イーマーンの基幹 - ⑥定命への信仰‐ ()

ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー

 

信仰の6柱の中でも非常に重要な基幹である定命への信仰に関連して、信仰すべき4つのポイントを軸にして見ていきます。
    イーマーンの基幹 - ⑥定命への信仰‐

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    イーマーンの諸基幹

    定命への信仰

    ﴿ أركان الإيمان الإيمان بالقدر

    ] 日本語– Japanese – ياباني [

    ムハンマド・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジュリー

    翻訳 : サイード佐藤

    校閲 : ファーティマ佐藤

    2007 - 1428

    ﴿ أركان الإيمان الإيمان بالقدر

    « باللغة اليابانية »

    محمد بن إبراهيم التويجري

    ترجمة: سعيد ساتو

    مراجعة: فاطمة ساتو

    2007 - 1428

    ⑥定命への信仰

    ● 定命とは:以下のような事柄を指します:アッラーの全ての物事に関する知識。アッラーがお望みになられた創造や諸世界、様々な出来事や物事などの発生や出現に関するかれの知識。及びそれらの物事の緻密な設定。またこれらの物事を既にアッ=ラウフ・アル=マフフーズ(護られた碑版)に書き留められているということ。また定命は創造におけるアッラーの秘密であり、かれに近しい天使や預言者でさえも知る得ることはありません。

    ● 定命への信仰とは:

    崇高なるアッラーが、-実にわれら(アッラーのこと)は、定命をもって全てのものを創った。,(クルアーン54:49)と仰られたように、良いことであれ悪いことであれ、全ての出来事がアッラーの既にお定めになり、かつそのご履行されることであることを確信をもって信じることです。

    ● 定命への信仰には4つの物事が含まれます:

    1-至高のアッラーが、全ての事象の全体と詳細をご存知であるということを信仰すること。それはこの宇宙の創造や運行、生死の取り決めなど崇高なるアッラーの行為と関連するものであれ、あるいは人間の言葉や行為や状態、動植物や無機物の状態など被造物の行為に関連するものであれ、同様です。至高のアッラーは仰られました:-アッラーこそは7層の天と、そして地においてもそれと同様のものを創られたお方。啓示はその間を下って来る。それはあなた方が、アッラーが全てのことをお出来になり、そしてアッラーが全ての事象を熟知されていることを知るためである。,(クルアーン65:12)

    2-至高のアッラーが物事や被造物の状況、糧など全ての物事の詳細設定をアッ=ラウフ・アル=マフフーズ(護られた碑版)に既に書き留められていることを信じること。彼は全ての量や形、時間や場所をあらかじめ定められているのであり、それらはアッラーのご命令なしには変更されたり変化したり、増減したりすることはないのです。

    ① 至高のアッラーはこう仰られました:-あなたはアッラーが天地にあるもの全てをご存知であることを知らないのか。実にそれらは全てアッ=ラウフ・アル=マフフーズ(護られた碑版)の中に記載されているのである。そのようなことはアッラーにとって、実に易しいことなのだ。,(クルアーン22:70)

    ② アブドッラー・ブン・アムル・ブン・アル=アース(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“アッラーは天地を創られる50000年前に、被造物に関する全ての詳細をお書きになられた。”そして預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“そして(その時)かれの玉座は水の上にあった。”」(ムスリムの伝承[1]

    3-全ての物事は、アッラーのご意思とお望みに沿ってでしか起こり得ないということを信仰すること。それゆえ発生する全てのことはアッラーのご意思によるものであり、それが宇宙の創造や運行、生死の取り決めなどアッラーの行為に関するものであれ、また言葉や行為や状態など被造物の行為に関することであれ、アッラーがそのようにご意思をもたれたことは実現し、そうでなかったものは実現しません。

    ① 至高のアッラーはこう仰られました:-そしてあなたの主は、かれがご意思をもたれ、お選びになったことを創造される。,(クルアーン28:68)

    ② 至高のアッラーはこう仰られました:-そしてアッラーは、かれがご意思をもたれることを行われる。,(クルアーン14:27)

    ③ 至高のアッラーはこう仰られました:-そしてもしあなたの主が(そのように)ご意思をもたれていれば、彼らはそうしなかったのだ。,(クルアーン6:112)

    ④ 至高のアッラーはこう仰られました:-(訓戒は)あなた方の内で、(真実によって)自らを正したいと望む者のためのものである。そしてあなた方は、万有の主アッラーが(そう)ご意思をもたれない限り、何かを意思することはない。,(クルアーン81:28-29)

    4-至高のアッラーが全てを創造されるのだという信仰。かれは全ての物事を、その本質、属性、動きなどと共に創造されます。かれの他にはいかなる創造者もいません。

    ① 至高のアッラーはこう仰られました:-アッラーは全ての創造主であり、かれにこそ全ての物事は委ねられている。,(クルアーン39:62)

    ② 至高のアッラーはこう仰られました:-実にわれら(アッラーのこと)は、定命をもって全てのものを創った。,(クルアーン54:49)

    ③ 至高のアッラーはこう仰られました:-そしてアッラーはあなた方と、あなた方の行うところのものを創られた。,(クルアーン37:96)

    定命による弁解

    ● アッラーが定められ、かつご履行されることの内、人間に関するものは2種類あります:

    1- 人間の意志を超えた次元における行為や状態:

    例えば人の身長の高低、美醜、生死、また事故や病気、財や生命や糧の喪失などの内、選択の余地なしに発生すること‐これらはしもべにとって時には懲罰、時には試練、また時にはその位階の上昇の原因ともなり得ます‐などのことです。

    これら人の意思とは関係なく起こり現れる物事に関して、人はその責任を問われたり、その報いを受けたりすることはありません。そしてこれらのことは全てアッラーが定められ、かつご履行されることであり、そこにおいて辛抱し、満足し、それらを従順に受け入れなければなりません。宇宙の全ての出来事には、全てをご存知になり通暁されているお方の英知が潜んでいるのです。

    ① 至高のアッラーはこう仰られました:-地上で、そしてあなた方の内に起こるいかなる災難も、それが創造される前にアッ=ラウフ・アル=マフフーズ(護られた碑版)の中に定められていないことはないのである。実にそのようなことはアッラーにとって容易いことなのだ。,(クルアーン57:22)

    ② イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「ある日私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の後ろにいました。彼は私にこう言いました:“少年よ。お前にある言葉を教えてやろう。それを心に書き留めて堅守するのだ。そうすればアッラーがお前を護って下さるだろう。アッラー(があなたに命じ禁じられること)を守るのだ。そうすればかれを眼前に見出すであろう。何かを乞うときはアッラーに乞うのだ。そして援助を求める時はアッラーに援助を求めるのだ。そして知るのだ。全ての者があなたを益しようと一丸になっても、アッラーがあなたに対して既にお定めになられたこと以外は何1つあなたを益することがない。また全ての者があなたを害しようと一丸になっても、アッラーがあなたに対して既にお定めになられたこと以外は何1つあなたを害することがない。(定命の)筆は既に置かれ、(それが書き留められる)ページ(のインク)はもう乾いてしまったのである。”」(アフマドとアッ=ティルミズィーの伝承[2]

    ③ アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“偉大かつ荘厳なるアッラーは仰られた:「アーダムの子ら(つまり人類)は時を悪く言って、われの気を損ねる。われこそが時なのだ。全ての物事はわが手中にある。われは昼夜を変転させるのだ。」”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[3]

    2-アッラーが定められ、かつご履行される人間の行為の内、イーマーン[4]や不信仰、服従や反逆、善行や悪行など、アッラーが人間に授けられた理性や能力、選択などによって人間が出来る範囲のもの:

     これらに関しては人間はその責任を問われ、そしてその行為いかんによって報奨や懲罰が決まります。というのもアッラーは使徒たちを遣わし、諸々の啓典を下し、真実と虚偽を明白にされましたし、またイーマーンとかれに対する服従を勧められ、不信仰とかれへの反逆行為に警告を与えられました。その上かれは人間に理性と選択能力を授けられたのですから、人間は自分自身の選択によって望む道を進むのだと言えます。そして人間がいかなる選択をしようとも、それはアッラーのご意思とお望みのもとにあるのです。というのもアッラーの王国において、かれの知識とご意思を免れるものは何1つとして存在しないからです。

    ① 至高のアッラーはこう仰られました:-そして言え、「これこそはあなた方の主からの真理である。アッラーがそう思し召しになる者を信仰させ、そう思し召しになる者を否定させるのだ。」,(クルアーン18:29)

    ② 至高のアッラーはこう仰られました:-良い行いをする者は自分のために(行い)、そして悪行を行う者は自らに反して(行って)いるのだ。そしてあなたの主は、そのしもべたちに対していかなる不正も施されない。,(クルアーン41:46)

    ③ 至高のアッラーはこう仰られました:-不信仰者にはその不信仰による報いがあり、良い行いをする者はそれによって(天国に)自らのため(の場所を)しつらえるのである。,(クルアーン30:44)

    ④ 至高のアッラーはこう仰られました:-それは万有の訓戒に他ならない。(それは)あなた方の内で、(真実によって)自らを正したいと望む者のためのものである。そしてあなた方は、万有の主アッラーが(そう)ご意思をもたれない限り、何かを意思することはない。,(クルアーン81:27-29)

    ● 定命を引き合いに出して弁解出来る場合:

    1-前述したように、自ら招いたのではない災難などに関しては、人は定命を引き合いに出して弁解することが出来ます。ゆえに人が自らの選択ではなしに病にかかったり、命を失ったり、災難による試練に遭ったりした時は、アッラーの定命を引き合いに出してこう言うのです:「アッラーはそれを定められ、かれのご意思に叶ったことを行われた。」そして彼はその災難において辛抱することで報奨が得られることに、満足し喜ばなければなりません。崇高なるアッラーは仰られました:-そして忍耐する者たちに良き知らせを伝えよ。(彼らは)災難が降りかかった時に「私たちは実にアッラーにこそ属し、そして彼の御許へと還り行く境遇にあります。」と言う者たち。彼らには主からの祝福とご慈悲があり、そして彼らこそは正しく導かれた者なのである。,(クルアーン2:155-157)

    2-義務行為の放棄や禁じられた諸事に携わることなど、アッラーに対する不服従において定命を言い訳にすることは許されません。

    というのもアッラーはかれへの服従を命じられ、かれへの不服従を禁じられたのであり、また物事の実行を命じられ、定命にかこつけて無為になることを禁じられました。もし定命をそのような形で言い訳とすることが許されていたのなら、アッラーはヌーフ(ノア)の民やアード、サムード[5]の民のように使徒たちを嘘つきとした者たちを罰したりはされなかったでしょう。また法規範を越えた者たちに刑の執行を命じられることもなかったでしょう。

    ゆえに不服従の徒を定命にかこつけて正当化し、例え法を侵したとしてもその非や懲罰を免除しなければならないなどと主張し、善行者と悪行を働く者の区別すらしないなどという考えは、大きな誤りなのです。

    ● アッラーがしもべに定められたことは、それが良いことであれ悪いことであれ、その諸原因と緊密に結び付いています。つまり良いことの諸原因はイーマーン[6] と服従行為であり、悪いことの諸原因は不信仰や不服従です。そして人間はアッラーから授かった純粋意志と、やはりアッラーから授かった選択能力でもって行為を行います。しかし人間はアッラーから授かった選択能力によって行うそれらの諸原因を介してでなければ、アッラーが彼のために書き留められ定められた幸福や不幸といった事象には到達出来ないのです。ゆえに天国に入るにもその諸原因があり、地獄に入るにもその諸原因があるのです。

    1-至高のアッラーは仰られました:-シルク[7]の徒は言うであろう:「アッラーがそう思し召しならば、私たちも私たちの父祖もシルクなど犯さなかったし、何も(アッラーが禁じられていないものを根拠もなく)禁じたりはしなかったであろう[8]。」彼ら以前の者たちも同様に嘘をつき続け、そしてわれら(アッラーのこと)の懲罰を味わったのである。言ってやれ、「あなた方に知識があるというのなら、それを見せてみよ。あなた方は確証もなく憶測しているに過ぎないのだ。あなた方は思い違いをしているのである。」,(クルアーン6:148)

    2-至高のアッラーは仰られました:-そしてアッラーとその使徒に従え。あなた方はきっと慈しまれるだろう。,(クルアーン3:132)

    3-アリー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“あなた方の魂は全て、天国と地獄での居場所をあらかじめ決められている。”(教友たちは)言いました:“アッラーの使徒よ、ではなぜ(努力して善い)行いをするのでしょう?”(アッラーの使徒は)言いました:“いや、(努力して善い行いを)行うのだ。全ては彼のために創造されたものへと容易にしてくれるだろうから[9]。”そして(クルアーンの次の章句を)読みました:-(よいことにおいて)施し、(アッラーの禁じられた物事から)身を控え、シャハーダの証言[10]を心から信じる者は、われら(アッラーのこと)がよい行いへと導いてやろう。一方吝嗇し、(来世の享楽より現世の欲望や)富を追求し、シャハーダの証言を嘘とする者は、われらが(よい行いをするにあたっての)困難さへと導いてやろう。,(クルアーン92:5-10)」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[11]

    ● 以下に挙げる事柄においては「定命による定命の打消し」がありえます:

    1-ある定命の諸原因が既に達成されてはいても、それに対立する定命の諸原因がまだ達成されてはいないような場合。例えば戦いによって敵を撃退すること、寒暑から身を防ぐことなどのことです。

    2-ある定命が既に発生してはいても、それを追いやり無効化するような他の定命が現存している場合。例えば病気を医薬による治療でもって除去すること、罪という定命を悔悟という定命でもって駆逐すること、また悪行という定命を善行という定命でもって取り除くことなどです。

    ● しもべが善と悪を行うことは、それらをアッラーが創造したということを否定してはいません。アッラーは全てを創造されたのであり、人間とその行いもまたそこから免れません。しかし偉大かつ荘厳なるアッラーのご意思が、常にかれのご満悦を意味しているとは限らないのです。不信仰や不服従、腐敗などという事象はアッラーのご意思によるものであることは間違いありませんが、アッラーはそれらを愛されもしなければ悦ばれることもなく、またそれらをご命じになられることもありません。その逆に、アッラーはそのような物事をお嫌いになり、禁じられています。しかしかれが嫌われ、禁じられているようなことであっても、それらが全てを創造されたアッラーのご意思から免れることはないのです。アッラーの創造された全てには、かれが崇高なるかれの王国と創造を管理することを目的としてそこに散りばめられた英知が潜んでいるのです。

    ● 最も完全な最良の者というのは、アッラーとその使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が愛されることを最もよく愛し、アッラーとその使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が厭われることを最も強く厭う者です。彼らの愛情と嫌悪はそれらの理由以外の何物でもなく、また彼らはアッラーとその使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が命じるものを命じますが、その理由はこれらのこと以外の何ものでもないのです。そして全てのしもべはいかなる時も、彼らが規範とすべきアッラーのご命令と禁止令、そして甘んじて受け入れるべき定命を必要としているのです。

    ● 定命を甘んじて受け入れることは3つのカテゴリーに分類されます:

    1-服従行為を喜んで受け入れること:これは命じられていることです。

    2-災難を甘んじて受け入れること:これも義務的に命じられているか、あるいはそうすることが推奨されていることです。

    3-不信仰と不服従、反逆行為など:これらについては甘んじて受け入れることを命じられておらず、むしろこれらについて怒り、厭うことが命じられています。アッラーはこれらのことを愛されもしなければ、お悦びにもなられません。そしてそれらを創造されたのはアッラーご自身ですが、かれがそれら自体を愛でられることはありません。実にそれらはシャイターン(悪魔)の創造に代表されるように、アッラーがそのしもべをかれの愛でられるものへと間接的に導く仲介物なのです。ゆえに私たちはアッラーの創造に満足しますが、非難されるべき行為やその行為者自体は甘んじて受け入れもしなければ、愛しもしないのです。

    その一面では愛され、またある一面では厭われるもののよい例として、苦い薬があります。苦い薬は嫌なものですが、好ましい結果へと導いてくれます。そしてアッラーへと向かう道というものは、かれの愛でられお悦びになるところのものを成すことにおいて満足することであり、発生し存在する全ての物事に満足することではありません。また私たちは、アッラーが定められご履行されるところのもの全てにおいて満足することを命じられているわけでもありません。実際のところ私たちは、アッラーとその使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が私たちに満足するよう命じられたところにおいて、満足することを命じられているのです。

    ● アッラーの定命‐それが一見して良いことであれ悪いことであれ‐に対するご履行には2つの側面があります:

    1-アッラーに関連し、そしてかれに帰せられる側面:この側面において、しもべは満足して受け入れます。アッラーの定命に対するご履行は全て善であり、公生かつ英知溢れたものであるからです。

    2-しもべに関連し、そして彼に帰せられる側面:この側面においてはイーマーン[12]や服従行為のように満足すべきものと、また不信仰や反逆行為のように甘んじて受け入れるべきではない‐同様にアッラーもこのようなことを愛でられもしなければお悦びもされず、それらをご命じにもなりません‐ものがあります。

    ① 至高のアッラーはこう仰られました:-そしてあなたの主は、かれがご意思をもたれ、お選びになったことを創造される。彼らに選択はないのだ。崇高なるアッラーに讃えあれ。かれは彼らが(かれに)並べて配するものから遥か高く(無縁で)おられるお方である。,(クルアーン28:68)

    ② 至高のアッラーはこう仰られました:-あなた方が不信仰に陥ろうと、アッラーはあなた方のことなどそもそも必要ともされていないのである。そしてかれは、(信仰者の)しもべたちに不信仰をお悦びにはなられない。そしてもしあなた方が感謝するならば、それをあなた方にお悦びになられる。,(クルアーン39:7)

    ③ 至高のアッラーはこう仰られました:-そしてアッラーはあなた方と、あなた方の行うところのものを創られた。,(クルアーン37:96)

    ● しもべの行為は被造物である:

    偉大かつ荘厳なるアッラーはしもべと、その行いを創造されました。そしてそれをご存知になり、それが起こる前に既に書き留められています。ゆえにしもべが善行、あるいは悪行を行った時、私たちは初めてアッラーがそれをご存知になられ、創造され、書き定められていたことを知るのです。しもべの行為に関するアッラーの知識は仔細に及ぶ完全なものであり、全てのものをその知でもって包囲されています。地上であれ天であれ、小蟻1匹ほどの重さのものでも、かれの知識から免れるものはないのです。

    1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてアッラーはあなた方と、あなた方の行うところのものを創られた。,(クルアーン37:96)

    2-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてかれはかれのみぞ知る不可視界の鍵を有される。かれは陸にあるものも海にあるものもご存知であり、1枚の葉でさえかれの知をよそに落ちることはない。また地中の暗闇に潜む1粒の種子も、湿っているものも乾いているものも、全て明白な書[13]の中に記録されているのである。,(クルアーン6:59)

    3-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてわれら(アッラーのこと)があなた方の証人となることなしには、あなた(ムハンマド)が何かを意図し行うこともなければ、クルアーンを読むこともなく、またあなた方が何らかの行為を没頭して行うこともないのだ。そして小蟻ほどの重さのものであっても、あるいはそれより小さい、あるいは大きなものであっても、天地においてあなたの主から隠れられるものはないのである。,(クルアーン10:61)

    4-アブドッラー・ブン・マスウード(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「正直者であり、かつ信頼されるお方であるアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、私たちにこう言いました:“実にあなた方の構成要素は母の胎内に40日間留まり、それからそこで同じ期間1個の凝血となり、それからまたそこで同じ期間1個の肉塊となる。それから1人の天使が遣わされ、そこに魂を吹き込む。そしてそれに対して4つの言葉:つまり彼の糧と寿命、そしてその行い、及び彼が幸福な者となるか、あるいは不幸な者となるかを書き留めることを命じられる。

    かれの他に真に崇拝すべきもののないお方にかけて。あなた方の内のある者は、天国まで後一歩という所まで天国の民の行いを行い続ける。しかしそこで(天命を記された)書が勝り、それによって地獄の民の行いを行い、地獄へと入るのだ。

    またあなた方の内のある者は、地獄まで後一歩という所まで地獄の民の行いを行い続ける。しかしそこで(天命を記された)書が勝り、それによって天国の民の行いを行い、天国へと入るのだ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[14]

    ● 公正さと慈善:

    偉大かつ荘厳なるアッラーの行為は公正さと慈善を基調としており、かれは誰1人として不正を施されることがありません。かれはしもべに公正さをもって処されるか、あるいは慈善でもって処されるかのどちらかなのです。ゆえに悪行を行う者に対しては、崇高なるアッラーの-そして1つの悪行に対する報いは、それと同じ1つの悪行なのである。,(クルアーン42:40)というお言葉通り、公正さでもって処されます。一方善行者に対しては崇高なるアッラーの-1つの善行を行った者には、その10倍(の報奨)がある。,(クルアーン6:160)というお言葉通り、慈善と寛大なる恩恵でもって報われるのです。

    ● 宗教的命令と普遍的命令:

     偉大かつ荘厳なるアッラーには、2種類の命令が属します:つまり宗教的命令と普遍的命令です。

     普遍的命令には3種類あります:

     1-創造の命令:これはアッラーから全ての創造物に向けられたものです。崇高なるアッラーは仰られました:-アッラーは全ての創造主であり、かれにこそ全ての物事は委ねられている。,(クルアーン39:62)

     2-存続の命令:これはアッラーから存続に関して、全ての創造物に向けられたものです。

    ① 至高のアッラーはこう仰られました:-実にアッラーは天地が崩れぬよう、支えられている。そしてもしそれらが崩れてしまったら、誰もそれを支えることは出来ない。かれは実に寛容で赦し深いお方なのである。,(クルアーン35:41)

    ② 至高のアッラーはこう仰られました:-そしてかれ(アッラーのこと)のみしるしの内の1つに、かれのご命令によって天地が(支えもないのに安定して)成立していることがある。それからかれが大地(の中)からあなた方を一呼びされると、あなた方は(そこから)出てくる。,(クルアーン30:25)

     3-害益や動静、生死などに関する命令:これもまたアッラーから全ての被造物に向けられた命令です。

    ① 至高のアッラーはこう仰られました:-言え(ムハンマドよ)、「私はアッラーのご意思に叶うこと以外、自らに(何かを)害(する権威)も益(する権威)も持ち合わせてはいない。もし私が不可知の領域を関知していたら、よいことばかりを集め、災難は回避することが出来ただろう。私は信仰する民への1人の警告者、福音者に過ぎないのである。」,(クルアーン7:188)

    ② 至高のアッラーはこう仰られました:-かれはあなた方を海に陸に移動させられるお方。あなた方は船に乗るが、それらが順風によって彼らを乗せて運べば、彼らは喜ぶ。(一方)そこに猛風が来て、あらゆる方向から彼らを大波が襲うと、彼らは一巻の終わりかと思ってアッラーのみに祈りすがる。(そしてこう言う:)「もし私たちを救って下さるのなら、私たちは必ずや(あなたの恩恵を)感謝する者となるでしょうに。」,(クルアーン10:22)

    ③ 至高のアッラーはこう仰られました:-かれは生死を司るお方。それで何かをご決定される時には、ただ「このようにあれ」と仰るだけで、そのようになるのである。,(クルアーン40:68)

     一方崇拝されるべきお方としての宗教的命令というものは、人類とジン[15]の2集団のみに向けてアッラーより発されています。

     そしてこの命令の中には、イーマーン[16] 、イバーダート(諸崇拝行為、アッラーと人間との間の諸々の取り決め)、ムアーマラート(社会法、人間と人間の間の諸々の取り決め)、付き合い方、道徳などが含まれます。そしてアッラーの普遍的命令に対する確信が強ければ強いほど、アッラーの宗教的命令に従おうとするしもべの希求と思慕、そしてそこにおける悦楽の念は高まります。そしてそこにおいて最も成功する者というのは、その主を最もよく知る者です。つまり彼らとは預言者たちであり、そして彼らの導きを踏襲する者たちなのです。アッラーの宗教的命令に応えることにより、かれは私たちに現世においては天地の祝福を与えて下さり、そして来世においては私たちを天国に入れて下さるのです。

    ● 偉大かつ荘厳なるアッラーのご命令には2種類あります:

    1-宗教的命令とは:既に発されているもので、しもべがそれに従うとは限らない類のものです。例えば次のようなアッラーのご命令がそうです:-そしてあなたの主は、あなたがかれ以外の何ものも崇めることなく、その両親に孝行することをご命じになられた・・・,(クルアーン17:23)

    2-普遍的命令とは:必ず実現し、人間がそれに反することが不可能である類のものです。これにもまた2種類あります:

    ① 主的直接命令:崇高なるアッラーが-かれ(アッラー)のご決定というものは、それをお望みになられた時に“(このように)あれ。”と仰られただけで、実にそのようにあるのである。,(クルアーン36:82)と仰られている通り、必ず実現します。

    ② 主的かつ普遍的命令:これは互いに作用し合う諸々の要因や結果から成立している、宇宙法則です。全ての普遍的原因にはその結果があります。これらの例としては以下に挙げるようなものがあります:

    ① 至高のアッラーはこう仰られました:-それは、あなた方が自ら(の状態を悪い方へと)変化させない限り、アッラーも彼らに与えている恩恵を変えられることはないからである。,(クルアーン8:53)

    ② 至高のアッラーはこう仰られました:-そしてわれら(アッラーのこと)がある町を滅ぼそうと欲する時には、その恵まれた富者たちに(われらへの服従や善行を)命じるが、彼らは従わず放蕩に耽る。それで彼らに懲罰が確定され、われらは彼らを木っ端微塵に滅亡させるのである。,(クルアーン17:16)

     これらはいわゆる普遍的法則であり、イブリース[17]やその徒党はある者たちを破滅へと導く原因とすべく、これらの事を利用することもありえます。アッラーはこれらの事から私たちを救われるために、ドゥアー(祈願)やイスティグファール(罪の赦しを乞うこと)をお与えになりました。アッラーの定命のご履行は、ドゥアー(祈願)によってでしか阻まれることはありません。ドゥアー(祈願)は全ての普遍的法則を創られたアッラーへの避難であり、普遍的法則による諸々の効果を無効化したり、その諸々の結果をいつでもどのような形にでも変化させる力を秘めているのです。イブラーヒーム(アブラハム)が火刑に処されかけた時にその炎の効果が消失したのは、そのよい例でしょう。アッラーはこう仰られています:-われら(アッラーのこと)は言った:「炎よ、イブラーヒームにとって冷涼かつ無害なものとなれ。」,(クルアーン21:69)

    ● 善と悪のカテゴリー:

     善には2つのカテゴリーがあります:

    1-その理由がイーマーン[18]と正しくよい行い、つまり偉大かつ荘厳なるアッラーとその使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)への服従行為であるもの。

    2-その理由が、アッラーが人間に授けられるところの財や健康、勝利や威力などの主的恩恵であるもの。

    一方悪にも2つのカテゴリーがあります:

    1-その理由がシルク[19]や反逆行為であるもの。それらは人間から発生します。

    2-その理由が病や財の消失、敗北などの主からの報いや試練であるもの。

    ● 善とは服従行為の意味であり、アッラーのみに帰されます。アッラーこそがそのしもべにそれを定められ、与えられ、命じられ、その遂行において援助されるお方なのです。

    ● 悪とはアッラーとその使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に対する反逆の意味です。しもべが服従よりも反逆を好み、自ら望み選択してそれを行うのなら、この悪はその行為者であるしもべ自身に帰されるのであり、アッラーに帰されることはありません。というのもアッラーはそれを定められてもいなければ命じられもせず、逆にそれを禁じられ、その応報について警告までされているからです。崇高なるアッラーはこう仰られています: -あなたが得た善はアッラーからのものであるが、あなたが得た悪は自ら稼いだものなのである。そしてわれら(アッラーのこと)はあなたを人々に、使徒として遣わした。アッラーこそは十分な証人であられる。,(クルアーン4:79)

    ● 財や子孫、健康や勝利、威力などの恩恵という意味での善、財や生命や収穫物の損失や敗北などのような悪報や試練という意味での悪は、全てアッラーからのものです。というのも偉大かつ荘厳なるアッラーはそのしもべを高い位階の獲得と教訓ゆえに、悪報や試練でもって試されるからです。崇高なるアッラーは仰られています:-そして彼らがよい目に遭えば、こう言う:「これはアッラーからのものだ。」そして悪い目に遭うと、こう言う:「これはあなたのせいだ。」言うのだ、「(これら)全てはアッラーからのものである。」これらの民はどういうことだろう、全く思慮することがないかのようである。,(クルアーン4:78)

    ● 悪行を原因とする懲罰を退けるもの:

     信仰者が悪行を犯してしまった際、その帰結として起こる懲罰を以下の方法で回避することが出来ます:

     悔悟し、それがアッラーによって受け入れられること。アッラーに罪の赦しを乞い、赦されること。悪行を帳消しにするような善行を行うこと。信仰者の同胞が彼のためにドゥアー(祈願)し、彼のためにイスティグファール(罪の赦しを乞うこと)すること。あるいは同胞が彼のために、アッラーがそれでもって彼を益するところの彼らの行いの報奨を彼に贈与すること。現世においてアッラーが彼を何らかの災難でもって試練にかけられ、それでもって彼の行った悪行が赦されること。死後、天国と地獄の境界において大音響による試練を受け、それによって彼の悪行が赦されること。審判の日、召集の地における試練によって彼の悪行が赦されること。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のとりなし。最も慈悲深いお方のご慈悲。

    アッラーこそは最も赦し深く、最も慈悲深いお方であられます。

    ● 服従と不服従:

     アッラーとその使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)への服従は利益と高徳を生み、またかれらへの不服従は害悪と悪徳の原因となります。太陽も月も動植物も陸も海もアッラーに服従しており、それゆえ至高のアッラー以外には数え切れないほどの沢山の益を産出するのです。そして預言者たちは偉大かつ荘厳なアッラーに服従したことで、至高のアッラー以外には数え切れないほどの沢山のよきものが彼らから生じたのです。

     一方イブリース[20]はその主に逆らい、その命を拒み、高慢になったゆえに至高のアッラー以外には数え切れないほどの沢山の悪と腐敗を地上において排出しました。

     このように人間もその主に服従することで、至高のアッラー以外には数え切れないほどの沢山のよきものと益を自らとそれ以外のものに提供することが出来るのです。しかしその主に逆らうのなら、至高のアッラー以外には数え切れないほどの沢山の悪と害を自らとそれ以外のものに向けて排出することになります。

    ● 服従と不服従による諸影響:

    偉大かつ荘厳なるアッラーはかれとかれの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に対する服従と善行に関し、不服従におけるそれとは比べ物にはならないほどの素晴らしく良い諸影響をご用意されました。そしてまた崇高なるアッラーは不服従と悪行に関し、それを行う時の快楽とは比べ物にはならないほどの悲痛と後悔の原因となる忌まわしい諸影響と苦痛をご用意されたのです。そしてしもべの好ましくない状況の原因は、罪悪以外の何ものでもありません。それにも関わらず、アッラーは多くの罪をお赦しになられます。

    罪悪は、ちょうど身体に対する毒の有害さのように、人の心にとって有害です。アッラーは人間を美しくよい先天的資質のもとに創造されましたが、罪悪や過ちによる穢れはその美しさや善を駆除してしまいます。そしてそのしもべがアッラーに悔悟すれば、アッラーはその美しさと善を回復させて下さるでしょう。そしてその極みは天国において実現されるのです。

    ● 正しい導きと迷妄:

     偉大かつ荘厳なるアッラーは創造に加え、お望みになられたことを行い、お気の召すままに裁かれ、お望みになる者を導かれ、あるいは迷わせられるところのご命令を所有されています。ゆえに王国とはかれの王国であり、創造とはかれの創造なのです。かれはかれの成されることを(審判の日に)訊ねられるのではなく、かれこそが被造物に訊ねられるのです。崇高なるかれはそのご慈悲により、使徒たちを遣わされ、諸啓典を下されました。また正しい道を明らかにし、様々な障害を除去されました。そして正しい導きと服従への諸要因を、聴覚や視覚や理性でもって捉えられるように配置されたのです:

    1-正しい導きを好み、望み、求め、その諸要因をこなし、それを獲得することにおいて努力奮闘する者は、アッラーがそこへとお導き下さり、その獲得と成就に関してご援助下さるでしょう。これはアッラーのそのしもべに対するご慈悲なのであり、寛大なる恩恵なのです。

    至高のアッラーは仰られました:-そしてわれら(アッラーのこと)ゆえに努力奮闘する者は、必ずやわれらの(もとに到達する)道へと導いてやろう。アッラーは実によく服従する者たちと共にあるのだ。,(クルアーン29:69)

    2-そして迷妄を好み、望み、求め、その諸要因を結集する者は、それを自らに完遂するでしょう。そしてアッラーは彼がいそしむところのものに、彼を従事させられるでしょう。彼はアッラー以外に、そこから彼を救い出してくれるものを見出しません。これはアッラーの公正さというものです。

    至高のアッラーは仰られました:-そして正しい導きが明らかになった後に及んでも使徒に従わず、信仰者たちの道を追求する者たちは、われら(アッラーのこと)が彼らをそのいそしむところのものに従事させてやろう。そしてわれらは彼を地獄の業火に入れてやろう。何と悪い行き所であろうか。,(クルアーン4:115)

    ● 定命への信仰の諸利益:

     アッラーの定命とそのご履行への信仰は、全てのムスリムの心の安静と平安、幸福感の源泉です。全てがアッラーの定命であると知れば、自らの望みが達成されてもそれで有頂天になることもなく、愛する者を失ったり災難が降りかかったりしても取り乱すことはありません。というのも彼は全てがアッラーの定命であり、起こったことが必ずや起こるべくして起こったことを知っているからです。

     1-至高のアッラーは仰られました:-地上で、そしてあなた方の内に起こるいかなる災難も、それが創造される前にアッ=ラウフ・アル=マフフーズ(護られた碑版)の中に定められていないことはないのである。実にそのようなことはアッラーにとって容易いことなのだ。それはあなた方が過ぎ去ったことに後悔せず、(アッラーが)あなた方に与えられたものにおいて悦に入らないようにするためである。アッラーは全ての自惚れ屋と高慢な者を愛でられない。,(クルアーン57:22-23)

     2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“信仰者とは驚くべきものである。彼に降りかかる全ての事は、よき事でありえないことがないのだ。そしてそれは信仰者のみのものであり、それ以外の者にはありえない。彼は順境にあれば(アッラーに)感謝し、それは彼にとってよきものとなる。そして逆境の折には耐え忍び、そしてそれはまた彼にとってよきものとなるのである。”」(ムスリムの伝承[21]

     3-サアド・ブン・アビー・ワッカース(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“信仰者とは驚くべきものである。彼に降りかかる全ての事は、よき事でありえないことがないのだ。彼は良い目に遭えばアッラーを讃え、かれに感謝する。そして悪い目に遭えばやはりアッラーを讃え、耐え忍ぶ。こうして信仰者は、全ての事において報奨を受けることになっているのだ。例えそれが妻に対する1さじであったとしても、である。”」(アフマドとアブドッラッザークの伝承[22]

    ● アッラーの恩恵により、ここでイーマーンの6つの基幹‐アッラーへの信仰、諸天使への信仰、諸啓典への信仰、諸使徒への信仰、最後の日(アル=ヤウム・アル=アーヒル)への信仰、定命への信仰‐についての話を終えることが出来ました。そして各々の基幹には、信仰者にとっての有益な諸効果が秘められています。

    ● イーマーンの基幹の諸利益から:

    1-偉大かつ荘厳なるアッラーへの信仰は:アッラーへの愛とかれの比類ない偉大さを讃える気持ち、かれへの感謝の念とイバーダ(崇拝行為)、かれへの服従と畏怖の念、そしてそのご命令に則ることなどを養ってくれます。

     2-諸天使への信仰は:彼らへの愛と、彼らに対して羞恥心を感じること、そして彼らの服従度の完全さに思いを馳せる心などを養ってくれます。

     3・4-諸啓典と諸使徒への信仰は:アッラーへのイーマーンと愛を強化し、アッラーとかれの法規定、及びかれの欲され厭われるものに関する知識を養ってくれます。またこれらの信仰を通して来世の様子を窺い知り、アッラーの使徒たちへの愛と服従の念も助長してくれます。

     5-最後の日(アル=ヤウム・アル=アーヒル)への信仰は:服従行為と善行に励むこと、そして不服従や諸々の悪を回避することにつながります。

     6-定命への信仰は:心の平安と安静、そしてアッラーの定命に関しての満足感を養います。

    そしてこれら全てがムスリムの人生において達成されれば、彼には天国に入る資格が備わっていると言えます。しかしこれらのことはアッラーとその使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)への服従を欠いていれば、完遂されません。崇高なるアッラーは仰られました:-そしてアッラーとその使徒に従う者は、(アッラーが)彼をその下を河川の流れる楽園に入れよう。彼らはそこに永遠に留まるのだ。これこそはこの上ない勝利である。,(クルアーン4:13)

    ● アッラーが創造に関して行われ、決定され、運命付けられることには様々な福利と英知が潜んでいます。それで崇高なるアッラーの行われる良きことや慈善はかれのご慈悲の表れであり、かれの行われる破滅的災害や悪い応報などはかれのお怒りの表れなのです。またかれが示される優しさや寛容さはかれの寵愛の表れであり、かれの行われる辱めや無視、無配慮といったことなどはかれのお怒りと嫌悪の念の表れなのです。そしてかれが被造物において何かを喪失させては、また充溢指せるというその現象こそは、復活が必ずや起こることを示しているのです。

    [1] サヒーフ・ムスリム(2653)。

    [2] 真正な伝承。ムスナド・アフマド(2669)、スナン・アッ=ティルミズィー(2516)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(2043)。文章はアッ=ティルミズィーのもの。

    [3] サヒーフ・アル=ブハーリー(4826)、サヒーフ・ムスリム(2246)。

    [4] 訳者注:「8.イーマーンとイーマーンの諸特質」の項参照。

    [5] 訳者注:アードの民は肉体的に強大で栄えていましたが、預言者フードが彼らのもとに遣わされたときに彼に従わなかったため、アッラーから送られた暴風雨によって滅亡しました。一方サムードはアラブ半島に栄えた部族で、岩山を穿った住居に住んでいたと言われます。預言者サーリフが彼らに遣わされましたが、彼に従わなかったために滅ぼされました。

    [6] 訳者注:「8.イーマーンとイーマーンの諸特質」の項参照。

    [7] 訳者注:詳しくは「5.シルク」の章を参照のこと。

    [8] 訳者注:イスラーム以前の無明時代にアラブ人たちが聖なるものとしていたある種の家畜類を指すといわれます。クルアーン5:103参照のこと。

    [9] 訳者注:つまり天国の徒であれば、天国に入るための諸要因である善い行いを行うことが容易くなるのであり、その逆もまた同様であるということ。

    [10] 訳者注:つまり「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし)」の言葉。詳しくは「イスラームの基幹」の章を参照のこと。

    [11] サヒーフ・アル=ブハーリー(4945)、サヒーフ・ムスリム(2647)。文章はムスリムのもの。

    [12] 訳者注:「8.イーマーンとイーマーンの諸特質」の項参照。

    [13] アッ=ラウフ・アル=マフフーズ(護られた碑版)のこと。

    [14] サヒーフ・アル=ブハーリー(3208)、サヒーフ・ムスリム(2643)。文章はムスリムのもの。

    [15] 訳者注:精霊的存在のこと。

    [16] 訳者注:「8.イーマーンとイーマーンの諸特質」の項参照。

    [17] 訳者注:イブリースは元来は天使であったものの、アッラーが全ての天使たちにアーダム(アダム)の前でサジダ(伏礼)するように命じられた際、高慢になって従いませんでした。それで彼は審判の日まで人間とジンをアッラーの正しい教えから惑わせて迷妄の道へと誘い込み、地獄の道連れにしようと企む悪魔となったのです。

    [18] 訳者注:「8.イーマーンとイーマーンの諸特質」の項参照。

    [19] 訳者注:詳しくは「5.シルク」の章を参照のこと。

    [20] 訳者注:前出。

    [21] サヒーフ・ムスリム(2999)。

    [22] 良好な伝承。ムスナド・アフマド(1492)、アブドッラッザーク(20310)アル=アルナウートは良好な伝承経路であると言及しています。文章はアフマドのもの。