種の罪の贖罪行為とされているのです。そのいくつかの例を挙げてみましょう:

l  故意ではない殺人の贖罪:至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰者が信仰者を殺害することなど、あってはならない。但し過失の場合は別で、誤って信仰者を一人殺してしまった者は被害者の遺族が赦免しない限り、信仰者の奴隷を一人解放し、そして(その男系親族相続人が)その遺族に血債を支払わなければならない。また(誤って殺害した者が)あなた方の敵である民の中にいた信仰者であったら、信仰者の奴隷を一人解放する。そして(誤って殺害した者が)あなた方との間に協定を結んでいる民であれば、(その男系親族相続人が)その遺族に血債を支払い、かつ信仰者の奴隷を一人解放する。そしてもし信仰者の奴隷がいなければ、アッラーへの悔悟として連続二ヶ月のサウム(斎戒、いわゆる断食を行う)。アッラーは全てをご存知になり、この上なく英明なるお方である。,(クルアーン5:92)

l   誓いの破棄:至高のアッラーはこう仰いました:

-アッラーはあなた方が宣誓において、うっかり口を滑らせてしまったことに関してお咎めになることはない。しかしかれは、あなた方が(きちんと)成立させた宣誓(の不履行)に関して、あなた方をお咎めになるのである。,(クルアーン5:89)

l  自分の妻を自らにとって非合法なものと見なすこと(ズィハール[21]):至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてあなた方の内で妻に対しズィハールを行う者たちで、以前自分たちが言ったことを撤回しようと思う者は、互いに触れ合う前に奴隷を一人解放するのだ。,(クルアーン58:3)

l  ラマダーン月(断食月)の昼間に性交すること[22] :教友アブー・フライラは、ラマダーン月の昼間にその妻と性交渉を営んでしまった男の伝承を伝えています。男がその旨をアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)に伝えると、彼はこう言いました:

「あなたは(その贖罪として)奴隷を一人解放出来るか?」男は答えました:「いいえ。」そして彼はまた尋ねました:「それでは二ヶ月間連続して断食出来るか?」男は答えました:「いいえ。」すると彼は言いました:「それでは六十人の貧者に食事を施しなさい。」(ムスリムの伝承)

l  またイスラームは、奴隷に暴力を振るった時の贖罪をその解放としました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「奴隷を殴ったり叩いたりした者の贖罪は、その者を解放することである。」(ムスリムの伝承)

イスラームは次の話からも伺えるように、奴隷の解放を強く促しています:

イスラームは、奴隷がその主人に自らの身分の解放の契約を申し出た際、それを受諾することを勧めています。これはいわゆるムカータバという契約で、奴隷が主人と合意した一定の金額を支払うことにより、その身分を解放されるというものです。ある種の学者は奴隷がこの申し出をした際には、その主人はそれを受け入れなければならないという見解を示しています。その根拠は、次のクルアーンの句によっています:

-そしてあなた方の右手が所有する者(奴隷のこと)の内でムカータバを望む者には、あなた方が彼らによきもの(宗教や生活手段など)を見出す限りそれを許すがよい。そしてアッラーがあなた方に授けられた財産の内から、彼らに施すのだ。,(クルアーン24:33)

またイスラームは、ザカー(義務の浄財)の受給資格者の対象として奴隷の解放を挙げています。至高のアッラーはこう仰いました:

-ザカーは貧者と困窮者、ザカー(の徴収)に携わる者、(それによって)心に親愛が生まれそうな者、奴隷の解放、債務に苦しむ者、アッラーの道にある者、そして旅人に与えられる。(それは)アッラーからの義務である。アッラーは全てをご存知で、かつ英知溢れるお方。,(クルアーン9:60)

[26] イスラームは女性の地位を高く位置づけ、高貴な存在と見なしています。女性を敬うことは、その者の高潔で優れた人格の印でもあります。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「最高の信仰を備えた者とは、最高の人格を備えた者である。そしてあなた方の内の最善の者とは、その妻たちに対して最善の者である。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

イスラームは女性の人間的本質を援護しています。それで他の宗教に見られるようにアダムが天国から追放されたことでイブを咎めもしなければ、女性が罪の根源などともしてはいないのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-人々よ、あなた方を一つの魂(アダム)から創られ、次いでそれからその妻を創られ、そしてその二人から多くの男女を創り広げられたアッラーを畏れるのだ。そしてあなた方がかれにおいて同情し合うところのお方と、親戚の絆の断絶に対して身を慎め。アッラーは実に、あなた方の一部始終を見守られるお方である。,(クルアーン4:1)

イスラームは女性が男性よりも劣る、というような女性に対して向けられた非道な概念を否定します。もしそうだとしたら、男性の基本的な人権の多くは失われてしまうことでしょう。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「実に女性は男性の片割れである。」(アブー・ダーウードの伝承)

またイスラームは女性の栄誉と貞節を守ります。彼女たちを姦淫で訴える者は、それに対する証拠を提示出来ない限り、懲罰を受けることになります。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてムフサン[23]を姦淫で告発した後に四人の証人を呼んで来れない者は、八十回の鞭打ち刑にせよ。そして(その後、)その者の証言はもう永久に受け入れてはならない。彼らは放埓者なのである。,(クルアーン24:4)

イスラームは男性同様、女性にも相続権を保証します。実にイスラーム以前、アラビア半島において女性の相続権は認められていませんでした。至高のアッラーはこう仰いました:

-多かれ少なかれ、男性には両親と近親が残したもの(遺産)からの取り分があり、女性にもまた両親と近親が残したもの(遺産)からの取り分がある。(アッラーは)義務の配当(を義務付けられたの)である。,(クルアーン4:7)

またイスラームは、女性がイスラーム法で定められた特定の指針に則りつつ、売買などで自らの財産を自由に処理したり管理したりすることを認めています。至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰者よ、あなた方が稼いだよきものと、われら(アッラーのこと)が大地からあなた方に恵んだものから施すのだ。,(クルアーン2:267)

また女性にも教育の権利を認めています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「知識の習得は全ムスリムの義務である。」(イブン・マージャの伝承)

また女性は十分で適切な養育を受けなければなりません。そしてそうすることは、天国の報奨を受ける一つの原因につながります。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「三人の娘を持つ者で彼女らを守り、世話をし、慈悲深くある者は、必ずや天国に入るであろう。」するとある者が言いました:「アッラーの使徒よ、もしそれが二人の娘だったら?」彼は答えました:「二人でも同様である。」(アル=ブハーリーの伝承)

[27]イスラームは精神的にも身体的にも、清浄さを尊ぶ宗教です。精神的清浄さには以下のような物事が含まれます:

·         アッラーに何ものかを配するという穢れからの清浄さ:至高のアッラーはこう仰いました:

- 実にシルク[24]は非常な罪悪である。,(クルアーン31:13)

·         虚栄心という穢れからの清浄さ:至高のアッラーはこう仰いました:

-サラー(礼拝)をおろそかに行う者たちに災いあれ。そして他人の目を気にして行う者と、小さな親切すらも拒む者たちにも。,(クルアーン107:4-7)

·         自惚れという穢れからの浄化:アッラーは賢者ルクマーンがその息子にこう諭したと仰っています:

-そして奢り高ぶって人々から頬を背けてはならず、地を高慢に歩いてはならない。アッラーはいかなる驕慢な自惚れ屋も愛でられないのだ。そして節度をもって歩み、声を低めよ。最も醜悪な声とは、ロバの鳴き声であるのだから。,(クルアーン31:18-19)

·         虚栄心という穢れからの浄化:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「衣服を奢り高ぶって長くたらしている者は、審判の日にアッラーが見守って下さることはないであろう。」(アル=ブハーリーの伝承)

·         高慢さという穢れからの浄化:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「心に種粒一つほどでも高慢さを持っている者は、天国には入らない。」ある者が言いました:「アッラーの使徒よ、よい衣服や靴を身につけることはどうなるのでしょうか?」彼は答えました:「アッラーは美しいお方であり、ゆえに美しさを愛で給われる。高慢さとは真実を拒み、他人を見下すことのことを言うのだ。」(ムスリムの伝承)

·         妬みという穢れからの浄化:アッラーの使徒(アッラーからの祝福と平安あれ)はこう言ったものでした:

「互いに憎しみ合い、妬み合い、背き合うのではない。アッラーのしもべである同胞となるのだ。そしてムスリムがその同胞を三日以上遠ざけることは、許されない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また身体面における清浄さに関して、至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、あなた方がサラー(礼拝)をする時には、あなた方の顔と両腕を肘まで洗うのだ。そしてあなた方の頭を撫で、両足をくるぶしまで洗え。あなた方が不浄な状態にあるならば、(水で体を)洗い清めよ。そしてもしあなた方が病人や旅行者であったり、あるいは排泄したり、または女性と交わったりして水を見つけることが出来なかったら、清浄な土地の表面でタヤンムム[25]するのだ。そしてそれでもってあなた方の顔と両腕を撫でよ。アッラーはあなた方に困難を与えられたいのではなく、あなた方を清浄にし、そしてあなた方にその恩恵を全うされたいのである。おそらくあなた方は感謝することであろう。,(クルアーン5:6)

また教友アブー・フライラは、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言ったと伝えています:

「次のクルアーンの句は、クバー・モスク[26]の民の描写として下ったものである:

-そこには自らを清めることを愛する男たちがいる。そしてアッラーは、よく自らを清める者を愛で給われるのだ。,(クルアーン9:108)

彼らは用を足した後、水で体を清めていたものであった。ゆえにこの句は、彼らのことに関して啓示されたものである。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承)

[28]イスラームの教えは強力な内的力を秘めています。それは人の心の中に入り込み、それでもってその者を虜にするのです。この理由ゆえにある種の布教者の経済的脆弱さや人格的落ち度などにも関わらず、いまだ多くの人々がイスラームを受け入れ続けているのです。またイスラームの敵はそのイメージを歪曲したり破壊したりするために莫大な金銭を費やしていますが、人々はまだ次から次へとイスラームに入信し続けています。そしてイスラームに改宗した後に棄教する人はとても稀です。イスラームの中に疑念を発見しようと研究する一部のオリエンタリストすらも、このイスラームの内的力の影響から無縁ではありません。イスラームの美しさと、人間の自然な性質及び正常な理性に調和する真の理念が彼らの人生を変え、そしてイスラームへと導くことが往々にしてあり得るのです。以前はイスラームの敵だった者が、今やそれが真実の教えであると証言するのです。ギブはこう言っています:

「それではもしクルアーンがムハンマドの手によるものだとしたら、きっと彼以外の他の者も同様の物を作成出来たであろう。それと同様の物を、彼らに十句だけでもいいから作らせて見るがいい。そしてもしそれに失敗したら(絶対失敗することになるのだが)、彼らにクルアーンを明白な奇跡として受け入れさせるのだ。」

[29]イスラームは社会扶助の教えです。ムスリムはどこにいようと、その同胞の用事に奉仕しなければなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「信仰者たちが互いに慈しみ合い、愛し合い、同情し合うのは、まるで一つの体のようである。体のある部分が痛みを訴えれば、他の部分が不眠と熱に冒されながら、彼の(看病の)ために寄り集まって来るのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

またイスラームは義務であろうと任意のそれであろうと、ムスリムが喜捨を通して自らの状況を改善しようと努力しなければならないとします。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「自らに欲することをその同胞にも欲するようにならなければ、本当に信仰したことにはならない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

ムスリムはその同胞が災難や苦悩の中にある時、その者を助けなくてはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「信仰者同士は、一軒の堅固な建築物のようなものである。レンガの一つ一つが互いに強化し合っているのだ。」そう言って彼は両手の指を組み合わせました。(アル=ブハーリーの伝承)

またムスリムは戦争の折、その同胞を援助し支持しなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-もし彼ら(マディーナに移住せずにマッカに残存したムスリムたち)が宗教においてあなた方に援助を求めて来たら、あなた方は彼らを援助しなければならない。,(クルアーン8:72)

また同胞が困窮している折に見捨てることは、禁じられています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「ムスリム同胞の名誉が侵害されているのに、彼を守らずに見捨てる者は、彼自身が最もそうされるのが必要な時にアッラーから見捨てられるであろう。そしてムスリム同胞の名誉が侵害されている時に、彼の援助へと駆け付ける者は、彼自身が最もそうされるのが必要な時にアッラーのご援助を得ることが出来るであろう。」(アフマドとアブー・ダーウードの伝承)

[30]イスラームは公正で平等な相続システムをもたらしました。イスラームにおいて故人の財産は老若男女の別なく、その権利に応じて相続人の間に分配されます。そしてその分配法は、健常な理性にそぐう類いのものです。遺産の分配は故人からの親等的近縁性と、故人に対する役割に応じて行われます。いかなる者も好き勝手に遺産相続の割合を決定する権利はありません。イスラームの相続システムの長所の一つは、以下に莫大な遺産であったとしてもそれを小さく分割して分配し、その独占を不可能にさせていることです。聖クルアーンは「女人章」の中の三つの句(11,12,176)で、遺産が両親や子供、配偶者や親類にどのような割合で分割されなければならないかを明白にしています。またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「実にアッラーは各人に各々の権利を与えた。それゆえに遺産の相続分を既に定められた者に、それ以外のものを分配してはならない」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承)

[31]イスラームは、遺産の一部を遺言で遺譲することを認めています。全てのムスリムは、自分の死後もそれが彼にとっての継続的な慈善行為となるようなよい目的のために、財産の一部を遺譲する権利を有します。但し遺言による遺譲額は、全財産の三分の一を超えてはなりません。教友アーミル・ブン・サアドはこう言っています:

「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は私が病でマッカにいる時、私をお見舞いに来てくれました。私は彼にこう言いました:“私には財産があります。それを全部施してしまってもよいですか?”彼は言いました:“いや。”私は言いました:“それではその半分は?”彼は言いました:“いや。”私は言いました:“それでは三分の一は?”すると彼は言いました:“三分の一、三分の一でも多いな。子孫を豊かにしておく方が、彼らに物乞いをさせるようにするよりも良いのだぞ。あなたが施す物は、例えあなたの妻への一口の食事であっても全て慈善行為となるのだ。アッラーは(その施しによって)あなたの位階を上げ、それによってある者たちにあなたから益を得させ、また別の者たちにはそれによって害を与えるであろう。”」(アル=ブハーリーの伝承)

イスラームは遺言による遺譲に関して、ある条件をつけています。それはその者がそれによって、他の相続人を害してしまわないようにするためのものです。至高のアッラーはこう仰いました:

-(そしてこれらの分配は)その者が残した害悪のない遺言と(抱えていた)債務の清算後のことである。これこそアッラーのご命令。アッラーは全知かつ寛大なお方である。,(クルアーン4:12)

[32]イスラームは社会を犯罪から守り、平和を保障するための刑罰体系を提供しています。その実施によって殺人は予防され、財産と名誉は守られ、犯罪は抑制され、人々の権利は侵害から守られます。また各々の犯罪にはそれに相応しい刑罰が用意されているので、犯罪は減少し、その衝撃も弱まります。例えば故意の殺人に対する刑罰は、死刑です。至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、殺人に関してあなた方に報復刑が定められた。,(クルアーン2:178)

しかしもし被害者の後見人が赦免すれば、故意の殺人犯の死刑は中止されます。至高のアッラーはこう仰いました:

-しかしその件(殺人の報復刑の行使のこと)が(被害者側である)その同胞によって赦免された場合、(被害者側はその代償を別の)よき形で請求し、また(加害者側は)彼に対して(その義務の遂行において)至善を尽くすのだ。,(クルアーン2:178)

また窃盗犯は、手首の切断刑に処されます。至高のアッラーはこう仰いました:

-男女の窃盗犯は、彼らが成したことの報いゆえ、そしてアッラーの懲罰ゆえ、その手を切断するのだ。アッラーは威光高く、この上なく英知溢れるお方。,(クルアーン5:38)

もし自分の手が切られることを知っていたら、果たして物を盗んだりするでしょうか?きっと自分の手の方が大事に違いありません。こうして人の財産も悪から守られることになります。

また未婚者の姦淫罪に対する刑罰は、鞭打ち刑です。至高のアッラーはこう仰いました:

-男女の姦淫者は各々、百回の鞭打ちに処すのだ。,(クルアーン24:2)

一方で、他人のことを姦淫で訴えてもその証拠を提示出来なかった者もまた、鞭打ちの刑に処されます。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてムフサン[27]を姦淫で告発した後に四人の証人を呼んで来れない者は、八十回の鞭打ち刑にせよ。,(クルアーン24:4)

尚イスラームにおける全ての刑罰と懲戒は、一つの原則にその因を発しています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして一つの悪行に対する報いは、それと同じ一つの悪行なのである。,(クルアーン42:40)

また至高のアッラーはこうも仰っています:

-そしてあなた方が懲らしめる際には、あなた方がされたのと同様の形において懲らしめるのだ。,(クルアーン16:126)

しかしこれらの刑罰の実施にあたっては、ある特定の状態や条件が整っていなければなりません。またそれらの刑罰は必ずしも実行しなければならないというわけではなく、特に人間に属する権利に関する分野においては刑の実施を赦免してやることも出来ます。至高のアッラーはこう仰いました:

-…だが許して和解する者には、アッラーが報奨を与えて下さるであろう。,(クルアーン42:40)

またこれらの刑罰の実行の背後に隠されているものは復讐や荒々しい懲戒などではなく、他人に害を与える恐れのある者の抑止策や、社会の安全と人権の保護なのです。他人を殺害すれば自分も殺されることを知り、窃盗すれば手を切られることを知り、また姦淫を行ったり無実の者を姦淫で訴えたりする者が鞭打たれることを知るならば、人は間違いなくそのような犯罪を思い止まることでしょう。至高のアッラーはこう仰いました:

-報復刑(の定め)にこそ、あなた方の生命(の安全)があるのだ。理知を備える者たちよ、あなた方は(不当な殺害や傷害から)慎むことであろう。,(クルアーン2:179)

ある人々は、イスラームにおいてある種の罪に対して定められた刑罰が余りに過酷であると主張するかもしれません。しかしこれらの行為が社会に明白な危険を及ぼす犯罪であり、それらは根絶され、その行為者たちが罰されなければならないことに意義を唱える者はいないでしょう。ゆえにここでの相違点は、これらの犯罪に見合った刑罰の種類に関してのものであると言えます。犯罪の撲滅と減少効果においてより効果的であるのは、イスラーム法で定められた刑罰か、それとも人が作った法‐それは犯罪の増加に寄与しているだけですが‐かどうかを確認すべきです。体全体が存続するためには、病気に罹っている身体の一部を切り落とさなければならないということもあるのです。

[33] イスラームは日常生活に付きものの諸事を簡易なものとするために、売買行為や会社の設立、貸与、諸々の取引や交換などのあらゆる形の経済活動を合法としました。但しそれもその取引によって誰かが被害を受けたり、または個人の権利が侵害されたりしないことなど、イスラーム法によって定められた特定の条件を満たしていることが条件となります。またその取引において両者はその合意に満足しているべきで、取引の対象はそれに付随する関連条件と共に明確にされていなければなりません。イスラームにおいては利子や賭け、対象やその条件が不明なまま行われる取引など、何らかの被害や危険を及ぼしたり、あるいは取引に参加する一方の者だけが被害を蒙る恐れがあるような場合を除いて、全ての経済的行為が合法であると見なされます。

また全ての人はイスラーム法に沿った形で自らの財産を自由に処分する権利を有しますが、その者の行為によって彼自身や他人が被害を蒙る恐れがある者に関しては、その権利を阻まれる場合があります。例えば年少者や知的発達障害者、禁治産者、あるいはまだ負債を返済していない者などがそうで、そのような者たちは財産の使用権を制限されます。このような所にも、健常な理性とは矛盾しない偉大なる英知と権利の保護が見受けられるでしょう。

[34] イスラームは明確で、曖昧な部分のない宗教です。そこには混乱を招くような信仰はありません。人は疑問に感じたあらゆることに関して、質問することが出来るのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてもし知らないのなら、訓戒の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒、あるいは学者)に訊ねてみよ。,(クルアーン21:7)

またイスラームはアッラーが下した知識を隠蔽することに対して、非常に厳しい警告をしています。至高のアッラーはこう仰いました:

-実にわれら(アッラーのこと)が下した明証と正しい導きを、啓典において人々に明らかにした後に隠蔽する者たちは、アッラーのご慈悲から遠ざけられ、(天使や人々、その他の生物など)全てのものから見放されるであろう。,(クルアーン2:159-160)

[35]イスラームは、栄誉と精華を極めるためにムスリムが一致団結することを促す、団結と協力の教えです。これは以下のような物事によって達成されるでしょう:

·         個人的欲望や、民族主義や部族意識などによって扇動された感情、そしてムスリム共同体の弱体化や崩壊につながる諸々の要素を放棄すること。

·         信仰心や崇拝行為を、それらを損なうような物事‐例えばアッラーに何か他の者を併置することや、宗教上の変革など‐から浄化すること。

·         政治、経済、社会などあらゆる分野においてムスリムが協力し合うこと。そうすれば平和と安全が到来するでしょう。至高のアッラーはこう仰いました:

-あなた方はアッラーの絆にしっかとしがみ付き、分裂するのではない。,(クルアーン3:103)

イスラームはムスリムが分裂したり、派閥を作ることを禁じています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして明証が訪れた後に分裂し、互いに相違してしまった者たちのようにはなるのではない。彼らにこそは痛烈な懲罰があるのである。,(クルアーン3:105)

またアッラーの宗教における分裂などは言語道断です。至高のアッラーはこう仰いました:

-彼らの宗教を分断し、分派を作った者たちは、あなたには無縁の輩である。彼らの裁決はアッラーにのみ帰されるのだ。(アッラーは)彼らが行っていたことについて、彼らに告げ知らされることであろう。,(クルアーン6:159)

イスラームは分裂と相違がもたらす損失的結果について、明確に説明しています。そのような状況になればイスラームの敵はもはやムスリムを恐れず、彼らを容易に下方へと蹴り落とすことが出来るでしょう。至高のアッラーはこう仰いました:

-…そして互いに相違して士気を失い、勝利を逃してはならない。,(クルアーン8:46)

[36]イスラームは不可知の世界におけるある種の出来事や、歴史上のある特定の社会について言及しています。クルアーンの章句の多くが、それらの社会とそこに遣わされた使徒や預言者の間に起こった出来事の詳細を伝えているのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)は、われらのみしるしと明白な力と共にムーサーを遣わした。ファラオとその族長たちに。しかし彼らはファラオの命に従った。ファラオの命など正しいものなどではないのにも関わらず。,(クルアーン11:96-97)

また至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてマリヤの子イエスがイスラエルの民にこう言った時のこと:「私は私以前のトーラーを確証し、そして私の後に到来する“アフマド”という名の使徒の福音を告げるべくあなた方に遣わされた、一人の使徒である。」しかしいざ彼(アフマド:つまり預言者ムハンマドのこと)が明証を携えて現れると、彼らは言った:「これは明らかな魔術だ。」,(クルアーン61:6)

また至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてアード(の民)にはその同胞であるフードを(遣わした)。彼は言った:「民よ、アッラーを崇拝するのだ。あなた方にはかれを差し置いて、崇拝すべきものはない。実にあなた方は捏造者である。」,(クルアーン11:50)

また至高のアッラーはこう仰っています:

-そしてサムード(の民)にはその同胞であるサーリフを(遣わした)。彼は言った:「民よ、アッラーを崇拝するのだ。あなた方にはかれを差し置いて、崇拝すべきものはない。かれはあなた方を大地から創り、そしてあなた方をそこを開発する居住者とした。かれにお赦しを乞い、悔悟するのだ。実に私の主は(その知識をもって)近くにおられ、(祈りを)聞き届けられるお方である。」,(クルアーン11:61)

アッラーはこの他にも、使徒や預言者たちとその民との間に起こった話を語っています。

[37]イスラームは最後の啓典であるクルアーンに関し、全人類に対してそれに匹敵するものを作成してみよ、と挑んでいます。そしてこの挑戦は、審判の日まで継続するのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-もし彼らが本当のことを言っているのなら、それ(クルアーン)と同様の言葉を捻出させてみるがよい。,(クルアーン52:34)

その後アッラーは全人類に対し、クルアーンのいくつかの章と似ている章を作れるものなら作ってみよ、とその挑戦を軽減しています。至高のアッラーはこう仰いました:

-いや、彼らはこう言っている:「彼(ムハンマド)がそれ(クルアーン)を作ったのだ。」(ムハンマドよ、)言え、:「それと同様の十の章でもよいから、偽造して持って来てみよ。そしてあなた方が本当のことを言っているのなら、あなた方がそうすることの出来るアッラー以外の何かに(そこにおける援助を)祈願してみるがよい。」,(クルアーン11:13)

そして更に、アッラーはその挑戦をただの一章にまで軽減しました。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてもしあなた方が、われら(アッラーのこと)がわれらのしもべ(ムハンマド)に下したもの(クルアーン)に関して疑念を抱いているのなら、それと同様のものを一章でもよいから持って来てみよ。そしてもしあなた方が本当のことを言っているというのなら、アッラー以外のあなた方の証人(の援助)を祈願してみるがいい。,(クルアーン2:23)

そしてこの挑戦は人間とジン(精霊的存在)を含む、全ての被造物に向けられています。至高のアッラーはこう仰いました:

-例え人間とジン(精霊)が団結してこれと同様のクルアーンを捏造しようとしても、同様のものは作ることが出来ない のだ。例え彼らが互いに力を合わせても、である。,(クルアーン17:88)

[38] ジハード(聖戦)は宗教と個人、家族と国を守るために定められました。またイスラームは普遍的な教えであり特定の人種のためのものではないことから、イスラームの布教を妨害しようとする者たちに対しても宣告されます。イスラームは全人がその教えと美点と正義を知り、またそこに含まれるものを愛する機会が与えられるべきだとしています。またジハードは抑圧からの解放と、不正を蒙っている者を援助するためにも宣告されます。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてあなた方に戦いを仕掛ける者たちと、アッラーの道において戦え。しかし度を越してはならない。実にアッラーは度を越える者を愛で給わらない。,(クルアーン2:190)

イスラームにおけるジハードは、アッラーの御言葉が興隆し、かれの宗教が拡大することを意図して行われます。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして(不信仰による)苦難がなくなり、宗教が全てアッラーのものとなるまで、彼らと戦うのだ。そしてもし彼らがそれ(不信仰、あるいは戦争)を止めるのなら、実にアッラーは彼ら(の心の内)をよくご覧になられるお方である。,(クルアーン8:39)

ある男が、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)にこう言ったことがありました:

「ある者は戦利品のために、またある者は名声のために、そしてまたある者は見栄のために戦います。一体その内の誰がアッラーのために戦っているのですか?」彼は答えました:「アッラーの御言葉が興隆し、かれの宗教が拡大することを望んで戦う者が、アッラーのために戦う者である。」(アル=ブハーリーの伝承)

ジハードの目的は現世や個人的利益、あるいは悪魔的利益なのではなく、またその領土を拡大したり、軍事力を誇示したり、あるいは敵への復讐なのでもありません。至高のアッラーはこう仰っています:

-そして傲岸さと人々に対する虚栄心ゆえに家を後にし、アッラーの道を阻もうとする者のようになるのではない。,(クルアーン8:47)

イスラームは善を勧め、悪を禁じる宗教であり、これこそがムスリムの共同体を守るものです。その信徒がイスラームの命じることを遵守し、禁じることを回避している限り、イスラーム共同体が擁護され続けるというのはイスラームの教義の一つです。またイスラームは正しい道から反れた者を矯正し、そのような者たちが罪を犯すことを阻むことを模索します。こうして社会を悪と腐敗から守るのです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「アッラーの掟に従う者たちとそれを妨害する者たちとの関係は、ちょうど(出発する前の)船にその居場所を配置された人々の一団のようである。彼らの内のある者たちは甲板に、そしてある者たちは船室に配置されるが、船室に入れられた者たちは水が欲しくなったら(甲板にいる者たちの)上を跨いで行かなければならない。それで彼らはこう言う:“もし私たちが(水を得るために)船底に穴を開ければ、甲板にいる者たちを邪魔する必要はなくなる。”それゆえ甲板にいる者たちが彼らを好き放題にさせて置けば、彼ら全員が破滅するであろう。しかしもし彼らがそれを阻止すれば、彼らは全員助かるであろう。」(アル=ブハーリーの伝承)

[39]イスラームは普遍的な教えであり、取引事や戦争、婚姻や経済、政治や崇拝行為などに至るまで、全てのことに関する法や規則を制定しつつ人生の全側面を網羅しています。これは一つの完全な社会の建設へとつながりますが、きっと全人類が一丸となって努力したとしてもその作成が適わない類のものでしょう。これらの法や規則から遠のけば遠のくほど、社会はより腐敗に晒されるのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)はあなたに、あらゆる物事への解明と正しい導き、そしてムスリムに対しての慈悲と福音ゆえに啓典を下した。,(クルアーン16:89)

イスラームは生活上の諸事かどうかに関わらず、ムスリムとその主、そしてその社会と環境の間の関係を定義づけています。イスラームにおいて健全な理性や自然な人間の本性に反したものは、存在しません。用便の際のムスリムの作法や、その前後に彼がすべきことなどといった日常的諸事や倫理などにも重要性が置かれているのを見れば、この事実が明らかになるでしょう。アブドゥッラフマーン・ブン・ザイドは、ある者が教友サルマーン・アル=ファールスィーにこう言ったと伝えています:

「あなた方の預言者はあなた方にあらゆることを、用便の仕方すらも教えたというのか?」サルマーンは答えました:「ええ。彼は私たちが用を足している時にマッカの方向を向くこと、そして洗浄の際に右手を用いることを禁じました。またその際には最低三つの小石を用いるよう命じ、糞や骨を用いることは禁じました。」(ムスリムの伝承)

[40] イスラームという宗教はそれ自体、復活の日とこの世の終わりの到来を示す一つの兆候です。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼が最後の使徒であり、彼が遣わされたことが最後の時の接近を示す一つの印である、と述べています。教友アナスは、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言ったと伝えています:

「最後の時と私は、このような間隔において呼び出されるのだ。」そう言って彼は人差し指と中指をくっつけました。(ムスリムの伝承)

そしてこれは彼が最後の使徒であるという事実によっているのです。

 イスラームの精神的側面

崇拝

崇拝とはイスラームにおいて一般的に、それが言葉か行為か信仰かに関わらず、アッラーの命に服従することを意味しています。信条的な崇拝行為は“信仰の柱”と呼ばれており、以下に説明されているものです。

  1. アッラーへの信仰

アッラーへの信仰は、かれが以下の物事において唯一無二であることを必然的なものとします:

[1]アッラーがその主権において唯一であること:これはアッラーが存在し、かれこそがこの全宇宙の創造主かつ所有者であり、そこにおけるあらゆる物事を司るお方だということを証言することです。かれこそが全存在を存在せしめるお方であり、かれの御意志なしには何事も発生しないのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-かれにこそ創造と全ての権限は属する。万象の主アッラーの崇高さよ。,(クルアーン7:54)

アッラーはかれが唯一の創造主であり、かれと共に他の創造者があることはあり得ないことを明確にしています。至高のアッラーはこう仰っています:

-アッラーは(ご自身の)子供などお創りにもならなければ、(ご自身と)共に拝されるいかなる崇拝すべき対象もお持ちにならない。(もしそのようなことがあったら)全ての神は各々の創造物と共に分裂し、そして互いに高位を競い合ったであろう。アッラーは彼らの描写すること(つまり神の性質における欠陥や不完全性)から遥かに無縁な崇高なお方である。,(クルアーン23:91)

[2]アッラーのみが崇拝される権利を有しているということ:これはアッラーのみが真の神性であり、崇拝に値する唯一の存在であり、かつ全ての崇拝行為はかれに向かって捧げなければならないということを信仰することです。人はかれを差し置いてかれ以外の何かに全面的に依拠したり、あるいは祈願したりするべきではありません。害悪の駆除や願い事の成就にあたっては、かれのみに祈願しなければならないのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-あなた以前にわれら(アッラーのこと)が遣わした使徒の内で、「われ(アッラーのこと)の他に神はない。だからわれを崇拝するのだ。」という啓示を与えなかった者はいなかったのである。,(クルアーン21:25)

[3]アッラーがその御名と属性において唯一であること:これはアッラーがその御名と属性において唯一であり、かれにのみ最善かつ最高の名称と属性が帰せられ、かれがあらゆる欠陥から無縁な存在であることを信仰しなければならないということです。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてアッラーにこそ美名が属するのであるから、それをもってかれに祈願するのだ。かれの美名をないがしろにするような輩は放っておくがいい。,(クルアーン7:180)

またムスリムは、アッラーご自身と預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がかれを表した名称や属性を、その具体的意味を保留したり、被造物のそれと相似させたり、または歪めたり否定したりすることなく信仰しなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-かれ(アッラー)に似たものは何一つない。にも関わらず、かれは全てを聞き、ご覧になられるお方なのである。,(クルアーン42:11)

  1. 諸天使への信仰

これは天使という、異なった生命体の存在を信仰することを意味します。アッラー以外に彼らの正確な数を知る者はありません。彼らはただアッラーに服従し、その命令を遂行し、全世界とそこに居住する被造物を守っています。また彼らはアッラーの御意志とご命令に基づき、全世界における物事の遂行や監視、そして被造物の保護などの役割を果たしています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして(アッラーの命によって)諸事を遂行する者たち(天使のこと)にかけて。,(クルアーン79:5)

またアッラーはこのようにも仰っています:

-そして(アッラーから託された)物事を、(そのご命令通りに)分配する者たち(天使のこと)にかけて。,(クルアーン51:4)

天使は光から創造されました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「天使は光から、ジン(精霊的存在)は無煙の炎から、そしてアダムはあなた方に示された物(土塊)から造られた。」(ムスリムの伝承)

天使は不可知の領域の存在です。彼らは光から造られたにも関わらず、視覚で捉えることが出来ません。しかしアッラーは彼らの姿が見えるよう、その姿を変化させる能力を与えました。アッラーは天使ガブリエルが人間の男性の姿でマリヤのもとを訪れたことに言及していますし、またその事実は聖書にも描写されています。至高のアッラーはこう仰いました:

-それで彼女(マリヤ)は、彼らから(身を遮る)幕を垂れた。それからわれら(アッラーのこと)は彼女に、われらの精霊(天使ガブリエル)を遣わした。彼は一人の完全な男性の姿で彼女の前に現れた。彼女は言った:「私はあなたに対し、最も慈悲深いお方のご加護を乞います。もしかれを畏れるのならば(、私に近付かないで下さい)。」彼は言った:「私はあなたに清純な男子を授けるために、あなたの主から遣わされた者です。」,(クルアーン19:17-19)

また預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、天使ガブリエルをアッラーが創造したままの姿で目撃しています。それは六百の翼を備え、その巨大さゆえに地平線を覆ったとまで伝えられています。

天使は翼を有していますが、その数は二枚、三枚、あるいはそれ以上、と様々です。至高のアッラーはこう仰いました:

-天地を裂いて生成されたお方、アッラーにこそ全ての讃美あれ。天使たちを二枚、三枚、四枚と翼を備えさせ、使徒となされたお方。(かれは)その創造に、お望みのままに付け加えられる。実にアッラーは全てのことがお出来になるお方である。,(クルアーン35:1)

一方彼らのそれ以外の性質については、アッラーは何も述べてはいません。ただ彼らの役割や分担について、私たちに教示してくれるだけです。

  天使たちは常にアッラーを崇拝し、かれに服従し、また讃美しています。至高のアッラーはこう仰いました:

-(天使たちは)昼夜に(その主の)崇高さを讃美し、休むこともないのだ。,(クルアーン21:19-20)

また彼らが創造されたのもやはりアッラーを崇拝し、そしてかれに服従するためです。至高のアッラーはこう仰いました:

-メシア(イエス)は、アッラーのしもべであることを慢じたりはしない。またかれのお傍に召されている天使たちも、同様である。…,(クルアーン4:172)

また天使はアッラーと、人類であるその使徒たちとの間の特使の役割を担っています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてそれ(クルアーン)は万有の主からの啓示である。(それは)忠義なる魂(ガブリエル)によって下った。警告者となるべく、あなたの心に。明瞭なアラビア語によって。,(クルアーン26:192-195)

またアッラーは、彼らを様々な役割を遂行させるために創造しました:

-彼ら(天使たち)はその上にそびえておられる彼らの主を畏れ、かれに命じられるままのことを遂行する。,(クルアーン16:50)

天使はアッラーの子供などではありませんが、敬意を払われ、愛されるべき存在です。至高のアッラーはこう仰っています:

-そして(不信仰者たちは)言う:「慈悲深いお方(アッラーのこと)は子をもうけられた。」かれは(そのようなこととは)無縁な崇高なるお方である。彼ら(天使たち)は栄誉高いしもべであるのだ。彼らはかれ(アッラーのこと)に先んじて喋ることもなく、ただかれの命を遂行するのみである。,(クルアーン21:26-27)

また天使はアッラーの共同者でも、連れ合いでも、同位者でもありません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして天使や使徒たちを主とせよ、などとあなた方に命じることもあり得ない。あなた方がムスリム(アッラーの教えを受け容れた者)になった後、一体かれがあなた方に不信仰を命じることなどがあろうか?,(クルアーン3:80)

アッラーはある種の天使の名称と役割を明らかにしています。例えばガブリエルは啓示の伝達の役割を担っています。至高のアッラーはこう仰いました:

-(クルアーンは)忠義なる魂(ガブリエル)によって下った。警告者となるべく、あなたの心に。明瞭なアラビア語によって。,(クルアーン26:193-195)

またミカエルは雨と植生の役割を担います。至高のアッラーはこう仰いました:

-アッラーとその天使たち、そしてその使徒たちとジブリールとミーカーイールに敵対する者があろうと、実にアッラーこそは不信仰者たちにとっての敵なのである。,(クルアーン2:98)

また死の天使は、人が死ぬ時にその魂を収集する役目を託されています。至高のアッラーはこう仰いました:

-言え、「あなた方に託された死の天使があなた方(の寿命)を満了させ、それからあなた方はその主の御許へと戻されるのだ」。,(クルアーン32:11)

またイスラーフィールは、復活の日にラッパを吹く役目を担っています。 至高のアッラーはこう仰いました:

-それからラッパが吹かれる。その日(審判の日)彼らの血縁関係は(その意味が)失われ、互いに(安否を)尋ね合うこともない。,(クルアーン23:101)

またマーリクは地獄の業火の番人です。 至高のアッラーはこう仰いました:

-(地獄の民はこう)呼びかける:「マーリクよ、あなたの主に頼んで一思いに私たちを殺してしまってくれ。」(マーリク)は言う:「いや。あなた方はそこに留まるのだ。」,(クルアーン43:77)

またザバーニーヤは地獄の住人を罰する役目を担っています。至高のアッラーはこう仰いました:

-それゆえ彼の一味を呼んで来させるがよい。われら(アッラーのこと)はザバーニヤを呼んでやろう。,(96:17-18)

また全ての者には二人の天使がついています。一人はその善行を、そしてもう一人はその罪を記録するよう命じられているのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-二人の受け取る者(天使)が(人の)右と左に座して、(その言葉や行い)を受け取るのだ。(人が)語る全ての言葉は、記録し看視する者の面前を免れることはない。,(クルアーン50:17-18)

また天国の万人を勤めるリドワーンという天使もいますし、人間を守る役割を委ねられた天使もいます。天使の種類はもっと沢山ありますが、いずれも特定の役割を担っています。その内のある者たちはクルアーンとハディースの中で言及されており、またある者たちは言及されてはいませんが、ムスリムは彼ら全てを包括的な形で信仰しなければならないとされています。

 諸天使への信仰がもたらす諸利益

諸天使への信仰は、私たちは以下のような利益をもたらします:

[1] アッラーの偉大さとその威力、その全てを包括する知識と御意志を知ること。被造物の壮大さは、その創造主の壮大さの証明でもあります。

[2]天使が傍で自分の全ての言行を監視していること、そして全ての言行は自分を益するものか害するものかでしかないということを感じること。また一人きりでも公衆の面前でも罪を避けさせ、善行へ駆り立たせる効果もあります。

[3] 不可知の領域に関する誤った信仰から生まれる、虚偽や迷信などからの脱出。

[4]アッラーがそのよきしもべに示してくれる慈悲について知ること。

  1. アッラーの諸啓典への信仰

アッラーの諸啓典への信仰とは、アッラーがそれを人類に伝達させるべく、その使徒たちに啓典を下したということを信仰することです。これらの啓典は全て、啓示された時点では真実以外の何ものをも含んではいませんでした。それらにはアッラーが唯一であり、かれ以外には創造者も真の管理者も所有者もなく、全ての崇拝行為はかれのみに捧げられなければならず、かれにこそ全ての美名と卓越した属性が属している、といったメッセージが示されていたのです。かれは被造物のいかなるものにも似ておらず、かれに匹敵するものは何一つありません。至高のアッラーはこう仰いました:

-われら(アッラー)は、明証と共にわれらの使徒たちを遣わした。そして彼らと共に啓典と秤も下したが、それは人々が公正を行使するためだったのである。,(クルアーン57:25)

ムスリムは全ての啓典を信じ、またそれらが本来アッラーから下されたものであるということを信仰しなければなりません。但しそれらの啓典は特定の時代に特定の民に下されたものであるため、ムスリムがその法を堅持することは許されません。

[1]アブラハムとモーゼの書:クルアーンはこれらの書の中に、いくつかの宗教的基礎を簡潔な形で見出しています。至高のアッラーはこう仰いました:

-それともモーゼの書にあることが、告げられなかったというのか?そして(信託を)完遂したアブラハムのそれも?魂は他の魂の重荷を負わされることはない。そして人間は、自らが努力したもの以外のものを得ることはない。彼は自分の努力を目にするであろう。それから十分な報いを受けるであろう。そして行き着く先は、あなたの主以外の何ものでもないのだ。,(クルアーン53:36-42)

[2]トーラー:トーラーはモーゼに下された、聖なる書です。 至高のアッラーはこう仰いました:

-実にわれら(アッラーのこと)は、正しい導きと光を宿したトーラーを下した。アッラーに服従した預言者たちは、それでもってユダヤ教徒たちを裁いていたのだ。そしてまた学識豊かで敬虔な者たちや律法学者らも(そうした)。それは彼らがアッラーの書(トーラー)の保持を託され、また(そこに記されていることに対する)証人であったためである。ゆえに人々を恐れず、われ(アッラーのこと)を畏れよ。僅かな値段でもってわがみしるしを売ったりしてはならない。そしてアッラーの下されたもの(イスラーム法)以外のもので裁く者こそは、不信仰者なのである。,(クルアーン5:44)

クルアーンは、トーラーの中にあるいくつかの教義も説明しています。その中には、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のいくつかの特徴に言及しているものもあります。至高のアッラーはこう仰っています:

-ムハンマドはアッラーの使徒である。そして彼と共にある者たちは不信仰者たちに対しては厳しく、彼ら自身の間では慈しみ深い。あなたは彼らがアッラーの報奨とご満悦を求めてルクーゥ[28]し、サジダ(伏礼)するのを見るだろう。彼らの印は、サジダの痕跡としてその顔に表れている。これこそはトーラーにおいて記されている譬えであり、福音書において記されている譬えである。,(クルアーン48:29)

アッラーはまたクルアーンの中で、トーラーにおいて啓示されたいくつかの宗教法規定に関しても触れています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)は、その(トーラーのこと)中で彼らに対し定めた:命には命で、目には目で、鼻には鼻で、耳には耳で、歯には歯で、そして傷害は(同様の傷害によって)報復される。しかしそれを免じてやる者は、それが彼にとっての贖罪となろう。アッラーが下されたもので裁かない者は、実に不正者なのである。,(クルアーン5:45)

[3]ザブール(詩篇): ザブールは預言者ダビデに下された書です。至高のアッラーはこう仰いました:

-…そしてわれら(アッラーのこと)はダビデに、詩篇を下した。,(クルアーン4:163)

[4]福音書:福音書はイエスに啓示された聖典です。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)は、それ以前に下されたトーラーの中にあるものを確証するため、マリヤの子イエスに彼らの跡を踏襲させた。そしてわれらは、彼に正しい導きと光を宿した福音を授けた。それはそれ以前に下されたトーラーの中にあるものを確証し、アッラーを畏れる者たちへの導きと訓戒とするためである。,(クルアーン5:46)

またクルアーンは預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が将来遣わされることなど、トーラーと福音書の中に見出されるある種の内容についても言及しています:

-(アッラーは)仰った:「わが懲罰は、われが望む者に降りかかるのだ。そしてわが慈悲は全てのものを包み込んでいる。ゆえにわれは(われを)畏れ、ザカー(浄財)を払い、われら(アッラーのこと)のみしるしを信じる者たちにそれを授けよう。」トーラーと福音書の中に記されているのを彼ら(啓典の民)が見出すところの、文盲の使徒、預言者(ムハンマド)に従う者たち。彼こそは善を勧め悪を禁じ、彼らによきものを合法なものとし、悪しき物を彼らに禁じる。そして(彼は)彼らが背負っていた重荷と、彼らにはめられていた枷を取り除くのだ。ゆえに彼を信仰し、また敬いかつ援助して、彼と共に下された光に追い従う者たちこそは、真の成功者なのである。,(クルアーン7:156-157)

またそれらの啓典は、アッラーの宗教の興隆のために奮闘することを促しています。至高のアッラーはこう仰いました:

-実にアッラーは、天国と引き換えに信仰者たちの生命と財産を購われた。(それはつまり彼らが)アッラーの道において殺し、殺される(ことである)。これはトーラーと福音書とクルアーンにおいて(アッラーが約束された)真実のお約束なのである。そしてアッラーよりもその約束に対して忠実なお方があろうか?それゆえあなた方が契りを結んだ取引を喜ぶがいい。それ(天国)こそはこの上ない勝利なのである。,(クルアーン9:111)

[5]聖クルアーン:ムスリムは、クルアーンが天使ガブリエルを通して預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)にアラビア語で下された、アッラーの御言葉であることを信仰しなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてそれ(クルアーン)は万有の主からの啓示である。(それは)忠義なる魂(ガブリエル)によって下った。警告者となるべく、あなたの心に。明瞭なアラビア語によって。,(クルアーン26:192-195)

クルアーンは先の諸啓典と、以下のような点において異なっています:

a)クルアーンは、そのメッセージがアッラーの唯一性とかれへの崇拝と服従の義務であるという点においてそれ以前の諸啓典を確証する、最後の啓典です。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)はあなたに、真実をもって(クルアーン)を下した。それはそれ以前の諸啓典を確証し、かつ従属させるものである。,(クルアーン5:48)

b)クルアーン以前の諸啓典は、クルアーンの啓示によって無効化されました。そしてその教えは神聖かつ最終的なものであり、また時代や場所を問わず適応する永遠のものなのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-この日われ(アッラーのこと)はあなた方に対し、あなた方の宗教を完成させた。そしてあなた方への恩恵を全うし、イスラームがあなた方の宗教であることに満足した。,(クルアーン5:3)

c)クルアーンはそれ以前の諸啓典のように特定の民族に下されたのではなく、全人類に下されました。アッラーはこのように仰っています:

-そしてわれら(アッラーのこと)はあなたを、福音と警告を告げる者として人類全てに向けて遣わした。しかし多くの人々は知らないのだ。,(クルアーン34:28) 

クルアーン以外の諸啓典は宗教的基礎においてクルアーンと一致する部分も多いのですが、それらは特定の人々に向けられたものでした。そのためそれらの法や規則は、その民のみを対象としています。福音書の中には、イエス自身がこう言ったと記されています:

「私はイスラエルの系譜の、迷えし羊たちにのみ遣わされたのである。」(マタイ伝15:24)

d)クルアーンの朗唱と暗記、教授は一つの崇拝行為と見なされます。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「クルアーンを朗誦する者は誰でも、十の報奨を得よう。“アリフ・ラーム・ミーム”は一つの語なのではない。“アリフ”も“ラーム”も“ミーム”も、それぞれ一語なのである。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

e)クルアーンには、社会を改善するために必要な全ての法規定が内包されています。ドーマン(H.G. Dorman)はその著“Towards understanding Islam”の中で、こう述べています: 

「クルアーンはガブリエルによってムハンマドに伝えられた、その一語一句が完璧さを極める文字通りの神の啓示である。そしてそれは今もそれ自体、そして神の使徒であるムハンマドに対して証言し続けている、一つの奇跡なのだ。その奇跡的性質は一部はその文体に存在しており、その余りの高尚さと完璧さゆえにいかなる人間やジン(精霊的存在)も、クルアーンの最も簡潔な章に匹敵するようなものすら創作することが出来ない。またその一部はその中に未来に起こることの予言が含まれていることであり、そのような驚くべき正確な情報が文盲であったムハンマドが自ら収集したものとは到底思えないのである。」

f)クルアーンは様々な使徒や預言者に啓示された天啓宗教の連鎖を説明する、一つの歴史的報告です。そこにはアダムからムハンマド(彼ら全員にアッラーからの祝福と平安あれ)まで、全ての使徒や預言者とその民との間に起こった出来事が伝えられているのです。

g)アッラーはクルアーンをあらゆる改竄や歪曲、付加や損傷などから守りました。至高のアッラーはこう仰っています:

-実にわれら(アッラーのこと)は、訓戒(クルアーン)を下した。そしてわれらはその守護者なのである。,(クルアーン15:9)

h)その他の啓典に関しては、アッラーはその守護を約束しませんでした。というのも、それらは特定の時代と特定の民に対して下されたものだからです。それらが改竄されたのは、まさにこういった理由からです。至高のアッラーはこう仰いました:

-あなた方(信仰者)は、彼ら(不信仰者たち)があなた方を信じることを所望すると言うのか?彼らの一部はアッラーの御言葉を聞き、それを理解した後に及んで、知りつつそれを改変したというのに。,(クルアーン2:75)

キリスト教徒による福音書の改竄に関して、至高のアッラーはこう仰っています:

-そして「私たちはキリスト教徒です」と言う者たちとも、われら(アッラーのこと)は契約を結んだ。しかしその後、彼らは彼らに与えられた訓戒の一部を忘れてしまった。それでわれらは審判の日に至るまで、彼らの間に敵意と憎悪を生じさせた。アッラーは彼らが行っていたことを、彼らに告げ伝えられるであろう。啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)よ、あなた方のもとに、あなた方がその啓典において隠蔽していた沢山の物事を明らかにし、また(その他の)沢山の物事については看過(して、イスラームにおけるその合法性の継続を確証)すべく、われら(アッラーのこと)の使徒が到来した。実にアッラーの御許からあなた方のもとに、光と明白なる啓典がもたらされたのだ,(クルアーン5:14-15)

ユダヤ教徒とキリスト教徒がその宗教において革新した物事の一つとして、彼らがアッラーに息子を結び付けたという虚偽が挙げられます。あるユダヤ教徒らはエズラがアッラーの息子だと、そしてキリスト教徒はイエスがアッラーの息子であると主張していたのです。この件に関し、至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてユダヤ教徒はウザイル(エズラ)がアッラーの子であると言い、キリスト教徒はマスィーフ(イエス)がアッラーの子であると言った。それは口先だけの彼らの言い分であり、彼ら以前の不信仰者たちの言葉を模倣しただけのものである。彼らにアッラーの呪いあれ。彼らはいかに(真実から)逸れ去ってしまったものか。,(クルアーン9:30)

そしてアッラーは彼らの主張に反駁し、人が抱くべき正しい信仰についてこう明白にしています:

-言え、「かれこそは唯一なるアッラー。アッラーこそは全てのものが依拠するところの主。かれは生むことも生まれることもなく、そしてかれに匹敵する何ものもない。」,(クルアーン112:1-4)

ここからも明らかなように、今日出回っている聖書はアッラーの御言葉でもなければ、イエスの言葉でもありません。それらはイエスの追随者や学徒らの言葉なのです。そこにはイエスの生涯や訓戒や命令などが含まれていますが、ある特定の意図をもって多くの改竄がなされてしまったのです。スティーブ・アレン(Steve Allen)はその著「On the Bible, Religion, & Morality」の中で、こう述べています:

「聖書における間違いの数は、約六千にも及んでいる!この事実を、聖書が完全に無謬であるという一般的な考えと合致させようという試みは、到底不可能である。」 [29]

 アッラーの諸啓典への信仰がもたらす諸利益

アッラーが私たちに伝えた諸々の啓典を信じることには、以下のような利益があります:

[1] アッラーのそのしもべに対する愛と慈悲の実感。かれがこれらの啓典を下したのは、全てそのしもべをかれのご満悦へと続く道へと導くためであったに他なりません。かれは人類を混乱と、悪魔の邪悪な策略から守ったのです。  

[2] アッラーの偉大な英知の実感。かれは特定の民に、その時代と彼らの状況に沿った法を定められました。

[3] 真の信仰者とそうでない者との判別。自らに下された啓典を信じる者は、他の啓典も信じなければなりません。

[4] 信仰者の善行の増加。ある啓典を信じていた者は、その後に到来した啓典を信じることで倍の報奨を得ることになります。至高のアッラーはこう仰いました:

-われら(アッラーのこと)がそれ以前に啓典を授けた者たちは、それを信じよう。それ(クルアーン)が朗誦されれば、彼らはこう言うのだ:「私たちはこれを信じました。これこそはわれらが主からの真理です。私たちはこれ以前からムスリム(アッラーの教えを受け入れて従った者)でした。」彼らは彼らが辛抱したことによって、倍の報奨を与えられよう。彼らは悪行を善行でもって返し、われらが恵んだ物から施すのだ。,(クルアーン28:52-54)

  1. 諸使徒への信仰

アッラーが被造物に対し遣わした使徒たちが、人類の中で最も優れた者であるということは、ムスリムにとっての基本的信仰です。使徒たちは人々がアッラーを崇拝し、かれに従い、彼の宗教と唯一性を確立するための特定の法規定を携えて遣わされました。至高のアッラーはこう仰っています:

-あなた以前にわれら(アッラーのこと)が遣わした使徒の内で、「われ(アッラーのこと)の他に神はない。だからわれを崇拝するのだ。」という啓示を与えなかった者はいなかったのである。,(クルアーン21:25)

アッラーはその使徒たちに、人々に対してメッセージを伝達するよう命じ、彼らがその後アッラーに対して何の弁解も出来ないようにしました。

また使徒たちは、彼らと彼らが携えて来たものを信仰する者に約束されたアッラーのご満悦と天国の福音を伝えると同時に、それらを拒む者たちに約束されたアッラーのお怒りと懲罰を警告するために遣わされました。

-われら(アッラーのこと)は使徒を、警告者かつ福音をもたらす者として遣わす。ゆえに信仰して(自らとその行いを)正す者には恐れも悲しみもないであろう。一方われらのみしるしを虚偽とする者は、彼らが働いていた不義ゆえに懲罰を受けるであろう。,(クルアーン6:48-49)

歴史上遣わされた使徒と預言者は数多く、その正確な数はアッラー以外誰も知りません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)はあなた以前にも使徒たちを遣わした。彼らの内のある者はあなたに語って聞かせたが、ある者は語って聞かせなかった。,(クルアーン40:78)

しかしムスリムは彼ら全員を信じなければならず、また彼らが超自然的存在などではなく人間であったことを信じます。 至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)があなた以前に、人間の男性以外の者に啓示を与えることはなかった。もし(そのことを)知らなければ、訓戒の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)に訊ねてみよ。またわれら(アッラーのこと)は彼ら(使徒と預言者)を、食事も摂らないような肉体にはしなかったし、不死者ともしなかった。,(クルアーン21:7-8)

ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)について、至高のアッラーはこう仰います:

-(ムハンマドよ、こう言うのだ)「私は、あなた方が崇拝すべきものはただ一つの神性であるという啓示を授かっただけの、あなた方同様の一人の男に過ぎない。ゆえに自らの主との面会を望む者はよき行いをし、その主に対するイバーダ(崇拝行為)においてシルク[30]を犯してはいけない。」,(クルアーン18:110)

またアッラーはイエスに関して、こう仰っています:

-マリヤの子イエスは、それ以前にも数々の使徒が過ぎ去ったところの、一人の使徒に過ぎない。そしてその母親は(姦淫など犯してはいない)正直者である。彼らは(人間であるがゆえに)食事を摂っていたのだ。見よ、われら(アッラーのこと)が彼らに対して、いかにみしるしを明らかにするかを。そして見よ、彼らが(真理から反れて)どこに背き去ってしまうかを。,(クルアーン5:75)

使徒や預言者たちは、アッラーに相似するいかなる性質も有してはいません。彼らは、彼ら自身では害益をもたらす力を持ち合わせてはいないのです。また彼らには宇宙の諸事を自由にしたり、望むがままのことを行う力も備わってはいません。彼らはアッラーのみが権能を有するところにおいて、無力なのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-言え(ムハンマドよ)、「私はアッラーのご意思に叶うこと以外、自らに(何かを)害(する権威)も益(する権威)も持ち合わせてはいない。もし私が不可知の領域を関知していたら、よいことばかりを集め、災難は回避することが出来ただろう。」,(クルアーン7:188)

一方で彼らは、アッラーからのメッセージを伝達することにおいてはいかなる不備もなく、またその信託を完全に遂行します。彼らは被造物の内で最も知識が豊富で、また最も敬虔な存在なのです。アッラーは彼らを、嘘やインチキから無縁な存在としました。至高のアッラーはこう仰っています:

-そして使徒はアッラーのお許しなくして、みしるしをもたらすことはならなかったのだ・・・,(クルアーン13:38)

また彼らの内のある者は信じるが、別の者は信じない、といった考えはイスラームにおいて不信仰に陥ることを意味します。このような状態に陥った者は、ムスリムとは見なされません。至高のアッラーはこう仰いました:

-アッラーとその使徒たちを信じず、アッラーと彼らの間を分け隔てようとする者たち。そして「私たちは(使徒たちの)これこれの者たちは信じるが、他の者たちは信じない。」などと言って、その(信仰と不信仰)間に道を見出そうとする者たち。彼らこそは真に不信仰者である。そしてわれら(アッラーのこと)は不信仰者たちに対し、屈辱の懲罰を用意しておいたのだ。,(クルアーン4:150-151)

尚クルアーンの中では、二十五人の使徒や預言者が言及されています。至高のアッラーはこう仰いました:

  -そしてそれらはわれら(アッラーのこと)が、アブラハムに対しその民に向けて授けた明証である。われらは望む者の地位を上げるのだ。実にあなたの主は英知に溢れ、全てを知り尽くされたお方である。そしてわれらは彼にイサクとヤコブを授け、両者を導いた。またそれ以前にノアも導いた。そしてその子孫であるダヴィデ、ソロモン、ヨブ、ヨセフ、モーゼ、アーロンも(また導いた)。われらはこのように知識に秀で、行いの正しい者に報いを与えるのだ。またザカリヤ、ヨハネ、イエス、イリヤース(も導いた)。(彼らは)全て正しい者たちであった。そしてイシュマエル、アル=ヤサア、ヨナ、ロト(も導いた)。われらは彼ら全員を、全世界において卓越した者たちとした。,(クルアーン6:83-86)

アッラーはアダムについて、こう仰っています:

-実にアッラーはアダムとノア、アブラハムの一族とイムラーンの一族を全世界の中から選り抜かれた。,(クルアーン3:33)

またフードに関しては、こう仰っています:

-そしてアード(の民)にはその同胞であるフードを(遣わした)。彼は言った:「民よ、アッラーを崇拝するのだ。あなた方にはかれを差し置いて、崇拝すべきものはない。実にあなた方は捏造者である。」,(クルアーン11:50)

またサーリフはこう言及されています:

-そしてサムード(の民)にはその同胞であるサーリフを(遣わした)。彼は言った:「民よ、アッラーを崇拝するのだ。あなた方にはかれを差し置いて、崇拝すべきものはない。かれはあなた方を大地から創り、そしてあなた方をそこを開発する居住者とした。かれにお赦しを乞い、悔悟するのだ。実に私の主は(その知識をもって)近くにおられ、(祈りを)聞き届けられるお方である。」,(クルアーン11:61)

またシュアイブについては、こう仰っています:

-そしてそしてマドゥヤン(の民)には、その同胞シュアイブを(遣わした)。彼は言った:「民よ、アッラーを崇拝するのだ。あなた方にはかれを差し置いて、崇拝すべきものはない。そして(自分の利益のために、偽って)度量や秤を減じてはならない。実に私はあなた方の繁栄を目にするが、あなた方に全てを包囲する日(審判の日)の懲罰(が降りかかるの)を恐れるのだ。」,(クルアーン11:84)

またエノックも言及されています:

-そしてイシュマエルとエノックとエゼキエル。皆忍耐強い者たちであった。,(クルアーン21:85)

そして預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)こそは最後の使徒であり、彼以後には最後の日が到来するまでいかなる使徒も預言者も出現しません。至高のアッラーはこう仰いました:

 -ムハンマドは(彼が授かった本当の彼の子でもない)あなた方の内の誰の父親でもない。しかしアッラーの使徒であり、最後の預言者なのだ。,(クルアーン33:40)

ムスリムは、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がもたらした宗教が、それ以前の宗教を撤回するものであるということを信じます。そしてイスラームこそが従うべき真実かつ完璧な最後の宗教であり、最後の日が到来するまでそうあり続けるということを。

またアッラーはある使徒たちを、「ウルル=アズム(敢然たる者たち)」と名付けています。彼らはメッセージの伝達において最も敢然かつ、忍耐強い者たちでした。彼らはノア、アブラハム、モーゼ、イエス、ムハンマドの五人です。彼ら全員にアッラーからの称揚と、ご加護がありますよう。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)が預言者たちと、そしてあなたと、ノアと、アブラハムと、モーゼと、マリヤの子イエスと契約を結んだ時(のことを思い出せ)。われらは彼らと固い契約を交わしたのだ。,(クルアーン33:7)

 ムハンマドとは誰か?

彼の名は、ハーシムの息子アブドルムッタリブの息子アブドゥッラーの息子、ムハンマドです。彼はアッラーのご寵愛を一身に受けたそのしもべである使徒アブラハムの息子イシュマエルの系譜であるアドナーンの子孫、アラブのクライシュ族の出です。

アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「アッラーはイスラエルの子からキナーナ族をお選びになり、そしてキナーナ族からクライシュ族をお選びになった。そしてクライシュ族からバヌー・ハーシム支族をお選びになり、バヌー・ハーシム支族から私をお選びになったのだ。」(ムスリムの伝承)

彼は西暦571年、栄光の町マッカ(メッカ)にて生を受けました。マッカはその当時から、アブラハムとその息子であるイシュマエル(彼らにアッラーからの平安と祝福あれ)によって建設されたカアバ神殿をその中心に擁する、アラビア半島の宗教的中心地でした。

ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の全生涯は、誠実さと信頼高さによって象徴されるといってよいでしょう。彼は啓示を受ける以前でさえも、嘘をついたり、インチキをしたり、人を騙したりすることがありませんでした。彼は人々の間で「信頼高い人」という綽名で呼ばれており、マッカの人々は旅行でマッカを離れる時には、彼のもとに所持品を託して出かけたものでした。また彼は「誠実な人」とも呼ばれていました。彼は優れた人格と作法を備えている一方、雄弁でもあり、また他人に対して常によいことを望むような人物でした。アッラーは彼を描写して、こう仰ります:

-そしてあなたはこの上ない高徳の持ち主である。,(クルアーン68:4)

彼が初めてアッラーから啓示を受けたのは、40歳の時でした。その後彼はマッカで13年間アッラーのみを崇拝することへと人々を招き、その後その住民の多くがイスラームを受容したマディーナ(メディナ)へと移住しました。アッラーはそこで、残りの法規定を啓示しました。そして移住後8年後にマッカ開放に成功し、クルアーンが全て下された後、63歳で亡くなりました。こうしてイスラームの法規定は余すことなく啓示されて完全なものとなり、大半のアラブ人はイスラームを受け入れたのです。

 諸使徒への信仰がもたらす諸利益

アッラーが派遣した諸々の使徒や預言者を信じることには、以下のような利益があります:

 [1]アッラーからのそのしもべに対する愛と慈悲の実感:アッラーはその宗教を人々に伝達するために使徒たちを遣わしたのであり、また彼らは人々の間のよき模範でもありました。 

[2]真の信仰者とそうでない者の判別:自らの使徒を信じる者は、その啓典の中に言及されている他の使徒や預言者を信仰しなくてはなりません。

[3]自分たちの使徒や預言者を信じていた者がムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)を信じることで、倍の報奨を得ることになります。

  1. 最後の日への信仰

イスラームでは、この世界での生活がある日終局を迎えるということを信じます。至高のアッラーはこう仰いました:

-かれ(アッラー)の御顔を除く万象は滅び去る。,(クルアーン55:26)

そしてアッラーがこの世の終局を望んだ時、かれは天使イスラーフィールにラッパを吹くように命じます。このとき地上の全てのものは崩壊します。そして再度アッラーが彼にラッパを吹くよう命じた時、アダムの時代からの全ての者はその墓場から肉体をもって復活するのです。アッラーはこう仰ります:

 -そして角笛が吹き鳴らされ、アッラーがお望みになられるもの以外の天地の全てのものは気を失う。それからもう一吹きされると、彼らは立ち上がり眺め回す。,(クルアーン39:68)

最後の日への信仰には、そのことについてアッラーとその使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)が伝えたことの全てを信じるということも含まれます。以下に示すのはその主な例です:

[1]境界上の生を信じること:境界とは、人が死んでから最後の日を迎えるまでの時間帯を意味します。信仰者はそこにおいて安寧の時を過ごしますが、不信仰者は懲罰を受けます。至高のアッラーはこう仰いました:

-(それは)彼らが(死後復活の時が来るまで)朝に夕に晒される業火。そして審判の日には、(アッラーが天使たちにこう命じられて言われる)「ファラオの一族を最も過酷な懲罰の中に投げ込むのだ。」,(クルアーン40: 46)

[2]復活を信じること:アッラーは人々を全裸で裸足のまま、そして割礼されていない状態で復活させます。至高のアッラーはこう仰いました:

-不信仰者たちは、(死後)蘇らされることなどはないと思い込んでいる。言え、「いや、私の主にかけて。あなた方は蘇らされ、(現世での)所業を通達されるのだ。そんなことはアッラーにとって他愛もないことである。」,(クルアーン64:7)

多くの人は、死後全ての被造物が復活させられることを信じません。それゆえクルアーンは多くの譬えを用いて、その事実を強調するのです。その例を以下に挙げていってみましょう:

·         不毛の土地から様々な種類の植物が発生するのを観察すること。至高のアッラーはこう仰いました:

-またあなたは干からびた大地にわれら(アッラーのこと)が雨が降らせると、それが振動して(そこから植物が芽を出し)伸び上がり、あらゆる種類の麗しい植物が生育するのを見るのだ。これはアッラーこそが真理であり、かれが死者を生き返し、そしてかれが全能であるからに他ならない。また(最後の)時は疑念の余地なく到来し、アッラーが墓の中にいる者たちを蘇らせるからである。,(クルアーン22:5-7)

·         人類の創造よりも遥かに偉大である、天地の創造について思いを巡らせること。至高のアッラーはこう仰いました:

-彼らは天地を創造され、それらの創造で疲弊されることなどなかったアッラーが、死人に生を授けることがお出来になるとは考えないのか?いや、かれこそは全てのことがお出来になるお方なのである。,(クルアーン46:33)

·         死後の復活にも相似した、睡眠後の人間の覚醒について熟慮すること。実際、睡眠は「小さな死」と呼ばれることもあります。至高のアッラーはこう仰いました:

-アッラーはその(定められた)死期にある魂と、眠りの中にあるまだ死んではいないそれ(魂)をお召しになられる。そして死を定められたものは(その御許に)留め置き、そうではないものは既定の時期まで解き放たれる。実にこの中には熟考する民へのみしるしがあるのだ。,(クルアーン39:42)

·         自分自身の創造をよく吟味すること。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして(不信仰者は)自らの創造のことを忘れて、われら(アッラーのこと)に向かって(死後の復活を否定する)譬え話をしてこう言う:「朽ち果てた骨を誰が生き返らせるというのか?」言え、「それを最初に創造されたお方が、(また)それに生をお与えになるのだ。かれは全ての創造についてご存知であられる。」,(クルアーン36:78-79)

[3]召集を信じること:アッラーはその日全ての被造物を召集し、現世での行いの清算のために呼び集めます。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてその日われら(アッラーのこと)は山々を動き回らせ、あなたは大地(に秘められた全てのもの)が明らかになるのを見るであろう。そしてわれらは彼らを召集し、誰一人としてそれを免れる者はいない。,(クルアーン18:47)

[4]その日人は各自ふさわしい位階を与えられ、アッラーの御前に連れて来られるということを信じること:至高のアッラーはこう仰いました:

-そして帳簿が置かれ、あなたは(真理を否定していた)罪悪者たちがそこに(記されて)あるものに怯えるのを目にするだろう。そして彼らは言うのだ:「何たることだ、この帳簿には(現世で行ったことが)小さいことも大きいことも漏れなく数え尽くされているではないか!?」そして彼らは自ら行ったことを眼前に見る。あなたの主はいかなる者にも不正を施されない。,(クルアーン18:48)

[5]その日人の手足までもが、現世でのその行いを証言するということを信じること:至高のアッラーはこう仰いました:

-そして地獄の業火までやって来ると、彼らの聴覚と視覚と皮膚は、彼らが(現世で)行っていたところの悪行を証言し始める。(彼らは)自らの皮膚に向かって言う:「どうして私たちに不利になる証言をするのだ?」(彼らの皮膚は)言う:「あらゆるものを喋らせることのお出来になるアッラーが、私たちを喋らせられたのです。」かれ(アッラー)はあなた方を最初に創られたお方。そしてあなた方は彼の御許へと還るのだ。またあなた方は(現世において)、あなた方の聴覚と視覚と皮膚があなた方(の悪行)を目撃するのを避けることは出来なかった。そしてアッラーがあなた方の行いをよくご存知でないと、高を括っていたのだ。,(クルアーン41:20-22)

[6]その日尋問されることを信じること:至高のアッラーはこう仰いました:

-(アッラーは天使たちに言う:)「そして彼らを止めよ。彼らは(現世での所業を)尋問されるのである。」(天使たちは彼らに言う:)「一体どうしたというのか?(現世でそうしていたように)あなた方は(この困難の中で今)助け合わないのか?」いや、(そうすることは出来ない。)その日彼らは完全に降伏しているのだ。,(クルアーン37:24)

[7]地獄の業火に架けられた橋を渡らされることを信じること:全ての者がそこを渡らされることになります。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてあなた方は皆地獄(の架け橋)にやって来る。それはあなたの主が必ずご遂行されることなのである。,(クルアーン19:71)

[8]現世での行いを秤にかけられることを信じること:その日アッラーは人々を清算のために召集し、善行者‐正しい行いや信仰、使徒たちへの信奉などを遵守していた者‐にはそれにふさわしいものでもって報います。そして悪行を行っていた者には、懲罰でもって報いるのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)は審判の日のために公正な秤を設けるゆえ、魂はいかなる不正も被ることがない。そしてからし種一粒ほどの重さ(の行い)でも、われらは提示しよう。われらは清算者として完全なのである。,(クルアーン21:47)

[9]現世での行いの帳簿を受け取ることを信じること:至高のアッラーはこう仰いました:

-それでその帳簿を右手に受け取る者は、その清算を易しくされるだろう。そして嬉々として(天国の)仲間の所へ向かうであろう。一方帳簿を背後から受け取る者は、その(来世での)破滅を悔いるであろう。それから燃え盛る炎の中に連れて行かれるであろう。,(クルアーン84:7-12)

[10]人は報いを受けるということを信じること:つまり永遠の来世において、天国か地獄かを与えられるということです。至高のアッラーはこう仰いました:

-啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)とムシュリク(シルク[31]を犯す者)たちの内で(真実を)隠蔽し認めない者たちは、地獄の業火に永遠に留まることになる。彼らこそは創造物の内でも最悪の者たちなのだ。そして信仰し善行に勤める者たちこそは、創造物の内でも最善の者たちである。彼らのその主の御許での報奨はその下を河川の流れるエデンの園であり、そこに永遠に暮らすのだ。アッラーは彼らにご満悦であり、彼らもまたかれに満悦する。これこそ(現世で)その主を畏れていた者の報いなのだ。,(クルアーン98:6-8)

[11]預言者の水飲み場[32]とその執り成しを信じること:そして、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝わるそれ以外の全ての事象について信じることです。

 最後の日への信仰がもたらす諸利益

最後の日への信仰がもたらす諸利益には、以下のようなものがあります:

[1]人をその日のために準備させ、競い合って善行に励み、罪深い行いを回避し、アッラーの懲罰を恐れさせます。

[2]信仰者を安心させます:というのも彼らはこの世界で何かを控えれば、アッラーが来世においてそれよりも素晴らしいもので報いてくれることを知っているからです。

[3]真の信仰者と、そうではない者の判別。

  1. 定命への信仰

ムスリムは、アッラーが全ての物事が存在する以前からそれらを知っており、かつそれらが存在した後のことも全て知っているということを信じます。ゆえにかれはその知識とご意志において、全ての存在を存在せしめたのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-実にわれら(アッラーのこと)は、定命をもって全てのものを創った。,(クルアーン54:49)

過去や現在、未来に関わりなく、発生する全ての事象はアッラーの知識のもとにもたらされます。全てはかれのご意志と裁定に沿っているのです。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「しもべは良いことであれ悪いことであれ定命を信じ、また既に起こったことが起こるべくして起こり、起こらなかったことがそもそも起こることにはなっていなかったということを知るまで、信仰したことにはならない。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

しかしこの信仰が、人は努力しなければ物事を達成しないという事実と矛盾することはありません。例えば子供が欲しいのであれば、結婚するなどのある種の物事を行わなければ、その目的を達成出来ません。そして彼がその能力において可能な全てのことを行ったとしても、彼はその目的を叶えることが出来るかもしれませんし 、あるいは出来ないかもしれません。これは人が何らかの目標を達成するために行うことのみが、それが実現するための真の理由ではないことを知るためなのです。真の理由とはアッラーのご意志以外の何でもなく、それら目的達成の手段もまたアッラーからの神的裁定によるものなのです。ある時アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、ある者にこう訊ねられました:

「私たちは薬をもって治療し、クルアーンでもって魔除けを行いますが、果たしてこれらはアッラーの定命を覆すのでしょうか?」彼は応えました:「それら自体がアッラーの定命の内なのである。」(アル=ハーキムの伝承)

飢えや渇き、寒さなどもまた定命によるものです。そして人は食物の摂取によって飢えを、飲料の摂取によって渇きを、暖を取ることで寒さを凌ぐことが出来ます。人は飲食や暖を取ることなど、既に定められている物事によって飢えや渇き、寒さなどから身を防ぐことが出来るのです。つまりある種の定命でもって、別の定命を防ぐのです。

 定命への信仰がもたらす諸利益

定命への信仰により、以下のような諸利益がもたらされます:

[1]定命への信仰は、良心と心の安らぎをもたらします。というのもこの信仰によって、何らかの結果や起こりもしなかったことゆえに悲しむことが少なくなるからです。心の不安や心配は欝やストレスなど、身体に好ましくない影響を及ぼす様々な精神的障害の原因となります。そして定命への信仰こそは、このような病に治療法と予防法を提供しているのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-地上で、そしてあなた方の内に起こるいかなる災難も、それが創造される前にアッ=ラウフ・アル=マフフーズ(護られた碑版)の中に定められていないことはないのである。実にそのようなことはアッラーにとって容易いことなのだ。それはあなた方が過ぎ去ったことに後悔せず、(アッラーが)あなた方に与えられたものにおいて悦に入らないようにするためである。アッラーは全ての自惚れ屋と高慢な者を愛でられない。,(クルアーン57:22-23)  

[2] 定命への信仰は、アッラーがこの宇宙に創造したものの探索や研究へと促します。例えば病気は人にその治療法を模索させますし、そしてそれは至高のアッラーがこの宇宙に創造した医療の源泉を探索することによって得られるのです。

[3]この信仰により、災難の苦しみや後悔の念を抑えることが出来ます。財産を失うことは一つの苦難ですが、人がそれによって悲しめば二つの苦難‐つまり災厄による苦難と、悲痛による苦難‐を蒙ったことになります。しかし定命を信じる者は、どのような結果になろうともそれを喜んで受け入れるものなのです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「アッラーは脆弱な信仰者よりも、強い信仰者を愛でられる。そしてそのいずれも善いのである。あなたを益する行為に熱心であり、かつアッラーのご援助を乞うのだ。そしてそこにおいて怠慢であってはならない。そしていかなる災厄があなたを襲っても、“ああ、もしあのようにしていたらなあ”などとは言わず、“これはアッラーからの定命。かれはお望みのことをなされる”と言うのだ。というのも“もし”は、悪魔の行いに通じる扉であるからである。」(ムスリムの伝承)

[4]定命への信仰はアッラーへの依存心を高め、被造物に対する恐怖感を取り除きます。教友イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)はこう言いました:

「ある日私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の後ろにいました。彼は私にこう言いました:“少年よ。お前にある言葉を教えてやろう。それを心に書き留めて堅守するのだ。そうすればアッラーがお前を護って下さるだろう。アッラー(があなたに命じ禁じられること)を守るのだ。そうすればかれを眼前に見出すであろう。何かを乞うときはアッラーに乞うのだ。そして援助を求める時はアッラーに援助を求めるのだ。そして知るのだ。全ての者があなたを益しようと一丸になっても、アッラーがあなたに対して既にお定めになられたこと以外は何一つあなたを益することがない。また全ての者があなたを害しようと一丸になっても、アッラーがあなたに対して既にお定めになられたこと以外は何一つあなたを害することがない。(定命の)筆は既に置かれ、(それが書き留められる)ページ(のインク)はもう乾いてしまったのである。”」(アフマドとアッ=ティルミズィーの伝承)

定命への信仰とはある種の人たちが考えるように、努力やそのために必要なこともせずに、ただアッラーに頼り切ることではありません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はある時、このように尋ねられました:

「私はラクダをつないでアッラーに全てを委ねるべきですか、それともそれを放してアッラーに全てを委ねるべきですか?」彼は言いました:「それをつないでアッラーに全てを委ねよ。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

 イスラームの基幹

身体と言葉をもって行われる種類の崇拝行為を、イスラームの基幹と呼びます。それはイスラームという宗教がそれを基礎にして成立し、かつその実践をもって人がムスリムかどうかを判断される基準となるものです。その基幹とは以下のようなものです:

·         二つの信仰証言(シャハーダ):イスラームにおける言葉に関連した基幹です。

·         礼拝(サラー)と斎戒(サウム):イスラームにおける二番目と四番目の基幹であり、いずれも身体に関連した崇拝行為です。

·         義務の浄財(ザカー):三番目の基幹で、義務の喜捨をするという身体に関連した崇拝行為です。

·         ハッジ(マッカ巡礼):身体と言葉いずれにも深く関連した、五番目の基幹です。また財産の出費も伴います。

イスラームはムスリムに対し、ただ理由もなくこのような崇拝行為の実践を課したわけではありません。これらの行為によって、彼らの魂が浄化されるためなのです。礼拝(サラー)について、至高のアッラーはこう仰いました:

-実にサラー(礼拝)は醜行と悪事を妨げる。,(クルアーン29:45)

また義務の浄財(ザカー)について、至高のアッラーはこう仰っています:

-彼らの財産から施しのためのものを取り、それでもって彼らを(罪から)清め、浄化してやるのだ。,(クルアーン9:103)

また斎戒(サウム)に関しては、至高のアッラーはこう仰います:

-信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも定められたように、あなた方にも斎戒(サウム)が課せられた。(それによって)あなた方は敬神の念を獲得するであろう。,(クルアーン2:183)

斎戒(サウム)は自制心や自己規律の精神を教えると共に、人が欲望の中に溺れてしまわないように訓練する効果があります。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言っています:

「アッラーは、下卑た言葉や行いを慎まない者がその飲食を放棄することをお受け入れにはならない。」(アル=ブハーリーの伝承)

またハッジ(巡礼)について、至高のアッラーはこう仰っています:

-ハッジ(の季節)は周知の数ヶ月[33]である。それでその間にハッジをしようとする者は、淫らな言動や罪深い行いや言い争いをしてはならない。,(クルアーン2:197)

イスラームにおいて崇拝行為はムスリムの統一を維持すると共に、優れた作法の改善においても大きな役割を果たしています。以下にイスラームの基幹をご説明しましょう:

第一番目の基幹:二つの信仰証言(シャハーダ)

これは「アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー、ワ・アシュハドゥ・アンナ・ムハンマダン・アブドゥフ・ワ・ラスールフ(私はアッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、ムハンマドはそのしもべであり使徒であることを証言する)」という証言のことです。これはイスラームにおける言葉に関連した基幹ですが、この証言にはそれに則った信仰と行為も要求されます。またこの証言こそが、イスラーム改宗の鍵となります。

一番目の証言「アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし」の意味:

これはいわゆるタウヒード[34]の言葉です。そしてこの概念のもとにアッラーは被造物を存在せしめ、天国と地獄を創造したのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれ(アッラーのこと)はジン(精霊的存在)と人間を、われを崇拝させるべくして創造したのだ。,(クルアーン51:56)

そしてこの概念こそは、アダムから最後の預言者ムハンマドに至るまでの全ての預言者と使徒たち(彼らにアッラーからの祝福と平安あれ)が人々をそこへといざなってきた信仰なのです。至高のアッラーはこう仰いました:

 -あなた以前にわれら(アッラーのこと)が遣わした使徒の内で、「われ(アッラーのこと)の他に神はない。だからわれを崇拝するのだ。」という啓示を与えなかった者はいなかったのである。,(クルアーン21:25) 

この証言の最初の部分「アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私はアッラーの他に真に崇拝すべきものはないと証言する)」は、以下のような意味を含みます:

·       アッラーが全ての存在の創造主であること。至高のアッラーはこう仰いました:

-かれこそがアッラー、あなた方の主である。かれ以外に崇拝すべきものはない。かれは全ての創造主であるのだ。ゆえにかれを崇拝せよ。かれは全てにおいて(そのしもべから)委任されるべきお方なのである。,(クルアーン6:102)

·       アッラーが存在する全ての存在の真の所有者であり、かつその諸事を司る存在であること[35]。至高のアッラーはこう仰っています:

-かれにこそ創造と全ての権限は属する。万象の主アッラーの崇高さよ。,(クルアーン7:54)

·       アッラーのみが崇拝されるに値するということ[36]。至高のアッラーはこう仰っています:

-アッラーにこそ、天にあるものも地にあるものも属しているではないか?アッラーを差し置いて(彼らがその)併置者(と見なすもの)を拝している者たちは、(実際のところ)それらに従っているわけではない。彼らは実に(根拠なく)憶測しているに過ぎない。彼らは嘘をついているのである。,(クルアーン10:66)

·       その美名と完璧な属性はアッラーにのみ属し、いかなる欠陥からも免れているということ[37]。至高のアッラーはこう仰っています:

-そしてアッラーにこそ美名が属するのであるから、それをもってかれに祈願するのだ。かれの美名をないがしろにするような輩は放っておくがいい。いずれ彼らは自分たちが行っていたところのもので報いを受けるだろうから。,(クルアーン7:180)

 この証言の条件:

この証言はただ単に発声するだけでは、アッラーに受け入れられるものとなるに十分ではありません。それは天国の扉への鍵ではあっても、それを有効に作動させるためにある一定の溝を形作らなければならないのです。この証言がアッラーに受け入れられるものとなるための条件は、以下に示す通りです:

1.知識:これは、アッラーを差し置いて崇拝されているあらゆる存在が、虚妄であることを知ることです。預言者や使徒、天使などであろうと、アッラー以外に真に崇められるべき存在はありません。礼拝(サラー)や祈願、犠牲や誓願など、あらゆる種類の崇拝行為はアッラーにのみ向けられなければならないのです。

ゆえに、何らかの崇拝行為をアッラー以外の何かに向けるという行為は、一種の不信仰なのです。これは例え証言の言葉を口にしていたとしても、関係ありません。

2.確信:つまり二つの証言の意味を、心から確信することです。確信の反対は疑惑ですが、この信仰において疑惑やためらいなどがあってはなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

 -信仰者というものはアッラーとその使徒を信仰し、その後(その信仰に)疑念を抱くことなく、財と生命をかけてアッラーの道に奮闘する者たちのことである。彼らこそは真に信仰する者たちである。,(クルアーン49:15)

3.受容:証言の内容は完全に受け入れ、それを拒む気持ちがあったりするべきではありません[38]。 至高のアッラーはこう仰いました:

-彼らは実に「アッラーの他に真に崇拝すべき何ものもなし」と言われれば、奢り高ぶったものだったのだ。 ,(クルアーン37:35)

4.服従:証言の内容が要求することに従い、それに沿って行動することです[39]。そしてアッラーが命じることを行い、かれが禁じることを回避しなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてアッラーのみに真摯に向かって服従し、イフサーン[40]の徒である者は堅固な取っ手を握り締めた者。そして全ての物事の結末は、アッラーへと還り行く。,(クルアーン31:22)

5.真摯さ:証言を口にするにあたって、真摯でなければなりません [41]。至高のアッラーはこう仰っています:

-彼ら(アッラーの使徒の命に背いて出征しなかった者たち)はその舌で、心にもないことを語っている。,(クルアーン48:11)

6.崇拝の誠実さ:つまり全ての崇拝行為を、アッラーのみに誠実に捧げることです[42]。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして彼らは純正な宗教の徒として、彼らの宗教をアッラーのみに真摯に捧げて崇拝し、サラー(礼拝)を行い、ザカー(浄財)を施すことしか命じられてはいなかったのだ。,(クルアーン98:5)

7.敬愛:この証言をする者は、それとそれが要求するもの全てを愛さなければなりません。つまりアッラーとその使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)、そしてその正しいしもべたちを愛し、彼らに敵対する者には敵対する必要があります。また例えそれが自分の私欲と一致しないことであっても、アッラーとその使徒への愛情を何よりも優先することが求められます。至高のアッラーはこう仰いました:

-言え、「あなた方の父親や子息、兄弟姉妹や配偶者、近親やあなた方の稼いだ財産、またあなた方が不景気になることを恐れている商売や、あなた方の意に適った住まいがアッラーとその使徒、そしてその道における奮闘よりもあなた方にとって愛すべきものであるのならば、アッラーが事を決行されるまで待つがよい。アッラーは放縦な民をお導きにはなられないのだ。」,(クルアーン9:24)

またこの証言は、アッラーのみが法を定める権威を有するということを認めることにも繋がります。崇拝行為に関することであろうと、個人あるいは社会間における人間関係に関することであろうと、そこに違いはありません。

何かを合法としたり非合法としたりする権威は、アッラーにのみ属します。またその使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、いかなるアッラーの命令も隠蔽したりすることがありません。至高のアッラーはこう仰いました:

-使徒が命じた物事を行い、彼の禁じた物事を避けよ。,(クルアーン59:7)

二番目の証言「ムハンマドはアッラーの使徒である」の意味

ムハンマドがアッラーの使徒であることを証言することで、以下に示すような事柄も義務付けられてきます:

1.彼の使徒性を信じること:そして彼が最良かつ最後の使徒であり、彼以後には預言者も使徒も出現しないことを信じること。至高のアッラーはこう仰いました:

-ムハンマドは(彼が授かった本当の彼の子でもない)あなた方の内の誰の父親でもない。しかしアッラーの使徒であり、最後の預言者なのだ。,(クルアーン33:40)

2.彼が無謬であること:但しこれは、彼がアッラーから伝達して教示するという行為においてのみのことです。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして彼は私欲から(物事を)話しているわけでもない。それは下された啓示以外の何ものでもない。,(クルアーン53:3-4)

一方現世的諸事に関しては、彼は単なる一人の人間に過ぎません。彼は自分の意見を持っていました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)こう言っています:

「私は一人の人間に過ぎないが、あなた方は私に争いの調停を求める。そしてあなた方の内のある者は、他の者よりも論証において雄弁であり、それゆえに私は私が耳にした通りに(その者の都合のよい形で)裁いてしまうかもしれない。それで私がそのような者に対し、その同胞の何らかの権利を(不当に)得るような判決でもって裁いてしまったとしても、それを手にするのではない。というのも(そのような場合)私は、その者に地獄の炎の一片を差し出しているに他ならないからである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

3.彼が全被造物に遣わされた使徒であることを信じること:そして最後の時まで、彼以外の使徒は現れません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)はあなたを、福音と警告を告げる者として人類全てに向けて遣わした。しかし多くの人々は知らないのだ。,(クルアーン34:28)

4.彼の命に従うこと:また彼の伝えることを信じ、彼が禁じ警告することを回避すること。至高のアッラーはこう仰っています:

-使徒が命じた物事を行い、彼の禁じた物事を避けよ。,(クルアーン59:7)

5.預言者のスンナ[43]に従い、それを遵守すること:そしてそこにおいて新奇な物事を創出しないことです。至高のアッラーはこう仰いました:

-言え、「あなた方がアッラーのことを愛しているのなら、私(ムハンマド)に従うのだ。そうすればアッラーはあなた方を愛して下さり、あなた方の罪をお赦し下さるであろう。」アッラーはお赦し深く、慈悲深いお方である。,(クルアーン3:31)

第二番目の基幹:サラー(礼拝)

礼拝(サラー)は宗教の要ゆえ、ムスリムはその実践を義務付けられます。サラー抜きにはイスラームは完全なものとはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は宗教をラクダに例えて、こう言っています:

「宗教の頭はイスラーム(シャハーダ)であり、その背骨はサラーである。そしてその瘤の最も高い部分が、ジハード(アッラーの道における奮闘)である。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

サラーとは、「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」という言葉によって開始され、「アッサラーム・アライクム・ワ・ラフマトゥッラー(あなた方にアッラーの平安とご慈悲あれ)」という祈願で締めくくられる、一定の言葉と行為から成立する崇拝行為です。 

ムスリムはサラーをアッラーへの服従行為として行い、そしてそこにおいてかれを讃えます。ムスリムはサラーを通してその創造主との継続的関係を維持するのであり、現世的享楽に夢中になったり信仰心が弱くなったりした時に、サラーを思い起こさせるアザーン(サラーへの呼びかけ)が聞こえてくるのです。

ムスリムは昼夜に五回の義務の礼拝をします。男性は何らかの正当な理由がない限り、モスクで集団礼拝に参加します。ムスリムはサラーの場を通して互いに知り合い、相互の愛情と結束心を高めるのです。彼らはこうして日常的に、同胞の状況を知ることが出来ます。誰か姿の見えない者がいれば、病気になったのではと考え、彼の家を訪問することもあり得ます。またサラーにおいて何らかの不備があれば、周りの者が何らかのアドバイスを送ったりすることも出来ます。サラーにおいてムスリムは、社会階層などの社会的差異や人種、血統など関係なく、真っ直ぐな列を作って隣り合って立ちます。アッラーの御前で、彼らは皆一様に平等に服従するのです。

 第三番目の基幹:義務の浄財(ザカー)

ザカーとは、比較的豊かなムスリムが貧しい者に物乞いの辱めを味わわせないようにするべく拠出する、ある一定額の財産のことです。これはある一定額の財産を有する全てのムスリムにとっての義務です。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして彼らは純正な宗教の徒として、彼らの宗教をアッラーのみに真摯に捧げて崇拝し、サラー(礼拝)を行い、ザカー(浄財)を施すことしか命じられてはいなかったのだ。そしてそれこそは正しい宗教なのである。,(クルアーン98:5)

ザカーの義務を否定する者は、弱者や貧者の権利を侵害すると見なされる上、不信仰に陥っていると判断されます。またザカーは、時々誤解されるようにイスラーム国家から課せられた税金のようなものではありません。もしそうだったら、ムスリムであるかそうでないかを問わずに徴収されるでしょう。ザカーはムスリムにとっての義務であり、非ムスリムはそれを拠出する義務を課せられてはいません。

尚、ザカーが義務付けられる条件には以下のようなものがあります:

1. 最低限の財産を所有していること:つまりその財産が、イスラーム法によって定められたある一定の額や量に達していなければなりません。

2.その財産を一年間通して所有すること:もしこの期間内にその財産が所有下から外れた場合、ザカーはかかりません。

またアッラーは、ザカーを受給する資格のある者たちについても明確にしています。至高のアッラーはこう仰いました:

-ザカーは貧者と困窮者、ザカー(の徴収)に携わる者、(それによって)心に親愛が生まれそうな者、奴隷の解放、債務に苦しむ者、アッラーの道にある者、そして旅人に与えられる。(それは)アッラーからの義務である。アッラーは全てをご存知で、かつ英知溢れるお方。,(クルアーン9:60)

一定の規準額に達した財産で連続一年間所有下にあったものは、その年にその額の2.5%を支払わなくてはなりません。イスラームはこれによってムスリム社会からの貧困の根絶を狙っているのであり、また窃盗や殺人や他人の名誉の侵害など、貧困に伴う様々な危険を防止するのです。またザカーは貧者の必要を叶えることにより、ムスリム社会における相互扶助や同胞愛の精神をも育むのです。

ザカーと税金の違いの一つは、ザカーがムスリムによって自発的かつ自らの意に沿って支払われるということです。ザカーの支払いは各自に任されているのです。また「ザカー」というアラビア語が元来有する意味[44]の通り、その究極的な目的は豊かなムスリムの魂の浄化とされています。またそれは人の心から吝嗇や自己中心性、貪欲さやこの刹那的な現世への固執、欲望の溺愛など、窮状にある同胞を忘れ去らせるような全ての要素を取り除いてくれるのです。至高のアッラーはこう仰っています:

-そして自らの吝嗇さから身を慎む者こそは、真に成功する者である。,(クルアーン59:9)

そしてまたザカーは貧者の心も、富者に向けられる憎悪や嫉妬などの感情から浄化してくれます。彼らは豊かな者たちがアッラーの命に従って財産を施し、喜捨や善行などによって継続的に彼らに配慮を払うのを目にするのです。

イスラームはザカーの支払いを拒む者に、非常に厳しい警告を与えています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてアッラーの恩恵によって授けられた物において吝嗇する者たちが、得をしているなどと考えてはならない。実にそれは損失なのだ。彼らの吝嗇していたものは審判の日、彼らに巻きつけられるであろう。,(クルアーン3:180)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「もし金銀を有する者が彼に課せられた物を施さないのなら、審判の日には彼のために炎の延べ板がこしらえられよう。そしてそれは地獄の業火の中で熱されてから、彼の脇腹や額や背中に押し付けられるのだ。そしてそれが冷えてくると、また同じことが最初から繰り返される。それは一日の間継続するが、その一日は五万年に相当するのだ。そしてしもべたちに判決が宣告された時、彼は自分を天国、あるいは地獄へと続く道を見出すのである。」(ムスリムの伝承)

第四番目の基幹:ラマダーン月の斎戒(サウム)

ムスリムは一年に一度のラマダーン月(ヒジュラ暦九月)に、一ヶ月間のサウムをします。そしてその間は最初の夜明けから日没まで、飲食や性交渉などのサウムを無効にする行動を慎むのです。実のところサウムはイスラームによって初めて紹介されたものではなく、それ以前の宗教においても定められていました。至高のアッラーはこう仰っています:

-信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも定められたように、あなた方にもサウムが課せられた。(それによって)あなた方は敬神の念を獲得するであろう。,(クルアーン2:183)

サウムの目的は、単にサウムを無効にする物質的・精神的物事を回避するだけではありません。実際のところムスリムはサウムしている間、嘘や陰口、噂話の触れ回りや詐欺、下品な言行やその他諸々の有害な振る舞いなど、その報奨を減じるような目に見えないあらゆる物事を放棄しなければならないのです。そしてサウムする者はこれらの有害な行為がラマダーン月以外の時期にも放棄すべきことを肝に念じ、特にラマダーン月においてそう努めなければならないことを念頭に置かなければなりません。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言っています:

「アッラーは虚言とそれによる行いを放棄しない者が飲食を断つことなど、お求めにもならない。」(アル=ブハーリーの伝承)

またサウムは、魂と欲望の間の戦いでもあります。そしてアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)が次のように言っている通り、そこには多くの社会的利益も含まれています:

  「アダムの子(人間)の全ての行いは、その十倍から七百倍の善行として倍増させられる。偉大かつ荘厳なるアッラーは仰った:“但しサウムは別である。それはわれのためのものであり、われはそれに(特別な)報奨を授ける。(というのもサウムする者は)われゆえにその欲望と食事を放棄したからである。”そしてサウムするものには二つの喜びがある:サウムを解く時の喜びと、主と謁見した時の(特別なご褒美に対する)喜びである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

サウムを通して、人は十分な食事や衣服や住居を所有しない貧しい同胞の気持ちを理解します。そしてこのことが人を、彼らへの義務を果たし、彼らの必要や状況に常に注意を払うことへと促すのです。

 第五番目の基幹:ハッジ(マッカ巡礼)

ハッジとは、ある特定の時期と場所において特定の儀式を行うために、聖なるアッラーの館(マッカのカアバ神殿)へと巡礼することです。この基幹は正常な理性を備えた全ムスリム成年男女に課されますが、身体的・経済的にそれを遂行するに十分な能力を有していることが条件になります。

それでもし十分な経済的能力があっても回復の見込みが薄い病気を患っているような場合は、誰か他の者にハッジの代理を依頼しなければなりません。そしてもし自分自身、あるいは自分が扶養する者たちを毎日賄う以上の経済的余裕がないような者には、そもそもハッジの義務は課されません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてそうすることが出来る人々には、その館を訪問するアッラーへの義務がある。それを否定する者があっても、実にアッラーは何ものをも必要とされてはいないのだ。,(クルアーン3:96-97)

ハッジは、イスラームにおける最大の集合の場です。世界中のムスリムが同時期に一つの場所に集結し、同じ主を呼び、同じ衣服をまとい、同じ儀式を行い、以下のような同じ賛美の言葉を唱えて声を上げるのです。

「ラッバイカッラーフンマ・ラッバイカ、ラッバイカ・ラー・シャリーカ・ラカ・ラッバイカ、インナル・ハムダ・ワン・ニゥマタ・ラカ・ワル・ムルク、ラー・シャリーカ・ラカ」

  この意味は以下の通りです:

「アッラーよ、あなたの御許に馳せ参じました。あなたの御許に馳せ参じました。あなたの御許に馳せ参じました、あなたに並ぶものはありません。あなたの御許に馳せ参じました。称賛と恩恵と主権は、並ぶものなきあなたにこそ属します。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

ここに貧富や貴賎、肌の色の差やアラブ人であるかそうでないかなどの差はありません。皆アッラーの御前に等しいのです。人には敬虔さ以外に何の相違もありません。ハッジは全ムスリムの同胞愛と、その希望と感情の結束が強調される、一大イベントなのです。

 イスラームの政治的側面

イスラーム法は、その上にイスラーム国家が成立する基礎として作用するところの、政治的諸事における基本原理と一般法を提示しています。そしてイスラーム国家の統治者は、アッラーの命を遂行し、実践するのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-一体彼らは、ジャーヒリーヤ(イスラーム以前の無明時代)の裁決を望むというのか?(アッラーを)確信する者にとっては、裁決においてかれに優るものなどいないというのに。,(クルアーン5:50)

イスラーム国家の統治者は事実上、イスラーム共同体の代表者です。彼には以下に挙げるような物事が義務付けられます: 

[1]アッラーの法を実践するためにあらゆる能力を駆使し、宗教と平和、生命と富を護るべく、その共同体に立派で高貴な生活を提供すること。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「アッラーがある者の後見を命じられたにも関わらず、その者に十分な忠言を施さなかったしもべは、アッラーによって天国の芳香を禁じられよう。」(アル=ブハーリーの伝承)

またイスラーム国家の統治者は、ある種の資質を備えていなければなりません。それは第二代カリフのウマル・ブン・アル=ハッターブがその同志たちに言った、以下の言葉の中に描写されているようなものです:

 「私が従事するムスリムの諸事の特定の仕事に関する世話をさせるにあたって、私が任命すべき者の名を挙げよ。」彼らはこう応えました:「アブドゥッラフマーン・ブン・アウフがよいのでは?」ウマルは言いました:「彼は弱い。」彼らは別の者の名を挙げましたが、ウマルは彼に関してはこう言いました:「彼は私に必要ない。」それで彼らは尋ねました:「どのようなタイプの者がよいのですか?」ウマルは答えました:「リーダーになったら人々と同じように振る舞い、リーダーでなかったとしても以前と同様のままであるような者がよいのだ。」すると彼らは言いました:「アッ=ラビーウ・ブン・アル=ハーリス以外にそれに相応しい者はいません。」ウマルは言いました:「その通りだ。」そしてウマルは彼を任命しました。

 [2]統治者はムスリムの諸事において、その地位や仕事に相応しくないような者を任命すべきではありません。また彼はある特定の地位に、真に相応しい候補者を差し置いて自分の友人や親戚などを就かせてもなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「アッラーが人々の後見を命じられたにも関わらず、その者たちを欺いたまま他界したしもべは、アッラーによって天国を禁じられよう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

上記の法や原理には、以下のような特徴があります:

l  アッラーによって定められた神聖なるものであり、そこにおいては統治者も臣民も、富者も貧者も、高貴な者もそうでない者も、肌の白い者も黒い者も平等であるということ。いかなる高い地位にある者といえども、アッラーの法を犯すことは許されないのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてアッラーとその使徒が何らかの裁断を下したならば、それが男女の信仰者にとって彼らの諸事における最良のものとならないことはない。そしてアッラーとその使徒に逆らう者は、明白に道を踏み誤っているのである。,(クルアーン33:36)

l  統治者も臣民も全ての者が、これらの法と原則を遵守し、尊重し、履行しなければならないこと。至高のアッラーはこう仰いました:

-実に信仰者というものは、彼らの間に裁決を下すためにアッラーとその使徒から召喚されたならば、「かしこまりました。従います。」と言うべきなのだ。そして彼らこそは成功者なのである。,(クルアーン24:51)

イスラームにおいては、絶対権力者というものは存在しません。統治者もまたイスラーム法によって定められた制限によって、その権力を限定されています。もし彼がイスラーム法に反するような場合、臣民は彼に服従せず、真理に服従しなければなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「ムスリムは好むことであろうと厭うことであろうと、(統治者の言うことを)よく聞き入れ、服従しなければならない。但し彼からアッラーの命に背くことを命じられた場合は、その限りではない。ゆえにアッラーの命に背くことを命じられたら、それを聞き入れ、服従することはない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

l  イスラームの政治システムは、協議の上に成立しています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして彼らの主(の呼びかけ)に応じ、サラー(礼拝)を行い、彼らの間の諸事を協議でもって取り決め、またわれら(アッラーのこと)が授けたものから施す者たち。,(クルアーン42:38)

またアッラーはこのようにも仰っています:

-そしてあなたが彼らに対して優しくしたのは、まさにアッラーからのご慈悲ゆえであった。もしあなたがぞんざいで頑なであったなら、彼らはあなたのもとから離散してしまったことであろう。ゆえに彼らを赦し、彼らのために罪の赦しを乞え。そして諸事において彼らに相談するのだ。,(クルアーン3:159)

上記の最初のクルアーンの節では、アッラーは協議をイスラームの背骨とも言えるサラーに併置させて言及しています。これは、共同体における全ての諸事において協議することの重要性を示していると言えるでしょう。それらの諸事においては、知識を備えた人々との協議によって決定を下さなければなりません。また節の最後の部分でアッラーは信仰者を称えていますが、これは信仰者があらゆる物事において互いに相談し合うからなのです。

また二番目の節でアッラーは、共同体の長であるその使徒に、共同体の共益に関わる物事においてその教友たちと協議することを命じています。但しそれはそのことに関しての明白な法規定が存在しない限りにおいてであり、もしイスラーム法によって既に定められていることであれば、そのことに関しての協議はあり得ません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「相談し合う民が、最良の道に導かれないということはないのだ。」そして彼は次のクルアーンの句を唱えました:-彼らの間の諸事を協議でもって取り決め…,(アル=ブハーリーの伝承)

あるイスラーム学者たちは、人々の利益に関連する物事に関し、統治者は彼らと相談しなければならない、と言明しています。もし統治者がそれを怠った場合、人々は彼らの意見を表明する機会を要求することが出来ます。これは既述のクルアーンの節に基づいた理解であり、またイスラームという教えが統治者を、彼に委ねられた諸事を遂行する責任を負う代理人と見なしているからです。こうして臣民は、統治者がイスラーム法を忠実に履行しているかどうかを監視することを求められます。またイスラームはその原則に沿った形であることを条件に、全人がその意見を述べ、適切な手法において批判する自由を与えています。しかしそのことが混乱や分裂の原因となるようであってはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「実に最善のジハードは不正を行う権力者への正義の言葉である。」(アブー・ダーウードとイブン・マージャの伝承)

また初代カリフのアブー・バクルはその地位に任命された時、人々にこう語りかけました:

「人々よ!私はあなた方の内最善の者ではないにも関わらず、あなた方の統治者に任命された。それで私が真理と共にあるのなら、私を援助して欲しい。しかし私が誤っているのを見出したら、私を正してくれ。あなた方の諸事に携わるにあたり、私がアッラーに従っている限りにおいて、私に従うのだ。そしてもし私がアッラーに従ってはいないのなら、私はあなた方に私への服従を求めない。」

また二代目カリフのウマルはある日説教壇の上に立ち、人々に向かってこう言いました:

 「人々よ、もし私が腐敗するようなことがあったら、私を正してくれ。」するとあるベドウィンの男が立ち上がって、こう言いました:「アッラーにかけて!あなたが道を誤ったら、我々は剣をもってあなたを正そう。」しかしウマルは立腹もしなければ、彼に対して敵意を抱きもしませんでした。彼はただ両手を中空に上げて、こう言ったのです:「ウマルの誤りを正すことの出来る者をこの共同体の中に授けて下さったアッラーに、全ての賞賛あれ!」

また統治者が釈明の場に召喚され、尋問を受ける場合さえもあります。ある日ウマルは衣服を二枚まといつつ、人々に語りかけていました。しかし、彼が「人々よ!私の言うことを聞き、従うのだ」といった時、一人の男が立ち上がってこう言いました:「私たちはあなたの言うことを聞きもしなければ、従いもしない。」ウマルは言いました:「何故だ?」男は答えました:「あなたは私たちに衣服を一枚しか配給しないのに、自分は二枚着ているではないか?」ウマルは即座に(息子アブドゥッラーに)大声でこう呼びかけました:「アブドゥッラー・ブン・ウマルよ、言ってやれ!」それでアブドゥッラーは言いました:「私は自分の分を父親にくれたのです。」すると男は言いました:「それでは私たちはあなたの言うことを聞き、従いましょう。」

このようにイスラームは、社会と個人の諸権利と自由を保護しています。また法源を個人的・地理的・環境的要因などから変更しようとする、統治者の出来心や私欲から守るのです。イスラーム法は政体の仔細については、議論していません。これはムスリムがある特定の状況下において最も相応しい法や規則を適用し、また特定の時期と場所において最大限の福利を達成することが出来る余裕を設けておくためなのです。但しいかなる場合においても、法や規則がイスラームの原理や基礎と矛盾してはなりません。

 イスラームの経済的側面

富は生活が維持されるための基礎であり、活力です。そしてイスラーム法は、社会正義と尊厳に満ちた生活が達成された、バランスの取れた社会形成をその目標としています。 至高のアッラーはこう仰いました:

-財産と子孫は現世の生活における装飾である。 ,(クルアーン18:46)

イスラームは、財産が社会の存続において掛け替えのない役割を担っていることから、豊かな者にザカー(義務の浄財)の拠出を命じています。それは太陰暦の一年間を通してある一定額の財産を所有した者に課され、その全体額の2.5%を施すことを求められます。ザカーは貧者の権利であり、ザカーを課された者がその拠出を拒否することは禁じられています。尚、ザカーは貧者など特定の対象に分配されます。

しかしイスラームが個人所有権や商売を禁じているわけではなく、むしろそれらは容認され尊重されています。他人の財産や所有物の侵害を禁じることを明白に禁じる法典拠は、非常に沢山存在しています。至高のアッラーはこう仰っています:

-そしてあなた方の財産を、不正に貪り合ってはならない。,(クルアーン2:188)

イスラームは社会に属する全ての個人が尊厳に溢れた人生を送ることが出来るよう、その目的達成を保障する法と規則を制定しました。その一部を挙げていってみましょう:

1. イスラームは利子を禁じます。というのもそれは他人の搾取と、その財産の不当な入手につながるからです。イスラームは財産と所有物を、侵害してはならないものとしました。また利子はいたわりの放棄と、少数の者に富が集中することにもつながります。 至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰者よ、あなた方が信仰者であるというのならアッラー(のお怒りや懲罰の原因となること)から身を慎み、まだ残っている利子を完全に放棄するのだ。そしてそうしないというのなら、アッラーとその使徒との戦いを覚悟せよ。もし悔悟するのなら、あなた方には元金を手にする権利がある。あなた方は(貸す際には)不正を働くこともなく、(借りる場合には)不正を被ることもないのだ。,(クルアーン2:278-279)

2. イスラームは、それを必要としている者に貸与することを励行しています。また債務を果たせない苦境にある者の返済時期を延期してやることも、推奨しています。債務を返済しようとしている者に荒々しい態度をとることも、厭われるべき行いです。但し債務を果たす能力があるにも関わらずそうしない者は別で、そのような者にはある手段が講じられる必要があります。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてもし(債務者が)厳しい状況にあったら、状況が改善するまで猶予を与えてやるのだ。,(クルアーン2:280)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「(経済的に)厳しい境遇にある者(の債務返済)に猶予を与えてやる者は、(彼が返済するその時まで)毎日施しをしている(に等しい)。そして債務期限後もそのような者に猶予を与えてやる者には、毎日(その債務額と)同様の施しをしていると見なされる。」(イブン・マージャの伝承)

3. イスラームは債務の返済に非常な困難を見出す者に対し、それを免除してやることを励行しています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてもし(債務者が)厳しい状況にあったら、状況が改善するまで猶予を与えてやるのだ。しかしもし(債務を)施して(免除して)やるのなら、それがあなた方にとって最善であろう。もしあなた方がこのことを知っていたのなら。,(クルアーン2:280)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこうも言っています:

「アッラーが審判の日の苦悩から救ってくれることを望む者は、(経済的に)厳しい境遇にある者(の債務返済)に猶予を与えてやるか、あるいはそれを免除してやるのだ。」(ムスリムの伝承)

4. いかなる種類であれ、必需品を独占したり他人を害するような形での買いだめをしたりすることは、禁じられています。例えば人々が必要とするある商品を供給量が減少するまで貯蔵し、値段を吊り上げてから売却する、といったようなやり方です。このようなやり方は社会にとっても個人にとっても、富者にとっても貧者にとっても有害なものとなります。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「独占する者は罪深い者である。」(ムスリムの伝承)

またイスラーム四大法学派の祖の一人アブー・ハニーファの高弟アブー・ユースフは、こう言っています:

「公益にとって有害な形のあらゆる買いだめは、例えそれが金銀であろうと、独占の内の禁じられた種類のものと見なされる。人々にとっての必需品を独占する者は、明らかにその所有物への対処法を誤っているのである。独占が禁じられたのは人々を害悪から保護するためであるが、人々には様々な種類の需要があり、そこにおいて独占は彼らに困難をもたらすのである。」

統治者は必需品を買いだめしている者を強制し、売り手にとっても買い手にとっても損失とならないような適切な利潤のもとに、それらを売却させることも出来ます。そしてもし独占者が提示された値段での売却を拒否するのであれば、必需品の独占によって人々を搾取している恐れの強い者を阻止するため、統治者は彼のそれらに対する所有権を無視して適切な値段で売却することが出来ます。

5. イスラームは国内で商品を売却したり、あるいは輸入したりするために商人に税金を課すことを禁じています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「税金を徴収する者は天国に入らない。」(アフマドとアブー・ダーウードの伝承)

この類の税金は財産の不当入手であり、財産をそれに値しない者へと贈与することを意味します。このような事柄‐つまり税金の徴収やその事務、その証言や入手など‐に関わる者は全て、預言者による次の警告の対象となるでしょう:

「非合法な物によって生育した血肉は天国に入ることはない。(それらには)むしろ地獄の業火がよりふさわしいのだ。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

6. イスラームは本来アッラーに属するものである財産を無闇に蓄積し、それを社会と個人に有益な形で施さないことを禁じています。富は社会を循環して経済を刺激するべきであり、そうすることによって社会内の全個人に利益が還元されるのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして金銀を貯め込み、それをアッラーの道において施すことのない者たちには痛ましい懲罰の知らせを伝えよ。,(クルアーン9:34)

イスラームは個人所有権を尊重する一方で、そこにおける義務と権利を定めています。そして所有者に関する義務の一つとして、自分自身と扶養家族や親戚、管理すべき各種の物への配慮が挙げられます。そして社会内の個人に対する義務としては、ザカー(義務の浄財)の拠出や任意的な慈善的施し、他人への援助などが挙げられます。また社会全体に対する義務としては、学校や病院、孤児院やモスクなど、社会的に有益な施設の建設などがあるでしょう。これらのことから結果付けられるのは、富が社会内の少数の者たちの手にのみ集中することがない、ということです。

7. イスラームは取引に関する計量や計測などにおいて、ごまかすことを禁じています。というのもそれは詐欺であり、一種の盗みであるからです。至高のアッラーはこう仰いました:

-秤を(不当に)減らす者たちに災いあれ。彼らは人に量らせる時にはしっかりと(正当な)取り分を求めるくせに、自らが彼らのために量る時には(それらを少なめに見積もって)損失を与える,(クルアーン83:1-3)

8. イスラームは誰にも属していない水や牧草など、公共の所有物を占有すること、及びその利用を阻止することを禁じます。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「審判の日にアッラーからお言葉もかけられなければ、お目もかけて頂けない三人の者:自分が買ったよりも高い値段で商品を売るために、嘘の誓いをする者。(神聖なる)アスル(午後遅い時刻)後、ムスリムの財産を不当に入手するために虚偽の誓いをする者。そして余分な水を他人に分けてやらない者。その日アッラーはその者に言うだろう:“今日われはあなたが自分で造ったものでもない余分な水を与えなかったように、あなたに対するわが恩恵をあなたに与えまい。”」(アル=ブハーリーの伝承)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、このようにも言っています:

「ムスリムは三つのものにおいて共同(所有)する:(それらはつまり)牧草と水と、火である。」(アフマドの伝承) 

9. イスラームは老若男女を問わず、人の財産を適切な相続人に分配する公正な遺産相続法を提示しています。イスラームにおいては誰も、その相続法以外のやり方で遺産相続する権利はありません。イスラーム遺産相続法における一つの長所は、遺産がいかに莫大なものであったとしてもそれを細かく分割し、それがある一定の集団の手元にだけ集中することを回避していることでしょう。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「アッラーは全ての権利の主に、その権利を与えられたのである。ゆえに法定遺産相続人には遺言(による遺産の配分)はない。」(アブー・ダーウードの伝承)

10. イスラームは財産の寄与を定めていますが、それは二種類に分けられます:

①私的な財産寄与:寄与者の家族や子供に限定されたもので、彼らを貧困や物乞いすることから保護するためのものです。これが有効なものとなるには、寄与者が他界した後にもそれが慈善的分野で有益なものとなる必要があります。 

②公的な財産寄与:病院や学校、道路や図書館、モスクや孤児や老人のための福祉施設など、公益に奉仕するあらゆる形での慈善目的の維持に利用されるものです。

11. イスラームは遺言による遺譲を合法化しています。あらゆるムスリムには、その死後に自らの財産の一部を正当な目的のために遺譲する権利があります。但し遺譲出来る財産額はその遺産相続人を害しない程度に、総遺産額の三分の一までに限定されています。教友アーミル・ブン・サアドはこう言っています:

「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は私がマッカで病の床にある時、私を頻繁に見舞ってくれていました。私は言いました:“私には財産があります。その全てを遺言で施しましょう。”すると彼は言いました:“いや(、そうするのではない)。”それで私は言いました:“それではその半分を(施しましょう)。”彼は言いました:“いや。”私は言いました:“それでは三分の一を。”彼は言いました:“三分の一でも多い。あなたの遺産相続人が他人のものを乞うような貧しい状態にしておくよりは、裕福にしておく方がよいのだ。そして妻の口元に運ぶ一匙(の飲食物)であろうと、あなたが(扶養する者に)費やす物は何であれ施しとなるのである。(そうすれば)アッラーはあなたの位階を高められ、人々があなたから利益を享受する一方、また(私たちに敵対する)別の者たちは弊害を被ることになるかもしれない。”」(アル=ブハーリーの伝承)

12. イスラームは、 -信仰者たちよ、あなた方の間であなた方の財産を不当に貪ってはならない。,(クルアーン4:29)というアッラーの言葉に当てはまるような、いかなる形の行為も禁じています。

これは以下のような物事を含んでいます:

①あらゆる権利の横領:それは他人への悪行であり、社会に腐敗を広めます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

“(嘘の)誓いでもってムスリムの権利を得る者には、アッラーが地獄の業火を定め、そして天国を禁じられよう。”するとある者が彼に言いました:“アッラーの使徒よ、それが僅かな物であったらどうですか?”(預言者は)言いました:“例えそれがアラーク[45]の枝一本であっても、である。”」(ムスリムの伝承)

②窃盗:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「姦淫を犯す者は、真の信仰者である状態の時に姦淫する事はない。また盗人は真の信仰者である状態の時に盗みを犯すことはない。また真の信仰者である時に、人が飲酒することはない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

窃盗は他人の財産を不当に奪うことです。至高のアッラーはこう仰いました:

-男女の窃盗犯は、彼らが成したことの報いゆえ、そしてアッラーの懲罰ゆえ、その手を切断するのだ。アッラーは威光高く、この上なく英知溢れるお方。,(クルアーン5:38‐39)

一方窃盗犯の手首の切断刑は懲罰の意味で非常に厳しいものですが、その実施には以下の条件を満たしていなければなりません。

         1. 盗難品がその所有者の管理下と保護下にあったこと。

        2. 窃盗犯の意図が飲食や衣服などの必要からではなかったということ。このような場合においては第二代目カリフのウマルの裁決に倣い、刑は執行されません。

        3. 盗難品の価値が、刑罰が適用される最低額に達していること。

ある種の学者は、窃盗犯の悔悟はその品物を本来の所有者に返却するまでは受け入れられないと言明しています。そしてもし盗難物が彼の手元にはない場合、所有者は彼を赦免するかどうか訊ねられます。尚、もし窃盗犯がその事例が法廷に持ち込まれる前に所有者によって赦免された場合、刑罰の執行はなくなります。 

③詐欺:預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「私たちに武器を向ける者は、私たちの内の者ではない。また私たちを騙す者も、私たちの内の者ではない。」(ムスリムの伝承)

④賄賂:至高のアッラーはこう仰っています:

-そしてあなた方の財産を、不正に貪り合ってはならない。またそれと知りながら罪深くも他人の財の一部を奪おうとして、裁判官に賄賂を贈ったり偽りの証言を立てたりしてもならない。,(クルアーン2:188)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「裁決に関し、賄賂を贈る者と収賄者にアッラーの呪いあれ。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言ったのは、賄賂を贈る者が社会に悪を広めるからでしょう。また収賄者も共に言及されているのは、その行為が不当なものであり、その者が彼に委任された信託において違反しているからでしょう。というのもその者は本来彼が当然行うべき仕事において、不当な金銭を受領しているからです。

5. イスラームは特に許可されていない限り、客に何かを売ろうとしているところに第三者が割り込み、その取引をご破算にして自らとの取引を結ばせる、というような行為を禁じています。このような行為は、社会の個人間に敵意と憎悪を掻き立ててしまいます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「その同胞が取引している最中の売買に割り込んで売買を行ってはならない。また同胞が既に婚約の申し込みをしている女性に婚約の申し込みをしてもいけない。但しその者が彼に対して婚約の申し込みをすることを許可した場合は、その限りではない。」(ムスリムの伝承)

 イスラームの社会的側面

イスラームは社会の安定性を確実なものとするため、全個人の権利と義務を定める社会法を提供しています。その内のあるものは特殊なものでまたあるものは一般的なものですが、特殊なものは以下に挙げる通りです:

 統治者の権利:

1-ムスリムは統治者がイスラームで禁じられていることを行わない限り、彼に服従する義務があります。至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、アッラーとその使徒と、あなた方の内の諸事を任された権威に従うのだ。,(クルアーン4:59)

2-ムスリムは統治者に対し、彼とその臣民を福利へと導いたり、あるいは彼に必要な事柄を思い起こさせることにつながるような類いの、親身かつよい形における誠実なアドバイスをすることが義務となります。アッラーは真の宗教を伝えるため、モーゼとその兄弟アーロンを暴君ファラオに遣わした時、こう仰いました:

-そして彼(ファラオ)に穏やかな言葉で話しかけよ。そうすれば彼は忠告を聴き入れ、畏怖の念を抱くかもしれない。,(クルアーン20:44)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「宗教とは助言である。」私たちは言いました:「誰に対しての助言ですか?」(預言者は)言いました:「アッラーとその啓典と、その使徒、そしてムスリムの指導者たち及び一般の者たちに対する助言である。」(ムスリムの伝承)

3-災厄や苦難の際に、彼に反旗を翻したり見捨てたりせず、彼を援助すること。それは例えその統治者が、忠誠を誓っていない派閥や集団に属する者であったとしてもです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「あなた方の諸事が全て一人の者に任されているというのに、あなた方を分裂させるか、あるいはあなた方の集団を分散させようとする者が現れたら、その者を殺すのだ。」(ムスリムの伝承)

 統治される側の権利

この権利は五つの一般原理のもとに成り立っています:

1-公正:これは全ての者にその権利を全うすることで達成されます。統治者は他者の権利保護やその任務の遂行、責任分担や法や裁決の履行などにおいて、公正であることが求められます。彼の前では全ての者が平等であらなければならず、いかなる個人や集団も贔屓してはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「アッラーが最も愛でられ、また審判の日に最もかれの御許に近い場所に座を占めるのは、公正な統治者である。一方審判の日に最も忌み嫌われ、かつ最も厳しい懲罰を受けるのは暴君である。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

2-統治者が民衆を抑圧したり、欺いたりしないこと:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「アッラーが人々の後見を命じられたにも関わらず、その者たちを欺いたまま他界したしもべは、アッラーによって天国を禁じられよう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

3-統治者が民衆の政治的・経済的・社会的利益に関する全ての物事において、彼らと協議すること[46]:彼は彼らの発言を許し、公益に最も適った意見があればそれを受容しなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてあなたが彼らに対して優しくしたのは、実にアッラーからのご慈悲ゆえであった。もしあなたがぞんざいで頑なであったなら、彼らはあなたのもとから離散してしまったことであろう。ゆえに彼らを赦し、彼らのために罪の赦しを乞え。そして諸事において彼らに相談するのだ。,(クルアーン3:159)

アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はバドルの戦役の際、井戸の後方に野営しましたが、その時教友の一人アル=フバーブ・ブン・アル=ムンズィルが彼にこう訊ねました:「この場所はアッラーがお選びになられたのですか?それともこれは戦略なのですか?」彼は答えました:「戦略である。」それでアル=フバーブは言いました:「もう少し前進して、井戸を私たちの後ろにしましょう。そうすれば敵軍はそこから水を飲むことが出来なくなります。」そして預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、彼の意見を受け入れました。

4-治める法律が、イスラーム法に則したものであること:いかなる統治者も、その不完全な思いつきや私欲などによって判決を下したりしてはなりません。第二代目カリフのウマル・ブン・アル=ハッターブは彼の兄弟のザイド・ブン・アル=ハッターブを殺したアブー・マルヤム・アッ=サルーリーにこう言いました:「アッラーにかけて。私は地面が血を愛するまで、あなたを愛さないであろう。」するとアブー・マルヤムは言いました:「その憎しみゆえに私は私の権利を失うのか?」ウマルは言いました:「いや。」するとアブー・マルヤムは言いました:「それなら構わない。誰かに嫌われるのが嫌なのは女性だけだからな。」

5-統治者は常に門戸を開放し、自らを民衆から遮断したり、あるいは彼らを見下したりしないこと。また彼らとの間の取次ぎを置き、ある者たちの訪問を許す一方で、別の者たちが訪問するのを拒否したりしないこと。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「ムスリムの諸事に関していくつかの責任を負わされたにも関わらず、彼らの欠乏や必要、窮乏や貧困をないがしろにする者は、審判の日に偉大なるアッラーが彼の欠乏や必要、窮乏や貧困をないがしろにされるであろう。」(アブー・ダーウードの伝承)

6-統治者は臣民に対して哀れみ深くあり、彼らが担いきれないような負担をかけたり、また彼らの生活手段を制限したりしないこと。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「アッラーよ、私の共同体の諸事を任せられた者が彼らに厳しくあたるのであれば、彼に厳しくおあり下さい。そして私の共同体の諸事を任せられた者が彼らに優しくあたるのであれば、彼に優しくおあり下さい。」(ムスリムの伝承)

またウマル・ブン・アル=ハッターブはこう言って、事の重大さを表現しています:

「アッラーに誓って。もしイラク地方でラバが転んだら、私はアッラーが私に“なぜ道をならさなかったのだ?”とお咎めになることを恐れる。」

そしてムスリムの統治者は、アル=ハサン・アル=バスリーがウマル・ブン・アブドゥルアズィーズに対してこう書いて送ったような人物であるべきです:

「信仰者の長よ!アッラーは公正な統治者を、誤りを矯正し、抑圧する者を阻止し、腐敗を改め、弱者には正義を与えて強くし、苛まれている者には援助をもたらす者とされたことをお知り置き下さい。

信仰者の長よ!公正な統治者とは、その家畜の群れに最上の牧草を探してやり、危険や野獣が存在する地域から遠ざけて害悪から守ってやる羊飼いのようなものです。

信仰者の長よ!公正な統治者とは、その子供たちのために骨を折り、彼らの成長の折には教育を施し、その命ある限り彼らのためのパンを稼ぎ、その死後には富を遺してやる面倒見のよい父親のようなものです。

信仰者の長よ!公正な統治者とは、その息子を優しく世話する愛情深い母親のようなものです。彼女は大変な思いをして彼を宿し、大変な思いをして産み落とします。また彼が幼少の頃には、彼が夜に起きれば彼女も起き、彼が眠れば彼女も眠りつつ世話をします。そして時には乳を与え、また時には離しつつ、彼が健康であることを喜び、不満である時には心配するものなのです。

信仰者の長よ!公正な統治者とは、孤児の後見人や貧者の引受人のようなものです。彼はその者たちが若い時には世話をし、年をとったら様々な物を供給します。

信仰者の長よ!公正な統治者とは、肋骨の奥の心臓のようなものです。心臓が健康であれば肋骨もそうであり、心臓が病気であれば肋骨もまたそうなのです。

信仰者の長よ!公正な統治者とは、自らアッラーの御言葉を聴く一方で臣民にもそうさせ、また自らアッラーの報奨を求める一方で彼らにもそうさせるものです。そして自らアッラーに服従する一方で、彼らにもそうさせるのです。信仰者の長よ、アッラーがあなたに授けられたものを誤用してはなりません。その主人によって財産と家族を託されたのにも関わらず、財産を浪費し、家族を宿無しにしてしまう召使のようになってはいけません。

信仰者の長よ!アッラーが、そのしもべを悪から逸らすためにある種の刑罰を定められたことをお知り置き下さい…それでは、その任務に携わる者自身がそれらの刑罰に値する罪を犯したら、一体どうなってしまうでしょうか?そしてその実施は人々の生命の保護です…それでは、その任務に携わる者自身が殺人を犯したら、一体どうなってしまうのでしょうか?

信仰者の長よ!死をよく思い起こしていて下さい。そしてその後に起こる物事と、その時に助けてくれる者の少なさを。ですから死と、その後に続く恐ろしい出来事のために、あらゆる物を集結させて準備しておいて下さい。

信仰者の長よ!あなたの死後の住居は、現世でのそれとは違うということをご存知下さい。そこであなたは長く休息することが出来、友人たちと会うことも出来ます。また一人っきりになることも出来るのです。ゆえにあなたが死後も携えて行けるような物こそを、手にして下さい。

-その日人はその兄弟や母親、父親や配偶者、そしてその子供たちからさえも身を翻す。,(クルアーン80:34‐36)

信仰者の長よ!アッラーの御言葉を思い起こして下さい:

-墓の中のものが覆されて出され、そして(人々の)胸中にあるものが暴き出される時。,(クルアーン100:9-10)

その日あなたの善行の記録と共に、全ての秘密が明かされるのです:

-これは瑣末なことも大きなことも、一つたりとも残さず(記録され)数え上げられているではないか!? ,(クルアーン18:45)

信仰者の長よ!まだ死までには時があります。そして全ての希望が失われてしまう時までには。

信仰者の長よ!あなたの民をイスラーム法でもって裁いて下さい。そして誤った者のやり方で、彼らを導かないで下さい。信仰者との約束も遵守せず、栄誉も与えないような薄弱者には、思い上がらせるような権威を与えないで下さい。それはあなたが他人の罪によってお咎めを受けないためでもあります。また、あなたを悲惨さへと導く物事を喜ぶ者たちに騙されてはなりません。彼らは来世においてあなたの善行を奪い、この世においては善を貪り食べてしまいます。また今日の権威を考えるのではなく、明日の権威に思いをお巡らし下さい。死があなたを襲う時、そして審判の日に天使や使徒、預言者らが集結する中、あなたがアッラーの御前に召される時のことを…

-(その日全ての)面々は、永生し全てを司る御方の御前に屈従する。,(クルアーン20:111)

信仰者の長よ!このご進言は賢人や理知と英知を備えた人々の水準には到底及びませんが、私はそこにおいて誠実の限りを尽くしたつもりです。ゆえにこのメッセージを、愛する者がその敬愛する者に宛てたものとして、そして一粒の薬としてお受け取り下さい。多少の苦味はあれど、きっと治療には役立つことでしょう。」

 両親に対する権利

子供は罪深いことを命じられるのではない限り、その両親に従う義務があります。子供は両親によく接し、親切であり、彼らの物質的・精神的満足を満たすために努力奮闘しなければなりません。また彼らのために飲食や衣服、住まいなどの必要を確保する義務もあります。子供は両親に柔らかな言葉を用い、粗暴な振る舞いをしてはなりません。そして彼らへの奉仕において忍耐深くあり、彼らの気持ちをよく酌んでやる必要があります。また彼らの悪口を言ったり、彼らの気分を害したり、彼らを憤慨させたりするようなことも避けるべきです。至高のアッラーはこう仰っています:

-そしてあなたの主は、あなた方がかれ以外の何ものも崇拝せず、両親に孝行することを命じられた。彼らの内片方、あるいはいずれもが高齢に達したら、うんざりしたり乱暴に応対したりしてはならない。しかし彼らにいたわりの言葉をかけてやるのだ。,(クルアーン17:23-25)

イスラームは両親への不服従を、大罪の一つと見なしています。教友アブドゥッラー・ブン・アムルは、あるベドウィンの男がアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のもとにやって来て、こう言ったと伝えています:

「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)よ、大罪とは何ですか?」彼は言いました:「アッラーに対してシルク[47]を犯すことだ。」男は言いました:「その次は?」彼は言いました:「親不孝だ。」男は言いました:「その次は?」彼は言いました:「沈下の宣誓だ。」男は言いました:「沈下の宣誓とは何ですか?」彼は言いました:「ムスリムの財産を手に入れるために行う、嘘の誓いのことだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

イスラームは両親の地位を、このように描写しています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「アッラーのご満悦は両親の満足によって得られる。そして両親の怒りは、アッラーのお怒りを呼ぶことになるのだ。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

そしてこの権利は、例え両親が違う宗教に属していたとしても遵守しなければなりません。初代カリフであったアブー・バクルの娘アスマーゥは、こう言いました:

「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の時代に、シルクの徒だった私の母親が私のもとを訪れました。それで私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)に(彼女とどう接するべきか)相談しました。私は言いました:“私の母親が私の孝行を求めてやって来たのですが、私は彼女によくしてやるべきでしょうか?”(預言者は)言いました:“ああ。お母さんに良くしてやりなさい。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

尚母親は、子供からの親切とよい付き添いにおいて、父親よりも優先されます。教友アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は、ある男が預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のもとにやって来てこう言ったことを伝えています:

「アッラーの使徒よ、私が最も良い関係を保つべき人は誰でしょうか?」(預言者は)言いました:「母親だ。」(男は)言いました:「その次は?」(預言者は)言いました:「母親だ。」(男は)言いました:「その次は?」(預言者は)言いました:「母親だ。」(男は)言いました:「その次は?」 (預言者は)言いました:「母親だ。それから父親だ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

こうして預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、母親に父親の三倍の権利を認めています。これは父親にはない苦労を母親が負っているためです。アッラーは母親を、このように描写しています:

-そしてわれら(アッラーのこと)は人間に、両親に善行を尽くすよう命じた。母親は彼(女)を辛苦をもって身ごもり、また辛苦をもって産み落としたのだ。,(クルアーン46:15)

母親は胎児を宿している際も自らの栄養を与え、出産の折も、そして出産後も、食事を与えたり夜通し世話したりすることにおいて大変な苦労をするのです。

 夫の権利

1-夫の役割は統率です。彼には一家の統率者となる権利がありますが、暴君となってよいわけではありません。彼は家族にとって最も福利の多いと判断した物事を遂行するのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-夫は妻の監督にあたる。アッラーは彼を彼女より上に位置づけられ、また彼は彼女のために自らの財から拠出するのであるから。,(クルアーン4:34)

これは男性が物事の遂行にあたって、一般的に女性よりも理性的であるためでしょう。女性は男性に比べてより感情的と見られます。しかし夫はその妻と物事を相談し合うべきであり、夫婦生活の諸事において彼女の意見を聞かなければなりません。

2-妻は何か罪深いことを命じられるのではない限り、その夫に従わなければなりません。

3-夫が妻を寝室に誘ったら、彼女はそれに応じなければなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

  「夫が妻を寝床に誘っても彼女がそれに応じず、彼が怒りの中にあるままその晩を過ごすとしたら、天使たちはその夜が明けるまで彼女を呪い続けるであろう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

4-妻は夫を、彼が実現することが出来ないような要求でもって苦しめてはなりません。むしろ彼女は夫を満足させ、その願望を叶える努力をするべきです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「もし私が誰かを別の者に跪拝するように命じたとしたら、女性をその夫に向かって跪拝するように命じたであろうに。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

5-妻は夫の財産と子供、名誉を守らなくてはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「最善の女性とはあなたが彼女を見ればあなたを喜ばせ、またあなたが(何か)命じればそれに従い、そしてあなたが留守にすれば彼女自身とあなたの財産を守ってくれるような女性である。」(アン=ナサーイーの伝承)

6-妻は外出の際には、夫の許可を得る必要があります。また彼が好まないような者を、勝手に家に入れたりしてはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「あなた方(男性)には女性に対しての権利があり、女性にはあなた方に対しての権利がある。そしてあなた方の女性に対する権利とは、彼女たちがあなた方の好まない者をあなた方の褥に入れたり、あるいはあなた方の家に入れたりしないことである。そして彼女たちのあなたに対する権利とは、あなた方が衣服や食事において彼女たちに良くしてやることである。」(イブン・マージャの伝承)

初期のムスリムたちは、このような指導をきちんと実践していました。アウフ・ビント・ムフリム・アッ=シャイバーニーは、彼女の娘の結婚前夜にこう助言しています:

「娘よ、あなたは生まれ育った生家を旅立ち、知らない男性であり、親しんだこともない伴侶のもとへ旅立とうとしています。ですからあなたは彼の女中となり、召使となるのです。そしてそれらを遵守すれば彼があなたを大事にしてくれる、十の事柄を守りなさい:満足。服従。美しさに配慮し、芳香を漂わせていること。夫の睡眠と食事に留意すること。夫の財産と子供の世話。夫に反抗しないこと。彼の秘密を守ること。そして彼が心配している時に喜びを表したり、彼が喜んでいる時に悲しみを見せたりしないこと。」

 妻に対する夫の義務

1-マハル(婚姻の際の贈与財):女性は、婚姻の契約の際に明言されるマハルを受領する権利があります。これは婚姻の契約には欠かせない重要な部分であり、例え女性側がそう望んだとしても、完全に免除したりすることは出来ません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして女性たちにマハルを、定められたものとして贈るのだ。そしてもし彼女らが自ら進んでそれを譲るというのなら、それを有難くよい形で頂くのだ。,(クルアーン4:4)

2-公正と平等:もし男性に複数の妻がある場合、彼は彼女たちと平等によい形で接しなければなりません。また飲食物や衣服、住居や共に過ごす時間においても、平等に扱う必要があります。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「二人の妻を有する者でその一方のみを贔屓する者は、審判の日にその体の半分が傾いた状態で現れるであろう。」(アブー・ダーウードの伝承)

3-妻子の扶養:夫は彼らに適切な住居や生活必需品‐飲食物や衣服など‐を供給する他、その能力が許す範囲において生活費を拠出する義務があります。 至高のアッラーはこう仰いました:

-裕福な者はその裕福な物の内から拠出させ、そして(経済的に)恵まれない者はアッラーが彼にお恵み下さった物の内から拠出させるのだ。アッラーは人に、かれが授けられた以上のものを課されることはない。,(クルアーン65:7)

イスラームは家族への扶養を励行する意味で、それを来世において報奨を受ける慈善行為という位置づけをしています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、彼の教友の一人であるサアド・ブン・アビー・ワッカースにこう言いました:

「そして妻の口元に運ぶ一匙(の飲食物)であろうと、あなたが(扶養する者に)費やす物は何であれ施しとなるのである。」(アル=ブハーリーの伝承)

また適切な扶養義務を果たさない夫の妻は、彼の許可なくその財産を利用する権利を有します。ヒンド・ビント・ウトゥバという女性はある時、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)にこう言いました:

「アッラーの使徒よ、(私の夫)アブー・スフヤーンは吝嗇家で、私と私の子供に十分なものを施してはくれません。私は彼の知らないように彼(の財)から取らずにはいられないのです。」すると彼は言いました:「あなたとあなたの子供に十分なものを、適度に取りなさい。」(アル=ブハーリーの伝承)

4-妻を労り、彼女と特別によい関係を保つこと:これは、イスラームが夫に命じている最も重要な事柄の内の一つです。というのも妻は特に愛情を必要としているものであり、夫は僅かな物であっても妻の願望を叶えるべきものであるからです。またこのことは、妻が咎められるべき行いに足を踏み入れることを防止してくれる役割をも果たすことでしょう。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、教友ジャービルにこう言いました:

「ジャービルよ、結婚したか?」ジャービルは言いました:「ええ。」彼は言いました:「(彼女は)初婚か、それとも既婚者か?」ジャービルは言いました:「既婚者です。」彼は言いました:「どうして一緒に遊んだり、笑い合ったり出来る若い乙女と結婚しなかったのか?」(アル=ブハーリーの伝承)

5-妻の秘密を守ること:夫は彼女との私的関係を内密なものとし、彼女の秘密や欠点、その他彼女が他人には知られたくないような事実を暴露してはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「審判の日にアッラーの御許で最悪な位階にある者とは、妻と性的関係を持った後に、彼女の秘密を暴露する者である。」(ムスリムの伝承)

6-妻に優しくすること:夫は彼女を懇ろに扱わなければなりません。彼は両者に関する日常的諸事において彼女に相談し、彼女を幸せにする手段を模索し、言葉や遊びなどを通して愛情表現をするべきです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「最も完成された信仰者とは、最も人格の優れた者である。そしてあなた方の内で最善の者とは、あなた方の妻に対して最善の者である。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

7-妻の間違いに寛容であり、彼女の欠点の粗探しをしたりしないこと:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「信仰者の男性が信仰者の女性を嫌うことがあってはならない。もしその外見が気に入らなかったとしても、別の一面(あるいは他の複数の側面)が彼を満足させてくれるであろう。」(ムスリムの伝承)

8-妻を嫉妬させないようにすること。また、彼女を邪悪で腐敗に満ちたような場所へ連れて行ったりしないこと。至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、あなた方自身とあなた方の家族を地獄の業火(へと招くような事柄)から守るのだ。,(クルアーン66:6)

9-妻の財産を守ること:夫は彼女が許可を与えない限り、その所有物に手を付けたりしてはなりません。また彼女の同意なく、その財産を使用したりしてもいけません。

 親戚の権利

イスラームは人々に援助の手を差し伸べることを命じていますが、親戚に対しては更に特別な配慮を払うことを勧めています。そしてそれは義務的、あるいは任意の施しなどを通して彼らの経済的必要を満たしてやることであったり、あるいは彼らの状況を尋ねたり、親切や同情心をもって接したり、または喜びや悲しみを分かち合ったりすることなどを通して道徳的義務を果たすことであったりします。 至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてあなた方がかれにおいて同情し合うところのお方と、親戚の絆の断絶に対して身を慎め。,(クルアーン4:1)

イスラームは、例えその者が自分に対して親切ではない者であったとしても、近親に対しては親切に接することを命じています。また彼らに何か悪いことをされてもそれを許し、例え感じの悪い者であったとしても、友好的に対することを勧めています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「(真に)近親との良い関係を保つ者というのは、自分がされたことに対して報いる者のことを言うのではない。その関係が途絶えた時に、それをつなぎとめるような者のことを言うのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

またイスラームは、親戚関係の断絶に対して厳しい警告をし、それを大罪の一つと見なしています。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「アッラーが被造物をお造りになり、そして創造を終えられた時、子宮が(何か求めて)立ち上がった。それでアッラーはこう仰った:“何かあるのか?”子宮は言った:“私はあなたに、近親関係の断絶からのご加護を求めて立っているのです。”アッラーはこう仰った:“お前は、われがお前を繋ぎ止める者を繋ぎ止め、お前を絶つ者を絶つということを喜ばないのか?”子宮は言った:「主よ、もちろん喜びます。」アッラーは仰った:“それがあなたへのものだ。”

それからこの伝承を伝える教友アブー・フライラは、クルアーンの次の節を唱えました:

-それではあなた方は(イスラームへのいざないから)踵を返して、地上に腐敗を広め、近親の絆を絶つことを望んでいるのか?,[48](アル=ブハーリーの伝承)

 子供の権利

子供は守られ、その諸事を十分に気遣われ、適切な養育を受け、食事や衣服や住居などの必要を満たされる権利を有します。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「自らが扶養すべき者に対して怠慢である者は、十分に罪深い者である。」(アブー・ダーウードの伝承))

また子供には良い名前を選んで付けるべきです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「あなた方は審判の日に、あなた方の名とあなた方の父親の名で呼ばれるのだ。ゆえに良い名前をつけるがよい。」(アブー・ダーウードの伝承)

また子供は、謙虚さや年長者への敬意、真摯さ、誠実さ、両親への服従といった良い作法でもって躾けられなければなりません。同時に嘘や欺瞞、不実さや盗み、両親への不服従などの悪い言動が染み付かないようにも配慮される必要があります。

また彼らは来世と共に、この現世においても役立つような教育を施されるべきです。そして適切な養育を受け、よい友人と連れ合うようにさせます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「あなた方は皆後見人である。そしてあなた方は皆、その後見下にある者たちに対して責任がある。(組織や集団の)長はその民に対して責任があり、また男は家庭の中における後見人であり、家族に対して責任を持つ。また女性は夫の家における管理者であり、彼女の管理下にある者たちに対して責任を持つ。そして小間使いは主人の財の管理者であり、彼もまたその管理下にあるものに対して責任を持つのだ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また、子供の安全を気遣わなければなりません。これはアッラーに対して、彼らに悪いことを祈ったりしないことも含まれます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「あなた方自身やあなた方の子供、またあなた方の小間使いやあなた方の財産に対して悪いことを祈ってはならない。そして至高のアッラーが望みを叶えて下さる特定の時間帯にそのようなことを行い、それが実現してしまわないようにするのだ。」(ムスリムの伝承)

また子供たちは平等に扱われる権利があります。親は、彼らの内の特定の者だけに何かを与えたりしてはなりません。このような贔屓は両親に対する子供の不服従につながり、親に対する嫌悪感を煽る結果ともなり得るでしょう。教友アン=ヌゥマーン・ブン・バシールは、こう伝えています:

「私の父は、私に彼の財産の一部を施しとして贈与しました。しかし私の母アムラ・ビント・ラウワーハはこう言いました:“私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がその(行為についての)証人となるまで、それに同意しません。”それで父は彼が私に贈与した物に関して証人になってもらうため、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとに赴きました。そして預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:“あなたは、あなたの子供全員に(彼に与えた物と)同様の物を与えたのか?”父は言いました:“いいえ。”するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“アッラーを畏れよ。そしてあなたの子供たちに対して公正であれ。”それから父は戻ると、その施しを撤回しました。」(ムスリムの伝承)

 隣人の権利

イスラームはあらゆる側面において、隣人に良くすることを命じています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてアッラーを崇拝し、かれと共に何ものをも配してはならない。そして両親と近親と孤児、恵まれない境遇にある者たち、また近い隣人と遠い隣人、そして近しい仲間と旅路(で苦境)にある者、あなた方の右手が所有する者(奴隷)に対して善行を施すのだ。実にアッラーは、自惚れ屋の高慢な者を愛で賜らない。,(クルアーン4:36)

そして隣人を言葉や行いでもって害することは、禁じられています。教友アブー・フライラはこう伝えます:

「ある者がアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)に、こう言いました:“何某という女性は日中は断食し、夜中は礼拝して過ごしますが、その言葉でもって隣人を害します。”すると彼は言いました:“彼女には全く良い所がない。彼女は地獄の業火にある。”そしてまたある者が彼に、こう言いました:“何某という女性は義務の礼拝とラマダーンの断食だけ行い、何かけらかの乾燥乳を施すのみですが、誰のことも言葉で害したりはしません。”すると彼は言いました:“彼女は天国にある。”」(アフマドとアル=ハーキムの伝承)

イスラームにおいて、隣人は非常に高い地位と権利を与えられているのです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「もしかすると遺産相続までさせるのでは、と私が訝るほどに、ガブリエル(ガブリエル)は私に隣人への善行を命じ続ける。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また隣人を害することは、信仰の無効化にすら繋がり得ます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「アッラーにかけて、(そのような者は)信仰していない。アッラーにかけて、(そのような者は)信仰していない。アッラーにかけて、(そのような者は)信仰していない。」(教友たちは)言いました:「一体誰のことですか、アッラーの使徒よ?」(預言者は)言いました:「隣人を害して安心させることがないような者のことだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

また預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は隣人の権利について質問され、それについてこう定義づけています:

「至高のアッラーの御許で最善の伴侶とは、その伴侶に対して最善の者である。そして至高のアッラーの御許で最善の隣人とは、その隣人に対して最善の者である。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

またムスリムは隣人に悪い目を受けても、それに忍耐強くなければなりません。そしてそのような者に対しても親切に、寛大に接するべきとされます。ある男は、教友イブン・マスウードにこう言いました:

「私の隣人は私を害し、罵り、嫌がらせをします。」彼は言いました:「行きなさい。その男があなたのことでアッラーに従わなくても、あなたは彼のことでアッラーに従うのだ。」(イフヤー・アル=ウルームッディーン:2/212)

隣人には三つの種類があります:

1) 親戚の隣人:この類の者は三つの権利を有します。つまり親戚としての権利、隣人の権利、そしてムスリムとしての権利です。

2) ムスリムの隣人:この類の者は二つの権利を有します。つまり隣人の権利、そしてムスリムとしての権利です。

3) 非ムスリムの隣人:この類の者は一つの権利を有します。つまり隣人としての権利です。教友アブドゥッラー・ブン・アムルはある時羊を一頭料理しましたが、料理をしている者のもとにやって来るとこう言いました:

「ユダヤ教徒の隣人にはおすそ分けしたか?ユダヤ教徒の隣人にはおすそ分けしたか?私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞いたのだ:“もしかすると遺産相続までさせるのでは、と私が訝るほどに、ガブリエル(ガブリエル)は私に隣人への善行を命じ続ける。”」(アッ=ティルミズィーの伝承)

 友人や仲間の権利

イスラームは、友人の必要に気を配ることを励行しています。そして援助や真摯な助言など、彼らに対してのある種の権利を満たしてやることを命じています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「至高のアッラーの御許で最善の伴侶とは、その伴侶に対して最善の者である。そして至高のアッラーの御許で最善の隣人とは、その隣人に対して最善の者である。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

友人や仲間はその死後に及んでも、その権利を満たされる必要があります。ある時バヌー・サラマ族の男がやって来て、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)にこう尋ねました:

「両親の死後も出来る親孝行はありますか?」預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「ああ。彼らのために葬儀の礼拝をし、罪の赦しを乞い、彼らの(生前の)約束を果たすことだ。また彼らを通してつながる近親関係との絆を保ち、彼らの友人たちに誉れを与えることだ。」(アブー・ダーウードの伝承)

 客人の権利

イスラームでは、客にはもてなされる権利があることを認めています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「アッラーと審判の日を信ずる者は、隣人を厚遇せよ。そしてアッラーと審判の日を信ずる者は、客人を誉れでもって手厚くもてなすのだ。」ある者が言いました:「アッラーの使徒よ、誉れとは何ですか?」彼は言いました:「(最初の)一昼夜のことだ。もてなしは三日間であり、その後(のもてなし)は施しである。そしてアッラーと審判の日を信ずる者は、よいことを喋るか、さもなくば黙っていよ。」(アル=ブハーリーの伝承)

イスラームは客をもてなすことを、それでもって来世での報奨が期待される一つの善行としています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「(馬の)手綱を握りしめてアッラーの道に奮闘し、人々の悪を避ける者のような者(とその徳において並ぶ者)はいない。また遊牧地で羊を飼い、客にもてなしをし、その義務を果たすような者(とその徳において並ぶ者)はいない。」(アフマドとアル=ハーキムの伝承)

イスラームは客といかに接するかという手法についても、描写しています。客を接待する者は朗らかに丁重な挨拶をし、よい形で対応することが求められます。

そしてその一方で、客の側も接待する側の状況を考慮しなければなりません。その者に大きな負担をかけるようなことは避けるようにします。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「ムスリムはその同胞を罪に陥れるまで、彼のもとに滞在することを許されない。」人々は言いました:「アッラーの使徒よ、罪に陥れるとはどういうことでしょう?」彼は言いました:「もてなす物が何もないような者のもとに留まることである。」(ムスリムの伝承)

イスラーム中世の大学者イマーム・アル=ガザーリーはその著「イフヤー・アル=ウルームッディーン(宗教諸学の再生)」で、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)についてこう記しています:

「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はその客人や訪問者をもてなしましたが、時には近親や乳親族[49]でない者に対しても自らの衣を広げてその上に腰を下ろさせたりしたものでした。また訪問者には自ら使用していたクッションを差し出し、もしそれを断るような事があれば、そうするように強く勧めました。彼のもてなしを受けた者は皆、彼以上に寛容な人物を見出すことがありませんでした。また彼は全ての訪問者に注意を払い、彼の座り位置や傾聴、話の仕方や善良な性質、そして体の向き加減などは常に彼らに向けられていました。そしてそれにも関わらず、彼との会合は誠実さと羞恥心に溢れた、慎み深いものでした。また彼はその同士を尊重し、クンヤ[50]で呼んだものでした。…彼は怒ることも滅多になく、それどころか何事にもすぐ満足する人でした。」

 雇用に関する権利

労働や雇用に関しても、イスラームは雇用者と従業員あるいは労働者間の関係を定める原則と指針を提供しています。

 労働者あるいは従業員の権利

イスラームは雇用者と従業員あるいは労働者間の関係が、兄弟愛と平等、尊厳という原則の上に成立しなければならない、とします。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「あなた方に仕える者たちは、アッラーがあなた方の配下に置かれたあなた方の同胞である。ゆえに同胞の世話を任せられている者は、自分が食べている物を彼にも与え、また自分の着る物を彼にも与えるのだ。そして彼らが担えないほどの負担を課してはいけない。もしそうするのであれば、彼らを助けてやるのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

またイスラームは、彼らが報酬を手に入れることを保障します。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、至高のアッラーがこう仰ったと伝えました:

「(次の)三者には、われ(アッラーのこと)が審判の日にその敵対者となるであろう:わが御名のもとに約束しておいて、騙す者。また自由民を売り、その利益を貪る者。そして人を雇い、その者が(依頼した)仕事を完遂したにも関わらず、賃金を支払わない者。」(アル=ブハーリーの伝承)

また報酬の額や内容は、仕事を開始する前に決定するよう命じられています。アフマドが伝える伝承によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は報酬において合意する前に人に働かせることを禁じました。

またイスラームは、仕事が終わりしだい報酬を払うことを命じています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「雇った者には、その汗が乾く前にその報酬を払うのだ。」(イブン・マージャの伝承)

また労働者は、その能力以上の物を課せられるべきではありません。もし雇用者がそのようなことを要求するのならば、彼は労働者に特別な報酬を与えるか、あるいは自ら彼を手伝わなければなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「彼らが担えないほどの負担を課してはいけない。もしそうするのであれば、彼らを助けてやるのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は労働者の栄誉と尊厳を確認すべく、最善かつ最も潔白な稼ぎは合法な手段でもってなされる労働である、と述べました。彼は言いました:

「自らの手で稼いだ物によって食べる者より、良い物を食べる者はいない。アッラーの預言者ダヴィデ‐彼に平安あれ‐は、自らの手で稼いだ物によって食べていたのである。」(アル=ブハーリーの伝承)

また労働を励行すべく、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「私の魂がその御手に委ねられているお方にかけて。恵んで貰えるかどうかに関わらず人に物乞いなどするよりは、(糧を稼ぐために)綱をもって背中に薪を背負う方が良いのである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

 雇用者の権利

イスラームは雇用者が労働者や従業員に彼らの権利を満たすことを要求する一方、労働者も雇用者の権利を守ることを命じています。労働者は雇用者との間で合意した仕事を、遅延や失敗などすることなく、良い形で遂行しなければなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「実にアッラーはあなた方が何かを行う時には、それを完遂することを愛されるのだ。」(アブー・ヤァラーの伝承)

人々が合意した仕事を誠実にきちんと遂行すべく、イスラームはそのように遂行された仕事の報奨を最善の収入としました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言っています:

「最良の稼ぎとは、誠実さをもって自ら働いて稼いだ物である。」(アフマドの伝承)

 その他の一般的権利と義務

イスラームはその同胞がどこにあろうと、その状況に配慮を払わなければならないとしました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言っています:

「信仰者たちが互いに慈しみ合い、愛し合い、同情し合うのは、まるで一つの体のようである。体のある部分が痛みを訴えれば、他の部分が不眠と熱に冒されながら、彼の(看病の)ために寄り集まって来るのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

またイスラームは状況改善のために、努力奮闘することを教えます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「自らの欲するものをその同胞にも欲するようにならなければ、本当に信仰したことにはならない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

またイスラームは同胞が災難や苦悩の中にある時、慰めてやることを義務付けています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「信仰者と信仰者の関係は、互いに補強し合って立つ一軒の建築物のようである。」そして(預言者は)両手の指を組み合わせました。(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また戦いの折には、必要ならば援助の手を差し伸べなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-もし彼ら(マディーナに移住せずにマッカに残存したムスリムたち)が宗教においてあなた方に援助を求めて来たら、あなた方は彼らを援助しなければならない。但し(そうすることで)あなた方と彼らの間に盟約のある民に抵触する場合は別である。アッラーはあなた方の行うことを全てお見通しなのだ。,(クルアーン8:72)

同胞が苦境にあるのに知らん顔をするのは、イスラームでは禁じられています。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、ムスリムがその抑圧された同胞を援助するよう命じました(アル=ブハーリーの伝承)。

 イスラームの道徳的側面

イスラームは道徳を完全なものとし、それを高い地位にまで押し上げました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「私は高徳を完遂するために遣わされたのである。」(アル=ハーキムの伝承)

またイスラームは全ての良き作法を奨励し、全ての悪く見苦しい作法を禁じています。至高のアッラーはこう仰いました:

-許しの心を持ち、善を命じ、無知な者たちから遠ざかれ。,(クルアーン7:199)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、ある時こう言いました:

「破産者とは誰のことか知っているか?」人々は言いました:「私たちの内の破産者と言えば、金銭も財もない者のことです。」すると彼は言いました:「私の共同体の破産者とは、審判の日に礼拝や喜捨や断食(をしたことによる報酬)を携えて来ながら、また同時に誰某の悪口を言ったり、名誉を毀損したり、人の命を(不当に)奪ったり、あるいは殴ったりしていた者のことである。そして(その日、彼から害を受けていた)誰某には彼の善行から(差し引かれて)与えられ、また誰某にも彼の善行から与えられ、そしてまだ裁きが終わっていないにも関わらず(現世で蓄えて来た)彼の善行が尽きると、今度は彼らの悪行が彼に与えられ、終いには地獄の業火に放り込まれるのだ。」(ムスリムの伝承)

イスラームはムスリムが他人、あるいは社会といかに関係を持つべきかを教えてくれています。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「非合法な物事から身を慎め、そうすれば最高の崇拝者となろう。アッラーがあなたに授けて下さった分だけで満足せよ、そうすれば最も裕福な者となろう。隣人に懇を尽くせ、そうすれば真の信仰者となろう。また自らに望むことを人々にも望め、そうすれば真のムスリム(イスラームの教えを受け入れた者)となろう。そして笑い過ぎるな、笑い過ぎは心を殺してしまうから。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

また彼はこのように言ってもいます:

「真のムスリムとは、他のムスリムをその口と手でもって害さないような者である。そして真のムハージル[51]とは、アッラーが禁じられた物事を放棄する者である。」(アル=ブハーリーの伝承)

イスラームは、個人間に互いへの愛情と慈しみの念が芽生えるような、よく調和した社会の形成を目標とします。そしてそれはイスラームの教えが命じたことを遂行し、禁じたことを回避することで達成されるのです。イスラームが禁じている物事を以下に挙げていってみましょう: 

1-シルク:アッラーの主性、あるいはかれに向ける崇拝行為において、かれに何か別のものを並べること。至高のアッラーはこう仰いました:

-実にアッラーはシルクをお赦しにはなることはないが、それ以外のことはお望みになればお赦しになられる。,(クルアーン4:116)

2-魔術:アブー・フライラは、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言ったと伝えています:

「破滅的な罪を避けよ:つまりシルクと魔術を。」(アル=ブハーリーの伝承)

3-不正や抑圧、他人の権利の侵害:アッラーはこう仰いました:

-言え、「実に私の主は、露わであるか密であるかを問わずあらゆる醜行と、罪悪と、正当な理由もなく法を越えることを禁じられた。」,(クルアーン7:33)

4-殺人:但し刑罰のためなど、合法的なものはこの範疇に入りません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして信仰者を意図的にあやめた者の報いは、地獄の業火である。彼はそこに永遠に留まるのだ。そしてアッラーは彼をお怒りになり、彼をそのご慈悲から遠ざけられる。そして彼には、もう一つのこの上ない懲罰を用意したのである。,(クルアーン4:93)

また自らの生命や財産や名誉を守るために殺してしまったり、あるいは殺されてしまったような場合は、この禁止の中には入りません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「自らの財産を守るために殺された者は、殉教者である。また自らの家族や生命や宗教を守るために殺された者は、殉教者である。」(アブー・ダーウードの伝承)

5-家族や親類の縁を断絶すること:アッラーはこう仰いました:

-それではあなた方は(イスラームへのいざないから)踵を返して、地上に腐敗を広め、近親の絆を絶つことを望んでいるのか?そのような者たちこそはアッラーが呪われ、その聴覚と視覚とを封じられた者たちである。,(クルアーン47:22-23)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、こうも言っています:

「近親関係の絆を絶つ者は、天国に入らない。」(ムスリムの伝承)

近親関係の絆を絶つ、とは彼らに対して倣岸に振舞ったり、自分が裕福でありながら彼らの内の弱者や貧者を助けなかったりすることや、また彼らを訪問しなかったり、彼らの必要を無視したりするような態度も含まれて来ます。人は近親関係にはない貧者に慈善行為をすれば報奨を得ますが、もし近親関係にある貧者に同様のことをすれば、慈善行為そのものによる報奨の上に近親に対する関係強化による報奨をも得ることになります。またもし自分自身が経済的に恵まれないのであれば、少なくとも挨拶や親切や、その他諸々の気遣いなどによって近親関係の強化に努めるべきでしょう。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「近親関係の絆を堅く繋ぎとめよ。例えそれが挨拶一つであっても。」(アッ=バッザールの伝承)

6-卑猥なことと姦淫、及びそれらの原因となるあらゆる物事:アッラーはこう仰いました:

-そして姦淫には近づくな。それは醜悪なものであり、悪い道である。,(クルアーン17:32)

またアッラーはその御言葉の中で、姦淫を働いた者の刑罰を明らかにしています:

-男女の姦淫者は各々、百回の鞭打ちに処すのだ。もしアッラーと最後の日を信じているのであれば、アッラーの宗教において彼らへの哀れみに囚われてはならない。そして信仰者の一部を彼らへの懲罰の証人とさせるのだ。,(クルアーン24:2)

ちなみにこれは結婚歴のない姦淫者に対する刑罰で、一方既に結婚歴のある姦淫者の刑罰は投石による死刑です。

尚この刑罰はイスラーム以前の宗教においても定められていました。マディーナのユダヤ教徒はある日、姦淫を働いたユダヤ教徒の男女の処遇に関し、アッラーの使徒に見解を求めたことがありました。

それで彼は彼らに言いました:「あなた方の内で最も知識に優れた者二人を連れて来なさい。」そして彼らがあるシリア人の二人の息子を連れて来ると、彼らにこう訊ねました:「これらの二人の(私通を犯した)者に関し、あなた方はトーラーの中にいかなる判決を見出すのか?」彼らは言いました:「彼らの件に関しては、ちょうどコフル[52]をその容器にしまう時のように、彼の男性器が彼女の女性器に入っているのを四人の者が証言したら、投石の刑に処します。」彼は問いました:「では、なぜ彼らを投石の刑に処さないのかね?」彼らは言いました:「私たちの権威がなくなり、それではないものによって死刑宣告することを強制されたからです。それからアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は証人を呼び、四人の者が連れて来られ、彼らはその男性の性器がその女性の性器の中に、ちょうどコフルをその容器にしまう時のように挿入されていたことを証言しました。それで彼は、彼らを投石の刑に処するよう命じたのです。(アブー・ダーウードの伝承)

投石の刑の判決が確定するには、以下に示す二つのいずれかの条件が満たされなければなりません。

①姦淫を犯した男性、あるいは女性がその罪を自白した場合、罰せられます。

アブー・フライラは言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がモスクの中にいる時、ある民のもとから一人の男がやって来ました。男は彼にこう言いました:「アッラーの使徒よ、私は私通を犯してしまいました。」彼は男からそっぽを向きましたが、男は彼が顔を向けた方に回ると、言いました:「アッラーの使徒よ、私は私通を犯してしまいました。」すると再び彼は男からそっぽを向きましたが、男は彼が顔を向けた方にまた回りこむと、こう言いました:「アッラーの使徒よ、私は私通を犯してしまいました。」そして彼はまた男からそっぽを向きましたが、男はまた彼が顔を向けた方に回りこみました。こうして男が自分自身の私通を四度証言した時、預言者は言いました:「あなたはおかしいのか?」男は言いました:「いいえ、アッラーの使徒よ。」預言者は言いました:「あなたは既婚者か?」男は言いました:「ええ、アッラーの使徒よ。」それで預言者は言いました:「彼を連れて行き、投石の刑に処しなさい。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

②四人の公正な男性の証人が、告発した容疑者の男性の性器が女性のそれに挿入されたのを目撃したと証言した場合。これは実現するのがほぼ不可能であり、このようなことが起こるとすれば、それは姦淫者が公けの場でそのような罪をあからさまに敢行したことを意味します。そしてイスラームの歴史を通じて、この厳しい刑罰がその実施を見たのはほぼ皆無といってよいほどでした。そして実施されたものといえば、当人の自白によるものだったのです。姦淫罪の刑罰はその行為の重大さを示していますが、それはその過酷さによって社会を悪と腐敗から守り、また社会の破滅や血筋の喪失、相続や婚姻の関連する諸問題が発生することに対して予防策を打つためでもあるのです。またこの抑止力により、社会を様々な病や伝染病などから守ることも出来ます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「ムハージルーン(聖遷した者たち)よ、あなた方が五つの試練に遭う時-私はあなた方にそれが降りかからないよう、アッラーのご加護を乞うが‐、ある民のもとで醜行が公けに行われるようになり、そしてアッラーは彼らの間に、それ以前の者たちが味わうことがなかったような伝染病と苦痛を蔓延させるであろう…。」(イブン・マージャの伝承)

尚姦淫の内でも最悪の形は、近親相姦です。

またイスラームは男性同士の同性愛行為も禁じています。アッラーはロトの民の話に関して、このように言及しています:

-そしてわれら(アッラーのこと)の定めが訪れた時、われらは(ロトの民の)村を逆様に転覆させ、その上に焼け石からなる硬い石の雨を間断なく降らせた。(それらは)主の御許からのもので、その各々には印が付いていた。それは決して(お前たち)不正者たちから遠い日の出来事ではないのだぞ。,(クルアーン11:82-83)

また女性同士の同性愛行為も同様に禁じられており、このような罪深い行為を撲滅するための特定の刑罰が定められています。

7-孤児の財産に不当に手をつけること:このような行為は、貧者の権利の侵害と見なされます。至高のアッラーはこう仰いました:

-実に孤児らの財を不正にむさぼる者たちは、炎を食べてそれを腹の中に詰め込んでいるのである。そして彼らは地獄の烈火の中に入ることになるのだ。,(クルアーン4:10)

但しこの厳しい警告にも例外があります。つまり孤児の面倒を任された者で経済的に恵まれない者は、その監督下にある孤児の財産から需要を満たすだけの額を手にすることが許されています。これは孤児の面倒を見、養育し、衣服を買い与えることの見返りです。また孤児の面倒を任された者は、その財産を運営してその増加を試みることも出来ます。至高のアッラーはこう仰いました:

-…そして裕福な者には(孤児の財産において)慎み深くさせ、貧しい者には適度に利用させるようにせよ。,(クルアーン4:6)

8-嘘の宣誓や偽証:は、非常に重い罪とされます。これはそれが社会にもたらす有害な結果ゆえで、そのようなことによって人々の権利は侵害され、不正が蔓延してしまうからです。また嘘の宣誓や偽証は証言をされた側の者にも有害である‐不正によって彼を援助してしまうことになるため‐ばかりか、無実の被害者の権利を蹂躙するという被害を生じさせることにもなります。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「大罪の内でも最大のものを教えようか?」(人々は)言いました:「ええ、アッラーの使徒よ。」(預言者は)言いました:「アッラーに対してシルク[53]を犯すこと、そして親不孝だ。」そして(預言者は)座ると、寄りかかってこう言いました:「そして虚言(もその内の一つ)である。」(伝承者は)言いました:「そして彼(預言者)は、私たちが“もう黙ってくれたらいいのに”と思うまで、それを繰り返し言い続けました…。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

9-賭け事:はイスラームにおいて財産の浪費であるばかりでなく、社会的にも個人的にもいかなる利益ももたらさない無駄な体力の消費と見なされています。至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、酒と賭け事、偶像とアル=アズラーム[54]は悪魔の行いであり、不浄である。ゆえにそれらを避けるのだ。(そうすれば)あなた方は成功するであろう。,(クルアーン5:90)

もし賭け事で勝てば、それは他人の財産の不当な占有となります。また勝った時の喜びは、更なる勝利を求めるがゆえに人を詐欺行為へと追いやってしまうかもしれません。一方賭け事で負ければ、彼は自らの財産を利益のない物事に費やしたことで、その財産を不当に扱ったことになります。そしてもし彼が一銭も無くなってしまったら、その損失は彼を盗みなどへの犯罪と追いやってしまうかもしれません。そして更にはその損失を取り返すがために、賭け事を継続することも考えられます。

10-追いはぎ、略奪、殺人、無実な者の脅迫など:このようなことは全て、社会を恐怖に陥れ、平和と安全を乱す行為です。至高のアッラーはこう仰いました:

-(不信仰から)アッラーとその使徒(の仲間)に争いをしかけ地上に腐敗をもたらす輩は、死刑、あるいは磔の刑、あるいは手足の交互切断刑、あるいは追放刑に処される。これらは現世における彼らへの懲罰であるが、来世においてはこの上ない懲罰が彼らを待ち受けているのだ。,(クルアーン5:33)

刑の判決は犯罪の種類によって異なります。教友イブン・アッバースは、殺人と略奪を働いた追いはぎは死刑と磔刑、殺人のみの場合は死刑のみ、殺人なしの略奪は片方の手足を互い違いに切断する刑、そして略奪には至らなくても通行人を恐怖に陥れるような者たちに関しては流刑という見解を明らかにしています。(アル=バイハキーの伝承より)

  11-嘘の誓い:とは他人の権利を侵害する目的で故意に行うもので、それを行う者は地獄の業火での懲罰を警告されています。至高のアッラーはこう仰いました:

-アッラーとの契約と彼らの誓約を僅かな代価で売ってしまうような者には、来世において何の取り分もない。そしてアッラーは審判の日に彼らにお言葉をかけても下さらなければ、お目をかけても下さらず、また彼らを(その罪から)清めて下さることもない。そして彼らには痛ましい懲罰があるのだ。,(クルアーン3:77)

またまたアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、このようにも言っています:

「(嘘の)誓いでもってムスリムの権利を得る者には、アッラーが地獄の業火を定め、そして天国を禁じられよう。」するとある者が彼に言いました:「アッラーの使徒よ、それが僅かな物であったらどうですか?」(預言者は)言いました:「例えそれがアラーク[55]の枝一本であっても、である。」(ムスリムの伝承)

12-自殺:至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてあなた方自身を殺してはいけない。実にアッラーはあなた方に対し、慈悲深いお方であられる。,(クルアーン4:29)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、このようにも言っています:

「何かでもって自殺する者は、審判の日にそれでもって罰される。」(ムスリムの伝承)

13-嘘、詐欺、約束の破棄: 至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰者たちよ、アッラーと使徒を裏切ってはならない。そしてそうと知りつつ、あなた方の信託を破ってもならない。,(クルアーン8:27)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「それが全て当てはまれば完全な偽善者となるところの、四つの性質がある。そしてそれらの内一つの性質でも当てはまれば、(その者は)それを放棄するまで偽善者の要素が一つ内在しているということになるのだ:(その四つとはつまり)信用されれば裏切ること、話せば虚言を吐くこと、約束すればそれを破ること、そして議論すれば荒々しく傲岸に振舞うことである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

またハディース学の大家ムスリムの同じ伝承によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の言葉には以下のような付け加えがあります:

「…例えその者が礼拝し、断食し、自分自身をムスリムと思っていたとしても。」

14-他のムスリムを排斥したり、互いに嫉妬し合ったりすること:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「互いに憎しみ合ってはならない。互いに妬み合ってもならない。そして互いに背中を向けて背き合ってもならない。しかしアッラーのしもべであり、同胞であれ。ムスリムがその同胞を三日以上遠ざけることは許されないのだ。」(ムスリムの伝承)

15-呪ったり、下品な言動を取ったりすること:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「信仰者というものは他人を呪いもしなければ中傷もせず、また下品なことや汚い言葉も口にしないものである。」(アフ マドとアッ=ティルミズィーの伝承)

ムスリムは敵に対してでさえも、彼らに災いが降りかかることを祈るのではなく、アッラーの導きを祈願するように勧めています。アブー・フライラは、ある時アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう頼まれたと伝えています:

「アッラーの使徒よ、不信仰者たちに災いをお祈り下さい。」すると彼はこう応えました:「私は人を呪うために遣わされたのではない。慈悲として遣わされたのである。」(ムスリムの伝承)

16-吝嗇:富はアッラーにこそ属しているのであり、人間はそれを自分自身や扶養すべき者たち、または恵まれない同胞らに費やすことを託されているに過ぎません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は吝嗇さという卑しい性質に関し、アッラーのご加護を祈ったものでした:

また預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、吝嗇さが社会にもたらす結果をこのように描写しています:

「不正から身を慎め。実にそれは審判の日の闇となろう。そして吝嗇さから身を慎め。それはあなた方以前の者たちを滅ぼし、人々を流血と非合法な物事の合法化へと導いたのだから。」(ムスリムの伝承)

そしてイスラームは、援助を求める貧しい同胞を見捨てるような豊かなムスリムを、真の信仰から非常に遠い場所にある者と見なします。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「最悪の病とは、吝嗇である。」(アフマドの伝承)

17-無節制と乱費:至高のアッラーはこう仰いました:

-そして近親の者と恵まれない者と旅人に、施すのだ。しかし浪費するのではない。実に浪費する者は悪魔の同胞であり、そして悪魔はその主に対してこの上なく恩知らずなのであるから。,(クルアーン17:26-27)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「至高のアッラーはあなた方に母親への親不孝と、義務付けられている物事の不履行及び不当な権利要求、また女子の嬰児を生き埋めにして殺してしまうことを禁じられた。そしてかれはあなた方が噂話にかまけたり、不必要に質問ばかりしたり、また財産を無駄にすることを厭われるのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

18-宗教における過激さと極端さ:至高のアッラーはこう仰いました:

-アッラーはあなた方に易きを求め、難きを望まれない。,(クルアーン2:185)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「実にイスラームは易しいものである。そして宗教を厳しくする者は、それによって押し潰されてしまうのだ。ゆえに正しくあるように努め、出来ることを行い、人を喜ばせ、朝夕と夜の一部にアッラーにご援助を乞うのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

19-自惚れと驕慢さと虚栄心:至高のアッラーはこう仰いました:

-そして奢り高ぶって人々から頬を背けてはならず、地上を高慢に歩いてはならない。アッラーはいかなる驕慢な自惚れ屋も愛でられないのだ。そして節度をもって歩み、声を低めよ。最も醜悪な声とは、ロバの鳴き声であるのだから。,(クルアーン31:18-19)

驕慢さについて、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「からし種一粒ほどでも心に思い上がりのある者は、天国に入らない。」するとある者が言いました:「アッラーの使徒よ、人はその衣服や靴が綺麗であることを愛するものです。」アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:「実にアッラーこそは最も美しいお方であり、ゆえに美を愛される。思い上がりとは真理の否定であり、人々を軽んじることなのだ。」(ムスリムの伝承)

また自惚れや虚栄心について、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言います:

「衣服を奢り高ぶって長くたらしている者は、審判の日にアッラーが見守って下さることはないであろう。」(アル=ブハーリーの伝承)

20-スパイ行為、人の詮索、邪推、陰口:至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、邪推を多く行うことを避けよ。実にある種の邪推は罪なのである。そして互いに詮索し合ったり、陰口を叩き合ったりしてはならない。あなた方は同胞の屍肉を口にすることを望むのか?いや、(断じてそうではなく)そのようなことは厭うことであろう。アッラーから身を慎め。実にアッラーはよく悔悟をお受け入れになり、慈悲深いお方なのであるから。,(クルアーン49:12)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「陰口とは何か知っているか?」彼らは言いました:「アッラーとその使徒こそがよくご存知です。」彼は言いました:「(陰口とは)同胞が言われるのが嫌なことを、言及することである。」彼らは言いました:「もしその同胞が私の言う通りであったとしたら、いかがですか?」彼は応えました:「彼があなたの言う通りであったのなら、それこそが陰口である。そしてもしそうでなかったのなら、それは嘘を言ったことになるのだ。」(ムスリムの伝承)

21-盗み聞き:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「嫌がられていたり、あるいは避けられたりしているにも関わらず他人の話に聞き耳を立てる者は、審判の日に溶けた鉛をその耳に注がれよう。」(アル=ブハーリーの伝承)

22-他人の不幸を喜ぶこと:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「同胞の不幸を喜ぶのではない。そうすればアッラーは彼にご慈悲をおかけになり、あなたのことは試練にかけられるであろう。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

23-関係のないことに首を突っ込むこと:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「自分にとって関係のないことに首を突っ込まないことは、人のイスラームの良さ(を示す一つの目安)である)。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

24-悪い綽名を付けたり、あるいは言葉や行為や仕草などによって他人を嘲笑すること:他人を軽視したり、嘲ったりすることはイスラームで禁じられています。至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、人々に他の者たちを蔑ませてはならない。(蔑まれている)その者たちの方が、(蔑んでいる)彼らより優れているかもしれないのだから。また女性たちに他の女性たちを蔑ませてもならない。(蔑まれている)その女性たちの方が、(蔑んでいる)彼女らよりも優れているかもしれないのだ。また互いの欠点を突付き合ったり、(好ましくない)仇名で呼び合ったりしてもならない。,(クルアーン49:11)

25-人を裁く際に不正を働くこと:イスラームにおいて裁決を下すという行為は、アッラーの法の実践を意味します。人は法の制定ではなく、ただその実施を任されているだけなのです。もし人を裁く者が不正を働いたとしたら、彼は彼に委ねられた信託を裏切ったことになります。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてアッラーの下されたもの(イスラーム法)以外のもので裁く者こそは、不信仰者なのである。,(クルアーン5:44)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「裁き手には三種類ある:内二人は地獄行きで、一人が天国に入るのだ。(つまり)判決において知りつつ不正を働いた者は地獄に落ち、無知でもって人の間を誤って裁いた者もまた地獄に落ちる。そして真理でもって裁いた者は、天国に入るのだ。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承)

  26-不貞:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「偉大なるアッラーが審判の日にお目をかけて下さらない三種の者:親不孝な者。男性のような格好をする女性。不貞を働く者。」(アン=ナサーイーの伝承)

27-異性の真似:教友イブン・アッバースはこう伝えています:

「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は女性のような格好をする男性と、男性のような格好をする女性を呪った。」(アル=ブハーリーの伝承)

28-他人に恩着せがましくすること:至高のアッラーはこう仰っています:

 -信仰者よ。人々に対する見栄のために施す輩のように、恩を着せたり、見栄を張ったり、また悪い思いをさせたりすることでサダカ(施し)を無駄にしてはいけない…,(クルアーン2:264)

29-一旦贈った物を撤回すること:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「(一旦与えた)贈り物を取り戻そうとする者は、自らの吐瀉物を再び口にしようとする犬のようなものである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

30-悪い意図をもって他人の話を言いふらすこと:つまり悪い意図を抱きつつ、ある者たちの関係が悪くなることが見込まれるような言葉を話して回ることです。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして無闇矢鱈に誓いの言葉を口にする者や下劣な者、人の欠点を好んで話す者や人の悪い話を言いふらして回る者に従うのではない。,(クルアーン68:11)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「人の悪い話を言いふらして回る者は、天国に入らない。」(ムスリムの伝承)

悪い意図のもとに成り立つ集まりが、陰口の井戸端会議と化すのは周知の事実です。それは人々の間に敵意と憎悪を催させ、仲違いの原因を作ります。これこそはアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)が以下のような言葉でもって、禁じたことなのです:

「ムスリムは、会えば背き合うようにして、その同胞を三夜以上避け続けることは許されない。そして彼らの内、先に挨拶を始める方がより優れているのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また他人の悪評を言いふらすことは、その話の真相を確認するためにある人々をスパイ行為に走らせる可能性もあります。また他の様々な罪悪がそれによって惹起されることもありますが、これこそがアッラーがこう仰って禁じられたゆえんなのです:

-…実にある種の邪推は罪なのである。そして互いに詮索し合ったり、陰口を叩き合ったりしてはならない。,(クルアーン49:12)    

31-弱者に対する尊大さ:弱者とは病気や障害、老衰といった身体的問題から生じるものかもしれませんし、あるいは貧困や地位の低さなど、経済的・政治的問題から生じる場合もあります。しかし社会は慈悲と愛と友愛のもとに成り立たなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてアッラーを崇拝し、かれと共に何ものをも配してはならない。そして両親と近親と孤児、恵まれない境遇にある者たち、また近い隣人と遠い隣人、そして近しい仲間と旅路(で苦境)にある者、あなた方の右手が所有する者(奴隷)に対して善行を施すのだ。実にアッラーは、自惚れ屋の高慢な者を愛で賜らない。,(クルアーン4:36)

32-遺言などによって、故意に法定遺産相続人を害しようとすること:あるいはなるべく相続額を減らすために、債務があるなどと嘘の主張をしたりすることです。至高のアッラーはこう仰いました:

-…(そしてこれらの分配は)その者がした害悪のない遺言と(抱えていた)債務の清算後のことである。,(クルアーン4:12)

 飲食物や衣服に関しての禁止事項

1-酩酊を催させる物質の摂取:その摂取の仕方はどうあれ、イスラームは酒類や麻薬など、あらゆる種類の酩酊物質の摂取を禁じます。至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、酒と賭け事、偶像とアル=アズラーム[56]は悪魔の行いであり、不浄である。ゆえにそれらを避けるのだ。(そうすれば)あなた方は成功するであろう。悪魔は酒と賭け事をもって、あなた方の間に敵意や憎悪をもたらし、そしてあなた方をアッラーのズィクル(念唱、想起)やサラー(礼拝)から遠のけたいのである。一体あなた方は(それらを)止めないというのか?,(クルアーン5:90-91)

このような有害なものを売りさばいたり、その普及に肩入れするような者たちを阻止するべく、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「アッラーは酒とそれを注ぐ者、そしてそれを飲む者と醸造する者及び醸造させる者、それを運ぶ者と運ばれる者、またそれを売買する者とその値段から益を売る者を呪われた。」(アブー・ダーウードの伝承)

またイスラームは、精神やその他の感覚を、それらを害するようないかなる物事からも保護しています。そして人間が良識を失うという、自堕落な状態に陥ることを阻むのです。アルコールや麻薬の摂取が中毒症状をもたらすことは良く知られていますが、中毒者たちはその欲望を満たすためにあらゆる手段を講じて金銭を得ようとします。時には盗みや殺人さえも辞さない場合すらあるのです。私たちは、他人の尊厳や貞節さを侵害する残虐な犯罪の多くが、これらの物質ゆえに引き起こされているという事実を熟考すべきです。イスラームはこの問題が、全ての大罪の「根源」になり得る、と言及しています。

2-イスラームは特定の方法によって屠殺されなかった動物の肉や、豚肉など、その他次のアッラーの御言葉に言及されているような物質の摂取を禁じています:

-あなた方に禁じられたものは、(イスラーム法に則って屠殺されなかった)死体、(流れる)血液、豚肉、アッラー以外の名において屠られたもの、絞殺されたもの、撲殺したもの、転落死したもの、突き殺されたもの、獣に食い殺されたものである。但し(それらがまだ息のある内に)あなた方が止めを刺したものは、その限りではない。また偶像に(捧げるために)屠られたものと、アル=アズラームで分配することも(禁じられている)。,(クルアーン5:3)

イスラームにおいて、アッラーの御名が言及されずに屠られた動物の肉を食することは禁じられています。 至高のアッラーはこう仰いました:

-(屠られる際に)アッラーの御名が唱えられなかったもの(動物の肉)は、食べるのではない。実にそれは真理からの逸脱である。,(クルアーン6:121)

またイスラームは、ライオンや豹、狼など一般的に言って犬歯を有するような獣の肉の食用を禁じます。また鷲や鷹など、一般的に言って鉤爪を有する猛禽類の肉の食用も禁じています。

そして煙草やそれに該当するようなその他の物質など、人の身体に有害な全ての物の摂取を禁じているのです。至高のアッラーはこう仰っています:

-そしてあなた方自身を殺してはいけない。実にアッラーはあなた方に対し、慈悲深いお方であられる。,(クルアーン4:29)

3-イスラームは男性が絹や金銀を身につけることを禁じています。但し女性がそれらを身に着けることには問題はありません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「絹製の衣服と金は、私のウンマ(共同体)の男性に禁じられた。そして女性には許されたのである。」(アッ=ティルミズィーとアン=ナサーイーの伝承)

しかし金製や銀製の食器を用いて飲食することは、男女を問わず禁じられています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「そして金や銀で出来た器で飲んだり、食べたりしてはならない。それらは現世において彼ら(不信仰者たち)のものであり、来世においては私たちのためのものであるからなのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

 イスラームが命じている物事

以下に示すのは、イスラームが命じている物事の一部です:

1-公正と平等:至高のアッラーはこう仰っています:

-実にアッラーは、公正と善行と近親の者への贈与を命じられ、そして醜行と悪事と法を越えることを禁じられる。そしてあなた方が熟慮するよう、あなた方を戒められるのだ。,(クルアーン16:90)

イスラーム史上初のカリフであるアブー・バクルは、彼がその権威を委任された時に次のような言葉を語っています:

「あなた方が強者と見なす者たちは、私が彼らから彼らに義務付けられた物を拠出させるまで、私の目には弱者である。そして弱者は、私が彼らに彼らの権利を与えるまでは強者なのである。私がアッラーに従っているのを見る限り、私に従うのだ…。」

ムスリムは血縁が繋がっている者であろうと、そうでない者であろうと、分け隔てなく公正に接しなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてあなた方が(証言の時などに)言葉を口にする際には、例えそれが近親の者(にとって不利に働くようなこと)であっても、公正を貫くのだ。そしてアッラーとの契約を守れ。それこそかれ(アッラー)が、あなた方に命じられていることである。あなた方は思い出すことであろう。,(クルアーン6:152)

また公正は機嫌の良い時であれ悪い時であれ、また相手がムスリムであるかそうでないかを問わず、平等に貫かなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてある民に対する憎悪ゆえに、彼らに対する公正を損なうような罪を犯してはならない。公正を通すのだ。それこそはより敬神の念に近いのである。,(クルアーン5:8)

また至高のアッラーは、公正は時に力をもってでも行使しなければならないと宣言しています:

-われら(アッラー)は、明証と共にわれらの使徒たちを遣わした。そして彼らと共に啓典と秤も下したが、それは人々が公正を行使するためだったのである。またわれらは鉄を下したが、そこには絶大な力と人々への益が潜んでいる。 ,(クルアーン57:25)

イスラーム中世期の大学者イブン・タイミーヤはこの節を注解するにあたり、こう言っています:

「諸使徒と諸啓典が下された目的は、人間が正義を行使するためである。そしてそれはアッラーの諸権利と、被造物の諸権利を満たすことで達成される。啓典から逸脱する者は、“鉄”によって矯正されなければならないのだ。」

2-他者優先の精神:それこそは社会にその影響が明瞭に反映されるところの、他人に対する真の愛と好意の一つの印です。それによって個人間の結びつきは強まり、人は他人の援助と相互扶助へと促されるのです。至高のアッラーは、他者を優先する人々を称揚してこう仰いました:

-そして彼ら(アンサール)は自らが貧困の中にあっても、彼ら(ムハージルーン)[57]のことを優先する。そして自らの吝嗇さから身を慎む者こそは、真に成功する者なのである。,(クルアーン59:9)

3-良い仲間を探し、悪い仲間を避けること:預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は良い連れ合いと悪い連れ合いに関し、非常に優れた例えを用いてこう説明しています:

「よい連れ合いと悪い連れ合いとは、ちょうど香水を運ぶ者とふいご(で炭)を吹く者のようなものである。香水を運ぶ者はあなたにそれをくれたり、またはあなたが彼からそれを買ったり、あるいは彼からよい香りを嗅ぐことが出来るかもしれない。一方ふいごで(炭を)吹く者はといえば、あなたの衣服を焦がしたり、あるいはあなたに悪臭を与えたりするだけなのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

4-争っていたり、仲違いしていたりする者たちの調停:至高のアッラーはこう仰っています:

-サダカ(施し)か善行か人々の間の調停かを命じるものではない限り、彼らの密談の多くには益がない。しかしアッラーのご満悦を望みつつそのようなことを行う者には、われら(アッラーのこと)がまたとない報奨を授けよう。,(クルアーン4:114)

人々の調停に入ることには、サラー(礼拝)やサウム(斎戒)などその他の義務的な崇拝行為のそれと同様の、多大な報奨が約束されています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「サウム(断食)やサラー(礼拝)やサダカ(施し)よりも位階の高い行いを教えてやろうか?人々の間を調停することである。人々の関係の悪化は、(宗教を)根こそぎにしてしまうものなのだ。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承)

そしてイスラームはこの件‐人々の団結を維持し、分裂を阻止すること‐に関して、嘘をつくことを容認しています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「私は次の者たちを嘘つきとはしない:調停を望むがゆえに、人々の間を(事実とは違う)言葉でもって取り持つ者。戦争の際にそれを用いる者。そして(何らかの福利を意図した)夫婦間のそれ。」(アブー・ダーウードの伝承)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこうも言っています:

「人々の間を調停するために、善を広め、良いことを言う者は、嘘つきではないのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

5-自らの能力の範囲内で、あらゆる手段を用いて善と美徳を命じ、悪と非道を禁じること:これは不正や道徳的腐敗が広まるのを防止し、諸権利が確保されることを保障する、社会安全における一つの基礎です。尚イスラーム国家において履行されるべきものはイスラーム法以外のいかなる法律でもありません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「悪事を目にした者は、それを手でもって正せ。もしそう出来なければ、舌でもって正せ。そしてそれさえも出来なければ、心でもって正すのだ。そしてそれが最も弱い信仰心である。」(ムスリムの伝承)

こうしてイスラームのある側面に無知な者は学び、不注意な者は忠言を受けるのです。道徳的腐敗は善き人々が援助され、そしてアッラーの法が支持され履行される限り、正されるでしょう。至高のアッラーはこう仰っています:

-そして善行と(アッラーの懲罰から身を守る)服従行為において互いに助け合うのだ。そして悪や憎しみにおいて互いに助け合ってはならない。そしてアッラー(のお怒りや懲罰の原因となるような事柄)から身を慎むのだ。実にアッラーは、その懲罰の厳しいお方である。,(クルアーン5:2)

預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は善を命じ、悪を禁じることでもたらされる状況に関して、次のような説明を施しています:

「アッラーの掟に従う者たちとそれを妨害する者たちとの関係は、ちょうど(出発する前の)船にその居場所を配置された人々の一団のようである。彼らの内のある者たちは甲板に、そしてある者たちは船室に配置されるが、船室に入れられた者たちは水が欲しくなったら(甲板にいる者たちの)上を跨いで行かなければならない。それで彼らはこう言う:“もし私たちが(水を得るために)船底に穴を開ければ、甲板にいる者たちを邪魔する必要はなくなる。”それゆえ甲板にいる者たちが彼らを好き放題にさせて置けば、彼ら全員が破滅するであろう。しかしもし彼らがそれを阻止すれば、彼らは全員助かるであろう。」(アル=ブハーリーの伝承)

またアッラーは、この行為をおろそかにしたがゆえに下った懲罰について、次のように言及しています:

-イスラエルの民の不信仰者たちは、ダヴィデとマリヤの子イエスの舌によって呪われたのである。それは彼らが逆らい、法を越え、かつ彼らが行っていた悪行を禁じなかったからなのだ。彼らの行っていたことの、何と惨めなことか。,(クルアーン5:78-79)

更にイスラームは善を勧め悪を禁じることにおいて、遵守すべきいくつかの指針と原則を定めています。その一部を以下に挙げてみましょう:

1. この行為を行おうとする者が、何が勧められ禁じられるべきことなのかを熟知していること。これはそうする者が逆に人々を宗教から遠ざけたりしないためです。教友スフヤーン・ブン・アブドゥッラー・アッ=サカフィーはこう伝えています:

私は言いました:「アッラーの使徒よ、自らの身を守ることの出来るようなことについて、何かご助言下さい。」彼は言いました:「“わが主はアッラー”と言い、自らを正すのだ。」私は言いました:「アッラーの使徒よ、私に一番恐れることは何でしょうか?」彼は彼の舌をつかんで、こう答えました:「これだ。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

また著名なハディース学者の一人であるイブン・ヒッバーンは、この言葉に関してこう言っています:

「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が自らの舌をつままずに“舌だ”と言うことが出来たにも関わらず、そうはせずに敢えてそれをつまみつつ“これだ”と言ったのは、彼が人々への教授法を熟知していたからである。彼は自分が教えようとする知識を、適用したかったのだ。…彼はそれ以前に別の質問者に対して“私が最も恐れているものは、それ(舌)があなたを多くの試練へと追いやってしまうことである”と言っているのであり、既にそのことはご存知であった。…ゆえに彼は、喋り過ぎるのを控えるようにスフヤーンに命じたのである。それで預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、人が知識を求めるべき場所とそれを伝えるべき時の違いを明らかにしつつ、彼の知っていることを実践したのである。」  

2. 何らかの悪を禁じることが、それよりも大きな悪につながらないこと。

3. 自分が他人に禁じていることを、自ら犯したりしないこと。至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰者たちよ、なぜ行いもしないことを口にするのか?行いもしないことを喋るのは、アッラーの御許で厭わしいことこの上ないことなのだ。,(クルアーン61:6)

4. 何を薦めたり禁じたりするにせよ、優しさと親切心を忘れないこと。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「優しさというものは、それをもって行われる全てを美しく飾りつけずにはいない。そしてそれを欠いたものは全て、醜くならずにはいないのだ。」(ムスリムの伝承)

5. その仕事を遂行するにあたって、いかなる不都合も耐え忍ぶこと。アッラーは賢人ルクマーンがその息子に対して与えた偉大な助言に関して、こう言及しています:

-息子よ、サラー(礼拝)を守り、善を勧め、悪を禁じ、あなたに降りかかる災難に耐え忍ぶのだ。実にそれは固い決意を要する物事である。,(クルアーン31:17)

6-よい作法:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「あなた方の内で最も信仰心を完結した者は、最も人格が優れ、そして最も家族に優しい者である。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、よい作法がもたらす報奨についてこう言っています:

「審判の日あなた方の内で最も私に愛され、かつ最も私に近しい座を占めるのは、最も人格の優れた者である。そして審判の日あなた方の内で最も私に嫌われ、かつ私から遠い場所にあるのは、お喋りが過ぎる者、己の言葉に酔いしれて語る者、そして“ムタファイイヒーン”である。」人々は言いました:「アッラーの使徒よ、私たちはお喋りが過ぎる者と己の言葉に酔いしれて語る者のことは知っていますが、“ムタファイイヒーン”とはどのような者でしょうか?」(預言者は)言いました:「驕慢な者のことである。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

7-親切:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「実にアッラーは哀れみ深いお方であり、また哀れみ深さとよい作法を愛される。そして不躾さを厭われるのだ。」(アッ=タバラーニーの伝承)

8-何らかの裁決を下す前に、その基となる情報を確認すること:至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、放埓な者が何らかの知らせを携えてあなた方のもとにやって来たら、(その知らせの内容の正否を)確認するのだ。それは(誤った情報に基づいた行動により)あなた方が知らぬままある民に害を与え、それによってあなた方が行ったことに後悔しないようにするためなのである。,(クルアーン49:6)

9-誠実さ:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「宗教とは誠実さである。」人々は言いました:「誰に対する(誠実さですか)?」(預言者は)言いました:「アッラーとその啓典と、その使徒、そしてムスリムの指導者たち及び一般の者たちに対する誠実さである。」(ムスリムの伝承)

アッラーに対する誠実さとは、かれを信仰し、かれにいかなる共同者も認めずにかれのみを拝し、かれがその美名と属性においていかなる不完全性からも無縁であることを宣言することです。またアッラーこそが全宇宙の全ての物事の運営を一手に集めているお方で、かれが望んだことは必ずや実現し、かれが望まなかったことは決して起こらないということを信じることです。またここにはアッラーの命を遵守し、かれの禁じたことを回避することも含まれてきます。

またアッラーの啓典に対する誠実さとは、それがかれの御言葉そのものであり、最後の啓典であることを信じることです。またそこに言及されている命令を遵守し、そこで合法と宣言されているものを合法とし、そこにおいて禁じられている物事から身を慎むこともここに含まれます。

一方アッラーの使徒に対する誠実さとは、彼に服従し、彼が伝えた全てのことを信じ、彼が禁じたことから身を控えることです。また彼を愛し、尊敬し、彼のスンナ(慣習)を踏襲し、かつそれを普及させることです。

またムスリムの指導者たちに対する誠実さとは、罪深いことを命じられない限りにおいて彼らに服従し、彼らを最善の道へと導くことにおいて援助し、また彼らに対して反旗を翻すことを控えることなどを指します。ムスリムの指導者には良い形で忠言し、民衆の権利を想起させてやることが必要です。

そして 一般のムスリムへの誠実さとは、宗教的諸事に関しても現世的諸事に関しても、彼らを善と福利へといざなうことによって達成されます。彼らはその必要の満足と、害悪からの保護において援助されなければなりません。また彼らに対して自らに望むことを望み、自らに厭うことを厭い、自分自身がそう望むような形でもって彼らと接することも要求されてきます。

10-気前の良さ、寛容さ:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「良き作法よりも(善行の)秤に重い物はない。」(アブー・ダーウードの伝承)

そしてアッラーは、気前の良さの限界を定義づけて、次のクルアーンの説の中でこう仰っています:

-そしてあなたの(施しの)手を(吝嗇さゆえに)首に巻きつけたままにしたり、または(度を越して、施しという)手を完全に開け広げてはならない。そうすればあなたは咎めを受けたり、後悔したりするであろうから。,(クルアーン17:29)

11-他人の過ちを隠しておいたり、苦悩を和らげたり、困難を軽減してやったりすること:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「現世における信仰者の苦悩を一つ和らげる者は、アッラーが審判の日の彼の苦悩を一つ和らげて下さるであろう。そして(債務超過などで)困難な状況にある者に便宜を図ってやる者は、現世と来世においてアッラーが彼に便宜を図って下さるであろう。またムスリムを(その罪などによる悪評が人々に知れ渡ることなどから)かくまってやる者は、アッラーが現世と来世において彼をかくまって下さるであろう。アッラーはそのしもべが同胞を援助する限り、かれもその援助の手を差し伸べられるのだ。」(ムスリムの伝承)

12-忍耐心:それは服従行為における場合であったり、また禁止行為を自らに禁じる場合における場合だったりします。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてあなたの主の定められたことにおいて、辛抱せよ。実にあなたはわれら(アッラーのこと)の眼前にあるのだから。,(クルアーン52:48)

またこれは、貧困や飢餓、病気や恐怖などといった様々な試練の時に必要となる忍耐心である場合もあります。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして実にわれら(アッラーのこと)は、恐怖や飢え、財産や生命や糧の損害などによって、あなた方を試練にかけるのだ。それで忍耐する者たちには、良き知らせを伝えよ。(彼らは)災難が降りかかった時に「私たちは実にアッラーにこそ属し、そして彼の御許へと還り行く境遇にあります。」と言う者たち。彼らには主からの祝福とご慈悲があり、そして彼らこそは正しく導かれた者なのである。,(クルアーン2:155-157)

13-例えやり返す力があったとしても、怒りを抑え、他人を赦すこと:これは社会の構成員間の結束力を強化し、彼らの間の敵意や関係の断絶などから遠のけてくれます。至高のアッラーは、このような性質を獲得しようと努力する者に対して多大なる報奨を約束し、強く称えています。アッラーはこう仰いました:

-そしてあなた方の主からのお赦し(を呼ぶ諸々の服従行為)へと急ぐのだ。その広さは諸天と大地の広さほどもあり、敬虔な者たちのために用意されたものなのである。(そして彼らは)順境においても逆境においても施し、自分の怒りを抑え忍び、人をよく赦す者たち。アッラーは善行者を愛で賜れるのだ。 ,(クルアーン3:133-134)

またイスラームは、他人から受けた悪行を善行をもって報いることを勧めています。そうすれば人々の心は結ばれ合い、復讐してやろうなどという気持ちがなくなるのはおろか、憎しみなども消え去ってしまうでしょう。至高のアッラーはこう仰っています:

-そして善行と悪行は同じではない。(悪行をもって対されても、それに)よい行いでもって応じてやるのだ。そうすればあなたに敵対していた者も、親愛で近しい者となるであろう。,(クルアーン41:34)

 イスラームにおけるマナー

イスラームという教えは、ムスリムがその教えに沿った一個の完全な人格を形成するために遵守することを勧められている、様々な種類のマナーを紹介しています。その内のいくつかを以下に挙げていってみましょう:

  • 食事の際のマナー

1-ムスリムは「ビスミッラー(アッラーの御名において)」という言葉と共に、食事を開始すべきとされています。また食事を終えた際には「アルハムドリッラー(全ての賛美と感謝はアッラーにあり)」と唱えます。また食事の際には右手を用い、自分から近い場所から食べるようにします。ちなみにイスラームにおいて左手は、汚い物の洗浄などに用いることになっています。教友ウマル・ブン・アブー・サラマは、こう伝えています:

「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の存命時代、私は幼い子供でした。そして私の手は、(食事の載っている)皿の上を(お目当ての物を探して)さまよっていたものです。それでアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は私に言いました:“僕、アッラーの御名を唱えるんだ。そして右手で、自分の手前の物から食べ始めるんだぞ。”そして私は現在に至るまで、その食べ方に従っているのです。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

2-ムスリムはいかにその食事が気に入らなくても、それに関する不平や批判の言葉を口にすることを禁じられています。教友アブー・フライラはこう伝えています:

「預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)が食べ物に難癖を付けることは、全くありませんでした。おいしければ食べ、気に入らない時は手を付けませんでした。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

3-ムスリムは食べ過ぎや飲み過ぎを避けなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-…そして飲みかつ食べよ。しかし浪費してはいけない。実にかれ(アッラーのこと)は浪費を愛で賜らないのだから。,(クルアーン7:31)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「人間が満たす最悪の器とは、その胃に他ならない。アダムの子ら(人類)は、背中を真っ直ぐに支えるだけの(少量の)食事で十分なのである。しかしもしやむを得ない場合には、(胃の)三分の一を食事に、そしてもう三分の一を飲み物に、そしてもう三分の一を(空っぽのままにして)呼吸のためにあてるのだ。”」(アッ=ティルミズィーとイブン・マージャの伝承)

4-イスラームにおいて、容器の中に息を吹き込むことは禁じられています。教友イブン・アッバースはこう伝えています:

「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はコップの割れ目から飲むこと、そして飲み物の中に息を吹き込むことを禁じられました。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承)

5-飲食物を粗末にすることは禁じられます。

6-ムスリムは単独ではなく、他の者たちと一緒に食事することを勧められています。ある者が、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)にこう言いました:

「アッラーの使徒よ、私たちは食べても満腹しません。」(預言者は)言いました:「あなた方は別々に食べるのであろう。」(彼らは)言いました:「はい。」(預言者は)言いました:「集まって食事するのだ。そして食事の際にアッラーの御名を唱えよ。(アッラーは)あなた方のためにそれに祝福を与えて下さるであろう。」(アブー・ダーウードとイブン・マージャの伝承)

7-自分が招待を受けている際に、招待されてはいない誰かを同伴していく時には、招待者側からの許可を請うべきです。ある日アブー・シュアイブという者が預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)を含む五人の者を招待した時、それ以外の者が一人ついて来てしまったことがありました。それに関し、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「この者は私たちに付いて来たのだが、望むなら彼のことも招待し、またそうでないならお断りして引き取ってもらえ。」招待した者は言いました:「いいえ、私は彼のことも招待しますとも。」(アル=ブハーリーの伝承)

  • 用便の際のマナー

トイレに入る時には、祈願の言葉を唱えるべきとされます。教友アナスは、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がトイレに入る時にはこう言ったものであると伝えています:

「アッラーよ、私はあなたに男女の悪魔からのご加護を乞います。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また預言者の妻の一人アーイシャによれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は用便を済ませて出てくると、こう言ったものでした:

「(アッラーよ、)あなたにお赦しを求めます。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーとイブン・マージャの伝承)

ムスリムは用便の際、キブラ(マッカの方向)に顔や背を向けたりすることを禁じられています。教友アブー・フライラは、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言ったと伝えています:

「排便する時にはキブラの方を向いたり、あるいはそちらに背を向けたりしてはならない。」(アブー・ダーウードとイブン・マージャの伝承)

またムスリムは屋外で用便する際には、人目のつかない場所に身を隠さなければなりません。教友ジャービルはこう伝えています:

「預言者は用を足したくなった時にはいつでも、誰の目にもつかないような場所に赴いたものでした。」(アブー・ダーウードの伝承)

またムスリムは用便を終えた際、汚い場所を洗浄するにあたって右手を用いることを禁じられています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「何か飲む時には、その器の中に息を吹き込むのではない。また用を足しに行く時には、右手で局部に触れるのでない。また右手で汚物を除去してもいけない。」(アル=ブハーリーの伝承)

  • 許可を請うことにおけるマナー

1-誰かの家に入る際には、外から許可を請います。 至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、その許しを請い、家人に挨拶することなしには他人の家に入るのではない。,(クルアーン24:27)

2-また誰かの部屋に入る際にも、同様に許可を請います。至高のアッラーはこう仰っています:

-あなた方の子供が成人したら、あなた方以前の者たちがそうしていたように、(入室の)許可を請わせるのだ。,(クルアーン24:59)

これらのマナーは家にいる者たちと、そのプライバシーの保護がその目的となっています。このことは、以下の預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の伝承からもうかがい知ることが出来るでしょう:

「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が櫛の歯で頭を掻いている時に、誰かが扉の穴から彼の部屋の中を覗き見ていました。彼はその者に言いました:“もしあなたが覗き見ていたのを知っていたら、櫛でもってあなたの目を突いてやったところだぞ。(見るべきではないものを)見ないためにこそ、許可を請うことが義務付けられたのだ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また許可を請う者は、返答がないからといってしつこく許可を請い続けるべきではありません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「 (呼ぶなりドアをノックするなりして)三回許可を請うても返事がなかったら、立ち去るのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また許可を請う者は、自らが誰であるかを知らせるべきです。教友ジャービルはこう伝えています:

「私は父の債務の件で、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)を訪問しました。彼のドアをノックすると、彼は言いました:“誰だ?”私は言いました:“私です。”すると彼はそれが気に入らなかったかのように、こう言いました:“私?私だって!?”」(アル=ブハーリーの伝承)

  • 挨拶のマナー

イスラームは社会の構成員が、互いに挨拶を交わすことを奨励しています。それは挨拶が原因付けるところの、愛情と友愛を育むためなのです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「あなた方は信仰するまで天国に入ることはない。そして互いに愛し合うようになるまでは、本当に信仰したことにはならない。あなた方がそれを行えば、互いに愛し合うようになることを教えてやろうか?あなた方の間に挨拶を広めるのだ。」(ムスリムの伝承)

また挨拶を受けた者がそれに応じるのは、ムスリムとしての義務です。至高のアッラーはこう仰いました::

-そしてあなた方が挨拶を受けたら、それよりもっとよい形の挨拶で挨拶するか、あるいは同じ言葉を返すのだ。実にアッラーはあらゆる事柄をも(仔細に)計算されるお方である。,(クルアーン4:86)

またイスラームは、挨拶における優先順位も明確にしています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:

「乗り物に乗った者は歩行者に、歩行者は座っている者に、少数の者たちは多数の者たちに挨拶するのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

  • 座る場所に関するマナー

ムスリムが集まりの場に臨んだり、あるいは退出する際には、その場にいる者たちに挨拶すべきとされています。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:

「あなた方が集まりの場にやって来たら、その場にいる者たちに挨拶するのだ。そしてもし座るべき状況にあると察したなら、座るがよい。そしてその場を立ち去る時にも、また彼らに挨拶をするのだ。最後の挨拶も、最初の挨拶同様に重要なのだから。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承)

また集まりの場で十分な場所がなかったら、その場にいる者たちはやって来た者のために場所を空けてやらなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、集まりの場で「場所を空けて下さい。」と言われたら、場所を空けてやるのだ。(そうすれば)アッラーがあなた方のために(天国の)場所を空けて下さるであろう。そして(礼拝、あるいは戦いなどのために)「立ち上がりなさい。」と言われたら、立ち上がるのだ。アッラーは、あなた方の内で信仰する者たちと知識を与えられた者の位階を上げられる。アッラーはあなた方が行うことを実によく通暁されておられる。,(クルアーン58:11)

また自分がそこに座るために、誰か既に座っている者を立たせることはイスラームで禁じられています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「座っている者を立たせて、そこに座ってはならない。むしろ場所を空けて、広くしてやるのだ。」(ムスリムの伝承)

もし席を立って一時的にそこを離れる場合、その者はその場所において優先権を握っていることになります。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「一旦どこかに腰を下ろした者が(そこを離れ、)そこに戻って来たら、その者はその場所に優先権を持っていることになる。」(ムスリムの伝承)

また隣り合って座っている二人の者の間に腰を下ろすことは、イスラームにおいて許されてはいません。但し彼らの許可を得たのであれば、問題はありません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「許可も請うことなく、座っている二人の者の間(に腰を下ろして)阻んだりしてはならない。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承)

またイスラームは、第三者の前で内緒話をすることを諌めています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「あなた方が三人でいる時、一人をそっちのけにして二人だけで内緒話をしてはならない。それは彼を悲しませるであろうから。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また人々が輪になって集まっている所にやって来たら、その真ん中に座るべきではないとされます。教友フザイファは、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言ったと伝えています:

「集まりの中心に座る者は、呪われた者である。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承)

また集まりの場で、アッラーの唱念や俗世や宗教に関する有益な話し合いをそっちのけにして、くだらない話に現を抜かすことは忌避されています。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「アッラーの御名を唱えることなく、集まりの場から立ち上がってはいけない。そのようなことをすることはロバの死体同然のものから立ち上がるようなものであり、またそれは彼らにとっての後悔となろう。」(アブー・ダーウードの伝承)

また集まりの場にいる者たちが嫌がるようなことも、すべきではないとされます。

  • 集まりにおけるマナー

イスラームはどこにおいても、集まりに参加している人々の気分を配慮します。そしてそれは人々が集うことを望むようにさせるためでもあります。ゆえにイスラームはその信徒に清潔さと奨励します。ムスリムは他人を害するような悪臭を放つようではなりませんし、人々の気分を害さないように良いいでたちをするべきです。また同様にイスラームは、その場の話者を妨害することなく、その話に注意を向けることを促し、また人々に不便さを感じさせないようにするためにも、その場の人々の間を横切ったりせずに空いている場所に腰を下ろすことを勧めています。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は金曜礼拝の集まりに関して、こう述べました:

「金曜日に沐浴をし、持っている香水をつけ、また自分の持っている最上の衣服を身に着けモスクへと赴き、(そこで既に座っている)人々の頭を跨いだりせず、それから出来る範囲で(任意の)礼拝を行い、イマーム(礼拝の導師)が来場して礼拝するまで(その説教を)傾聴する者は、その日とその前の週の金曜日の間(に犯した罪)の贖罪をしたことになろう。」(アブー・ダーウードとイブン・マージャの伝承)

尚ムスリムはくしゃみをしたら、こう言うことを推奨されます:

 “アル=ハムド・リッラー

(アッラーにこそ全ての賞賛はあれ)”

そしてその言葉を聞いた者は、こう言わなければなりません:

“ヤルハムカッラー

(アッラーがあなたを慈しまれるよう)”

それから今度はくしゃみをした者が、彼らに対してこう返します:

“ヤハディークムッラーフ・ワ・ユスリフ・バーラクム

(アッラーがあなた方を導かれ、そしてあなた方の状態を正されるよう)”

アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「あなた方がくしゃみしたら、“アル=ハムド・リッラー(アッラーにこそ全ての賞賛はあれ)”と言うのだ。そしてその兄弟、あるいは同士は(くしゃみをした)その者にこう言え:“ヤルハムカッラー(アッラーがあなたを慈しまれるよう)”そして(くしゃみした者は)“ヤルハムカッラー”と言われたら、こう言うのだ:“ヤハディークムッラーフ・ワ・ユスリフ・バーラクム(アッラーがあなた方を導かれ、そしてあなた方の状態を正されるよう)”」(アル=ブハーリーの伝承)

またくしゃみの際のマナーに関して、教友アブー・フライラはアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言ったと伝えています:

「くしゃみをする時には手で顔を押さえ、その音を押し殺しなさい。」(アル=ハーキムの伝承)

またあくびをしたくなったら、可能な限りそれを押し殺すようにすることがムスリムのマナーです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「アッラーはくしゃみをを愛でられ、あくびを厭われる。ゆえに(ムスリムが)くしゃみをしてアッラーを讃えたら、それを聞いたムスリムは彼によい祈願をしてやる義務がある。一方あくびは悪魔からのものであるから、出来る限り抑えるようにせよ。彼が(大口を開けてあくびしつつ)“はぁー”などと言えば、シャイターンは彼を嘲笑するのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

またムスリムは人前でげっぷすべきではないとされます。教友イブン・ウマルはこう伝えています:

「ある者がアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)と共にある時に、げっぷをしました。それで(預言者は)彼に言いました:“私たちの前でげっぷをしないようにせよ。現世で最も満腹な者は、審判の日に最も飢えに苦しまされる者なのだぞ。”」(アッ=ティルミズィーとイブン・マージャの伝承)

  • 会話におけるマナー

ムスリムは話者が話を終えるまで中断させることなく、常にその話に注意を傾けていなければなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は別れの巡礼の際、教友の一人にこう命じつつ説教を始めました:

「人々に謹聴させよ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また話すことが聴き手に良く伝わるようはっきりと話し、十分に説明することが必要です。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の妻の一人であるアーイシャは、こう伝えています:

「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の言葉は、それを聴いたいかなる者でも理解出来るような明快なものでした。」(アブー・ダーウードの伝承)

また話し手は聴き手同様に、その話と表現において感じよく明朗であるべきとされます。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:

「いかなる善行も軽んじてはならない。例えあなたの同胞に笑顔で接することであっても。」(ムスリムの伝承)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこうも言っています:

「人の各関節には一つのサダカ(善行などの施し)が課せられている。そして太陽の昇る日に[58]人々の関係を改善することはいつでも、一つのサダカである。また人が乗り物に乗るのを、あるいは彼の荷物をそこに載せるのを手伝うことも一つのサダカであり、良き言葉も一つのサダカである。また(モスクで)義務の礼拝をするために歩む一歩一歩はそれぞれ一つのサダカと数えられ、道から有害な物を除去することもまた一つのサダカなのである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

  • 冗談を言う時のマナー

イスラームにおける人生は時折誤解されるように、全く娯楽に欠けているわけではありません。ハンザラ・アル=ウサイディー(彼にアッラーのご満悦あれ)という教友はこう伝えています:

「私はアブー・バクルと会い、そして彼は私にこう言いました:“ハンザラよ、元気か?”私は答えました:“ハンザラは偽信者になってしまいました。”アブー・バクルは言いました:“アッラーの崇高さよ!一体何を言っているのだ?”私は言いました:“私たちがアッラーの使徒と共にいる時、彼はあたかもそれらが眼前にあるかのように地獄や天国を想起させてくれます。しかし彼のもとを離れると、私たちは妻や子供たち、現世の諸事に夢中になってしまい、(それらの訓戒を)ひどく忘れてしまうのです。”アブー・バクルは言いました:“アッラーにかけて、私も同様だ。”それで私とアブー・バクルは行き、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のもとにやって来ました。私は言いました:“アッラーの使徒よ、ハンザラは偽善者です。”するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“どうしてだ?”私は言いました:“アッラーの使徒よ、あなたと共にいると、あなたはあたかもそれらが眼前にあるかのように地獄や天国を想起させてくれます。しかしあなたのもとを離れると、私たちは妻や子供たち、現世の諸事に夢中になってしまい、(それらの訓戒を)ひどく忘れてしまうのです。”するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“私の魂がその御手に委ねられているお方にかけて。あなたが私のもとにある時のようなズィクル(唱念)の状態を(私から離れた後も)継続していれば、あなた方の寝床や行く道々で天使たちがあなたに握手をするであろう。しかしハンザラよ、(人間とは)時にこうあれば、またある時にはそうあるものなのだ。”(そして彼はその言葉を三回繰り返しました)」(ムスリムの伝承)

ここで預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、禁じられてはいないある種の娯楽や気休めなどが人間の活気や活力を再生させるものとして、望ましいものである旨を説明しています。彼はまたその教友たちに訊かれ、冗談を言う時のマナーについても触れています:

「預言者よ、あなたは冗談を言いますか?」彼は言いました:「ああ。しかし私は真実しか語らないが。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

またイスラームは口頭によるものは勿論のこと、動作によって楽しむことも禁じてはいません。教友アナスはこう伝えています:

「ザーヒルという名のベドウィンが、砂漠から預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のもとに贈り物を携えて来ていました。一方預言者も彼が立ち去る際には、彼にいくばくかの食料を与えたものでした。アッラーの使徒はこう言ったものでした:“実にザーヒルは私たちの遊牧地で、私たちは彼の定住地なのである。”ある日、彼が物を売っている所に預言者がやって来て、彼に悟られないように背後からつかみかかりました。ザーヒルは言いました:“誰だ?離せ!”そして彼は、振り向いた時にそれが預言者であることを知ると、(その愛情ゆえに先ほどまでそうされていたように)自分の背中を彼の胸につけました。預言者は(冗談で)言いました:“この奴隷を買う者はいるか?”ザーヒルは言いました:“アッラーの使徒よ、私は売るにも足らない者です!”すると預言者は言いました:“しかしあなたはアッラーの御許では、売るに足らない者などではないのだ。”あるいはこう言いました:“いや、あなたはアッラーの御許では高価なのだ。”」(イブン・ヒッバーンの伝承)

またムスリムは他人を不当に扱ったり、あるいは害することを伴うような類の冗談は言うべきではありません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「ムスリムが他のムスリムを怖がらせることは、許されない。」(アブー・ダーウードの伝承)

また彼はこうも言っています:

「誰もその同胞の物を、(彼を怒らせようとして)本気でもふざけてでも取ってはならない。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承)

また冗談の際でも、嘘をつくことは禁じられます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「人々を笑わせるために嘘をつく者に災いあれ。災いあれ、災いあれ。」(アフマドとアブー・ダーウードの伝承)

  • 病人をお見舞いする際のマナー

イスラームは病人を見舞うことを強く奨励します。それどころかそれを、ムスリム同士の義務であると見なしています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「ムスリムの、ムスリムに対する五つの義務:挨拶を返すこと、病人を見舞うこと、葬儀に参列することと、招待を受け入れること、そしてくしゃみをした者に“ヤルハムカッラー(アッラーがあなたを慈しまれるよう)”と言うこと。」(アル=ブハーリーの伝承)

イスラームは病人の同胞を見舞うことにより、素晴らしい報奨を約束しています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「病人を見舞う者は、(そこから帰るまで)ずっと天国の果樹園の中にある。」(ムスリムの伝承)

病人を見舞う者は、彼らに対して慈愛と同情の念を示すことが勧められます。教友アーイシャ・ビント・サアドは、彼女の父親がこう言ったと伝えています:

「私がマッカで病気だった時、預言者が私のお見舞いに来てくれました。彼は私の額に手を当て、私の胸と腹を撫でると、アッラーにこう祈って言いました:“アッラーよ、サアドを癒したまえ…。”」(アブー・ダーウードの伝承)

またムスリムは病人に対し、祈りを捧げてやることが望まれます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「まだ息を引き取っていない病人を見舞い、彼のもとで:“この上なく偉大なアッラー、偉大な玉座の主に、あなたを癒して下さいますようお願いします”と七回唱えるならば、アッラーが彼をその病から癒して下さらないことはない。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承)

  • 弔辞におけるマナー

イスラームにおいて弔辞は故人の家族を慰め、そしてその痛みを軽減させるために定められました。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言っています:

「アッラーは苦難にある同胞を慰める信仰者を、審判の日に栄誉の衣で包んで下さろう。」(イブン・マージャの伝承)

弔辞する者は故人の家族に祈りの言葉をかけ、そしてその不幸に辛抱することにおいてアッラーからの報奨を受けることを想起させることで、励ますのです。教友ウサーマ・ブン・ザイドはこう伝えています:

「私たちが預言者と共にある時、彼の娘の一人が彼に来てくれるよう使いを送って来ました。彼女の子供は死に瀕していたのです。預言者は使いの男に言いました:“彼女の元に戻り、こう言うのだ:「実にアッラーがお取りになったものとお与えになられたものは、アッラーに属する。そしてかれの御許にあるもの全てには、決められた定命がある。」そして彼女に辛抱し、またそうすることにおいて報奨を期待するよう伝えるのだ。”するとまた預言者の元に使いがやって来て、言いました:“彼女はあなたが絶対来てくれるように、と言っています。”それで預言者はサアド・ブン・ウバーダとムアーズ・ブン・ジャバルと共に立ち上がり、私も彼らに同行しました。預言者が子供を抱き上げると、その魂はまるで空の容器(に液体を入れる時)のように震えて(そこから旅立とうとして)いました。すると彼の両目から涙が流れたので、サアドはこう言いました:“アッラーの使徒よ、それは何ですか?”彼は答えました:“これはアッラーがそのしもべにお授けになられた慈悲の心だ。実にアッラーは慈悲深いしもべを慈しまれるのである。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

ムスリムは故人がアッラーのご慈悲を授かれるよう、祈願すべきとされます。イスラーム四大法学派の祖の一人であるアッ=シャーフィイーは、故人の家族に次のような言葉をかけてやることを好んだと言います:

「アッラーがあなたの報奨を偉大なものとされ、またあなたのお悔やみをよきものとされ、そして故人をお赦しになられるよう。」

また故人の家族に食事を世話してやることも、推奨されています。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「(他界した)ジャアファルの家族に食事を用意せよ。実に彼らを忙しくさせる出来事が、彼らを襲ったのだから。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承)

  • 睡眠に関するマナー

ムスリムは就寝の際、アッラーの御名を唱えてから体の右側を下にして横になり、かれ以外の何ものも自分を害するものはないということを確認します。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「就寝する時には、腰巻で寝床を振り払うのだ。そしてアッラーの御名を唱えよ。というのも、(その寝床の主は、彼が)そこを後にしてから何がそこに入って来たかを知らないからである。そして横になる際には体の右側を下にして、こう言うのだ:“崇高なるかな、わが主よ。あなたの御名において私は就寝し、また起床します。私の魂を(眠っている間にその死でもって)引き留められるならば、それにご慈悲をおかけ下さい。そしてもしそれを解き放って生き続けさせるというのであれば、あなたが正しいしもべを守護されるところのものでもって、それをお守り下さい。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

一方起床する際には、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)が唱えていた次のような祈りの言葉を唱えることが推奨されています。教友フザイファはこう伝えています:

「預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は夜就寝する際には、右手を頬の下に置いてこう言ったものでした:“アッラーよ、私はあなたの御名において死に、そして生きます。”そして起床する時にはこう言ったものでした:“私たちを死なせた後に生き返らせられたアッラーに、全ての賞賛あれ。そしてかれにこそ、(最後の日の)召集があります。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

またムスリムは、夜の早い時間に就寝するべきとされます。但し何らかの必要性がある場合はその限りではありません。

「預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は夜の礼拝(イシャーの礼拝)の前に眠ること、及びその後に話すことを厭われました。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また、うつぶせに寝ることはイスラームにおいて忌避されています。教友アブー・フライラによれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はうつぶせに寝ている者の横を通りかかった際、その者を足で小突いてこう言いました:

「実にアッラーは、そのように寝ることをお嫌いになられる。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

また就寝前には、何らかの害を及ぼす恐れのあるものに対して用心することが必要とされています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「実にその火は、あなたの敵である。ゆえに就寝時にはそれを消すのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

  • 配偶者と性交渉する際のマナー

イスラームにおいて 配偶者と性交渉する前には、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がそうしていたように、アッラーの御名を唱えるべきとされます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「 (性交渉のために)妻のもとに赴く際に、“アッラーの御名において。アッラーよ、私たちから悪魔を遠ざけて下さい。そしてあなたが私たちにお授け下さるものから、シャイターンを遠ざけて下さい」と言う者は、もしその時彼らの間に子供が授けられることになっていたのなら、シャイターンはその子を害することがないであろう。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また配偶者は共に楽しみ合うことが勧められています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、教友ジャービルにこう言いました:

「ジャービルよ、結婚したのか?」ジャービルは言いました:「はい。」預言者は言いました:「処女か、それとも既婚者か?」ジャービルは言いました:「既婚者です。」預言者は言いました:「どうして処女と結婚しないのか?一緒に遊び、お互いに笑い合うことが出来るというのに。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の妻の一人であるアーイシャは、こう伝えています:

「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は彼の断食中に、私に接吻したものでした。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

配偶者同士は、好きなように戯れ合うことが許されています。ある時教友ウマルは預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとにやって来て、次のように言いました:

「アッラーの使徒よ、私はもうだめです。」アッラーの使徒は言いました:「何がもうだめなのだ?」彼は言いました:「私は夜に、(妻との性交の)体勢を変えてしまったのです!」アッラーの使徒は何も答えませんでしたが、ウマルはこう伝えています:「その時、クルアーンの次の節がアッラーの使徒に下ったのです:-あなた方の妻たちはあなた方の耕作の場である。ゆえにどこでも望む所から、耕作するがよい。,(クルアーン2:223)」(アッ=ティルミズィーとイブン・マージャの伝承)

また男性は射精後、女性の気分を害さないためにも、すぐ彼女から離れてしまわないようにすべきであるとされます。また配偶者同士が二人の間の秘め事を他人に漏らしたりすることは、固く禁じられています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「実に審判の日にアッラーの御許で最悪の場所にある者とは、妻と性的関係をもった後にその秘密を暴くような者である。」(ムスリムの伝承)

  • 旅行のマナー

ムスリムは旅立ちの前、全ての信託物や債務などを果たしていること、また後に残す家族に十分な物資が供給されていることなどを確認しなければなりません。また誰かから不当に手に入れた物などがあれば、それを返却しておく必要があります。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「その同胞に何らかの不正を働いた者は、それから身を解き放つのだ。というのも(審判の日には、不正な手段をもって同胞から取った)いかなる財も、それゆえにその(現世での)善行が(被害者である)同胞のものに移転され、またもしその者に善行がなければ、(被害者である)その同胞の(現世での)悪行がその者に担わせられないことはないからである。」(アル=ブハーリーの伝承)

イスラームでは単独の旅行は忌避されます。しかしどうしても伴侶が見つからない場合は、その限りではありません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、旅から戻って来たある男にこう言いました:

「誰と共に旅行したのだ?」男は答えました:「誰も。」すると、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「単身の旅行者は悪魔であり、二人で旅行する者は二人の悪魔である。しかし三人で旅行する者は、集団で共に旅行する者なのである[59]。」(アル=ハーキムの伝承)

また旅の伴侶には、善い者を選ばなければなりません。そして何人かいる場合は、その内の誰かをリーダーに選びます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「三人で旅立つ時には、誰かをリーダーとせよ。」(アブー・ダーウードの伝承)

旅から帰還したら、その予定日を家族に前もって伝えておくのがイスラームの作法です。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はそのようにする習慣があり、また夜に旅から戻って帰宅することを避けていました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「長らく家を留守にしていのなら、(旅路から)帰って来た夜に帰宅するのではない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また旅立ちの際には、家族や友人に別れの挨拶をしておきます。尚旅先での用事が終わったら、無駄な遅延をせずに家族のもとに帰ることを心がけます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「旅行は懲罰の一部である。というのもあなた方はそこにおいて飲食や睡眠を妨げられるからである。それゆえ(旅行先の)用事を終えたら、家族の下へ急ぎ帰るがよい。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

  • 公共財産に関連するマナー

イスラームには公共財産に関連して、守られるべきある種のマナーが存在します。その内の一つとして、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は公道や歩道を歩く時の作法に関してこう述べています:

「公道に座りこむのではない。」それで(教友たちは)言いました:「アッラーの使徒よ、話し合うための場所が他にないのです。」すると(預言者は)言いました:「やむを得ずそうするなら、公道での義務を守るのだ。」(教友たちは)言いました:「公道の義務とは何ですか、アッラーの使徒よ。」(預言者は)言いました:「視線を(様々な問題を及ぼす物事から)下げること、害悪の阻止、挨拶を返すこと、そして勧善懲悪である。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

また別の伝承ではこうあります:

「…そして惨めな境遇にある者を慰め、迷っている者を導いてやることである。」(アブー・ダーウードの伝承)

またムスリムは公道に配慮を払い、公共の物を損ねたりしてはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「人々の呪いを買う二つの事から身を慎むのだ。」人々は言いました:「人々の呪いを買う二つの事とは何ですか、アッラーの使徒よ。」彼は答えました:「人通りのある道、そして人々が日差しから身を護るための物陰で用便をすることである。」(ムスリムの伝承)

また公共の場において、他人を害するような物を持ち運んだりしてもなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「あなた方が私たちのモスクや市場を通る際に矢を持っている時には、その刃を手で押さえるのだ。それによってムスリムを傷つけることがないようにするためである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

  • 商取引におけるマナー

一般的に言って、イスラームでは全ての商取引が合法とされます。というのもそれは売る者と買う者の間でなされる、物品の交換であるからです。しかし問題は二者間の一方に被害が生じる可能性のある類のもので、そのような種類の取引は非合法と見なされ、禁じられます。至高のアッラーはこう仰いました:

 -信仰者たちよ、あなた方の間であなた方の財産を不当に貪ってはならない。,(クルアーン4:29)

一方でイスラームはよき手段でもって稼いだものと、正しい形での取引から生じた利益を最善のものと見なしています。どのような稼ぎが最善かつ最も純粋であるかと尋ねられ、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう答えました:

「自らの手を用いた労働と、全ての偽りのない取引(によって稼いだもの)である。 」(アフマドの伝承)

イスラームは商取引において、誠実であることを義務付けています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「誠実で正直なムスリム商人は、審判の日に殉教者らと共にあろう。」(アル=ハーキムの伝承)

またもしそれが人の目に明らかではなくとも、取引の対象に何らかの欠陥があるならば、それを前もってきちんと説明しておくのがムスリムとしての義務です。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「いかなる物も、その欠陥などを説明することなく売却してはならない。また何かしらの欠陥があることを知りつつ、それを明らかにせずに売却してはならない。」(アフマドの伝承)

当然ながら、人を騙すことも禁じられています。アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はある時積み重なった食料の山を通りかかりました。そしてそこに手を入れると、指が濡れたのでこう言いました:

「(この)食料の持ち主よ、これは一体どうしたことか?」すると(食料の持ち主は)言いました:「アッラーの使徒よ、雨で濡れてしまったのです。」それで(預言者は)言いました:「それでは人々が(一目見て)分かるように、その(濡れた)部分を上にしておけばいいではないか?インチキをする者は私たちの仲間ではないのだぞ。」(ムスリムの伝承)

取引においてムスリムは正直であるべきであり、嘘をついてはいけません。 アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「売買交渉する両者は、その(売買取引の)場にある限り、(取引の最終決定に関する)選択権を有する。それで(その交渉取引において両者が)正直であり、また(商品の詳細に渡って)説明するならば、彼らはその取引において祝福されるであろう。しかし(その交渉取引において両者が)何かを隠蔽し、また嘘をついたりするならば彼らのその取引における祝福は抹消されるであろう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

またムスリムは売買において許し深くなければなりません。というのもそれこそが取引する者たちの関係を強化する一つの手段なのであり、人類愛や兄弟愛を損ねるところの物質主義を排斥するものであるからです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「アッラーは売買、及び(債務などの)遂行において寛容な者を慈しまれる。」(アル=ブハーリーの伝承)

またムスリムは取引において、やたらと誓いの言葉を発してはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「商売において無闇に誓いを立てるのではない。嘘の誓いは商品(を手早くさばく)には役立つが、(真の)利益を抹消してしまうものである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

またもし買い手が取引を後悔しているような場合には、その取引を解消してやることがイスラームの推奨しているやり方です。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「ムスリムを(契約における失敗において)大目に見てやる者は、アッラーによって審判の日、その失敗を大目に見て頂けるであろう。」(アブー・ダーウードとイブン・マージャの伝承)

これらのことが、イスラームが定めているマナーの一部です。イスラームにはこれ以外にも沢山のマナーが存在しますが、この小冊子の目的である簡潔さから逸脱してしまわないためにも、ここに挙げるものだけに留めておきました。しかしイスラームにおいては人生のいかなる場面においても、それに対応するクルアーンの句や預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の伝承が存在することをご存知頂けたであろうと思います。そしてその理由こそは、ムスリムの全人生がアッラーへの崇拝行為となるためなのであり、また全人生において沢山の善行を手に入れることが出来るようにするためなのです。

 最後に

最後に、イスラームに改宗した二人の者の言葉でもって、この本を締めくくりたいと思います。F.フィルウィース[60]はこう断言しています:

「西欧はいかなる信念も信仰も幸福をもたらしてはくれないような、膨大な精神的空白によって病んでいる。いわゆる人々の経済的繁栄と物質的需要の満足にも関わらず、西欧人は人生の無意味さを感じているのだ。彼は自問する:“私は何故生きているのだろう?私はどこへ向かっているのだ?どうして?”しかし誰も彼に満足の行く答えを与えてはくれない。そして不幸にもその治療薬は、彼が疑念と誤解以外にはいかなる知識も持ち合わせてはいない“正しい宗教”の中に潜んでいる、などということは思いもしないのである。しかしながら僅かばかりとはいえ、西欧人の集団がイスラームを受容し始めたことで、光線が差し込み、夜は明け始めてきた。今や西欧人は、イスラームの手法に則り、それに沿って生活する男女を目の当たりにし始めたのである。この真実の宗教は毎日、何人かの人々に受け入れられている。そしてこれはまだ単なる序章に過ぎないのだ…。」

またデボラ・ポッター[61]はこう述べています:

「神の法であるイスラームは、私たちの身の回りの自然に明白に表れています。山も海も、惑星も恒星も、アッラーの命に基づいた軌道に沿って動きます。それらは全て創造主アッラーの命に服従した状態にあるのであり、それはあたかも‐アッラーにこそ最善の喩えは属します‐御伽噺の中のキャラクターのようです。それらは著者の決定なしには喋りもしなければ、動きもしません。同様にこの宇宙における全ての原子もまた、例えそれが生命体ではなくても、服従の状態にあります。しかし人間だけはこの法則から免れています。アッラーは人間に、選択の自由を与えられたのです。人間はアッラーの命に服するか、あるいは自らの法と自らが好む宗教の前にひざまずくかの選択権を与えられているのです。不幸なことに人間は大方の場合において、後者の方を選んでいます。ヨーロッパとアメリカのイスラーム改宗者の多さは、彼らが心の平安と精神的な安らぎに飢えているからです。イスラームを破壊し、その疑わしい欠陥の数々を示そうとしたキリスト教徒のオリエンタリストや宣教師自身、イスラームに改宗しています。これこそは真理の証拠が決定的であることを表しているでしょう。これを否定することは不可能なのです。」

全ての賞賛は万有の主アッラーにこそあり。

アッラーがその使徒を称揚され、また彼をいかなる中傷からもお守り下さいますよう。



[1] 「アッラー」とは、イスラーム教の他ユダヤ教やキリスト教などの天啓宗教においても奉じられている、全宇宙の創造主、絶対的な威力と権威と共に至上の慈悲と寛容さを備えた唯一神のことです。

[2] 預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)にとって最初で最後のハッジ(大巡礼)のことです。

[3] 「ミナー」とは、マッカ付近に位置する谷の名称です。

[4] 本書において頻繁に見られる「何某の伝承」とは、預言者やその教友たちの言行などを収めたいわゆる「ハディース集」の典拠を示しています。

[5] 「ハディース」とは、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の言行や特質、または他人の何らかの言行に対する彼の了承に関する伝承のことです。

[6]  イスラームにおいてイエスは、キリスト教徒やユダヤ教徒がそう信じているように、張付けにされて死んでしまったとは見なされていません。ユダヤ教徒たちは彼らが彼のことを殺したと信じ込んだだけで、実際のところは天に召されたのです。クルアーン(4:157)参照のこと。

[7] 「ジズヤ」とはイスラーム国家による保護を受けつつ、その中に居留することを選んだ非ムスリムが支払う税金のことです。

[8] 預言者フードは、アラビア半島で肉体的に強大で栄華を極めていたアードの民に遣わされました。しかし彼らは彼に従わなかったため、アッラーは暴風雨を送って彼らを滅ぼしました。

[9] 預言者サーリフもまた、アラビア半島で栄えていたサムードの民に遣わされました。彼らもまた彼に従わなかったため、アッラーの懲罰を受けて滅亡しました。

[10] 預言者アブラハムの甥。信仰せず同性愛などの不義に陥っていた民(聖書ではソドムの民と呼称)に遣わされましたが、それを拒んだ彼らは町ごと厳しい懲罰を受けて全滅しました。

[11] シュアイブはマドゥヤンというアラブ半島の1都市に遣わされた預言者。その民は不信仰と不法な商業取引に溺れており、シュアイブは彼らをアッラーのみへの信仰と公正な商売へといざないました。しかし彼らがそれに従わなかったため、アッラーは彼らに懲罰を下されました。

[12] イスラームにおける窃盗罪の刑罰は、右手の切断です。

[13] 「ジハード」とは、アッラーの御言葉と宗教が興隆するために奮闘努力することです。

[14] 「アンサール」とは、マッカからマディーナへと宗教迫害を逃れて移住した信仰者たちをマディーナで迎え入れ、財や住居などの物質的側面と精神的側面の両方から援助した信仰者たちのことです。

[15] 当時のアラブ人は食料がない時には、ナツメヤシの実で食いつないでいました。ここでは捕虜であった非ムスリムの彼に、自分たちよりも良い食事を提供したということを意味しています。

[16]  アブー・ダーウードの出典。

[17] 歯磨き用に用いる、ある特定の種類の小枝のこと。

[18] 「アル=アズラーム」とは、当時賭け事やくじ引きに使われていた火打石のことであると言われます。

[19] 「イフサーン」とは常にアッラーの監視を感じつつ、かつその行いが純粋にアッラーのみに対して行われるような者が達する位階のことです。

[20]  ラマダーン月の昼間には飲食だけでなく、性交渉も禁じられます。

[21] イスラーム以前の無明時代における悪習で、夫がその妻に対し、「あなたは私の母同様だ」などという表現を用いて離婚すること(母親は男性にとって婚姻が禁じられている関係にある女性の筆頭であるため)。

[22]  ラマダーン月の昼間には飲食だけでなく、性交渉も禁じられます。

[23] 「ムフサン」とは男女の別なく、成人ムスリムで精神的に健常な自由民で、婚姻の経験(つまり合法的な性交渉の経験)があり、慎ましく放縦ではない者のことです。

[24] 「シルク」とは、アッラーのみが有する権利や性質において、アッラー以外の何かを共有させる信仰や行為のことを指します。

[25]  「タヤンムム」とは、水がない時に砂や埃などで代用して行う身体の清浄化のことです。

[26]  「クバー・モスク」とはマディーナ郊外にある、イスラーム史上初のモスクのことです。

[27] 「ムフサン」とは男女の別なく、成人ムスリムで精神的に健常な自由民で、婚姻の経験(つまり合法的な性交渉の経験)があり、慎ましく放縦ではない者のことです。

[28] 礼拝の中における、お辞儀のような形式の動作のことです。

[29] 'On the Bible, Religion, & Morality' 52頁。.

[30] 「シルク」とは、アッラーのみが有する権利や性質において、アッラー以外の何かを共有させる信仰や行為のことを指します。

[31] 「シルク」とは、アッラーのみが有する権利や性質において、アッラー以外の何かを共有させる信仰や行為のことを指します。

[32] 来世においてアッラーが彼に授けた水飲み場のことで、そこから飲んだ者は永久に渇きを覚えることがないと言われます。

[33]「数ヶ月」とは一般に、イスラーム暦の10月、11月、そして12月の最初の10日間の計2ヶ月10日間のことです。

[34] 「タウヒード」とは、その主性、崇拝される対象としての権威、美名と属性におけるアッラーの唯一性を示す概念です。

[35] 一番目と二番目はいわゆる「主性におけるタウヒード」と呼ばれているものです。これはアッラー以外にはいかなる創造主も供給者も、維持者も所有者もいないという概念です。

[36] 一方これは「崇拝される対象としてのタウヒード」と呼ばれるものです。

[37] これは「美名と属性のタウヒード」と呼ばれているもので、アッラーの美名と属性はかれにのみ帰されるべきものであり、そこにおいていかなるものもかれに匹敵したりはしないことを示しています。

[38] ムスリムとなるには、証言の意味を理解して確信をもって信仰するだけでは十分ではありません。厳密にはそれを発声して受容し、ムスリムとなることを受け入れる必要があります。

[39] ムスリムとなるには、証言の意味を理解して確信をもって信仰し、それを発声して受容し、ムスリムとなることを受け入れるだけでは十分ではありません。更にそれに則って行動する必要があるのです。

[40] 「イフサーン」とは、語学的には何かをよい形で行う者を意味しますが、ここでは預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の手法に則ってアッラーゆえに真摯に善行を積む者の事を指しています。アッラーはここでかれへの服従と善行を並置させていますが、それらを実践する者は証言という「堅固な取っ手を握り締めた者」となるでしょう。

[41] 上記の全ての条件を満たしていたとしても、心の内に不信仰を潜めていたとしたら、ちょうど偽善者のような状態になってしまいます。

[42] 上記の全ての条件を満たしていたとしても、死人に向かって何らかの願いを叶えてもらおうと祈ったりするなど、崇拝行為をアッラー以外の何かに向けていたら純粋なアッラーの崇拝を行っていることにはなりません。

[43] 「スンナ」とは預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のことです。

[44] 「ザカー」というアラビア語には、清浄にするという意味もあります。

[45] 植物の一種。その枝は、スィワーク(歯磨き用に用いる小枝)に最適とされます。

[46] 協議する物事は、クルアーンとスンナにおいていかなる言及もされてはいないことに限定されます。

[47] 「シルク」とは、アッラーのみが有する権利や性質において、アッラー以外の何かを共有させる信仰や行為のことを指します。

[48] ムハンマド章(47:22)

[49]  イスラーム法上の授乳を通して形成された、特別な親族関係のことです。

[50]  「アブー・何某(何某のお父さん)」といった風に、その息子の名をつけて呼ぶこと。

[51] 「ムハージル」とはアッラーのために不信仰の地から、イスラームの地へと移住する者のことです。

[52] 眼病を予防したりする目的で目の周りに付ける黒い粉のことで、硫化アンチモンのことです。マスカラのように、その容器に棒状の物を入れて使用します。

[53] 「シルク」とは、アッラーのみが有する権利や性質において、アッラー以外の何かを共有させる信仰や行為のことを指します。

[54] 「アル=アズラーム」とは、当時賭け事やくじ引きに使われていた火打石のことであると言われます。

[55] 植物の一種。その枝は、スィワーク(歯磨き用に用いる小枝)に最適とされます。

[56] 「アル=アズラーム」とは、当時賭け事やくじ引きに使われていた火打石のことであると言われます。

[57] 「ムハージルーン」はマッカからマディーナへと宗教迫害を逃れて移住した信仰者たちで、「アンサール」は彼らをマディーナで迎え入れ、財や住居などの物質的側面と精神的側面から援助した信仰者たちのこと。

[58] つまり、そうする時期を問わないということです。

[59] アッラーの命に反する者は悪魔に従う者であり、その意味で預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)はこの言い回しを用いたのだという解釈があります(アル=ムバーラクフーリー著ジャーミゥ・アッ=ティルミズィー解説「トフファト・アル=アフワズィー」より)。

[60] 第一次・第二次世界大戦に参加したイギリス海軍将校。キリスト教の環境と文化を背景に育ち、それに深い影響を受けましたが、クルアーン及び諸々のイスラーム文学に出会ったことで1924年にイスラームに改宗しました。

[61]  1954年アメリカのミシガン州生まれ。ミシガン大学でジャーナリズムの学士を取得。イマードッディーン・ハリール著「イスラームについて彼らは何を語っているか?」からの抜粋です。

原典:

カテゴリー:

フィードバック