イスラームでの 第一歩 ()

 

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 イスラームでの第一歩

アブドゥッラフマーン・アッ=シーハ博士著

サイード佐藤訳

 はじめに

全ての賞賛は、万有の主アッラーにあり。そしてかれがその使徒ムハンマドとその系譜を称揚され、平安を与えて下さいますよう。

まず私は、あなたがアッラーからのお導きという偉大な恩恵を授かったことに関し、心よりのお祝いを申し上げたいと思います。アッラーが、全ムスリムをかれとの謁見の日まで、この偉大な宗教のもとに変わることなく、そして試練に屈することのないように堅固にして下さいますよう。

真のムスリムというものは誰かがイスラームを受容することに、大きな喜びを見出すものです。というのも真のムスリムは他者にもよきことを願い、かつ彼らにも自分と同様の人生‐つまり精神的・心理的喜びに満たされた安寧と歓喜溢れる人生‐を送って欲しいと望むからです。そしてこのことは、イスラームの教えを実践すること以外には達成されません。アッラーはこう仰っています:

-男性であれ女性であれ正しい行いをする信仰者には、われら(アッラーのこと)がよい暮らしを送らせよう。そして彼らが行っていたものに対し、最良の報奨をもって報いよう。,(クルアーン16:97)

一方でアッラーは、かれとかれの啓示したものを信じない者の状況について次のように証明されています:

-そしてわれの訓戒から背き去る者には、実に苦しい生活があろう。そして更に、われら(アッラーのこと)は審判の日に彼を盲目にして蘇らせよう。彼は言う:「主よ、なぜ私を盲目にして召されたのですか?私は(現世では)目が見えましたというのに。」(アッラーは仰られる:)「お前のもとにわれら(アッラーのこと)のみしるしがやって来たが、お前はそれを忘れたのだ。そしてこの日、お前も同様に忘れ去られよう。」,(クルアーン20:124-126)

また真のムスリムは、来世において永遠の幸せを満喫しつつ暮らすことを望みます。来世での歓喜に終焉はありません。アッラーはこのように仰っています:

-信仰し善行に励む者たちこそには、フィルダウスの楽園がその住まいとして与えられよう。(彼らは)そこに永遠に(留まり)、そこから(別の場所への)移転を望んだりはしない。,(クルアーン18:107-108)

最後の時は必ず訪れます。そしてそこで待ち受けているものは永遠の至福か、あるいは永遠の後悔かのいずれかなのです。不信仰の状態のまま死を迎える者は‐アッラーからのご加護を祈りましょう‐、永劫の地獄の業火に入ることになります。アッラーはこう仰っています:

-啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)と多神教徒たちの内で(真実を)隠蔽し認めない者たちは、地獄の業火に永遠に留まることになる。彼らこそは創造物の内でも最悪の者たちなのだ。,(クルアーン98:6-8)

親愛なる兄弟姉妹の皆様。アッラーがあなた方をイスラームへと導かれ、不信仰から救われたのは、本当に偉大なアッラーの祝福であり恩恵です。多くの人々は、正しい宗教を知るという導きをまだ与えられてはいませんし、またイスラームが正しい宗教であることを知ってはいる多くの人々でさえも、イスラームを遵守するという導きを授かってはいないのですから。ゆえに兄弟姉妹の皆様、あなた方はこのアッラーの恩恵と、かれから授かったこの贈り物に対してかれに感謝しなければなりません。アッラーが審判の日のその時まで、あなた方をこの宗教において堅固にして下さいますよう。アッラーはこのように仰っています:

-彼ら(イスラームを真摯な意図で受容していない者たち)は、彼らがイスラームを受け入れたことであなたに恩を着せようとしている。言え、「あなた方がイスラームに改宗したからといって、私に恩着せがましくするのではない。いや、もしあなた方が本当のことを言っているというのなら、実にアッラーこそはあなた方に信仰でもって恩を施されたのである。」,(クルアーン49:17)

私たちは皆、アッラーを必要としています。アッラーはこう仰っています:

-人々よ、あなた方こそはアッラーを必要としているのである。そしてアッラーこそは何ものをも必要としない十全なお方であり、全ての讃美に値するお方なのである。,(クルアーン35:15)

アッラーは私たちのことなど、必要とされません。かれは私たちの服従行為や崇拝行為によって利を得ることなどもなければ、私たちの不信仰や不服従によって害を蒙ることなどもないのです。アッラーはこう仰ります:

-あなた方が不信仰に陥ろうと、アッラーはあなた方のことなどそもそも必要ともされていないのである。そしてかれは、(信仰者の)しもべたちの不信仰をお悦びにはなられない。そしてもしあなた方が感謝するならば、それをあなた方にお悦びになられる。,(クルアーン39:7)

アッラーの使徒(ムハンマド‐彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、聖なるハディース[1]の中でこう伝えています:

「アッラーはこう仰った:“わがしもべたちよ!われは自らに不正を禁じ、またそれをあなた方の間に関しても禁じたのだ。ゆえに互いに不正を働き合ってはならない。

わがしもべたちよ!われが正道へと導くことがなければ、あなた方は皆迷妄の中にあるのだ。ゆえにわれに正しい導きを求めよ、そうすればわれはあなた方を導くであろう。

わがしもべたちよ!われが糧を与えることがなければ、あなた方は皆飢餓の中にあるのだ。ゆえにわれに糧を求めよ、そうすればわれはあなた方に糧を与えるであろう。

わがしもべたちよ!われが衣服を着させることがなければ、あなた方は皆裸なのだ。ゆえにわれに衣服を求めよ、そうすればわれはあなた方に衣服を着せてやろう。

わがしもべたちよ!あなた方は昼に夜に過ちを犯すものであるが、われは全ての罪を赦すことが出来るのである。ゆえにわれに罪の赦しを乞うのだ、そうすればわれはあなた方の罪を赦すであろう。

わがしもべたちよ!あなた方はわれを害することも出来なければ、われを益することも出来ない。

わがしもべたちよ!もしあなた方の内の最初の者と最後の者[2]、人間とジン[3]が皆あなた方の内で最もアッラーを畏れる者の心のようであっても、それがわが王権に少しの増大ももたらすことはない。

わがしもべたちよ!もしあなた方の内の最初の者と最後の者、人間とジンが皆あなた方の内で最も放埓な者の心のようであっても、それがわが王権に少しの欠損ももたらすことはない。

わがしもべたちよ!もしあなた方の内の最初の者と最後の者、人間とジンが一同1つの丘に立ってわれに何かをこいねがい、そしてわれが各人の願いを叶えてやったとしても、それはわが御許において大海に落ちた一本の針を拾い上げた時についてくるしずく程度の量すらも影響を受けることがない。

わがしもべたちよ!あなた方はあなた方の行いによって問われるのであり、それによって報われるのだ。ゆえによきものを見出したならアッラーを讃え、そうでないものを見出したのなら自らを咎めさせよ。”」(ムスリムの伝承:2577)

 どのようにしてムスリムになるか?

ムスリムになるには、特別な宗教儀式や慣例などがあるわけではありません。また特定の場所や観衆の面前で行うこともありません。これはイスラームにおいて、人がいかなる仲介役も介することなくその主との直接的な関係を有している事実によるものです。

またムスリムになるのに、非常な努力を払う必要などもありません。ただ簡単な幾つかの言葉を、その意味を理解しつつ発するだけでよいのです。

ムスリムになろうと決心した者は、イスラームの範疇に足を踏み入れるためにシャハーダターン[4]を口にしなければなりません。それは以下の通りです:

「アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー、ワ・アシュハドゥ・アンナ・ムハンマダン・アブドゥッラーヒ・ワ・ラスールフ。」

この意味は次の通りです:私は、アッラー以外に真に崇拝すべきものがないことを証言します。そしてムハンマドはアッラーのしもべであり、かれの使徒であることを証言します。

この言葉こそがイスラームに入るにあたっての鍵です。この証言をすることで、人はイスラーム以外の宗教や信仰との関係を断ち切るのです。そしてこの証言によって、人は全ムスリムが享受する諸権利を得る一方、全ムスリムに課されている諸義務行為も果たさなければならなくなります。また彼の財産や名誉、生命は、イスラームが定めた正当な理由が伴わない限り、保証されます。ムスリムはその表面的な行為によって判断されるべきである、というのは真実ですが、その心中にある真実はアッラーこそがご存知です。それではシャハーダターンの意味とは何でしょうか?

 シャハーダターン(二つの信仰証言)「ラー・イラーハ・イッラッラー」の意味

これは一般にタウヒード[5].の言葉、と呼ばれるものです。アッラーは実にこの概念ゆえに全宇宙の創造を行われ、天国と地獄を創られました。アッラーはこう仰っています:

-そしてわれ(アッラーのこと)はジンと人間を、われを崇拝させるべくして創造したのだ。,(クルアーン51:56)

アーダム(アダム)から最後の使徒ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)まで、全ての預言者と使徒がその民をいざなったのが、この信仰でした。アッラーはこのように仰っています:

-あなた以前にわれら(アッラーのこと)が遣わした使徒の内で、「われ(アッラーのこと)の他に真に崇拝すべきものはない。だからわれを崇拝するのだ。」という啓示を与えなかった者はいなかったのである。,(クルアーン21:25)

 シャハーダの意味

「アッラー以外に真に崇拝するべきものはなし」という意味の第一の証言には、以下のような意味が含まれてきます:

·       アッラーこそが真に崇拝に値する存在であるということ[6]。アッラーはこう仰っています:

-アッラーにこそ、天にあるものも地にあるものも属しているではないか?アッラーを差し置いて(彼らがその)併置者(と見なすもの)を拝している者たちは、(実際のところ)それらに従っているわけではない。彼らは実に(根拠なく)憶測しているに過ぎない。彼らは嘘をついているのである。,(クルアーン10:66)

·       アッラーこそが全存在の創造主であるということ。アッラーはこう仰っています:

-かれこそがアッラー、あなた方の主である。かれ以外に崇拝すべきものはない。かれは全ての創造主であるのだ。ゆえにかれを崇拝せよ。かれは全てにおいて(そのしもべから)委任されるべきお方なのである。,(クルアーン6:102)

·       アッラーこそが全存在の真の所有者であり、その諸事を司る唯一のお方であること[7]。アッラーはこのように仰っています:

-かれにこそ創造と全ての権限は属する。万象の主アッラーの崇高さよ。,(クルアーン7:54)

·      かれに美名と属性が属すること[8]。かれはいかなる不完全性からも無縁なお方です。アッラーはこのように仰っています:

-そしてアッラーにこそ美名が属するのであるから、それをもってかれに祈願するのだ。かれの美名をないがしろにするような輩は放っておくがいい。いずれ彼らは自分たちが行っていたところのもので報いを受けるだろうから。,(クルアーン7:180)

 シャハーダの諸条件

この証言はただ単に発声するだけでは、アッラーに受け入れられるものとなるに十分ではありません。それは天国の扉への鍵ではあっても、それを有効に使用することが出来るようになるよう、ある一定の溝を刻み込まなければならないのです。この証言がアッラーに受け入れられるものとなるための条件は、以下に示す通りです:

1. 知識:これは、アッラーを差し置いて崇拝されているあらゆる存在が、虚妄であることを知ることです。預言者や使徒、天使などであろうと、アッラー以外に真に崇められるべき存在はありません。サラー(礼拝)や祈願、犠牲や誓願など、あらゆる種類の崇拝行為はアッラーにのみ向けられなければならないのです。

ゆえに、何らかの崇拝行為をアッラー以外の何かに向けるという行為は、一種の不信仰となるのです。これは例え証言の言葉を口にしていたとしても、関係ありません。

2. 確信:つまり二つの証言の意味を、心から確信することです。確信の反対は疑惑ですが、この信仰において疑惑やためらいなどがあってはなりません。アッラーはこう仰いました:

-信仰者というものはアッラーとその使徒を信仰し、その後(その信仰に)疑念を抱くことなく、財と生命をかけてアッラーの道に奮闘する者たちのことである。彼らこそは真に信仰する者たちである。,(クルアーン49:15)

3. 受容:証言の内容は完全に受け入れ、それを拒む気持ちがあったりするべきではありません[9]。 アッラーはこう仰いました:

-彼らは実に「アッラーの他に真に崇拝すべき何ものもなし」と言われれば、奢り高ぶったものだったのだ。 ,(クルアーン37:35)

4. 服従:証言の内容が要求することに従い、それに沿って行動することです[10]。そしてアッラーが命じることを行い、かれが禁じることを回避しなければなりません。アッラーはこう仰いました:

-そしてアッラーのみに真摯に向かって服従し、イフサーン[11]の徒である者は堅固な取っ手を握り締めた者。そして全ての物事の結末は、アッラーへと還り行く。,(クルアーン31:22)

5. 真摯さ:証言を口にするにあたって、真摯でなければなりません [12]。アッラーはこう仰っています:

-彼ら(アッラーの使徒の命に背いて出征しなかった者たち)はその舌で、心にもないことを語っている。,(クルアーン48:11)

6. 崇拝の誠実さ:つまり全ての崇拝行為を、アッラーのみに誠実に捧げることです[13]。アッラーはこう仰いました:

-そして彼らは純正な宗教の徒として、彼らの宗教をアッラーのみに真摯に捧げて崇拝し、サラー(礼拝)を行い、ザカー(浄財)を施すことしか命じられてはいなかったのだ。,(クルアーン98:5)

7. 敬愛:この証言をする者は、その証言とそれが要求するもの全てを愛さなければなりません。つまりアッラーとその使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)、そしてその正しいしもべたちを愛し、彼らに敵対する者には敵対する必要があります。また例えそれが自分の私欲と一致しないことであっても、アッラーとその使徒への愛情を何よりも優先することが求められます。アッラーはこう仰いました:

-言え、「あなた方の父親や子息、兄弟姉妹や配偶者、近親やあなた方の稼いだ財産、またあなた方が不景気になることを恐れている商売や、あなた方の意に適った住まいがアッラーとその使徒、そしてその道における奮闘よりもあなた方にとって愛すべきものであるのならば、アッラーが事を決行されるまで待つがよい。アッラーは放縦な民をお導きにはなられないのだ。」,(クルアーン9:24)

またこの証言は、アッラーのみが法を定める権威を有するということを認めることにも繋がります。崇拝行為に関することであろうと、個人あるいは社会間における人間関係に関することであろうと、そこに違いはありません。

何かを合法としたり非合法としたりする権威は、アッラーにのみ属します。またその使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、アッラーのいかなる命令も隠蔽することがありません。アッラーはこう仰いました:

-使徒が命じた物事を行い、彼の禁じた物事を避けよ。,(クルアーン59:7)

 アッラーへの信仰がもたらす諸利益

1.シャハーダの諸条件を満たす者は、自分自身を人間崇拝から解放し、その崇拝行為の全てを人間の創造主へと献じます。このことは人間を、真の独立性へといざないます。アッラーはこのように仰っています:

-言え、「あなた方がアッラーを差し置いて祈っているものは、もしアッラーが私に何らかの災厄をお望みになられた時、その災厄を除去することが出来るとでも言うのか?あるいはかれが私にご慈悲をお望みになられた時、そのご慈悲を(実現させぬよう)押し留めることが出来るとでも?」言え、「私にはアッラーだけで十分だ。アッラーにのみ全てを委ねる者には、かれにこそそうさせるがよい。 ,(クルアーン39:38)

2.心と意識、そして精神の平安。アッラーはこう仰ります:

-(彼らとは)信仰し、その心がアッラーのズィクル(唱念)で平穏である者たち(である)。アッラーのズィクルによって心が平穏にならないことがあろうか。,(クルアーン13:28)

3.苦境の折に、立ち返ることが出来る誰かがいるということを知ることによって得られる安心感。アッラーはこのように仰っています:

-そして海上であなた方に災厄が降りかかれば、あなた方はかれ(アッラー)のみに祈願する。しかしいざ(かれが)あなた方を陸上へお救いになれば、あなた方は(かれから)背く。実に人間とは忘恩の徒である。,(クルアーン17:67)

4.アッラーを崇拝することによって得られる精神的喜び。これは人がその実現を追求する究極的な目的(つまり天国)は、死後にしか到達出来ないという事実に基づいています。それでムスリムは善行や、全ての崇拝行為を純粋にアッラーのみに捧げることによって、その目的達成のために絶え間なき努力をするのです。アッラーはこう仰ります:

-言え、「私のサラー(礼拝)も献身も、生も死も、ひとえに万有の主アッラーゆえである。かれにはいかなる共同者もない。私はこのように命じられたのだ。そして私はムスリム(アッラーの教えに従って受け入れた者)の先駆けである。」,(クルアーン6:162)

5.アッラーを信仰する者に与えられる導きと成功。アッラーはこのように仰っています:

-…そしてアッラーを信仰する者は、かれがその心をお導き下さる。,(クルアーン64:11)

6.善行と、人々へイスラームを伝達することへの愛情。アッラーはこのように仰りました:

-それで小蟻1匹の重さほどでも善行を行った者は、(その日)それを目の当たりにする。,(クルアーン99:7)

また使徒ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言っています:

「誰かを一つの善行へと導く者は、実際にそれを行ったようなものである(つまり彼はその行為の報奨を手にする)。」(アッ=ティルミズィーによる伝承:2670)

そしてアッラーを信仰する者は、アッラーが私たちに仰られる全てのことも信じなければなりません。それらの物事について、以下に見ていきましょう。

 諸天使への信仰

ムスリムは天使の存在を信仰しなければなりません。彼らは不可知の領域に属しており、アッラー以外に彼らの正確な数を知る者はありません。彼らはただアッラーに服従し、その命令を遂行するために創造されました。また彼らはアッラーの御意志とご命令に基づき、全宇宙における物事の遂行や監視、そして被造物の保護などの役割を果たしています。アッラーはこう仰いました:

 -メシア(イーサー)は、アッラーのしもべであることを慢じたりはしない。またかれのお傍に召されている天使たちも、同様である。…,(クルアーン4:172)

天使はアッラーと、人類に属するその使徒たちとの間の特使の役割を担っています。アッラーはこう仰いました:

 -そしてそれ(クルアーン)は万有の主からの啓示である。(それは)忠義なる魂(天使ジブリール‐ガブリエル)によって下った。警告者となるべく、あなたの心に。明瞭なアラビア語によって。,(クルアーン26:192-195)

またアッラーは、彼らを様々な役割を遂行させるために創造しました:  

-彼ら(天使たち)はその上にそびえておられる彼らの主を畏れ、かれに命じられるままのことを遂行する。,(クルアーン16:50)

天使はアッラーの共同者や同位者、子供などではありませんが、ムスリムは彼らに対し敬意を払い、敬愛しなければなりません。アッラーはこう仰っています:

-そして(不信仰者たちは)言う:「慈悲深いお方(アッラーのこと)は子をもうけられた。」かれは(そのようなこととは)無縁な崇高なるお方である。彼ら(天使たち)は栄誉高いしもべであるのだ。彼らはかれ(アッラーのこと)に先んじて喋ることもなく、ただかれの命を遂行するのみである。,(クルアーン21:26-27)

天使たちは常にアッラーを崇拝し、かれに服従し、また讃美しています。アッラーはこう仰いました:

-(天使たちは)昼夜に(その主の)崇高さを讃美し、休むこともないのだ。,(クルアーン21: 20)

天使は光から創造されました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「天使は光から、ジン(精霊的存在)は無煙の炎から、そしてアーダムはあなた方に示された物(土塊)から造られた。」(ムスリムの伝承:2996)

また彼らは光から造られたにも関わらず、視覚で捉えることが出来ません。しかしアッラーは彼らの姿が見えるよう、その姿を変化させる能力を与えました。アッラーは天使ジブリールが人間の男性の姿でマルヤム(マリヤ)のもとを訪れたことに言及しています:

-それで彼女(マルヤム)は、彼らから(身を遮る)幕を垂れた。それからわれら(アッラーのこと)は彼女に、われらの精霊(天使ジブリール)を遣わした。彼は一人の完全な男性の姿で彼女の前に現れた。彼女は言った:「私はあなたに対し、最も慈悲深いお方のご加護を乞います。もしかれを畏れるのならば(、私に近付かないで下さい)。」彼は言った:「私はあなたに清純な男子を授けるために、あなたの主から遣わされた者です。」,(クルアーン19:17-19)

また預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、天使ジブリールをアッラーが創造したままの姿で目撃しています。それは六百の翼を備え、その巨大さゆえに地平線を覆ったとまで伝えられています。(アル=ブハーリーの伝承:3063)

アッラーはある種の天使の名称と役割を明らかにしています。例えばジブリールは啓示の伝達の役割を担っています。アッラーはこう仰いました:

-(クルアーンは)忠義なる魂(ジブリール)によって下った。警告者となるべく、あなたの心に。明瞭なアラビア語によって。,(クルアーン26:193-195)

またイスラーフィールは、復活の日にラッパを吹く役目を担っており、ミーカーイールは雨と植生の役割を担います。また全ての者には二人の天使がついており、一人はその善行を、そしてもう一人はその罪を記録するよう命じられています。アッラーはこう仰いました:

-二人の受け取る者(天使)が(人の)右と左に座して、(その言葉や行い)を受け取るのだ。(人が)語る全ての言葉は、記録し看視する者の面前を免れることはない。,(クルアーン50:17-18)

また死の天使は、人が死ぬ時にその魂を収集する役目を託されています。アッラーはこう仰いました:

 -言え、「あなた方に託された死の天使があなた方(の寿命)を満了させ、それからあなた方はその主の御許へと戻されるのだ」。,(クルアーン32:11)

またマーリクは地獄の業火の番人です。アッラーはこう仰いました:

-(地獄の民はこう)呼びかける:「マーリクよ、あなたの主に頼んで一思いに私たちを殺してしまってくれ。」(マーリク)は言う:「いや。あなた方はそこに留まるのだ。」,(クルアーン43:77)

また天国の番人を勤めるリドワーンという天使もいますし、人間を守る役割を委ねられた天使もいます。天使の種類はもっと沢山ありますが、いずれも特定の役割を担っています。その内のある者たちはクルアーンとハディース(預言者の言行録)の中で言及されており、またある者たちは言及されてはいませんが、ムスリムは彼ら全てを包括的な形で信仰しなければならないとされています。

 諸天使への信仰がもたらす諸利益

[1] アッラーの偉大さとその威力、その全てを包括する知識と御意志を知ること。被造物の壮大さは、その創造主の壮大さの証明でもあります。

[2]天使が傍で自分の全ての言行を監視していること、そして全ての言行は自分を益するものか害するものかでしかないということを実感していること。また一人きりでも公衆の面前でも罪を避けさせ、善行へ駆り立たせる効果もあります。

[3] 不可知の領域に関する誤った信仰から生じ、虚偽や迷信などからの脱脚。

[4]アッラーがそのよきしもべに示してくれるご慈悲について知ること。というのもアッラーは全人に対して彼らを守り、その諸事を配慮するための天使を任命されているからです。

 アッラーの諸啓典への信仰

ムスリムは、アッラーがその使徒たちに啓典を下し、その人類への伝達を命じたことを信仰しなければなりません。これらの啓典は全て、啓示された時点では真実以外の何も包含してはいませんでした。それらにはアッラーの唯一性、かれ以外には創造者も真の管理者も所有者も存在しないこと、そして全ての崇拝行為はかれのみに捧げられなければならず、かれにこそ全ての美名と卓越した属性が属していることなどのメッセージが示されていたのです。アッラーはこう仰いました:

-われら(アッラー)は、明証と共にわれらの使徒たちを遣わした。そして彼らと共に啓典と秤も下したが、それは人々が公正を行使するためだったのである。,(クルアーン57:25)

そしてこれらの諸啓典には以下のようなものがあります:  

[1]イブラーヒーム(アブラハム)とムーサー(モーゼ)の書:クルアーンはこれらの書の中に存在する、いくつかの宗教的基礎に簡潔な形で言及しています。アッラーはこう仰いました:

-それともムーサーの書にあることが、告げられなかったというのか?そして(信託を)完遂したイブラーヒームのそれも?魂は他の魂の重荷を負わされることはない。そして人間は、自らが努力したもの以外のものを得ることはない。彼は自分の努力を目にするであろう。それから十分な報いを受けるであろう。そして行き着く先は、あなたの主以外の何ものでもないのだ。,(クルアーン53:36-42)

[2]トーラー:トーラーはムーサーに下された、聖なる書です。 アッラーはこう仰いました:

 -実にわれら(アッラーのこと)は、正しい導きと光を宿したトーラーを下した。アッラーに服従した預言者たちは、それでもってユダヤ教徒たちを裁いていたのだ。そしてまた学識豊かで敬虔な者たちや律法学者らも(そうした)。それは彼らがアッラーの書(トーラー)の保持を託され、また(そこに記されていることに対する)証人であったためである。ゆえに人々を恐れず、われ(アッラーのこと)を畏れよ。僅かな値段でもってわがみしるしを売ったりしてはならない。そしてアッラーの下されたもの(イスラーム法)以外のもので裁く者こそは、不信仰者なのである。,(クルアーン5:44)

[3]ザブール(詩篇): ザブールは預言者ダーウード(ダビデ)に下された書です。アッラーはこう仰いました:

 -…そしてわれら(アッラーのこと)はダーウードに、詩篇を下した。,(クルアーン4:163)

 [4]福音書:福音書はイーサー(イエス)に啓示された聖典です。アッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)は、それ以前に下されたトーラーの中にあるものを確証するため、マルヤムの子イーサーに彼らの跡を踏襲させた。そしてわれらは、彼に正しい導きと光を宿した福音を授けた。それはそれ以前に下されたトーラーの中にあるものを確証し、アッラーを畏れる者たちへの導きと訓戒とするためである。,(クルアーン5:46)

ムスリムは全ての啓典を信じ、またそれらが本来アッラーから下されたものであるということを信仰しなければなりません。但しそれらの啓典は特定の時代に特定の民に下されたものであるため、ムスリムがその法を堅持することは許されません。

 またクルアーンは預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が将来遣わされることなど、トーラーと福音書の中に見出されるある種の内容についても言及しています:

-(アッラーは)仰った:「わが懲罰は、われが望む者に降りかかるのだ。そしてわが慈悲は全てのものを包み込んでいる。ゆえにわれは(われを)畏れ、ザカー(浄財)を払い、われら(アッラーのこと)のみしるしを信じる者たちにそれを授けよう。」トーラーと福音書の中に記されているのを彼ら(啓典の民)が見出すところの、文盲の使徒、預言者(ムハンマド)に従う者たち。彼こそは善を勧め悪を禁じ、彼らによきものを合法なものとし、悪しき物を彼らに禁じる。そして(彼は)彼らが背負っていた重荷と、彼らにはめられていた枷を取り除くのだ。ゆえに彼を信仰し、また敬いかつ援助して、彼と共に下された光に追い従う者たちこそは、真の成功者なのである。,(クルアーン7:156-157)

 [5]聖クルアーン:ムスリムはクルアーンに関して、以下に挙げるような信仰を持たなければなりません:

a.ムスリムは、クルアーンが天使ジブリールを通して預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)にアラビア語で下された、アッラーの御言葉であることを信仰しなければなりません。アッラーはこう仰いました:

 -そしてそれ(クルアーン)は万有の主からの啓示である。(それは)忠義なる魂(ジブリール)によって下った。警告者となるべく、あなたの心に。明瞭なアラビア語によって。,(クルアーン26:193-195)

b.ムスリムは、クルアーンがタウヒードのメッセージとアッラーへの崇拝と服従義務に関し、それ以前の諸啓典を確証する最後の啓典であることを信じなければなりません。それ以前の啓典の全ては、クルアーンによって撤回されました。アッラーはこう仰ります:

-(アッラーは)真理をもってあなたに、それ以前のものを確証する啓典を下された。そしてそれ以前にもトーラーと福音を人々への導きとして下され、また(真理と虚妄の)識別を下された。,(クルアーン3:3-4)

c.ムスリムはクルアーンに全ての神聖な法が言及されていることを信じなければなりません。アッラーはこう仰いました:

-この日われ(アッラーのこと)はあなた方に対し、あなた方の宗教を完成させた。そしてあなた方への恩恵を全うし、イスラームがあなた方の宗教であることに満足した。,(クルアーン5:3)

d.ムスリムは、クルアーンがそれ以前の諸啓典のように特定の民族に下されたのではなく、全人類に下されということを信じます。アッラーはこのように仰っています:

-そしてわれら(アッラーのこと)はあなたを、福音と警告を告げる者として人類全てに向けて遣わした。しかし多くの人々は知らないのだ。,(クルアーン34:28)

e.ムスリムは、アッラーがクルアーンをあらゆる改竄や歪曲、付加や損傷などから守られるということを信じます。アッラーはこう仰っています:

-実にわれら(アッラーのこと)は、訓戒(クルアーン)を下した。そしてわれらはその守護者なのである。,(クルアーン15:9)

アッラーの諸啓典への信仰がもたらす諸利益

[1]アッラーのそのしもべに対する寵愛とご慈悲の実感。かれがこれらの啓典を下したのは、全てそのしもべをかれのご満悦へと続く道へと導くためであったに他なりません。かれは人類を混乱と、シャイターン[14]の邪悪な策略から守ったのです。  

[2]アッラーの偉大な英知の実感。かれは特定の民に、その時代と彼らの状況に沿った法を定められました。

[3]真の信仰者とそうでない者との判別。自らに下された啓典を信じる者は、他の啓典も信じなければなりません。

[4]信仰者の善行の増加。ある啓典を信じていた者は、その後に到来した啓典を信じることで倍の報奨を得ることになります。至高のアッラーはこう仰いました:

-われら(アッラーのこと)がそれ以前に啓典を授けた者たちは、それを信じよう。それ(クルアーン)が朗誦されれば、彼らはこう言うのだ:「私たちはこれを信じました。これこそはわれらが主からの真理です。私たちはこれ以前からムスリム(アッラーの教えを受け入れて従った者)でした。」彼らは彼らが辛抱したことによって、倍の報奨を与えられよう。彼らは悪行を善行でもって返し、われらが恵んだ物から施すのだ。,(クルアーン28:52-54)

 アッラーの諸使徒への信仰

アッラーが特定の法規定と共に被造物に対し遣わした使徒たちが、人類の中で最も優れた者たちであるということは、ムスリムにとっての基本的信仰です。使徒たちは人々がアッラーを崇拝し、かれに従い、かれの宗教と唯一性を確立するための特定の法規定を携えて遣わされました。そして使徒が遣わされた後、人々がアッラーに対して何の弁解も出来ないようにした[15]のです。

また使徒たちは、彼らと彼らが携えて来たものを信仰する者に約束されたアッラーのご満悦と天国の福音を伝えると同時に、それらを拒む者たちに約束されたアッラーのお怒りと懲罰を警告するために遣わされました。

-われら(アッラーのこと)は使徒を、警告者かつ福音をもたらす者として遣わす。ゆえに信仰して(自らとその行いを)正す者には恐れも悲しみもないであろう。一方われらのみしるしを虚偽とする者は、彼らが働いていた不義ゆえに懲罰を受けるであろう。,(クルアーン6:48-49)

歴史上遣わされた使徒と預言者は数あまたであり、その正確な数はアッラー以外誰も知りません。アッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)はあなた以前にも使徒たちを遣わした。彼らの内のある者はあなたに語って聞かせたが、ある者は語って聞かせなかった。,(クルアーン40:78)

しかしムスリムは彼ら全員を信じなければならず、また彼らが超自然的存在などではなく人間であったことを信じます。アッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)があなた以前に、人間の男性以外の者に啓示を与えることはなかった。もし(そのことを)知らなければ、訓戒の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)に訊ねてみよ。またわれら(アッラーのこと)は彼ら(使徒と預言者)を、食事も摂らないような肉体にはしなかったし、不死者ともしなかった。,(クルアーン21:7-8)

使徒や預言者たちは、アッラーに相似するいかなる性質も有してはいません。彼らは、彼ら自身では害益をもたらす力を持ち合わせてはいないのです。また彼らには宇宙の諸事を自由に操作したり、望むがままのことを行ったり力も備わってはいません。彼らはアッラーのみが権能を有するところにおいて、無力なのです。アッラーはこう仰いました:

-言え(ムハンマドよ)、「私はアッラーのご意思に叶うこと以外、自らに(何かを)害(する権威)も益(する権威)も持ち合わせてはいない。もし私が不可知の領域を関知していたら、よいことばかりを集め、災難は回避することが出来ただろう。」,(クルアーン7:188)

また彼らの内のある者は信じるが、別の者は信じない、といった考えはイスラームにおいて不信仰に陥ることを意味します。アッラーはこう仰いました:

-アッラーとその使徒たちを信じず、アッラーと彼らの間を分け隔てようとする者たち。そして「私たちは(使徒たちの)これこれの者たちは信じるが、他の者たちは信じない。」などと言って、その(信仰と不信仰)間に道を見出そうとする者たち。彼らこそは真に不信仰者である。そしてわれら(アッラーのこと)は不信仰者たちに対し、屈辱の懲罰を用意しておいたのだ。,(クルアーン4:150-151)

またアッラーはある使徒たちを、「ウルル=アズム(敢然たる者たち)」と名付けています。彼らはメッセージの伝達において最も敢然かつ、忍耐強い者たちでした。彼らはヌーフ(ノア)、イブラーヒーム、ムーサー、イーサー、ムハンマドの五人です。彼ら全員にアッラーからの称揚と、ご加護がありますよう。

その内の最初の預言者はヌーフです。アッラーはこう仰いました:

-実にわれら(アッラーのこと)は、ヌーフとそれ以後の預言者たちに啓示したように、あなたにも啓示を下した。,(クルアーン4:163)

そして預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)こそは最後の使徒であり、彼以後には最後の日が到来するまでいかなる使徒も預言者も出現しません。アッラーはこう仰いました:

-ムハンマドは(彼が授かった本当の彼の子でもない)あなた方の内の誰の父親でもない。しかしアッラーの使徒であり、最後の預言者なのだ。,(クルアーン33:40)

またムスリムは、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がもたらした宗教が、それ以前の宗教を撤回するものであるということを信じます。そしてイスラームこそが従うべき真実かつ完璧な最後の宗教であり、最後の日が到来するまでそうあり続けるということを信じるのです。

 ムハンマドとは誰か?

彼の名は、ハーシムの息子アブドル・ムッタリブの息子アブドゥッラーの息子、ムハンマドです。彼はアッラーのご寵愛を一身に受けたそのしもべである使徒イブラーヒームの息子イスマーイール(イシュマエル)の系譜であるアドナーンの子孫、アラブのクライシュ族の出です。

アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「アッラーはイスラエルの子からキナーナ族をお選びになり、そしてキナーナ族からクライシュ族をお選びになった。そしてクライシュ族からバヌー・ハーシム支族をお選びになり、バヌー・ハーシム支族から私をお選びになったのだ。」(ムスリムの伝承:2276)

彼が初めてアッラーから啓示を受けたのは、40歳の時でした。その後彼はマッカで13年間アッラーのみを崇拝することへと人々を招き、その後その住民の多くがイスラームを受容したマディーナ(メディナ)へと移住しました。アッラーはそこで、残りの法規定を啓示しました。そして移住後8年後にマッカ解放に成功し、クルアーンが全て下された後、63歳で亡くなりました。こうしてイスラームの法規定は余すことなく啓示されて完全なものとなり、大半のアラブ人はイスラームを受け入れたのです。

 諸使徒への信仰がもたらす諸利益

[1]アッラーからのそのしもべに対する寵愛とご慈悲の実感:アッラーはその宗教を人々に伝達するために使徒たちを遣わしたのであり、また彼らは人々の間のよき模範でもありました。 

[2]真の信仰者とそうでない者の判別:自らの使徒を信じる者は、その啓典の中に言及されている他の使徒や預言者を信仰しなくてはなりません。

[3]自分たちの使徒や預言者を信じていた者がムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)を信じることで、倍の報奨を得ることになります。

 最後の日への信仰

イスラームでは、この世界での生活がある日終局を迎えるということを信じます。アッラーはこう仰いました:

-かれ(アッラー)の御顔を除く万象は滅び去る。,(クルアーン55:26)

そしてアッラーがこの世の終局を望んだ時、かれは天使イスラーフィールにラッパを吹くように命じます。このとき地上の全てのものは崩壊します。そして再度アッラーが彼にラッパを吹くよう命じた時、アーダムの時代からの全ての者はその墓場から肉体をもって復活するのです。アッラーはこう仰ります:

-そして角笛が吹き鳴らされ、アッラーがお望みになられるもの以外の天地の全てのものは気を失う。それからもう一吹きされると、彼らは立ち上がり眺め回す。,(クルアーン39:68)

最後の日への信仰には、そのことについてアッラーとその使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)が伝えたことの全てを信じるということも要求されてきます。以下に示すのはその主な例です:

1)境界上の生を信じること:境界とは、人が死んでから最後の日を迎えるまでの時間帯を意味します。信仰者はそこにおいて安寧の時を過ごしますが、不信仰者は懲罰を受けます。アッラーはこう仰いました:

-(それは)彼らが(死後復活の時が来るまで)朝に夕に晒される業火。そして審判の日には、(アッラーが天使たちにこう命じられて言われる)「ファラオの一族を最も過酷な懲罰の中に投げ込むのだ。」,(クルアーン40: 46)

2)復活を信じること:アッラーは人々を全裸で裸足のまま、そして割礼されていない状態で復活させられます。アッラーはこう仰いました:

-不信仰者たちは、(死後)蘇らされることなどはないと思い込んでいる。言え、「いや、私の主にかけて。あなた方は蘇らされ、(現世での)所業を通達されるのだ。そんなことはアッラーにとって他愛もないことである。」,(クルアーン64:7)

3)召集を信じること:アッラーはその日全ての被造物を召集し、現世での行いの清算のために呼び集めます。アッラーはこう仰いました:

-そしてその日われら(アッラーのこと)は山々を動き回らせ、あなたは大地(に秘められた全てのもの)が明らかになるのを見るであろう。そしてわれらは彼らを召集し、誰一人としてそれを免れる者はいない。,(クルアーン18:47)

4)その日人々は各自ふさわしい位階を与えられ、アッラーの御前に連れて来られるということを信じること:アッラーはこう仰いました:

-そして帳簿が置かれ、あなたは(真理を否定していた)罪悪者たちがそこに(記されて)あるものに怯えるのを目にするだろう。そして彼らは言うのだ:「何たることだ、この帳簿には(現世で行ったことが)小さいことも大きいことも漏れなく数え尽くされているではないか!?」そして彼らは自ら行ったことを眼前に見る。あなたの主はいかなる者にも不正を施されない。,(クルアーン18:48)

5)その日人の手足までもが、現世でのその行いを証言するということを信じること:アッラーはこう仰いました:

-そして地獄の業火までやって来ると、彼らの聴覚と視覚と皮膚は、彼らが(現世で)行っていたところの悪行を証言し始める。(彼らは)自らの皮膚に向かって言う:「どうして私たちに不利になる証言をするのだ?」(彼らの皮膚は)言う:「あらゆるものを喋らせることのお出来になるアッラーが、私たちを喋らせられたのです。」かれ(アッラー)はあなた方を最初に創られたお方。そしてあなた方は彼の御許へと還るのだ。またあなた方は(現世において)、あなた方の聴覚と視覚と皮膚があなた方(の悪行)を目撃するのを避けることは出来なかった。そしてアッラーがあなた方の行いをよくご存知でないと、高を括っていたのだ。,(クルアーン41:20-22)

6)その日尋問されることを信じること:アッラーはこう仰いました:

-(アッラーは天使たちに言う:)「そして彼らを止めよ。彼らは(現世での所業を)尋問されるのである。」(天使たちは彼らに言う:)「一体どうしたというのか?(現世でそうしていたように)あなた方は(この困難の中で今)助け合わないのか?」いや、(そうすることは出来ない。)その日彼らは完全に降伏しているのだ。,(クルアーン37:24)

7)地獄の業火に架けられた橋を渡らされることを信じること:全ての者がそこを渡らされることになります。アッラーはこう仰いました:

-そしてあなた方は皆地獄(の架け橋)にやって来る。それはあなたの主が必ずご遂行されることなのである。,(クルアーン19:71)

8)現世での行いを秤にかけられることを信じること:その日アッラーは人々を清算のために召集し、善行者‐正しい行いや信仰、使徒たちへの信奉などを遵守していた者‐にはそれにふさわしいものでもって報われます。そして悪行を行っていた者には、懲罰でもって報われるのです。アッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)は審判の日のために公正な秤を設けるゆえ、魂はいかなる不正も被ることがない。そしてからし種一粒ほどの重さ(の行い)でも、われらは提示しよう。われらは清算者として完全なのである。,(クルアーン21:47)

9)現世での行いの帳簿を受け取ることを信じること:アッラーはこう仰いました:

-それでその帳簿を右手に受け取る者は、その清算を易しくされるだろう。そして嬉々として(天国の)仲間の所へ向かうであろう。一方帳簿を背後から受け取る者は、その(来世での)破滅を悔いるであろう。それから燃え盛る炎の中に連れて行かれるであろう。,(クルアーン84:7-12)

10)人は報いを受けるということを信じること:つまり永遠の来世において、天国か地獄かを与えられるということです。アッラーはこう仰いました:

-啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)と多神教徒たちの内で(真実を)隠蔽し認めない者たちは、地獄の業火に永遠に留まることになる。彼らこそは創造物の内でも最悪の者たちなのだ。そして信仰し善行に勤める者たちこそは、創造物の内でも最善の者たちである。彼らのその主の御許での報奨はその下を河川の流れるエデンの園であり、そこに永遠に暮らすのだ。アッラーは彼らにご満悦であり、彼らもまたかれに満悦する。これこそ(現世で)その主を畏れていた者の報いなのだ。,(クルアーン98:6-8)

11)預言者の水飲み場[16]とその執り成しを信じること:そして、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝わるそれ以外の全ての事象について信じることです。

 最後の日への信仰がもたらす諸利益

[1]人をその日のために準備させ、善行に競い合わせ、罪深い行いを回避させ、アッラーの懲罰を恐れさせます。

[2]信仰者を安心させます:というのも彼らはこの世界において何かを控えれば、アッラーが来世においてそれよりも素晴らしいもので報いてくれることを知っているからです。

[3]真の信仰者と、そうではない者の判別。

 定命への信仰

ムスリムは、アッラーが全ての物事が存在する以前からそれらを知っており、かつそれらが存在した後のことも全てご存知であるということを信じます。ゆえにかれはその知識とご意志において、全ての存在を存在せしめたのです。アッラーはこう仰いました:

-実にわれら(アッラーのこと)は、定命をもって全てのものを創った。,(クルアーン54:49)

過去や現在、未来に関わりなく、発生する全ての事象はアッラーの御知識のもとにもたらされます。全てはかれのご意志と裁定に沿っているのです。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「しもべは良いことであれ悪いことであれ定命を信じ、また既に起こったことが起こるべくして起こり、起こらなかったことがそもそも起こることにはなっていなかったということを知るまで、信仰したことにはならない。」(アッ=ティルミズィーの伝承:2144)

定命への信仰は、以下の4つのことを信じることを意味します:

1)アッラーが全ての物事を、それが発生する前にご存知であるということ。またかれの御知識は全てを網羅しているということを信じること。

2)アッラーが、既に全ての定めを「守られた碑板」 に記録されたということを信じること。

使徒ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「最初にアッラーが創造されたものは筆であった。それからかれはそれに仰られた:“書け。”筆は答えた:“何を書くのですか?”かれは仰られた:“審判の日までに起こること全てを書き留めるのだ。”」(アブー・ダーウード:4700、アッ=ティルミズィーによる伝承:3319)

3)アッラーの御意志に反することは、何一つ発生しないということ。アッラーがお望みになられたことは必ずや発生し、そうでないものは絶対に起こりません。

4)至高なるアッラーが、全ての物事の創造主であるということ。かれ以外の創造者や、かれ以外の主は存在しません。

しかしこの信仰が、人は努力しなければ物事を達成しないという事実と矛盾することはありません。例えば子供が欲しいのであれば、結婚するなどのある種の物事を行わなければ、その目的を達成出来ません。そして人はその能力において可能な全てのことを行えば、その目的を叶えることが出来るかもしれませんし 、あるいは出来ないかもしれません。これは人が何らかの目標を達成するために行うことのみが、それが実現するための真の理由ではないことを知るためなのです。真の理由とはアッラーのご意志以外の何でもなく、それら目的達成の手段もまたアッラーからの神的裁定によるものなのです。ある時アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、ある者にこう訊ねられました:

「私たちは薬をもって治療し、クルアーンでもって魔除けを行いますが、果たしてこれらはアッラーの定命を覆すのでしょうか?」彼は応えました:「それら自体がアッラーの定命の内なのである。」(アル=ハーキムの伝承)

定命への信仰がもたらす諸利益

1)定命への信仰は、何らかの目的達成のために手段を尽くした後、アッラーに全てを委ねるというかれへの依拠力を強化します。

2)定命への信仰は事がいかなる顛末を迎えようと、良心と心の安らぎをもたらします。アッラーはこう仰いました:

-地上で、そしてあなた方の内に起こるいかなる災難も、それが創造される前に守られた碑版の中に定められていないことはないのである。実にそのようなことはアッラーにとって容易いことなのだ。それはあなた方が過ぎ去ったことに後悔せず、(アッラーが)あなた方に与えられたものにおいて悦に入らないようにするためである。アッラーは全ての自惚れ屋と高慢な者を愛でられない。,(クルアーン57:22-23)  

3)定命への信仰は災厄の悪影響を軽減してくれます。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「アッラーは脆弱な信仰者よりも、強い信仰者を愛でられる。そしてそのいずれも善いのである。あなたを益する行為に熱心であり、かつアッラーのご援助を乞うのだ。そしてそこにおいて怠慢であってはならない。そしていかなる災厄があなたを襲っても、“ああ、もしあのようにしていたらなあ”などとは言わず、“これはアッラーからの定命。かれはお望みのことをなされる”と言うのだ。というのも“もし”は、悪魔の行いに通じる扉であるからである。」(ムスリムの伝承:2664)

4)定命への信仰は人の報奨を増加させ、その罪を減少させます。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「アッラーは病や重圧、悩みや悲しみ、災厄に苦しむムスリムの罪を赦して下さるであろう。それが例え、一本のとげによるものであったとしてもである。」(アル=ブハーリーの伝承:5318)

定命への信仰とはある種の人たちが考えるように、努力やそのために必要なこともせずに、ただアッラーに頼り切ることではありません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はある時、このように尋ねられました:

「私はラクダをつないでアッラーに全てを委ねるべきですか、それともそれを放してアッラーに全てを委ねるべきですか?」彼は言いました:「それをつないでアッラーに全てを委ねよ。」(アッ=ティルミズィーの伝承:2517)

 「ムハンマドはアッラーの使徒である」という証言と、それに伴う義務

1)彼の使徒性を信じること:そして彼が最良かつ最後の使徒であり、彼以後には預言者も使徒も出現しないことを信じること。アッラーはこう仰いました:

-ムハンマドは(彼が授かった本当の彼の子でもない)あなた方の内の誰の父親でもない。しかしアッラーの使徒であり、最後の預言者なのだ。,(クルアーン33:40)

2) 彼が無謬であること:但しこれは、彼がアッラーから伝達して教示するという行為においてのみのことです。アッラーはこう仰いました:

-そして彼は私欲から(物事を)話しているわけでもない。それは下された啓示以外の何ものでもない。,(クルアーン53:3-4)

一方現世的諸事に関しては、彼は単なる一人の人間に過ぎません。彼は法的見解において、クルアーンを根拠とした推論によって法規定を導き出したものです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)こう言いました:

「私は一人の人間に過ぎないが、あなた方は私に争いの調停を求める。そしてあなた方の内のある者は、他の者よりも論証において雄弁であり、それゆえに私は私が耳にした通りに(その者の都合のよい形で)裁いてしまうかもしれない。それで私がそのような者に対し、その同胞の何らかの権利を(不当に)得るような判決でもって裁いてしまったとしても、それを手にするのではない。というのも(そのような場合)私は、その者に地獄の炎の一片を差し出しているに他ならないからである。」(ムスリムの伝承:1713)

3) 彼が全被造物に遣わされた使徒であることを信じること:そして最後の時まで、彼以外の使徒は現れません。アッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)はあなたを、福音と警告を告げる者として人類全てに向けて遣わした。しかし多くの人々は知らないのだ。,(クルアーン34:28)  

4) 彼の命に従うこと:また彼の伝えることを信じ、彼が禁じ警告することを回避すること。アッラーはこう仰っています:

-使徒が命じた物事を行い、彼の禁じた物事を避けよ。,(クルアーン59:7)

5) 預言者のスンナ[17]に従い、それを遵守すること:そして宗教において新奇な物事を創出しないことです。アッラーはこう仰いました:

-言え、「あなた方がアッラーのことを愛しているのなら、私(ムハンマド)に従うのだ。そうすればアッラーはあなた方を愛して下さり、あなた方の罪をお赦し下さるであろう。」アッラーはお赦し深く、慈悲深いお方である。,(クルアーン3:31)

 シャハーダ(信仰告白)を言った後に行うこと

シャハーダターン(二つの信仰告白)を口にした後、以下のことを行うのがスンナです:

1)全身を清浄な水で洗浄し、それから2ラクア(セット)のサラー(礼拝)を行うこと。使徒ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、捕虜となったスマーマ・アル=ハナフィーのもとを訪れてこう言ったと伝えられています:

“スマーマよ、どうするか?”彼は言いました:“もしあなたが私を処刑するのなら、私も殺したのだから、私を殺すがいい。もし私を解放するなら、あなたは感謝深い者を解放するであろう。そしてもしあなたが富を求めるのなら、我々はあなたが望むだけのものをあなたに与えるであろう。”それで使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の教友たちは捕虜の身代金を望み、こう言いました:“彼を殺したところで、我々が何を得るというのか?”それでついにある日、使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はスマーマを解放することを決定しました。スマーマはイスラームを受け入れました。そして彼はアブー・タルハの柵で囲まれた果樹園へ連れて行かれ、そこでグスル(全身沐浴)することを命じられました。こうして彼はグスルし、2ラクアのサラーを行いました。使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:

“あなた方の同胞のイスラームは純真なものである。”」(イブン・フザイマの伝承:253)

 どのようにグスル(全身沐浴)を行うか?

w意図(ニーヤ):ムスリムはその原因が性行為の後であろうと、あるいは月経や出産後の悪露の後であろうと、大きな穢れ[18]の状態から自らを清めるためにグスルをすると意図します。

w「ビスミッラー(アッラーの御名と共に始めます)」と唱えます。

wまず両手を、それから陰部を洗います。

wそれからサラー(礼拝)のそれと同様に、ウドゥー[19]をします。尚両足の洗浄は、グスルの終わりまで先送りにすることが出来ます。

w頭部に、両手いっぱいの水を少なくとも3回かけます。そして水が髪の毛の根元と頭部の地肌まで届くよう、指で髪の毛とひげをしごきます。

wそれから残りの全身に水をかけます。その際にはまず体の右側から始めるようにします。そして脇の下や耳、へそなども洗い忘れてはなりません。尚体にたるみなどがある場合、たるんで皺になった部分にまで満遍なく水が行き届くようにしなければなりません。そしてウドゥーの際に両足を洗っていなければ、ここで両足を洗います。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の妻アーイシャはこう伝えています:

「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は性交渉後にグスルする際には、まずその両手を洗い、それから右手で左手に水を注ぎ、それでもって陰部を洗浄しました。そしてその後にはサラー(礼拝)の時にするように、ウドゥーをしました。それから水を手に取り、それを指でもって髪の毛の根元にまですり込みました。そして最後に両足を洗いました。」(ムスリムの伝承:316)

グスルが義務付けられる原因は以下の通りです:

1)射精、夢精など。

2)性交。射精があったかどうかは問われません。

3)月経の終了後。

4)出産後の出血の終了後。

 ウドゥー

ムスリムはサラー(礼拝)前に、ウドゥーをする必要があります。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「サラーは清浄な状態でなくては受け入れられない・・・」(ムスリムの伝承:224)

またアッラーはこう仰っています:

-信仰する者たちよ、あなた方がサラーをする時には、あなた方の顔と両腕を肘まで洗うのだ。そしてあなた方の頭を撫で、両足をくるぶしまで洗え。,(クルアーン5:6)

ウドゥーをする際には、以下のような作法に則るのがよいでしょう:

第三代カリフ・ウスマーンによって奴隷の身分から解放されたフムラーンによれば、彼はウスマーンが(水の入った)容器を持って来させ、両手に水をかけて3回洗い、それから右手を容器の中に入れてうがいをし、鼻を洗浄(水を吸い込んで、噴出すこと)し、顔を3回洗い、それから両手を肘まで3回洗い、頭を撫で、両足をくるぶしまで3回洗うのを見ました。そして彼(ウスマーン)はこう言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:“この私のウドゥー(のやり方)でウドゥーをし、それから雑念にとらわれることなく2ラクアのサラーをする者は、それ以前に犯した彼の罪を赦されるであろう。”」(アル=ブハーリーの伝承:1832)

1)ウドゥーを行う際には、自らを小さな穢れの状態から清める、という意図を持たなければなりません。この意図(ニーヤ)の義務性の根拠は、次に示される預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の言葉に見受けられます:

「実にいかなる行いも、その意図でもって判断される。そして人は、意図したところのものによって報奨を得るのである。」(アル=ブハーリー:1、ムスリムの伝承:45)

2)ウドゥーを始める際には、「ビスミッラー(アッラーの御名において)」と唱えます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「ウドゥーなしのサラーはない。またアッラーの御名を唱えることなしに、ウドゥーは成立しない。」(アブー・ダーウード:101、イブン・マージャによる伝承:399)

3)ウドゥーを始める前に、両手を3回洗うのがよいでしょう。

4)そしてうがいをし、水を鼻腔に入れて噴出させる形で鼻の中を3回洗浄します。尚鼻腔から水を噴出す時には、左手を用います。

5)そして顔面部を3回洗浄します。ここで言う顔面部とは、上は額の髪の生え際(禿げ上がっていない場合)から、下はあご、あるいはあごの先までです。そして横は両耳たぶまでです。

6)右側から始め、両腕を指先から肘まで洗浄します。もし指輪や腕時計などを装着している場合は、水がその下まで届くよう、それらを除去しておきます。

7)それから頭部を一度拭います。これは濡らした両手の平で、前頭部から始めて後頭部へ向かって撫で、それからまた後頭部から前頭部へと同様に撫でるものです。教友アブドゥッラー・ブン・ザイドはこう伝えています:

「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は両手を前頭部から始めて、後頭部へと動かしました。彼はまず前頭部から始め、それを首の上部まで動かすと、それからまた後頭部から前頭部へと戻しました。」(アル=ブハーリー:183、ムスリムの伝承:235)

8)そして濡れた人差し指を耳の穴に入れて拭いつつ、親指で耳の裏を撫でます。教友イブン・アッバースは預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のウドゥーを、以下のように描写しています:

「それから彼は頭部を撫で、そして人差し指を耳の穴に入れました。彼は親指でもって耳の裏を撫で、耳の中は人差し指で拭いました。」(アブー・ダーウードによる伝承:123)

9)両足を指先からくるぶしまで、3回洗います。教友アブー・フライラによれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、かかとを洗わなかった男を見て、こう言ったそうです:

「かかとに地獄の業火の災いがあるぞ!」(アル=ブハーリー:60、ムスリムの伝承:142)

10)尚ウドゥーの際には、各部位を順番通りに洗わなければなりません。アッラーはクルアーンにおいて、ウドゥーの各義務行為を特定の順番で言及されているゆえ、それに反してはならないのです。

11)またウドゥーをする際には、ある部位を洗浄する前に、その前に洗浄した部位が乾いてしまうほどの時間を設けてはなりません。

ハディースには、足に金貨一枚分ほどの乾いた部分を残してサラーしている男を目にしたアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)が、彼にウドゥーとサラーをやり直すよう命じたことが言及されています。(アブー・ダーウードによる伝承:175)

またウドゥーの際は、水が洗浄箇所の地肌に届くのを阻むような物をあらかじめ外しておくべきです。

一度行ったウドゥーは、大小の排便、放屁、射精に先駆けて分泌される潤滑液の放出、月経が理由ではない出血、直接性器に手で触れること、深い眠りなどによって失われない限り、その効果が持続します。

 タヤンムム

ウドゥーやグスルする水がなかったり、または病気などの理由で水の使用が妨げられる要因があったり、あるいは水を使えない状態にあったりする場合は、タヤンムムによって穢れを除去することが許されます。

タヤンムムは身体を穢れから清浄な状態に戻す、水の役割を果たします。その行い方は以下の通りです:

1),指を開いた両手の平でもって、地面を一度だけ叩きます。

2)その手の平で、顔を撫でます。

3)そして同様に、両手を手首まで撫でます。

 サラー(礼拝)

サラー(礼拝)は宗教の要ゆえ、ムスリムはその実践を義務付けられます。サラー抜きにはイスラームは完全なものとはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は宗教をラクダに例えて、こう言っています:

「宗教の頭はイスラーム(シャハーダ)であり、その背骨はサラーである。そしてその瘤の最も高い部分が、ジハード(アッラーの道における奮闘)である。」(アッ=ティルミズィーの伝承:2616)

サラーとは、「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」という言葉によって開始され、「アッサラーム・アライクム・ワ・ラフマトゥッラー(あなた方にアッラーの平安とご慈悲あれ)」という祈願で締めくくられる、一定の言葉と行為から成立する崇拝行為です。

 サラーの報奨

サラーをすると、以下のような徳が得られます:

1)精神的喜び:サラーはアッラーとそのしもべの間の絆を築き上げます。ムスリムはサラーでもってアッラーと秘密の会話をし、身を低めつつ真摯にかれに祈願するのです。

2)心の平安と、静寂。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「女性と香水は私に愛しいものである。そしてサラーは私の喜びである。」(アン=ナサーイーの伝承:3940)

3)サラーは、人を全ての罪深い行為や不道徳などから守ってくれます。アッラーはこう仰っています:

-あなたに啓示された啓典の内から朗誦し(てその内容を実践し、)サラーを遵守するのだ。実にサラーは醜行と悪事を妨げる。,(クルアーン29:45)

4)サラーはムスリム間の同胞愛と団結の絆を強化します。サラーは彼らの間に存在するかもしれない、あらゆる社会的差異を崩壊させるのです。彼らは老いも若きも、富者も貧者も、地位の高い者もそうでない者も、皆列を作って並んで立ちます。皆同じようにアッラーの御前に、同じ方向(キブラ[20])を向いて同じ時に同じ動きをし、同じことを唱えるのです。

 サラー(礼拝)の時間

日夜を通して5つのサラーが、全ムスリムに課されています。サラーは正当な理由がない限り、モスクで行うべきです。尚、女性は自宅でサラーします。

アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「ズフルの時間帯は太陽が子午線を傾いてから、人の影がその実際の身長の長さになるまでである。またアスルの(推奨される)時間帯は太陽が黄色くなり始める[21]までであり、マグリブの時間帯は日没後の地平線上の赤い色が残存している間である。そしてイシャーの時間帯は夜半までであり、ファジュルの時間帯は最初の暁の光が出現してから、太陽が昇るまでである。もし太陽が昇ったら、サラーを控えよ。というのもそれは、シャイターン(悪魔)の両角の間から昇るのであるから。」(ムスリムの伝承:612)

 サラー図表

名称と

クルアーンの朗誦

ラクアの数

時間帯

スンナの

サラー[22]

1

ズフル

(クルアーンは声に出さない)

4

太陽が子午線を西方向に傾き始める頃から、物体の影がその実際の長さと同じ長さになるまで。

前に

4ラクアと後に

2ラクア。

2

アスル

(クルアーンは声に出さない)

4

ズフルの終わりから

日没まで。

なし

3

マグリブ

(クルアーンを声に出して読む)

3

太陽が完全に

沈んでから、夕暮れの

赤い色が消えるまで。

後に

2ラクア

4

イシャー

(クルアーンを声に出して読む)

4

マグリブ後から

暁前に最初に現れる光が

出現するまで。

後に

2ラクア

5

ファジュル

(クルアーンを声に出して読む)

2

暁前に最初に現れる光

が出現してから

太陽が昇り始めるまで。

前に

2ラクア

 サラー(礼拝)の前提条件

サラーには、いくつかの前提条件があります。そしてそれらを満たしていなければ、サラーは無効となります。その諸条件は以下の通りです:

1)各サラーを定刻通りに行うこと。

2)大小の穢れから清浄な状態であること。至高のアッラーはこう仰っています:

-信仰する者たちよ、あなた方がサラーをする時には、あなた方の顔と両腕を肘まで洗うのだ。そしてあなた方の頭を撫で、両足をくるぶしまで洗え。あなた方が不浄な状態にあるならば、(水で体を)洗い清めよ。,(クルアーン5:6)

3)身体にいかなる不浄物も付着していないこと。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「尿から身を守るのだ。実に墓場での懲罰の大半は、そうしなかったことによるものであるからである。」(アル=ハーキムの伝える真正な伝承:654)

また衣服にも何らかの不浄物が付着していないこと。アッラーはこう仰いました:

-あなたのまとっているものを清めるのだ。,(クルアーン74:4)

同様に、サラーをする場所がいかなる不浄物にも侵されていないことを確認する必要があります。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の時代のある時、あるベドウィンの男がモスクの中に小便をしてしまったことがありました。人々は立ち上がって彼の方へ突進して行きましたが、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「彼をそのままにせよ。そして彼が小便をした所に、バケツ一杯の水をかけるのだ。あなた方は物事を困難にするのではなく、易しくするために遣わされたのだから。」(アル=ブハーリーの伝承:217)

4)アウラ(恥部)[23]を覆うこと。イスラーム法におけるアウラとは、男性に関してはへそから膝までですが、サラーの際には両肩も覆う必要があります。一方女性の場合は、両手と顔面部を除く全身です。アッラーはこのように仰っています:

-アーダムの子ら(人類)よ、どこのモスクでも(衣服でもって)身を着飾るのだ。,(クルアーン7:31)

5)キブラ(カアバ神殿)の方角を向くこと。アッラーはこう仰いました:

-ゆえに、あなた方の顔を(マッカの)ハラーム・モスクへと向けよ。そしてどこにあろうとも、(サラーの時は)あなた方の顔をそちらへと向けるのだ。,(クルアーン2:144)

尚女性は月経や、出産後の出血がある場合、出血が止まるまではサラーを行いません。そして出血が終わったらグスルをし、サラーを再開します。また各サラーの前にウドゥーが失効してしまっていたら、男性同様にその都度ウドゥーを行います。月経や出産後の出血の状態にある時にやり損ねた義務のサラーは、後にやり直す必要はありません。

 サラーの行い方

1)清浄な水を用いて、ウドゥーをします。アッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、あなた方がサラーをする時には、あなた方の顔と両腕を肘まで洗うのだ。そしてあなた方の頭を撫で、両足をくるぶしまで洗え。,(クルアーン5:6)

2)全身を、キブラ(カアバ神殿)の方角に向けます。そして行おうとするサラーを明確に意図します。

3)それから「アッラーフ・アクバル」と唱えつつ、タクビーラトゥ・アル=イフラーム[24]をします。その際には指を広げ、手の平はキブラの方に向けつつ、両手を肩、あるいは耳の高さまで上げます。視線はサジダ(跪拝)した時に額がつく辺りの場所に定めるようにします。

4)左手の上に右手を重ね、それを胸の前に置きます。そして以下に示す、サラー開始の祈願文句を唱えます:

「スブハーナカッラーフンマ・ワ・ビハムディカ、ワ・タバーラカスムカ・ワ・タアーラー・ジャッドゥカ、ワ・ラー・イラーハ・ガイルカ。」

その意味は次の通りです:「(あらゆる欠陥や不完全性から遥かに無縁な)崇高なアッラーよ、全ての讃美はあなたに属します。あなたの御名は祝福に溢れ、あなたのご偉力は至高です。あなたの他に真に崇拝すべきものはありません。」

それからこう唱えます:

「アウーズ・ビッラーヒ・ミナッシャイターニッラジーム、ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーム。」

その意味は次の通りです:「私はアッラーに、追放された悪魔からのご加護を乞います。私は慈悲深く慈悲遍きアッラーの御名でもって、開始します。」

次に、クルアーンの「アル=ファーティハ章(第一章)」を読みます。そしてその終わりに、「アーミーン(かくあれかし)」と唱えます。いずれの場合も、クルアーンを声に出して読むサラーの場合には声に出して、そうでないサラーの場合は無言で唱えるようにします。アル=ファーティハ章の後には、クルアーンの何か別の章句を読みます。

5)クルアーンを読み終えたら、背中を前方に曲げてルクーゥ(お辞儀の形の礼)をします。その動作に移る際、こう唱えます:

「アッラーフ・アクバル」

その意味は次の通りです:「アッラーはこの上なく偉大なお方です。」

尚この動作の折には、両手を両肩、あるいは両耳の高さにまで上げます。それから背中を伸ばしてルクーゥをし、その際に頭と背中の高さが同じくなるようにします。この時両手は指を伸ばして両膝に置き、肘は脇腹から離します。そしてルクーゥの状態にある時、こう3回唱えます:

「スブハーナ・ラッビヤル・アズィーム」

その意味は次の通りです:「最も威光高きわが主は、いかなる欠陥からも無縁な崇高なるお方です。」

6)それから前半身を直立姿勢に戻しますが、その際には再び両手を肩か耳の位置にまで上げ、こう唱えます:

「サミアッラーフ・リマン・ハミダフ」

その意味は次の通りです:「アッラーは、かれを讃美する者(の祈り)をお聞き入れになられる。」

尚上記の文句は、サラーを単独で行うか、あるいは集団で行うサラーを導く時に唱えるものです。そして完全に直立姿勢に戻ったら、こう言います:

「ラッバナー・ワ・ラカルハムドゥ」

その意味は次の通りです:「わが主よ、あなたにこそ全ての讃美は属します。」

また集団で行うサラーで、イマーム[25]について行う者も、直立姿勢に戻ったら同様にこう唱えます:

「ラッバナー・ワ・ラカルハムドゥ」

その意味は次の通りです:「わが主よ、あなたにこそ全ての讃美は属します。」

7)それから、サジダ(跪礼)に移ります。その際には、またこう唱えます:

 「アッラーフ・アクバル」

その意味は次の通りです:「アッラーはこの上なく偉大なお方です。」

尚この際には、両手を肩や耳の高さにまで上げません。そしてそれが困難ではない限り、両手を地面につく前に両膝を地面につけるようにします。そして地面に額と鼻、両手と両膝、そして両足先をつけます。この時、両手足の指は揃えた状態でキブラの方向を指すようにします。また両肘は腿につけないようにし、両膝と腹部の間、及び両腿の裏とふくらはぎの間を空けるようにします。そして両肘を地面から高く上げ、こう3回唱えます:

「スブハーナ・ラッビヤルアァラー」

その意味は次の通りです:「至高のわが主は、いかなる欠陥からも無縁な崇高なるお方です。」

サジダの状態にある時は、出来るだけ多くの祈願をした方がよいでしょう。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「ルクーゥの際には、主を讃えよ。そしてサジダの折には、出来るだけ多く祈願するのだ。というのもその状態にある時、祈願は聞き入れられるからである。」(ムスリムの伝承:479)

8)そしてサジダから頭を上げたら、また「アッラーフ・アクバル」と唱えます。この際、両手を肩や耳の高さにまで上げる必要はありません。そして臀部の下に左足を敷く形で、座位姿勢をとります。この時右足はつま先を立てた状態にし、その指はキブラの方角を向けるようにします。そして両手は両腿の上に置き、こう3回唱えます:

「ラッビグフィル・リー」

その意味は次の通りです:「わが主よ、私をお赦し下さい。」

また上記の文句に加え、以下のように唱えることも可能です:

「アッラーフンマグフィル・リー、ワルハムニー、ワハディニー、ワルズクニー、ワアーフィニー、ワジュブルニー。」

その意味は次の通りです:「アッラーよ、私をお赦し下さい。私をお慈しみ下さい。私をお導きになり、糧をお恵み下さい。そして私をお守りになり、私を矯正して下さい。」

9)それから「アッラーフ・アクバル」と唱えつつ、2回目のサジダをします。この時も両手は上げません。そして1回目のサジダの際に行ったことと、同様のことをします。

10)そして「アッラーフ・アクバル」と唱えながら、サジダから頭を上げます。この際も両手は肩、あるいは耳の位置にまで上げません。そして膝で体を支えつつ立ち上がり、2回目のラクアに移行します。もしそれが困難であれば、両手を支えにして立ち上がることも可能です。

直立姿勢に戻ったら1ラクア目と同様、またアル=ファーティハ章を読み、次いでクルアーンの別の章句を読みます。

11)もしファジュルや金曜礼拝やイードのサラーのように2ラクアのみからなるサラーの場合、2度目のサジダが終了したらそのまま座位姿勢を継続します。そして臀部の下に左足を敷く形で座り、右足はつま先を立てた状態にします。この時右手は握り締めた状態で右腿の下の方に置き、祈願とアッラーの御名を念じる際にはタウヒードの印として人差し指を立てます。一方左手は左腿の真ん中ほどに置くようにします。この際唱えるタシャッフドの言葉が、以下に示すものです:

「アッタヒイヤートゥ・リッラーヒ、ワッサラワートゥ・ワッタイイバートゥ。アッサラーム・アライカ・アイユハンナビイユ・ワ・ラフマトゥッラーヒ・ワ・バラカートゥフ。アッサラーム・アライナー・ワ・アラー・イバーディッラーヒッサーリヒーン。アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー。ワ・アシュハドゥ・アンナ・ムハンマダン・アブドゥフ・ワ・ラスールフ。

 アッラーフンマ サッリ アラー ムハンマディン ワ アラー アーリ ムハンマドゥ。カマー サッライタ アラー イブラーヒーマ ワ アラー アーリ イブラーヒーマ、インナカ ハミードゥン マジードゥ。アッラーフンマ バーリク アラー ムハンマディン ワ アラー アーリ ムハンマドゥ。カマー バーラクタ アラー イブラーヒーマ ワ アラー アーリ イブラーヒーマ、インナカ ハミードゥン マジードゥ。」

その意味は次の通りです:「全ての讃美と祈りとよきものはアッラーに(捧げられます)。預言者よ、あなたの上に平安とアッラーのご慈悲と祝福がありますように。私たちに、そしてアッラーの敬虔なしもべたちに平安あれ。私はアッラー以外に真に崇拝すべきものは無いことを証言します。そして私はムハンマドがアッラーのしもべであり使徒であることを証言します。

アッラーよ、あなたがイブラーヒームと彼の一族に栄光をお与えになったように、ムハンマドとムハンマドの一族にも栄光をお与え下さい。あなたこそ全ての讃美と栄光の主です。アッラーよ、あなたがイブラーヒームと彼の一族を祝福されたように、ムハンマドとムハンマドの一族を祝福して下さい。あなたこそ全ての讃美と栄光の主です。」

その後以下の言葉でもって、4つの物事からのご加護を乞うことが推奨されます:

「アッラーフンマ・インニー・アウーズ・ビカ・ミン・アザービ・ジャハンナム、ワ・ミン・アザービル・カブル、ワ・ミン・フィトゥナティル・マヒヤー・ワル・ママートゥ、ワ・ミン・フィトゥナティル・マスィーヒッダッジャール。」

その意味は次の通りです:「アッラーよ、私はあなたに地獄の業火の懲罰と墓の中の懲罰、生と死の試練と偽メシア[26]の試練の悪からのご加護を求めます。」

また現世と来世におけるよき物事など、アッラーに対して何でも望むこと[27]を祈願します。

12)最後に、「タスリーム」を行います。つまり頭部を右方向に向け、声を出してこう唱えます:

  「アッサラーム・アライクム・ワ・ラフマトゥッラー」

その意味は次の通りです:「あなた方にアッラーからの平安とご慈悲がありますよう。」

また同様に頭部を左方向に向け、声を出してこう唱えます:「アッサラーム・アライクム・ワ・ラフマトゥッラー」

13)尚マグリブのように3ラクアのサラーや、あるいはズフルやアスルやイシャーのように4ラクアのサラーの場合は、前述のタシャッフドで「アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー。ワ・アシュハドゥ・アンナ・ムハンマダン・アブドゥフ・ワ・ラスールフ。」と唱えた後、再び3ラクア目のために立ち上がります。その際出来るならば膝を支えにして立ち上がり、両手を両耳、あるいは両肩の高さにまで上げて「アッラーフ・アクバル」と唱えます。そしてまた左手の上に重ねた右手を胸の前に置き、アル=ファーティハ章を読み、先のラクアでしたことと同じことを行います。そして最後のラクアを終えたら最後のタシャッフドのために座り、前述のタシャッフドの文句を全て唱えた後にタスリームをしてサラーを締めくくります。

 任意のサラー

サラーには義務のものの他に、アッスナン・アッラワーティブ[28]として知られるものがあり、それでもって更なる報奨と天国での高い位階が期待出来ます。これらの任意のサラーにより、前述のサラー図表で示した義務のサラーにおける粗相を償うことが出来るのです。また他にウィトゥルというスンナのサラーもあり、これは最低1ラクアからなるもので、夜の最後に行うサラーです。

 サラーするのが禁じられる時間帯

上記のもの以外の任意のサラーは、いつでも行うことが可能です。しかしアッラーとその使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)が禁じられた、以下に示す時間帯はその限りではありません:

1)ファジュルのサラーの後、太陽が槍一本の長さほどにまで昇るまで。[29]

2)太陽が正中線に達してから、傾き始めるまで。

3)アスルのサラー後、日没まで。

 ザカー(義務の喜捨)

ムスリムはある特定の対象に対し、ザカー(義務の喜捨)を支払わなければなりません。

ザカーとは、アッラーに対する義務の内の一つです。比較的豊かなムスリムは、貧しい者や経済的弱者の必要を補い、かつ彼らを物乞いをすることの辱めから守らなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして彼らは純正な宗教の徒として、彼らの宗教をアッラーのみに真摯に捧げて崇拝し、サラー(礼拝)を行い、ザカーを施すことしか命じられてはいなかったのだ。そしてそれこそは正しい宗教なのである。,(クルアーン98:5)

ザカーが定められたことには、偉大な英知と理由が秘められています。その内のいくつかを、以下に挙げていってみましょう:

1)豊かなムスリムの魂を浄化し、その吝嗇と自己中心性、卑しさと現世愛、欲望における耽溺などを払拭します。

2)経済的に恵まれない者たちの魂を、ともすると豊かな者に対して向けられかねない憎悪や嫉妬心などから清めます。彼らは豊かな者たちが彼らに財産を差し出したり、彼らを恒常的に配慮したりする様子を目にするのです。

3)慈善行為や他者優先の精神など、よき作法への愛着心を育てます。

4)イスラーム社会から貧困を根こそぎにし、窃盗や殺人、他人の尊厳の侵犯など、貧困から生じるかもしれない様々な危険要因を緩和します。

5)イスラームとムスリムの需要を満たすことにより、相互扶助や同胞愛の精神をもたらします。

6)世界中にイスラームが広がることに貢献します。ザカーという優れたシステムを通して、非ムスリムはイスラームという教えの素晴らしさを知るかもしれません。

 ザカーの条件

1)所有している財産が、イスラーム法の定める一定額に達していること。一般的には金85グラム相当額です。

2)その財産を一年間所有していること。つまり一定額に達した財産を一年間所有すれば、ザカーを支払う義務が発生します。

 ザカーの受給資格を有する者

アッラーはザカーの受給資格のある者を、特定されました。アッラーはこのように仰っています:

-ザカーは貧者と困窮者、ザカー(の徴収)に携わる者、(それによって)心に親愛が生まれそうな者、奴隷の解放、債務に苦しむ者、アッラーの道にある者、そして(財源が尽きた)旅人に与えられる。(それは)アッラーからの義務である。アッラーは全てをご存知で、かつ英知溢れるお方。,(クルアーン9:60)

 追記

1)住宅や家具、自家用車や、馬やロバなどの荷役用の家畜など、私的用途のための所有物にはザカーはかかりません。

2)車や店舗、住居など、賃貸目的で所有している物にもザカーはかかりません。但しもしその賃貸料金による利益が、他に所有している財産と合計した後ザカーの義務が発生する一定額に達し、かつその所有が一年を経過した場合、ザカーの義務が発生することになります。

 ラマダーンのサウム(斎戒)

ムスリムは一年に一度のラマダーン月(ヒジュラ暦9月)に、一ヶ月間のサウムをします。そしてその間はアッラーへの服従行為として、夜明けから日没まで、飲食や性交渉などのサウムを無効にする行動を慎むのです。至高のアッラーはこう仰っています:

-信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも定められたように、あなた方にもサウムが課せられた。(それによって)あなた方は敬神の念を獲得するであろう。,(クルアーン2:183)

サウムの目的は、単にサウムを無効にする物質的・精神的物事を回避するだけではありません。実際のところムスリムはサウムしている間、嘘や陰口、噂話の触れ回りや詐欺、下品な言行やその他諸々の有害な振る舞いなど、サウムの報奨を減じるような目に見えないあらゆる物事を放棄しなければならないのです。そしてサウムする者は、これらの有害な行為がラマダーン月以外の時期にも放棄すべきことを肝に念じ、特にラマダーン月においてそう努めなければならないことを念頭に置かなければなりません。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言っています:

「アッラーは虚言とそれによる行いを放棄しない者が飲食を断つことなど、お求めにもならない。」(アル=ブハーリーの伝承:1804)

サウムが定められたことには、多くの理由と偉大な英知が隠されています。そのいくつかを挙げていってみましょう:

1)信仰者に対する、精神修養。サウムにおいて、魂はその欲望に対して奮闘します。

2)魂を、あらゆる不快な言葉や行為から遠ざけます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「サウムしている者は悪い言葉を口にしてもいけなければ、大声を上げて怒鳴ったりしてもならない。そしてもし誰かに悪口を言われたり、喧嘩を仕掛けられたりしたら、こう言うのだ:“私はサウムをしているのです。”」(アル=ブハーリー:1805、ムスリムの伝承:1151)

3)サウムを通して、人は恵まれない人々の気持ちを知ります。このことは彼らへの義務の遂行や、彼らの福利への配慮、彼らのニーズへの気遣いなどへの促進剤となります。

 追記

女性は月経や、出産後の出血が見られる場合、出血が止まるまでサウムを行うことが許されません。もし出血が止まったらグスル(全身沐浴)をし、やり損ねたサウムを後からやり直すようにします。また病気中の者や旅行者はサウムをしてもしなくても問題ありませんが、もししなかった場合には後にそれをやり直す必要があります。[30]

 ハッジ(大巡礼)

ムスリムになると、一生に一度はハッジをしなければなりません。ハッジとは、ある特定の時期と場所において特定の儀式を行うために、聖なるアッラーの館(マッカのカアバ神殿)へと巡礼することです。この基幹は正常な理性を備えた全ムスリム成年男女に課されますが、身体的・経済的にそれを遂行するに十分な能力を有していることが条件になります。

それでもし十分な経済的能力があっても、回復の見込みが薄い病気を患っているような場合は、誰か他の者にハッジの代理を依頼しなければなりません。そしてもし自分自身、あるいは自分が扶養する者たちを毎日賄う以上の経済的余裕がないような者には、そもそもハッジの義務は課されません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてそうすることが出来る人々には、その館を訪問するアッラーへの義務がある。それを否定する者があっても、実にアッラーは何ものをも必要とされてはいないのだ。,(クルアーン3:96-97)

ハッジが定められたことには、多くの理由と偉大な英知が潜んでいます。以下に示すのは、その内の一部です:

1)この服従行為により、善行が増大すること。というのもアッラーにより受け入れられたハッジの報奨は、天国以外の何ものでもないからです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「ウムラの後にまたウムラをすれば、その間に犯した小さな罪への贖罪となろう。そしてアッラーにより受け入れられたハッジの報奨は、天国以外の何ものでもないのである。」(アル=ブハーリー:1683、ムスリムの伝承:1349)

2)ムスリム同士の団結を認識することにおいて、ハッジは最大のイスラーム的集結です。あらゆる地域のムスリムが同時期に、同じ主を呼びつつ、同じ衣服をまとい、同じ儀式を行うのです。そこには貧富や社会的地位や肌の色、アラブ人であるかどうかなどの違いはありません。彼らは皆平等ですが、もし差異があるとすればそれは敬虔さのみです。これこそは全ムスリムの同胞愛と、その希望と感情の一致団結を示すもの以外の何ものでもありません。

3)ハッジは、アッラーの道においてかれのお悦びを求めつつ行う、精神的訓練です。そしてそこには肉体的・経済的努力も付随するのです。

4)罪と悪行への贖罪。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「この家(カアバ神殿のこと)へハッジし、いかなる醜行も行わなかった者は、あたかも生まれた日に戻ったような状態となるであろう。」(アル=ブハーリー:1723、ムスリムの伝承:1350)

 ハッジの行い方

ハッジには3種類の形式があり、その各々には特定の儀式の進め方があります。その内でも最善のものと言われているのが神聖なるハッジの月に、ハッジとウムラ(小巡礼)を別々に行うタマットゥ形式です。以下にその詳細を示していきましょう:

1)ズルヒッジャ月(ヒジュラ暦12月)の8日までに、ミーカート[31]からイフラーム[32]の状態で聖域に入ります。そしてその折には、このように唱えます:

「ラッバイカッラーフンマ・ウムラタン・ビハー・イラルハッジ。」

その意味は次の通りです:アッラーよ。私はウムラを行い、次いでハッジを行うことにおいて、あなたにお仕えするために参りました。

2)マッカのハラーム・モスクに入場したら、まずカアバ神殿[33]の周りをタワーフ[34]します。そしてウムラのためのサアイ[35]をし、髪の毛を剃るか、あるいは全体的に切るかします。尚女性はこの際、頭部全体の髪の毛をまとめたものの先を、指の第一関節ほどの長さだけ切るに留めます。

3)そして「タルウィヤの日(水汲みの日)」と呼ばれるズルヒッジャ月の8日目の午前中に、自分がいる場所から再びイフラームの状態に入ります。そしてミナー[36]へと赴き、ズフルとアスル、マグリブとイシャーのサラーを行います。尚各サラーはまとめて行いませんが、ズフルとアスルとイシャーは短縮して行います[37]

4)そして「アラファの日」として知られるズルヒッジャ月の9日目、太陽が昇ってからアラファ[38]へ向かってミナーを去ります。巡礼者はアラファでズフルの時間にズフルとアスルをそれぞれ2ラクアに短縮して連続して行い、それから全身全霊でアッラーを念じ、かれに祈ります。その際にはキブラの方向に向かって、両手を掲げつつ行うのがよいでしょう。

5)そしてアラファの日の日没と共に、今度はムズダリファ[39]へと向かってアラファを後にします。そしてムズダリファに到着したら、マグリブとイシャーを連続して行います。その際イシャーは2ラクアに短縮します。その晩はムズダリファで宿営し、ファジュルのサラーはその時間帯の内でも最も早い時間に行うようにします。そしてファジュル後は空が明るくなり始めるまで、アッラーの唱念と祈願に没頭するようにします。

6)そして太陽が昇る前に、ムズダリファを後にして再びミナーへと向かいます。ミナーに着いたらアカバのジャムラ[40]に向かって「アッラーフ・アクバル」と唱えつつ、7粒の小石を投げます。小石の大きさはヒヨコマメほどのものがよいとされています。

7)投石後は犠牲の家畜を屠り、男性は剃髪するか、あるいは頭部全体の髪の毛を均等に切ります。しかし剃髪の方がよいでしょう。尚女性の場合は、頭部全体の髪の毛をまとめたものの先を、指の第一関節ほどの長さだけ切るに留めます。

8)こうして巡礼者はイフラームを部分解除したことになりますが、まだイフラームは完全には解けていません。つまり通常の衣服を着用することを始め、通常の状態にある人に許されていることの全てが可能になりますが、配偶者と性交渉を持つことだけは依然禁じられます。

9)それからマッカへと赴き、ハッジのためのタワーフとサアイを行います。これが終わったらまたミナーに戻り、ズルヒッジャ月の11日と12日はミナーで過ごします。その滞在期間中の午前中、巡礼者は3つのジャムラの各々に向かって7粒の小石を、「アッラーフ・アクバル」と唱えつつ投石します。その際は小さいジャムラから始め、次いで中位のものに、そして最後に最大のものに順番に投石するようにします。

10)ズルヒッジャ月の12日目にジャムラへの投石を終えたら、ミナーを去ることも出来ますし、あるいはそのままミナーで13日目を過ごすことも出来ます。尚13日目もミナーに滞在する場合は、既述の手法に添って午前中に各ジャムラに投石をします。そして13日までミナーに滞在する方が、よりよいでしょう。

11)尚巡礼を終えて帰ろうとする際には、マッカで「別離のタワーフ」を行う必要があります。ちなみに月経中、あるいは出産後の出血がある女性は、このタワーフの義務を免除されます。こうしてハッジの諸行事は全て終了したことになります。

 アッラーの崇拝

崇拝行為は、正常な理性を備えた全成人ムスリム男女にとっての義務です。そして一般にイスラームの5柱と呼ばれるこれらの崇拝行為を遵守すれば、アッラーのご慈悲と共に天国に入ることが出来るでしょう。ある時、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとにあるベドウィンの男がやって来て、こう尋ねました:

  「アッラーの使徒よ、アッラーが私に命じられたサラー(礼拝)とは何ですか?」彼は答えました:「毎日5回のサラーである。自ら進んで行う、任意のサラーをすることも出来るが。」男は尋ねました:「それでは、アッラーが私に命じられたサウム(斎戒)とは何ですか?」彼は答えました:「ラマダーン月のそれだ。自ら進んで行う、任意のサウムをすることも出来るが。」すると男はまた尋ねました:「それでは、アッラーが私に命じられたザカー(浄財)とは何ですか?」(ここでこのハディースの伝承者はこう言いました:)こうしてアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、彼にイスラームの義務について伝えました。するとベドウィンの男はこう言ったのです:「アッラーにかけて。私はアッラーに命じられたものだけを行い、任意のものは一切行いません。」これに関してアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「もし彼の言ったことが本当なら、彼は成功するであろう。」(アル=ブハーリー:46、ムスリムの伝承:11)

アッラーの崇拝における個人的・社会的効果

1)信仰者は現世と来世において、真の幸福と成功を達成します。アッラーはこう仰いました:

-実に自らを清める者こそは、成功する者。そしてその主の御名を念じ、祈る者。,(クルアーン87:14-15)

2)アッラーとの秘密の会話によって培われる、精神的・肉体的活力。アッラーはこのように仰っています:

-実にアッラーはかれを畏れ、また善行に勤める者たちと共にあるのである。,(クルアーン16:128)

3)アッラーのご援助と、地上におけるそのしもべの権威の確立。アッラーはこう仰っています:

-必ずやアッラーは、かれを支持する者たちを援助される。実にかれは強力で、威力高いお方である。(そのかれを支持する者たちとは、)もしかれ(アッラーのこと)が彼らを地上(の統治)において確立されたならば、サラー(礼拝)を遵守し、ザカー(義務の浄財)を拠出し、善いことを勧め、悪事を禁じる者たちのことである。そしてアッラーにこそ全ての事の結末が属するのだ。,(クルアーン22:40-41)

4)イスラーム社会における同胞愛や相互扶助、相互関係の緊密化や平安の確立。アッラーはこのように仰っています:

-そして男女の信仰者は互いに同士である。(彼らは)善行を勧め悪を禁じ、サラーを行い、ザカーを施す。そしてアッラーとその使徒に従う。彼らこそはアッラーがご慈悲をかけられる者たち。実にアッラーは強大かつ公正なお方である。,(クルアーン9:71)

5)アッラーの導きと成功。これはアッラーのみが授けられるところのものです。かれはこう仰りました:

-信仰する者たちよ、アッラーを畏れれば、かれはあなた方に(真理と虚偽との)識別を与えられるであろう。またあなた方の悪行を隠蔽され、罪をお赦し下さるであろう。,(クルアーン8:29)

6)生活の糧の増加と、逆境における安寧。アッラーはこう仰っています:

-そしてアッラーを畏れる者には、(アッラーが問題の)解決の糸口をお与えになろう。そして彼の思いもよらないような所から、糧をお与えになられる。,(クルアーン65:2-3)

7)報奨の倍増と、罪の抹消。アッラーはこう仰ります:

-そしてアッラーを信じ、善行に勤める者は、その悪事を贖ってもらえるであろう。そして(アッラーは)彼を、その下を河川の流れる楽園に入れて下さるだろう。彼はそこに永遠に留まる。それこそはこの上ない勝利なのだ。,(クルアーン64:9)

 イスラームが命じている物事

他人や社会との関係を築くにあたっては、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の以下のお言葉の実践を心がけるようにします。

「禁じられた物事を避けよ。そうすればあなたは最善の崇拝者となろう。また、アッラーがあなたにお恵みになった糧で満足せよ。そうすればあなたは最も豊かな者となろう。そして隣人によくあれ。そうすればあなたは真の信仰者となろう。また他人に対し、あなた自身が望むことを望め。そうすればあなたは真の信仰者となろう。そして余り笑い過ぎるのではない。というのも笑い過ぎは、心を殺してしまうからである。」(アッ=ティルミズィー:2305、イブン・マージャによる伝承:8081)

また彼はこう言っています:

「真のムスリムとは、その舌と腕でもって他のムスリムを害さないような者のことである。そして真のムハージル[41]とは、アッラーが禁じられた物事を回避する者のことである。」(アル=ブハーリーの伝承:10)

イスラームは、調和の取れた社会形成をその目的の一つとしています。つまり以下に示す預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の手法を実践することにより、個人が互いに慈悲と愛情を示し合うような社会のことです: 

「信仰者たちが互いに慈しみ合い、愛し合い、同情し合うのは、まるで一つの体のようである。体のある部分が痛みを訴えれば、他の部分が不眠と熱に冒されながら、彼の(看病と心配の)ために寄り集まって来るのだ。」(アル=ブハーリー:5665、ムスリムの伝承:2586)

   またイスラームは人間をあらゆる善へと導く一方で、あらゆる悪に関しても警告します。以下に、イスラームが命じている物事のいくつかを挙げていってみましょう:

1)イスラームは、アッラーの唯一性(タウヒード)を信仰すること、かつかれに何ものをも並置しないことを命じています。アッラーはこのように仰っています:

-実にアッラーはシルク(アッラーに何かを並置すること)をお赦しにはなることはないが、それ以外のことはお望みになればお赦しになられる。そしてアッラーに対してシルクを犯す者は、実に遥か遠く迷い去ってしまった者である。,(クルアーン4:116)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言っています:

「7つの破滅的な罪を避けよ。」人々は尋ねました:「アッラーの使徒よ、それは何ですか?」彼は答えました:「アッラーに何かを並置すること。魔法。アッラーが侵すべからざるものとされた生命を奪うこと。利子を貪ること。孤児の財産を勝手に使用すること。戦場で敵から逃亡すること。そして、いかなる不道徳からも縁遠いような貞節な女性の名誉を損ねるような訴えをすることである。」(アル=ブハーリー:2615、ムスリムの伝承:89)

2)イスラームは他者によい形で接することを命じると同時に、利子や盗み、詐欺や横領など、誤った形での財産の利用法を禁じています。アッラーはこう仰いました:

-信仰者たちよ、あなた方の間であなた方の財産を不当に貪ってはならない。しかし、あなた方の間で同意の下に行われる商売は別である。そしてあなた方自身を殺してはいけない。実にアッラーはあなた方に対し、慈悲深いお方であられる。,(クルアーン4:29)

3)イスラームは正義と平等を命じ、あらゆる類いの不正や他者の権利侵犯などを禁じています。アッラーはこのように仰っています:

-実にアッラーは、公正と善行と近親の者への贈与を命じられ、そして醜行と悪事と法を越えることを禁じられる。そしてあなた方が熟慮するよう、あなた方を戒められるのだ。,(クルアーン16:90)

4)イスラームは人々が善において協力することを命じ、悪において共同することを禁じています。アッラーはこう仰いました:

-そして善行と(アッラーの懲罰から身を守る)服従行為において互いに助け合うのだ。そして悪や敵愾心において互いに助け合ってはならない。そしてアッラー(のお怒りや懲罰の原因となるような事柄)から身を慎むのだ。実にアッラーは、その懲罰の厳しいお方である。,(クルアーン5:2)

5)イスラームは生命の保護を謳い、生命の不当な殺害を禁じます。アッラーはこのように仰っています:

-それゆえにわれら(アッラーのこと)はイスラエルの民に、こう命じたのだ:生命に対する報復でもなく、地上に(死刑に値する)腐敗をもたらしたものでもない者の命を奪った者は、あたかも全人類を殺したようなものである。また(無辜の)命を救った者は、あたかも全人類を救ったようなものである。実に彼らのもとには、われらの使徒たちが明証を携えて到来したものだが、彼らの多くはその後に及んで地上で(殺しの)罪の限りを尽くしたのだ。,(クルアーン5:32)

またアッラーはこうも仰っています:

-そして信仰者を意図的にあやめた者の報いは、地獄の業火である。彼はそこに永遠に留まるのだ。そしてアッラーは彼をお怒りになり、彼をそのご慈悲から遠ざけられる。そして彼には、もう1つのこの上ない懲罰を用意したのである。,(クルアーン4:93)

6)イスラームは両親に懇切を尽くし、親不孝を禁じます。アッラーはこう仰ります:

-そしてあなたの主は、あなた方がかれ以外の何ものも崇拝せず、両親に孝行することを命じられた。彼らの内片方、あるいは2人とも高齢に達したら、うんざりしたり乱暴に応対したりしてはならない。しかし彼らにいたわりの言葉をかけてやるのだ。そして彼らに慎み深さの翼を垂れ、こう言うのだ:「主よ、彼らが幼かった私を(優しくいたわって)育ててくれたように、彼らにご慈悲をおかけ下さい。」,(クルアーン17:23-24)

7)イスラームは近親関係の絆を強化することを命じ、それを断絶することを禁じます。アッラーはこのように仰いました:

-それではあなた方は(イスラームへのいざないから)踵を返して、地上に腐敗を広め、近親の絆を絶つことを望んでいるのか?そのような者たちこそはアッラーが呪われ、その聴覚と視覚とを封じられた者たちである。,(クルアーン47:22-23)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言っています:

「近親関係を断つ者は、天国に入らないであろう。」(アル=ブハーリー:5638、ムスリムの伝承:2556)

8)イスラームは結婚を命じると共に、推奨しています。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「若人よ、その能力がある者は結婚せよ。結婚は人の視線を守り、貞淑にするからである。しかし結婚することが出来ない者は、サウム(斎戒)するがよい。というのもサウムは(独身者にとっての)盾の役割を果たすからである。」(アル=ブハーリー:1806、ムスリムの伝承:1400)

そして淫らな行いや姦淫、そのような物事につながる危険性のあるものは全て禁じられます。アッラーはこう仰っています:

-言え、「実に私の主は、露わであるか密であるかを問わずあらゆる醜行と、罪悪と、正当な理由もなく法を越えること、そしてアッラーがいかなる権威も授けてはいないものをかれに並べて拝したり、かれに対して知りもしないことを口にしたりすることを禁じられた。」,(クルアーン7:33)

9)イスラームは孤児の財産の保護と、彼らへのよい待遇を命じ、彼らの財産を不当な形で費やすことを禁じています。アッラーはこう仰いました:

-実に孤児らの財を不正にむさぼる者たちは、炎を食べてそれを腹の中に詰め込んでいるのである。そして彼らは地獄の烈火の中に入ることになるのだ。,(クルアーン4:10)

また孤児を悲しませたり、辛く扱ったりすることは禁じられます。アッラーはこのように仰っています:

-ゆえに孤児を抑圧してはならない。,(クルアーン93:9)

10)イスラームは人が真実の証言をすることを命じ、虚偽の証言をすることを禁じています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「3つの大罪を教えてやろうか?」人々は言いました:「ええ、アッラーの使徒よ。」彼は言いました:「アッラーに何ものかを並べて拝すること。両親への親不孝。」この時、彼は寄りかかっている状態から真っ直ぐに座り直し、こう続けました:「そして虚偽の証言をすることだ。」そして彼はその言葉を、私たちが“もうやめてくれたらよいのに”と思うほどにまで、繰り返しました。(アル=ブハーリー:2511、ムスリムの伝承:87)

11)イスラームは誓いを遵守することを命じ、他人の権利を蹂躙するために意図的に嘘の誓いをするようなことを禁じています。アッラーはこう仰いました:

-アッラーとの契約と彼らの誓約を僅かな代価で売ってしまうような者には、来世において何の取り分もない。そしてアッラーは審判の日に彼らにお言葉をかけても下さらなければ、お目をかけても下さらず、また彼らを(その罪から)清めて下さることもない。そして彼らには痛ましい懲罰があるのだ。,(クルアーン3:77)

12)イスラームは人間が自分自身を気遣うことを命じ、自殺を始め、酩酊物質やある種の薬物、煙草など、直接的であれ間接的であれ、近代医学によって健康に有害であると証明された全てのものを扱うことを禁じています。アッラーはこう仰いました:

-そしてあなた方自身を殺してはいけない。実にアッラーはあなた方に対し、慈悲深いお方であられる。そしてそのようなことを悪意と不正をもって行う者は、われら(アッラーのこと)が地獄の業火に放り込んでやろう。そのようなことはアッラーにとって容易いことなのであるから。,(クルアーン4:29-30)

13)イスラームは誠意や信頼、約束の遵守を命じ、嘘や詐欺や裏切りなどを禁じます。アッラーはこう仰っています:

-信仰者たちよ、アッラーと使徒を裏切ってはならない。そしてそうと知りつつ、あなた方の信託を破ってもならない。,(クルアーン8:27)

14)イスラームは友愛と団結を命じ、吝嗇や憎悪、嫉妬など、不和や対立の原因となるようなあらゆる物事を禁じています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「互いに憎しみ合ってはならない。また互いに妬み合ったり、背き合ってもならない。むしろあなた方はアッラーのしもべとなり、同胞となるのだ。ムスリムがその同胞を三日以上避けることは許されない。」(アル=ブハーリー:5718、ムスリム:2558)

15)イスラームは寛容さを勧め、吝嗇や意地汚さを禁じます。アッラーはこのように仰っています:

-そしてあなたの(施しの)手を(吝嗇さゆえに)首に巻きつけたままにしたり、または(度を越して、施しという)手を完全に開け広げてはならない。そうすればあなたは咎めを受けたり、後悔したりするであろうから。,(クルアーン17:29)

16)イスラームはあらゆる物事において慎ましさを勧め、浪費や散財を禁じます。アッラーはこう仰いました:

-そして近親の者と恵まれない者と旅人に、施すのだ。しかし浪費するのではない。実に浪費する者はシャイターン(悪魔)の同胞であり、そしてシャイターンはその主に対してこの上なく恩知らずなのであるから。,(クルアーン17:26-27)

17)イスラームは穏健さを勧め、宗教における極端さや過激さを禁じます。アッラーはこう仰っています:

-アッラーはあなた方に易きを求め、難きを望まれない。,(クルアーン2:185)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「宗教における極端さに注意し、回避せよ。実にあなた方以前の民を滅ぼしたのは、宗教における極端さに他ならないからである。」 (アン=ナサーイー:3039、イブン・マージャによる伝承:3057)                           

18)イスラームは謙虚さを勧め、倣岸さや高慢さを禁じます。アッラーはこう仰っています:

-そして節度をもって歩み、声を低めよ。最も醜悪な声とは、ロバの鳴き声であるのだから。,(クルアーン31:19)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、高慢さに関してこう言っています:

「心の内に芥子種1粒ほどでも高慢さがある者は、天国に入らないであろう。」すると、ある者が尋ねました:「アッラーの使徒よ、人はよい衣服や靴を身に着けたがるものです。」これに関し、彼はこう答えました:「実にアッラーこそは最も美しいお方であり、かれは美しいものをお好みになる。高慢さとは真実を拒否し、他者を蔑むことなのだ。」(ムスリムの伝承:91)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、自惚れについてこう言っています:

「アッラーは審判の日、自惚れから衣服を地面に引きずって歩く者を、ご覧にはなられない。」(アル=ブハーリー:3465、ムスリムの伝承:2085)

19)イスラームは人々を慰め、他人の不幸を喜ばないように命じています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「同胞が悲しんでいるのを喜ぶのではない。そのようなことをすれば、アッラーは彼にご慈悲を示され、あなたには試練をお与えになるかもしれない。」(アッ=ティルミズィーの伝承:2508)

20)イスラームは、ムスリムが自分に関係のないことには首を挟まないように勧めています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「自分に関係のないことを放っておくのは、よいムスリムであることの印の一つである。」(アッ=ティルミズィー:2317、イブン・マージャによる伝承:3976)

21)イスラームは他者を尊重することを命じ、他者を蔑んだり、軽んじたりすることを禁じています。アッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、人々に他の者たちを蔑ませてはならない。(蔑まれている)その者たちの方が、(蔑んでいる)彼らより優れているかもしれないのだから。また女性たちに他の女性たちを蔑ませてもならない。(蔑まれている)その女性たちの方が、(蔑んでいる)彼女らよりも優れているかもしれないのだ。また互いの欠点を突付き合ったり、(好ましくない)仇名で呼び合ったりしてもならない。,(クルアーン49:11)

22)イスラームは近親の女性を注意深く保護することを命じ、彼女たちのことを放任することを禁じています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「次の3種の者は、天国に入らないであろう:親不孝者。不貞な妻の夫。男性のように振舞う女性。」(アン=ナサーイーの伝承:2562)

23)イスラームは、異性のような格好や振る舞いをすることを禁じます。教友イブン・アッバースは、こう伝えています:

「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、女性の模倣をする男性と、男性の模倣をする女性を呪われたものです。」(アル=ブハーリーの伝承:5546)

24)イスラームは人が他人に努めて善行を施すことを命じ、一方では恩着せがましくすることを禁じています。アッラーはこう仰いました:

-信仰者よ。人々に対する見栄のために施す輩のように、恩を着せたり、見栄を張ったり、また悪い思いをさせたりすることでサダカ(慈善行為、善行)を無駄にしてはいけない…,(クルアーン2:264)

25)イスラームは、他者に対して好印象を抱くように努め、邪推や陰口は控えるよう勧めています。アッラーはこう仰っています:

-信仰する者たちよ、邪推を多く行うことを避けよ。実にある種の邪推は罪なのである。そして互いに詮索し合ったり、陰口を叩き合ったりしてはならない。あなた方は同胞の屍肉を口にすることを望むのか?いや、(断じてそうではなく)そのようなことは厭うことであろう。アッラーから身を慎め。実にアッラーはよく悔悟をお受け入れになり、慈悲深いお方なのであるから。,(クルアーン49:12)

26)イスラームは邪悪な言葉から口を慎み、むしろ言葉を自分自身と社会を益するような有益なことや善いこと‐つまりアッラーを想起させるようなことや争いの調停など‐に利用することを命じます。そして同様に、言葉の悪用を禁じます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「一体、人はその舌が稼いだ以外のものでもって、地獄に顔から投げ込まれることがあろうか?」(アッ=ティルミズィー:2616、イブン・マージャによる伝承:373)

27)イスラームは隣人への善行を命じ、彼らへの害悪を禁じます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「アッラーにかけて、(そのような者は)信仰していない。アッラーにかけて、(そのような者は)信仰していない。アッラーにかけて、(そのような者は)信仰していない。」(教友たちは)言いました:「一体誰のことですか、アッラーの使徒よ?」(預言者は)言いました:「隣人を害して安心させることがないような者のことだ。」(アル=ブハーリーの伝承:5670)

28)イスラームはよき伴侶や友人を模索することを命じ、悪友などと連れ添うことを禁じます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「よい連れ合いと悪い連れ合いとは、ちょうど香水を運ぶ者とふいご(で炭)を吹く者のようなものである。香水を運ぶ者はあなたにそれをくれたり、またはあなたが彼からそれを買ったり、あるいは彼からよい香りを嗅ぐことが出来るかもしれない。一方ふいごで(炭を)吹く者はといえば、あなたの衣服を焦がしたり、あるいはあなたに悪臭を与えたりするだけなのだ。」(アル=ブハーリー:1995、ムスリム:2628の伝承)

29)イスラームは人々の諍いの調停を命じ、敵意や憎悪を煽るような全ての物事を禁じます。アッラーはこう仰っています:

-サダカ(慈善行為)か善行か人々の間の調停かを命じるものではない限り、彼らの密談の多くには益がない。しかしアッラーのご満悦を望みつつそのようなことを行う者には、われら(アッラーのこと)がまたとない報奨を授けよう。,(クルアーン4:114)

30)イスラームは人々が互いに真摯に助言を交し合うことを命じ、助言を請われた時にはそれを拒むことを禁じています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「宗教とは助言である。」私たちは言いました:「誰に対しての助言ですか?」(預言者は)言いました:「アッラーとその啓典と、その使徒、そしてムスリムの指導者たち及び一般の者たちに対する助言である。」(ムスリムの伝承:55)

31)イスラームは他人の苦悩を和らげたり、債務に苦しむ者を助けたり、また他人の過ちや落ち度を隠してやったりすることを命じます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「現世における信仰者の苦悩を一つ和らげる者は、アッラーが審判の日の彼の苦悩を一つ和らげて下さるであろう。そして(債務超過などで)困難な状況にある者に便宜を図ってやる者は、現世と来世においてアッラーが彼に便宜を図って下さるであろう。またムスリムを(その罪などによる悪評が人々に知れ渡ることなどから)かくまってやる者は、アッラーが現世と来世において彼をかくまって下さるであろう。アッラーはそのしもべが同胞を援助する限り、かれもその援助の手を差し伸べられるのだ。」(ムスリムの伝承:2699)

32)イスラームは逆境において忍耐強く堅固であることを命じ、恐れたり不満に陥ったりすることを禁じています。アッラーはこう仰いました:

-そして実にわれら(アッラーのこと)は、恐怖や飢え、財産や生命や糧の損害などによって、あなた方を試練にかけるのだ。それで忍耐する者たちには、良き知らせを伝えよ。(彼らは)災難が降りかかった時に「私たちは実にアッラーにこそ属し、そして彼の御許へと還り行く境遇にあります。」と言う者たち。彼らには主からの祝福とご慈悲があり、そして彼らこそは正しく導かれた者なのである。,(クルアーン2:155-157)

33)イスラームは他人を赦し、自分に悪事を働く者を構わずに放って置くことを勧め、そのような者に対して復讐しようとすることを禁じます。アッラーはこう仰いました:

-そしてあなた方の主からのお赦し(を呼ぶ諸々の服従行為)へと急ぐのだ。その広さは諸天と大地の広さほどもあり、敬虔な者たちのために用意されたものなのである。(そして彼らは)順境においても逆境においても施し、自分の怒りを抑え忍び、人をよく赦す者たち。アッラーは善行者を愛で賜れるのだ。 ,(クルアーン3:133-134)

34)イスラームは慈悲を勧め、残酷さを禁じます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「アッラーは慈悲深い者に慈悲深くあられる。ゆえに地にあるものに慈悲深くあれ。そうすれば天にあるもの(アッラーのこと)が、あなたに慈悲深くあられよう。」(アブー・ダーウード:4941、イブン・マージャによる伝承:1924)

35)イスラームは人々が互いに優しく親切であることを命じ、粗暴さを禁じます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「優しさをもって成されたものは、全て美しい。そして優しさが欠けたいかなるものも、十全なものではない。」(ムスリムの伝承:2594)

36)イスラームは、他人から受けた悪行を善行をもって報いることを勧め、悪行を悪行でもって報いることを禁じています。アッラーはこう仰っています:

-そして善行と悪行は同じではない。(悪行をもって対されても、それに)よい行いでもって応じてやるのだ。そうすればあなたに敵対していた者も、親愛で近しい者となるであろう。,(クルアーン41:34)

37)イスラームは知識を広めることを命じ、その隠蔽を禁じます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「知識を訊ねられて隠した者は、審判の日に炎のくつわをはめられた状態で現れるであろう。」 (アブー・ダーウード:3658、アッ=ティルミズィーによる伝承:2649)

38)イスラームは、ムスリムが自らの能力の範囲内で善と美徳を命じ、悪と非道を防止することを命じています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「悪事を目にした者は、それを手でもって正せ。もしそう出来なければ、舌でもって正せ。そしてそれさえも出来なければ、心でもって正すのだ。そしてそれが最も弱い信仰心である。」(ムスリムの伝承:49)

 飲食物や衣服などに関して ムスリムに禁じられている物事

1)経口、吸引、注入などの手段を問わず、酒類や麻薬などの酩酊を及ぼす物質を摂取すること。アッラーはこう仰いました:

-信仰する者たちよ、酒と賭け事、偶像とアル=アズラーム[42]は悪魔の行いであり、不浄である。ゆえにそれらを避けるのだ。(そうすれば)あなた方は成功するであろう。シャイターンは酒と賭け事をもって、あなた方の間に敵意や憎悪をもたらし、そしてあなた方をアッラーの念唱や礼拝から遠のけたいのである。一体あなた方は(それらを)止めないというのか?,(クルアーン5:90-91)

2)死肉や、豚肉など、その他次のアッラーの御言葉に言及されているような物質の摂取:

-あなた方に禁じられたものは、(イスラーム法に則って屠殺されなかった)死体、(流れる)血液、豚肉、アッラー以外の名において屠られたもの、絞殺されたもの、撲殺したもの、転落死したもの、突き殺されたもの、獣に食い殺されたものである。但し(それらがまだ息のある内に)あなた方が止めを刺したものは、その限りではない。また偶像に(捧げるために)屠られたものと、アル=アズラームで分配することも(禁じられている)。これらは全て罪深いことなのである。,(クルアーン5:3)

3)意図的にアッラーの御名が言及されないまま屠られた動物の肉、あるいはアッラーの御名以外のものを唱えつつ屠った動物の肉を食すること。アッラーはこう仰いました: -(屠られる際に)アッラーの御名が唱えられなかったもの(動物の肉)は、食べるのではない。実にそれは真理からの逸脱である。,(クルアーン6:121)

4)ライオンや豹、狼など、一般的に言って犬歯を有するような獣の肉の食用。また鷲や鷹など、一般的に言って鉤爪を有する猛禽類の肉の食用も禁じられています。教友イブン・アッバースはこう言っています:

「預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、犬歯を有する全ての肉食獣と、鍵爪を有する猛禽類を食することを禁じられた。」(ムスリムの伝承:1934)

5)ユダヤ教徒とキリスト教徒以外の者によって屠られた食肉。そのようなものは死肉と見なされ、ムスリムには食用が禁じられます。

6)煙草やそれに該当するようなその他の物質など、人の身体に明らかに有害な全ての物の摂取。それらは非合法です。アッラーはこう仰っています:

  -そしてあなた方自身を殺してはいけない。実にアッラーはあなた方に対し、慈悲深いお方であられる。,(クルアーン4:29)

7)男性が絹や金銀を身につけること。但し女性がそれらを身に着けることには問題はありません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:「絹製の衣服と金は、私のウンマ(共同体)の女性に許された。しかし男性には禁じられたのである。」(アフマドの伝承:19662)

尚銀製の指輪やベルト、あるいは武器の装飾などは男性にとっても合法です。

 諸々の祈願、アッラーの念唱、イスラーム的作法など

1)ムスリムは「ビスミッラー(アッラーの御名において)」という言葉と共に、食事を開始すべきとされています。また食事を終えた際には「アルハムドゥリッラー(全ての賛美と感謝はアッラーにあり)」と唱えます。また食事の際には右手を用い、自分から近い場所から食べるようにします。ちなみにイスラームにおいて左手は、汚い物の洗浄などに用いることになっています。

教友ウマル・ブン・アビー・サラマは、こう伝えています:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の存命時代、私は幼い子供でした。そして私の手は、(食事の載っている)皿の上を(お目当ての物を探して)さまよっていたものです。それでアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は私に言いました:

“僕、アッラーの御名を唱えるんだ。そして右手で、自分の手前の物から食べ始めるんだぞ。”

そして私は現在に至るまで、その食べ方に従っているのです。」(アル=ブハーリー:5061とムスリム:2022の伝承)

2)いかなる食事であっても、それに関する不平や批判の言葉を口にしないこと。教友アブー・フライラはこう伝えています:

「預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)が食べ物に難癖を付けることは、全くありませんでした。おいしければ食べ、気に入らない時は手を付けませんでした。」(アル=ブハーリー:3370とムスリム:2064の伝承)

3)入室の許可を得る前に、他人の家や部屋に入らないこと。アッラーはこう仰っています:

-信仰する者たちよ、その許しを請い、家人に挨拶することなしには他人の家に入るのではない。,(クルアーン24:27)

また許可を請う際には、その行為をしつこく続けてはなりません(3回以上は行わないようにします)。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「3回許可を請うのだ。そして許可が出たら入り、そうでなければ帰るのだ。」(ムスリムの伝承:2153)

4)知らない者にも知っている者にも、「アッサラーム・アライクム(あなた方に平安あれ)」と言って挨拶すること。そうすることで、愛情と友愛が育まれることでしょう。アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「あなた方は信仰するまで天国に入ることはない。そして互いに愛し合うようになるまでは、本当に信仰したことにはならない。あなた方がそれを行えば、互いに愛し合うようになることを教えてやろうか?あなた方の間に挨拶を広めるのだ。」(ムスリムの伝承:54)

5)また挨拶を受けた者はそれと同様の挨拶か、あるいはそれよりもよい挨拶[43]でもって応じます。アッラーはこう仰いました:

-そしてあなた方が挨拶を受けたら、それよりもっとよい形の挨拶で挨拶するか、あるいは同じ言葉を返すのだ。実にアッラーはあらゆる事柄をも(仔細に)計算されるお方である。,(クルアーン4:86)

6)あくびをしたくなったら、可能な限りそれを押し殺すようにすること。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「あくびは悪魔からのものであるから、出来る限り抑えるようにせよ。彼が(大口を開けてあくびしつつ)“はぁー”などと言えば、シャイターン(悪魔)は彼を嘲笑するのだ。」(アル=ブハーリー:3115の伝承)

尚、もしあくびを押し留めることが出来ない場合には、右手で口を押さえつつ出すようにします。もしやむを得ずに左手を使用する場合には、その甲を用いるか、あるいは親指と人差し指で作った輪を口元にあてるようにします。

7)尚ムスリムはくしゃみをしたら、こう言います:“アルハムドゥリッラー(アッラーにこそ全ての賞賛はあれ)。”そしてその言葉を聞いたムスリムは、こう言わなければなりません。“ヤルハムカッラー(アッラーがあなたを慈しまれるよう)。”それから今度はくしゃみをした者が、更にこう返します:“ヤハディークムッラーフ・ワ・ユスリフ・バーラクム(アッラーがあなた方を導かれ、そしてあなた方の状態を正されるよう)。”アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「あなた方がくしゃみしたら、“アルハムドゥリッラー(アッラーにこそ全ての賞賛はあれ)”と言うのだ。そしてその兄弟、あるいは同胞は(くしゃみをした)その者にこう言え:“ヤルハムカッラー(アッラーがあなたを慈しまれるよう)”そして(くしゃみした者は)“ヤルハムカッラー”と言われたら、こう言うのだ:“ヤハディークムッラーフ・ワ・ユスリフ・バーラクム(アッラーがあなた方を導かれ、そしてあなた方の状態を正されるよう)”」(アル=ブハーリーの伝承:5870)

尚非ムスリムがくしゃみをして“アルハムドゥリッラー(アッラーにこそ全ての賞賛はあれ)”と言ったら、ムスリムは彼に“ヤハディークムッラー(アッラーがあなた方を導かれますよう)”と言います。(アブー・ダーウード:5038、アッ=ティルミズィーによる伝承:2739)

また教友アブー・フライラによれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はくしゃみをする時にはいつでも、手か衣服でもって口元を押さえ、音を抑えたそうです。(アブー・ダーウードによる伝承:5870)

8)人前でげっぷしないこと。教友イブン・ウマルはこう伝えています:

「ある者がアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)と共にある時に、げっぷをしました。それで(預言者は)彼に言いました:“私たちの前でげっぷをしないようにせよ。現世で最も満腹な者は、審判の日に最も飢えに苦しまされる者なのだぞ。”」(アッ=ティルミズィーの伝承:2478)

9)冗談を言う時にも、他人を害したり、悪い気分にさせたりしないこと。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「本気でもふざけてでも、誰もその同胞の物を(彼を怒らせようとして)取ってはならない。」(アブー・ダーウード:5003、アッ=ティルミズィー:2160の伝承)

また他人を笑わせるために、嘘を含んだ冗談を言ってはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「人々を笑わせるために嘘をつく者に災いあれ、災いあれ、災いあれ。」(アフマド:4990、アブー・ダーウード:2315の伝承)

10)就寝の際には、アッラーの御名を唱えてから体の右側を下にして横になります。教友フザイファはこう伝えています:

「預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は夜就寝する際には、こう言ったものでした:

“ビスミカッラーフンマ・アムートゥ・ワ・アヒヤー(アッラーよ、私はあなたの御名において死に、そして生きます)。”

そして起床する時にはこう言ったものでした:

“アルハムドゥリッラーヒッラズィー・アヒヤーナー・バァダ・マー・アマータナー、ワ・イライヒンヌシュール(私たちを死なせた後に生き返らせられたアッラーに、全ての賞賛あれ。そしてかれにこそ、(最後の日の)召集があります)。”」(アル=ブハーリーの伝承:5953)

11)性交渉のために配偶者のもとに赴く時には、こう唱えます:

「ビスミッラー。アッラーフンマ・ジャンニブナッシャイターン、ワ・ジャンニビッシャイターナ・マー・ラザクタナー(アッラーの御名において。アッラーよ、私たちからシャイターンを遠ざけて下さい。そしてあなたが私たちにお授け下さるものから、シャイターンを遠ざけて下さい)。」   

また、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「 (性交渉のために)妻のもとに赴く際に、“アッラーの御名において。アッラーよ、私たちからシャイターンを遠ざけて下さい。そしてあなたが私たちにお授け下さるものから、シャイターンを遠ざけて下さい”と言う者は、もしその時彼らの間に子供が授けられることになっていたのなら、シャイターンはその子を害することがないであろう。」(アル=ブハーリー:141、ムスリム:1434の伝承)

そして配偶者同士の私事に関しては、徹底してその秘密を守るようにします。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「実に審判の日にアッラーの御許で最悪の場所にある者とは、妻と性的関係をもった後にその秘密を暴くような者である。」(ムスリムの伝承:1437)

12)家を出る時には、次のような祈願の言葉を唱えます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:

「誰でも外出する際に、

“ビスミッラー。タワッカルト・アラッラー。ワ・ラー・ハウラ・ワ・ラー・クウワタ・イッラービッラー(私はアッラーの御名と共に始め、アッラーにのみ全てを委ねます。アッラーの他に、いかなる権威も威力もありません)。”

と唱える者には、こう言われよう:“あなたの諸事は引き受けられよう。そしてあなたは(悪から)守られよう。”そしてシャイターンは彼から遠ざかるのだ。」(アッ=ティルミズィー:3426、アブー・ダーウード:5095の伝承)

14)病人のお見舞いの際には、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)から伝わる祈願の言葉を唱えます。彼は病人を見舞う時にはその近くに腰を下ろし、次のように7回唱えたものでした:

「アスアルッラーハルアズィーマ・ラッバルアルシルアズィーミ・アン・ヤシュフィヤカ(私は、偉大なるアッラー、偉大なる玉座の主にあなたを癒して下さることを祈ります。)。」

また彼は次のようにも言ったそうです:

「もしアッラーが彼の寿命をもっと長く定めているのなら、彼はこの病から癒されるであろう。」(イブン・ヒッバーンの伝承:2975)

15)トイレに入る時には左足から先に入るようにし、このように唱えます:

「ビスミッラー。アッラーフンマ インニー アウーズ ビカ ミナルフブスィ ワルハバーイス(アッラーの御名において。アッラーよ、私は男女の悪魔からあなたにご加護を求めます。)。」(アル=ブハーリー:142、ムスリム:375の伝承)

そしてトイレから出る際には、右足から出て次のように唱えます:

「グフラーナカ(あなたにお赦しを乞います)。」(アブー・ダーウード:30とイブン・マージャ:300の伝承)

 一同胞からのアドバイス

1)イスラームの枠組みに入ることで、あなたがそれ以前に犯した全ての罪は赦されます。このことに関してアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「イスラームが、それ以前の全ての罪を抹消するということを知らないのか?」(ムスリムの伝承:121)  

それどころか、イスラーム改宗以前の悪行は改宗以後、アッラーのお恵みによって善行に置き換えられるかもしれません。アッラーはこう仰っています:

-そしてアッラーと共に他のものを(崇拝して)祈ったりせず、また正当な理由なしにはアッラーが禁じられた生命をあやめたりせず、そして姦淫したりすることもない者(は、慈悲深きお方の正しいしもべである)。そのようなことを行う者は、その罪(による報い)を受けるであろう。審判の日、彼には懲罰が倍増され、辱められたままそこに永遠に留まる。但し悔悟して信仰し、正しい行いをする者に関しては、アッラーがその悪行を善行でもって取り換えて下さるであろう。アッラーはお赦し深く、慈悲深いお方。,(クルアーン25:68-70)

アッラーからの次の福音をお聞き下さい。啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)の内でイスラームを受け入れた者は、通常の倍の報奨を受けます。これは彼らが彼らの使徒と、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のいずれも信仰したためです。アッラーはこう仰いました:

-われら(アッラーのこと)がそれ以前に啓典を授けた者たちは、それを信じよう。それ(クルアーン)が朗誦されれば、彼らはこう言うのだ:「私たちはこれを信じました。これこそはわれらが主からの真理です。私たちはこれ以前からムスリム(アッラーの教えを受け入れて従った者)でした。」彼らは彼らが辛抱したことによって、倍の報奨を与えられよう。彼らは悪行を善行でもって返し、われらが恵んだ物から施すのだ。,(クルアーン28:52-54)  

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「二つの啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)の内でイスラームを受容した者は、倍の報奨を得よう。彼らには私たちが享受している諸々の権利が与えられ、また私たちに課せられている諸々の義務も課せられる。そして彼ら以外のものでイスラームを受け入れる者は、その報奨を得よう。彼らにもまた私たちが享受している諸々の権利が与えられ、また私たちに課せられている諸々の義務も課せられるのだ。」(アフマドの伝承:22288)

今やあなたの(行いの)記録は真っ白なのですから、それを罪でもって汚さないようにして下さい。

2)今やあなたは真実と共にあります。あなたの宗教を学ぶために、いくばくかの時間を割いて下さい。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「アッラーは誰かによきものを望まれる時、その者に宗教理解をお授けになる。」(アル=ブハーリー:71、ムスリム:1037の伝承)  

まずは信仰箇条の知識を身につけ、それからタハーラ(清浄)やサラー(礼拝)などの、日常生活において欠かせないあなたの宗教に関する全ての物事を学んで下さい。また無知から非合法な物事に陥ってしまわぬよう、取引に関する法や、生活の収入を得るにあたっての合法的手段などに関しても学ぶ必要があります。それからアッラーの書である、クルアーンを暗記しつつ理解することにもご尽力下さい。

また宗教理解は、適切で信頼性のある源泉から汲み取らなければなりません。つまりアッラーの書と、その使徒ムハンマド(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のスンナ(言行録)に則る、ということです。

あなたの規範はアッラーの使徒であるムハンマド(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)ですから、彼を模倣すべく彼の伝記を学ぶ必要もあります。そのためには、自分の言っていることをきちんと実践しているような、知識豊かな学者や学徒と共にあるように努めるのがよいでしょう。

また全ての自称ムスリムが、真のムスリムではないことを心得ておいて下さい。そしてそのような人々から知識を求めないよう、細心の注意を払って下さい。イスラームに関して見聞きすることは全て、クルアーンと預言者ムハンマド(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のスンナに照らし合わせて吟味する必要があります。そしてその際には、敬虔なる先人たちの理解に則らなければなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「私はあなた方に、アッラーを畏れることを忠言する。例え手足が満足に揃っていないエチオピア人の奴隷があなた方の指導者に任命されたとしても、聞き従うのだ。実に、あなた方の内長生きする者は多くの相違を目にすることになろう。ゆえに私のスンナと、正しく導かれたカリフのスンナに従え。奥歯でもって、それに喰らい付くのだ。そして宗教における新奇な物事に気を付けよ。実に宗教における全ての新奇な物事は糾弾されるべき宗教変革であり、全ての宗教変革は迷妄なのであるから。」(アブー・ダーウード:4607、アッ=ティルミズィーの伝承:2679、イブン・マージャによる伝承:42)

スンナに沿ったものを手にし、それに反したものは避けるべきです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「ユダヤ教徒は71の分派に分かれた。その内の一派だけが天国に入り、残りの70は地獄行きとなろう。またキリスト教徒は72の分派に分かれた。そしてその内の一派だけが天国に入り、残りの71は全て地獄行きとなろう。アッラーにかけて。私のウンマ(共同体)は73の分派に分かれるだろう。そしてその内のただ一派だけが天国に入り、残りの72は地獄行きとなるのだ。」するとある者が言いました:「アッラーの使徒よ、それは一体誰なのでしょうか?」アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう答えました:「ジャマーア[44]である。」(アブー・ダーウード:4596、イブン・マージャによる伝承:3993)

3)また信仰者を愛し、彼らの仲間となるべきであり、不信仰を憎み、それを敵と見做さなければなりません。しかし不信仰への憎悪は、決して非ムスリムへの不正や、彼らの権利を侵犯したり蹂躙したりすることを意味するわけではありません。ムスリムは彼ら自身を憎むのではなく、その不信仰と迷妄を憎むのです。このことは、人々が地獄に入ることを救おうとする努力の推進源となるでしょう。そしてムスリムを差し置いて非ムスリムを尊んでもならなければ、ムスリムに敵対する非ムスリムを援助してもなりません。アッラーはこう仰いました:

-そして男女の信仰者は互いに同士である。,(クルアーン9:71)  

4)そしてイスラームを受け入れる者は誰でも、特に近しい者たちからの反対や反駁、嫌がらせなどに出会うことを知っておいて下さい。そしてまた、いかなる形で不正を蒙ったとしても、そのことがあなたの位階を上げ、あなたの罪への贖罪となることを忘れないで下さい。実際のところそれはアッラーからの試練なのであり、かれはあなたがあなたの宗教において、どれだけ真摯であるのか、そしてどれだけ辛抱強いのかをご覧になられたいのです。アッラーはこう仰いました:

-人々は“私たちは信仰しました”とさえ言えば、試練にもかけられずに放っておかれるとでも思ったのか?実にわれら(アッラーのこと)は彼ら以前の者たちを試練にかけたのだ。そしてアッラーは(“私たちは信仰した”という言葉において)正直な者たちと嘘つきとをご存知になられたのだ。,(クルアーン29:2‐3)

またある時、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう訊ねられました:

「最も大変な試練に遭う者とは、いかなる者ですか?」彼は答えました:「まず使徒たち。そして正しき信仰者。次いで彼らに次ぐ者、そしてまた更に彼らに次ぐ者たちである。全ての者はその宗教の強さに応じて、試練にかけられる。宗教が強い者ほど大きな試練に遭い、弱い者ほど試練を課されないのだ。そして人は、全く罪のない状態で地上を歩くようになるまで、試練を課され続ける。」(アッ=ティルミズィーの伝承:2398、イブン・マージャによる伝承:4023)

そしてまた、彼らはイスラームに関し、あなたの心の内に疑念を催させようと試みるのです。彼らは頻繁に難題や疑問を問いかけてくるでしょう。そのような時あなたは、クルアーンとスンナからそれらの難題に対する適切な回答を導き出すべく、学識のある人々に尋ねて下さい。

5) 人々をアッラーの宗教へといざなって下さい。しかしそのためには、彼らをいざなうもの、つまりイスラームに関して熟知している必要があります。そして知識があれば、イスラームの敵がもたらす疑念の数々を容易に解消することも出来るでしょう。アッラーはこう仰っています:

-英知とよき訓戒をもって、あなたの主の道へといざなえ。そしてよき手法を用いて彼らと議論するのだ。実にあなたの主はその道を迷い外れた者のことも、よく導かれた者のこともよくご存知である。,(クルアーン16:125)

アッラーがあなたをお救いになられたように、あなたも人々を地獄から救って下さい。そして自分にとって近しい人たちから始め、次のアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の言葉に十分留意して下さい:

「アッラーが私を遣わされたのは、物事を困難にするためではない。むしろかれは、私を物事を容易にするための教師として遣わされたのだ。」(ムスリムの伝承:1478)

人をイスラームへと導くことには、多大なる善とアッラーのお恵みが約束されています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、後に第4代カリフとなるアリーにこう言いました:

「アッラーによって、あなたの手を介して人が導かれることは、地上にある全てのものよりも優れている。」(アル=ブハーリー:2783、ムスリム:2406の伝承)

また人をイスラームへと導けば、あなたはあなたを介して導かれた人の得る報奨と寸分も変わらない同様のものを手にすることが出来ます。このことに関し、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「正しい導きへといざなう者には、それに従った者が得る報奨と同じ報奨が彼にも与えられる。そしてそれによって彼ら(導きに従った者たち)の報奨からは少したりとも差し引きされることはない。そして迷妄へといざなう者には、それに従った者が得る罪と同じ罪が彼にも与えられる。そしてそれによって彼ら(導きに従った者たち)の罪からは少したりとも差し引きされることはない。」(ムスリムの伝承:2674)

全ての非ムスリムにイスラームを伝え、かつそこへといざなうことは、全ムスリムの義務です。ゆえにこの義務をおろそかにはしないで下さい。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「(この教えを)私から伝達せよ。それが例えクルアーンのたった一句であったとしても。」(アッ=ティルミズィーの伝承:2669)

またムスリムは、人々がアッラーの宗教を愛するようにし向けなければなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「人々によき知らせを伝えよ。そして彼らが宗教から遠ざかってしまわぬようにするのだ。物事を易しくし、困難にしてはならない。」(アル=ブハーリー:69、ムスリム:1732の伝承)  

人をイスラームへといざなうにあたって、その結果は重要ではありません。というのもイスラームを伝えるということは、人々に真実への道を明らかにし、指し示すだけに過ぎないからです。アッラーはこう仰っています:

-そして実にあなたこそは、(人々を)真っ直ぐな道へと導くのである。天と地にある全てが属するお方の道へ。実に全ての物事は、アッラーへと帰結するのだ。,(クルアーン42:52-53)

そして人をイスラームへと導くものは、最終的にはアッラーのみなのです。アッラーはこう仰いました:

-あなたがあなたの好む者を導くのではなく、アッラーこそがかれのお望みに適う者を導かれるのである。そしてかれこそは、正しく導かれた者を最もご存知であるお方。,(クルアーン28:56)

6)またあなたに善行を勧め、あなたを悪行から遠ざけ、かつ人生においてあなたを助けてくれるような、よき伴侶や友人を選ぶよう努めて下さい。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「よい連れ合いと悪い連れ合いとは、ちょうど香水を運ぶ者とふいご(で炭)を吹く者のようなものである。香水を運ぶ者はあなたにそれをくれたり、またはあなたが彼からそれを買ったり、あるいは彼からよい香りを嗅ぐことが出来るかもしれない。一方ふいごで(炭を)吹く者はといえば、あなたの衣服を焦がしたり、あるいはあなたに悪臭を与えたりするだけなのだ。」(アル=ブハーリー:1995とムスリム:2628の伝承)

7)また宗教において過激さや極端に偏らないよう、注意して下さい。イスラームには修道院も過激派もありません。アッラーはこう仰っています:

-アッラーはあなた方に易きを求め、難きを望まれない。,(クルアーン2:185)

また教友アナス・ブン・マーリクは、以下のような話を伝えています:

「三人の男がアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の妻たちのもとにやって来て、彼の崇拝行為の様子について訊ねました。彼らはそれについて聞くと、自分たちの崇拝行為の至らなさを痛感してこう言いました:“預言者は過去と未来の罪を赦されたお方だというのに、(それにも関わらず崇拝行為に非常に献身的であった)彼と比べたら、私たちは一体どうなるというのか?”それで彼らの内のある者はこう言いました:“私は一晩中礼拝するぞ。”またある者はこう言いました:“私は毎日断食しよう。”そして別の者はこう言いました:“私は女性を遠ざけ、一生結婚すまい。”するとこのことを聞きつけた預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がやって来て、こう言いました:“あなたたちがそのようなことを言うのは、一体どうしたことか?アッラーに誓って。私はあなた方よりもアッラーを畏れているが、断食すれば(それを解いて)食べもする。また礼拝(のために夜を明かすこと)もすれば、(そうせずに)眠りもするし、結婚もする。私の慣行から背く者は、私の仲間ではないのだ。”」(アル=ブハーリーの伝承:4776)

一方で、アッラーの宗教において妥協や、不適切な寛容さは受け入れるべきではありません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「私があなた方に命じたものだけで十分としておくのだ。実にあなた方以前の民は、質問のしすぎと彼らの使徒への異論ゆえに滅ぼされたのである。私が何かを禁じたら、それを回避せよ。そして私が何かを命じたら、出来る限りそれを遵守するようにするのだ。」 (アル=ブハーリー:6858、ムスリム:1337の伝承)  

8)あなたはきっと、多くのムスリムが宗教義務を遂行しなかったり、あるいは禁じられている物事をきちんと守らなかったりするのを目にするでしょう。このような人々は、イスラームを伝達するという任務をも怠っています。そしてこの原因は、シャイターンがアーダムの子らを迷わせるために、あらゆる手段を用いて日々努力奔走していることによっています。至高なるアッラーはこう仰っています:

-彼(イブリース[45])は言った:「あなたのご威信にかけて。私はきっと彼ら(アーダムの子ら)全員を迷わせましょう。」,(クルアーン38:82)

シャイターンはこうして、アーダムの子らを迷わせることにいかなる努力も惜しまないことを誓ったのです。

-われら(アッラーのこと)は実にあなた方を創り、それからあなた方に形を与え、それから天使たちにこう言った:「アーダムに向かってサジダ(跪拝)せよ。」すると天使たちは皆サジダしたが、イブリースだけはサジダに加わらなかった。(アッラーは)言った:「われはあなたに命じたというのに、あなたがサジダすることを妨げたものは一体何か?」(イブリースは)言った:「私は彼よりも優れています。あなたは私を炎からお創りになりましたが、彼のことは土塊からお創りになりました。」(アッラーは)言った:「ここ(天国)から堕ちてゆけ。あなたにはここで高慢にしている権利はない。出て行くのだ。あなたは実に見下げ果てた者である。」(イブリースは)言った:「私に、彼らが蘇らされる日まで猶予をお授け下さい。」(アッラーは)言った:「あなたに猶予を授けよう。」(イブリースは)言った:「あなたが私を惑わされたように、私も必ずや彼らを(そそのかして)正しい道から逸らせましょう。そして彼らの前後左右から襲い掛かりましょう。あなたは彼らの多くが、(あなたに対して)感謝深い者ではないことをご覧になるはずです。」(アッラーは)言った:「ここから、辱めを受け、放逐されつつ、出て行くがよい。彼らの内であなたに追従する者たちがいれば、われはきっとあなた方(と彼ら)全員でもって、地獄を満たすであろう。」,(クルアーン7:11-18)

しかし、アッラーの宗教へと人々をいざなうことに関しての義務を遂行することに、失望してはなりません。むしろこのことを、アッラーの宗教を広める努力への励みとするべきでしょう。

9)日常生活においてイスラームの指針を実践して下さい。例えるなら、知っている人であってもなくても他人を助けるとか、あるいは他人に笑顔をもって接するとかいうことです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:

「あなたの同胞に対する笑顔は、一つの慈善である。また勧善懲悪も一つの慈善であり、迷っている者を導いてやることも一つの慈善である。また目が不自由な者を援助することも、道端から石や棘、骨などを取り除けることもまた一つの慈善である。そしてあなたの水瓶から、同胞の水瓶に水を注いでやることも一つの慈善なのである。」(アッ=ティルミズィーの伝承:1956)

また衣服を始め、全てのものを清潔にしましょう。イスラームは清潔さの教えであり、ゆえにムスリムもまた清潔でなければなりません。アッラーはこう仰っています:

-アーダムの子ら(人類)よ、どこのモスクでも(衣服でもって)身を着飾るのだ。,(クルアーン7:31)

また慈善行為や任意のサラー(礼拝)、その他の自発的な崇拝行為など、出来るだけ多くの善行に努めて下さい。 そしてこのような行動は、宗教に無頓着なムスリムに対する間接的な布教ともなります。それどころかこのような行為は、イスラームの素晴らしい側面を目にした非ムスリムがイスラームに対して興味を抱いたり、イスラームについて訊ねたりすることを促すことで、非ムスリムに対する布教にも繋がるのです。

そして親類とよい関係を築いて下さい。例え彼らがあなたの宗教に関して反対していたとしても、彼らとの関係を断ってはなりません。彼らとのよい関係を維持することで、彼らのイスラームへの距離も縮まるかもしれません。それは特に、イスラーム改宗以後のあなたの作法や人格などが改善された場合に顕著なものとなるでしょう。女性の教友の一人であるアスマーは、こう伝えています:

「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の時代に、不信仰者だった私の母親が私のもとを訪れました。それで私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)に(彼女とどう接するべきか)相談しました。私は言いました:“私の母親が私の孝行を求めてやって来たのですが、私は彼女によくしてやるべきでしょうか?”(預言者は)言いました:“ああ。お母さんに良くしてやりなさい。”」(アル=ブハーリー:2477とムスリム:1003の伝承)

10)また善と悪の戦いは、最後の日まで続くことを常に念頭に入れて下さい。ムスリムの脆弱さと非ムスリムの強力さ、ムスリムの無勢と非ムスリムの多勢、ムスリムの後進性と非ムスリムの先進性、ムスリムの惨めな状態と非ムスリムの権勢などは、イスラームそのものの誤謬性に対する証明とはなり得ません。むしろこのような状況の原因は間違いなく、ムスリムが主の法の実践を怠り、善行を放棄し、人々をアッラーの道にいざなうことをないがしろにしてきたからなのです。

第二代目カリフのウマル・ブン・アル=ハッターブはこう言いました:

「私たちは、イスラームゆえにアッラーからの栄光を授かった民なのである。ゆえにそれ以外の何かでもって栄光を求めれば、アッラーは私たちを辱められるだろう。真実を踏襲しなければならない。実にアッラーは天国と地獄をお創りになり、そのいずれをも満たされることをお約束になられたのだから。」

11)また最後の時は近いことを忘れないで下さい。時が過ぎる度、この世の終わりと審判の日は近づいて来るのです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「最後の時と私は、このような(短い)間隔において呼び出されるのだ。」そう言って彼は人差し指と中指をくっつけました。(アル=ブハーリー:4652、ムスリム:867の伝承)

またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、後世のイスラームの状態に関してこう予言しました:

「イスラームは珍奇なものとして始まり、そして再び珍奇なものとなろう。ゆえに(周りがどうあろうとも、正しいイスラームの教えを固守する)珍奇な者たちに福音を伝えよ。」(ムスリムの伝承:145)

多くの追随者を勝ち取ることが、何らかの方法論の正当性への証明とはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:

「珍奇な者に福音を!珍奇な者に福音を!珍奇な者に福音を!」ある者が訊ねました:「アッラーの使徒よ、一体珍奇な者とは誰のことですか?」彼は答えました:「悪の徒党の中の、正しい者のことである。彼らに反抗する者は、彼らに従う者よりも多くなるであろう。」(アフマドの伝承:7072)

預言者ムハンマド(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は同様に、その教えを遵守するムスリムの状態と、そのことゆえに彼が直面する様々な肉体的・精神的困難を、以下のように説明しています:

「善を勧め、悪を禁じよ。しかし貪欲さが尊ばれ、欲望が追求され、現世が人々の拠り所となる時、そして人々が自らの意見に満足し、自我に執着し、公共の福利の推進を放棄する時、‐そしてこのような時代は間違いなく到来するのである‐彼らの中での忍耐は、煮えたぎる炭を握り締めるような(辛苦に満ちた)ものとなろう。そしてこのような人々の中で善行に努める者は、(通常その善行で得られるはずの報奨の)50人分の報奨を得るであろう。」(イブン・ヒッバーンによる伝承)

アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は審判の日の予兆の一つとして、イスラームの失墜を挙げています。その時、地上に「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラー以外に真に崇拝するべきものはなし)」と 証言する者は存在しません。その時までに残るのは邪悪な存在だけで、そのような中で最後の時は起こるのです。

ナウワース・ブン・サムアーンは、偽メシアとマルヤムの子イーサーの降臨、及びゴーグとマゴーグなどを描写する、以下のような預言者ムハンマド(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の伝承を伝えています:

「…それからアッラーは、彼らの腋の下を流れるよき清らかな風を送られる。それは全ての信仰者とムスリムの魂を奪い、邪悪な人々のみが残存することになる。彼らはロバのように公衆の面前で性交渉を行うが、最後の日はそのような人々のもとにやってくるのである。」(ムスリムの伝承:2937)

12)全てのことは、その締めくくりをもって判断されます。ゆえにあなたがイスラームにおいて堅固であるよう、そしてよき最期を迎えることが出来るよう、常にアッラーにお祈りして下さい。そしてあなたの言動がアッラーゆえの純粋なものとなるよう、またそれらがかれが定められた法に適ったものとなるよう、そしてあなたがかれへの服従行為に時間を費やすことが出来るよう、常にご自身を監視して下さい。裁かれる前に、まず自らを裁くのです。そしてアッラーが、かれの禁じられたことを行うあなたではなく、かれの命じられたことを行うあなたをご覧になられるよう、努力しましょう。

アッラーが私たちを、かれの教えのもとに堅固にして下さいますよう。そして私たちがムスリムとして最期を迎えることが出来ますよう。



[1]ハディースとは預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の言動やある物事の認可、性質などを伝える伝承のことです。尚「聖なるハディース」とは、預言者ムハンマドが彼自身ではなくアッラーから伝える伝承のことを指します。

[2] 訳者注:つまり全ての者。

[3] 訳者注:精霊的存在。

[4]「シャハーダターン」とは語学的に、信仰上の二つの証言という意味です。

[5]「タウヒード」とは、アッラーの唯一性を表す概念です。

[6]これが「タウヒード・アル=ウルーヒーヤ」、あるいは崇拝行為におけるアッラーの唯一性、と呼ばれる概念です。

[7] 2番目と3番目のポイントは「タウヒード・アッ=ルブービーヤ」、あるいは主性におけるアッラーの唯一性として知られているものです。つまりアッラー以外には創造主も、供給主も、管理者も、所有者も存在しないという概念です。

[8]この概念は「タウヒード・アル=アスマーゥ・ワッ=スィファート」として知られるものです。アッラーには美名と属性が属し、かれに相似したり比肩したりするいかなるものも存在しません。

[9] ムスリムとなるには、証言の意味を理解して確信をもって信仰するだけでは十分ではありません。厳密にはそれを発声して受容し、ムスリムとなることを受け入れる必要があります。

[10] ムスリムとなるには、証言の意味を理解して確信をもって信仰し、それを発声して受容し、ムスリムとなることを受け入れるだけでは十分ではありません。更にそれに則って行動する必要があるのです。

[11] 「イフサーン」とは、語学的には何かをよい形で行う者を意味しますが、ここでは預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の手法に則ってアッラーゆえに真摯に善行を積む者の事を指しています。アッラーはここでかれへの服従と善行を並置させていますが、それらを実践する者は証言という「堅固な取っ手を握り締めた者」となるでしょう。

[12] 上記の全ての条件を満たしていたとしても、心の内に不信仰を潜めていたとしたら、ちょうど偽善者のような状態になってしまいます。

[13] 上記の全ての条件を満たしていたとしても、死人に向かって何らかの願いを叶えてもらおうと祈ったりするなど、崇拝行為をアッラー以外の何かに向けていたら純粋なアッラーの崇拝を行っていることにはなりません。

[14] シャイターンとは、人類の祖アダムに跪拝せよというアッラーの命令に逆らい、それゆえに永遠の呪いを受けたイブリースという名のジンのことです。彼は審判の日までの猶予期間において、人類を地獄への彼の道連れにしようと奮闘するのです。

[15] つまり彼らが、「もしアッラーが私たちに使徒を遣わしていたら、私たちは彼に従って信仰者となったのに」などという弁解をしないためにです。

[16] 来世においてアッラーが彼に授けた水飲み場のことで、そこから飲んだ者は永久に渇きを覚えることがないと言われます。

[17] 「スンナ」とは預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のことです。

[18]「穢れ」には大きな穢れと小さな穢れの2種類があります。詳細はまた後に触れます。

[19]「ウドゥー」とは、小さな穢れを除去するために、体の特定の部位を洗浄することです。この詳細もまた後に言及します。

[20]「キブラ」とはマッカのカアバ神殿の方向です。

[21]この時点でアスルを行うのは、忌避すべきこと(マクルーフ)と見なされます。「マクルーフ」とは宗教上好まれない物事のことで、それを行っても罪とはなりませんが、それを放棄すれば報奨を得られます。ゆえにアスルは太陽が黄色くなり始める前に行うことが好ましく、それ以降日没前までに行うのはとりあえず合法と見做されます。

[22]ここに示したのは、義務のサラーに伴って推奨されるスンナのサラーです。この他にも各サラーに関連するものがありますが、ここでは省略しました。

[23]「アウラ」とは、他人に見せることを禁じられる身体の一部のことです。

[24] 訳者注:サラーを開始する際に行うタクビールのことです。アッラーが何よりも偉大であり、それ以外の存在はかれなしでは存在することが出来ない小さな存在であることを実感することで、サラー中の畏怖の念を呼び起こし、またかれ以外の何かに心を囚われることがないようにします。

[25]「イマーム」とは、集団で行うサラーを先導する者です。

[26]「生の試練」とは、現世や欲望による誘惑に関するもので、「死の試練」とは墓の中の試練と、そこで二人の天使に詰問を受けることを意味すると言われます。また「偽メシアの試練」とは、彼が多くの人々を惑わせ、彼の主張する神性を受け入れて彼に追随することを指しています。

[27]アラビア語ではない自分の言葉で、自分の望むことを祈願しても問題はありません。

[28] 47ページのサラー図表をご参照のこと。

[29] つまり太陽が昇ってから、15~20分の間です。

[30]このような場合、事情によりやり損ねたサウムは、次のラマダーン月が来るまでに済ませておかなければなりません。

[31]「ミーカート」とは、ウムラかハッジを行おうとする者が、イフラームの状態ではなしに通過することの出来ない特定の場所のことです。

[32]「イフラーム」とは、ある種の物事が禁じられる巡礼者特有の状態のことです。

[33]カアバ神殿は、アッラーの崇拝をするにあたって地上で最善の場所です。それはアッラーのご命令を受けて、イブラーヒーム(アブラハム)とイスマーイール(イシュマエル)によって建設されたのです。アッラーはこう仰います:-そしてそうすることが出来る人々には、カアバ神殿を訪問するアッラーへの義務がある。それを否定する者があっても、実にアッラーは何ものをも必要とされてはいないのだ。,(クルアーン3:97)

[34]「タワーフ」とは、カアバ神殿の周囲を逆時計回りに7回廻る崇拝行為のことです。

[35] 「サアイ」とはサファーとマルワと呼ばれる谷の間の回廊を、3往復半する崇拝行為のことです。

[36] 「ミナー」とは、マッカ近郊にある峡谷名です。

[37]ある一定の条件を満たした旅行者は、ズフルとアスル、及びイシャーのサラーを4ラクアから2ラクアに短縮することが出来ます。また同様にズフルとアスル、及びマグリブとイシャーを同じ時間に連続させて行うことも許されるのです。

[38] 「アラファ」とは、ミナー東方に位置する台地の名称です。

[39] 「ムズダリファ」は、ミナーとアラファの間に位置する場所の名称です。

[40] ミナーには大小中の3本の石柱(ジャムラ)があり、その内の最大のものをアカバのジャムラと呼びます。

[41]そもそも「ムハージル」とは、アッラーゆえに不信仰者の土地から移住することを指します。

[42] 「アル=アズラーム」とは、当時賭け事やくじ引きに使われていた火打石のことであると言われます。

[43]「アッサラーム・アライクム(あなた方に平安あれ)」という挨拶を受けたら、「ワ・アライクムッサラーム(あなた方にも平安あれ)」と返すのが最低限の作法です。それに「ワ・ラフマトゥッラー(そしてアッラーのご慈悲を)」と付け足せばもっとよく、更に「ワ・バラカートゥフ(そしてかれの祝福を)」と付ければもっと望ましいでしょう。

[44]ここで言う「ジャマーア」とは、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)とその教友たちの手法を堅持する集団のことを指します。

[45] 訳者注:23ページの注釈参照のこと。