6 - スーラトルアンアーム ()

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(1) 完璧な描写、究極の美への愛と讃美は、天地や昼夜を造り、夜は闇で、昼は光で造った御方、アッラーのためにある。それでも不信仰に陥った者は、かれとは別の存在を同列に並べ立てる。

(2) 人々よ、かれこそはあなた方を造った御方であり、父祖アーダムを泥で造り、この世での滞在期間を定め、そしてあなた方を復活させるまでのかれにしかわからない別の期間を定められた御方である。それでもあなた方は復活の可否についてかれの力を疑う。

(3) かれこそは天地で本当に崇められるべき存在であり、不鮮明なものは何一つなく、かれはあなた方の心持ちや言動の表裏をご存知であり、それに応じて報いられるのである。

(4) あなたが多神教徒に主の御許から証をもたらしても、無関心にそれを捨て去るだけである。アッラーが唯一であることを明らかに示す証拠やその使徒たちの誠実さを示す様々な印がやって来たにもかかわらず、かれらは少しも顧みることなく背き去った。

(5) かれらはそうした明らかな証拠や論拠だけではなく、より明らかなものにも背を向けた。クルアーンでムハンマドがもたらしたものを嘘と否定したのである。復活の日に懲罰を目の当たりにしたときに、かれらは生前馬鹿にしていたことが真実なのを知るだろう。

(6) 不信仰者は、不義の徒を滅ぼす際のアッラーのやり方を知らないのか。アッラーは以前にも多くの民を滅ぼした。未曽有の勢力や繁栄の要因を与えられ、続けざまに雨を降り注がれ、住まいの下を川が流れるほどにされながら、アッラーに背き、犯した罪によって身を滅ぼし、かれらの後に別の民を創造された。

(7) 使徒よ、もしわれらがあなたへ紙に書かれた書を下し、自分の両目で目撃し、その書に手で触れて確認したとしても、かれらがそれを信じることはなく、「明らかな魔術に過ぎないから、わたしたちが信じることは決してない。」と言って否定し、認めはしないだろう。

(8) 不信仰者は言う。「もしアッラーがムハンマドと一緒に天使を遣わし、かれが使徒であることを証言したなら、わたしたちは信じただろう。」万が一われらが天使をかれらの望んだ姿で遣わしてなお信じなかったならかれらを滅ぼしていただろうし、いざ降臨すれば悔悟の猶予もなかっただろう。

(9) 万が一われらが使徒を天使としたならば、直接見聞きできるよう男の姿としただろう。創造されたままの天使の姿ではそれができず、男の姿としてもなおかれらには疑わしいものとなっただろう。

(10) これらの者たちが天使派遣の頼みで嘲笑ったとしても、以前のいくつもの共同体がその使徒たちを嘲笑ったのである。やがてかれらは、自分たちがかつて否定して嘲笑っていた懲罰で囲まれたのであった。

(11) 言いなさい、使徒よ。これらの否定者たちに。「地上を旅してアッラーの使徒たちを否定した者の成れの果てがどうであったかをよく見てください」と。権勢を誇った後にアッラーの懲罰が降りかかったのである。

(12) かれらに言いなさい、使徒よ。「天地の王権は誰のものでしょうか」と。言いなさい、「それらは全てアッラーのものです」と。かれはその僕たちへの恩恵により自らに慈悲を常と定められた。だからたとえかれらの集まり皆が疑いのない復活の日に悔い改めなかったとしても、かれは懲罰を急かさないのである。不信仰によって自らを損なった者は信じようとせず、己を救うこともない。

(13) アッラーにのみ、夜と昼の落ち着く全てのものの王権はある。かれこそは全ての言葉を聞き、全ての行いを知る御方であり、それらに応じて報いられるのである。

(14) 使徒よ、アッラーのほかに偶像などを崇める多神教徒に言いなさい。「アッラーのほかに助けを求めることが考えられるでしょうか。」かれこそは天地を前例なしに創造された御方であり、それらの創造が先を越されたことはない。かれこそはお望みの者に糧を与えるが、かれに糧を与える者は誰一人としていない。かれは満ち足りた存在であって、僕たちを必要とするわけではないが、僕たる人間はかれを必要とするのである。言いなさい、使徒よ。「完全なわが主がわたしにこの共同体の中でアッラーに忠実にお仕えする最初の者となるよう命じられ、かれと共に別の存在を並べ立てる者の一人にはならないよう命じられたのです。」

(15) 言いなさい、使徒よ。「わたしは恐ろしいのです。アッラーに背き、禁じられたことを犯してしまうか、命じられた善行を果たさないことで、復活の日に偉大な懲罰で苦しめられるかもしれないからです。」

(16) 復活の日にアッラーがその懲罰から遠ざける者はそのお慈悲を得る者であり、懲罰からの救済こそが明白な勝利なのである。

(17) アーダムの子(人間)よ、もしアッラーの御許から試練があなたに見舞われたなら、かれのほかに試練を取り除ける存在はなく、もし善良なことが起これば、それを妨げる者はない。かれの恩恵を拒む者はなく、全能な御方であり、かれを遮るものは何一つないのである。

(18) かれこそは僕たる人間を打ち負かし、恥辱を与え得る御方であり、かれを遮るものは何一つないほどに全ての側面から高みにおられる御方である。誰もかれを打ち負かすことはできないが、全ての存在はかれに聞き従う。完全なかれに相応しいかたちで僕たちの上におられ、その創造、計画、教えにおいて英明かつ全てに精通する御方なので、何一つ不鮮明なものはない。

(19) 言いなさい、使徒よ。あなたを否定する多神教徒に。「わたしの誠実さを証言してくれる存在で最も偉大なものは何でしょうか」と。言いなさい。「アッラーこそがわたしの誠実さを証言してくれる、最も偉大な存在です。かれはわたしたちの間の証言者であり、あなた方の返答もご存知です。アッラーがこのクルアーンをわたしに啓示されたのは、あなた方をはじめ、これの到達しうる人間とジン(幽精)をおびやかすためなのです。あなた方はアッラーと共に別のものを信じています。」言いなさい、使徒よ。「わたしはあなた方が認めるものをその誤りによって(正しいものとして)証言するつもりはありません。アッラーこそが唯一並ぶ者なき御方です。あなた方がかれに並び立てる全てのものから、わたしは無関係です。」

(20) われらが律法を与えたユダヤ教徒や福音書を与えたキリスト教徒は、預言者ムハンマドのことを、自分の子供のことを他所の子供に比べてよく知るように熟知している。これらの者こそ、信じようとはせず己を地獄の業火に入れてしまうことで自分自身を損なった者である。

(21) アッラーに同等のものを並び立て、それを崇めるか、かれがその使徒に啓示した諸節を否定する者以上に大きな不義をなす者はいない。アッラーに同等のものを並び立て、かれの様々な印を否定する者は、悔い改めないかぎり勝利することはないのである。

(22) かれら全員を集めるとき、復活の日を思い起こせ。われらは誰一人として取り逃がすことなく、アッラーと共に別のものを崇めてきた者を非難して言うのである。「あなた方がアッラーに並ぶ存在として嘘を吐いてきた同位者たちはどこに行ったのか。」

(23) それからこの試練の後には、かれらは自分たちが崇めてきたものと無関係を装って嘘を吐くのである。「アッラーがわたしたちの主であり、わたしたちは生前あなたに同等のものを並び立てる多神教徒ではなく、あなたを信じる一神教徒でした。」

(24) 見るがよい、ムハンマドよ、いかにこれらの者が自分の多神教信仰を否定して己自身に嘘を吐いたかを。いかにかれらが生前アッラーと同等のものとしてでっちあげていたものの陰口をたたき、見捨てたかを。

(25) 使徒よ、あなたがクルアーンを誦み上げれば、多神教徒の中にはあなたに耳を傾ける者もいる。しかしながら、かれらが聞き入るものを役立てることはない。それはわれらがかれらの反抗によってその心に覆いをかけ、クルアーンを理解できないようにしたからである。また、われらはかれらの耳を役立つ聞き方から遠ざけ、聞こえないようにし、明らかな兆候や証拠を見ても信じようとせず、虚偽で真理に対する言い争いをけしかけて言う。「あなたがもたらしたものは、古典からの抜き出しに過ぎない」と。

(26) かれらは人々が使徒を信じるのを禁じ、かれから学ぼうとする人を放っておかず、かれら自身も学ぼうとはしない。この行いが破滅させるのは己自身であり、そもそもそれが自滅行為なのを知らないのである。

(27) 使徒よ、もしかれらが復活の日に業火の前に引き連れられ、後悔の念を露わにしながら、「もう一度生前の世界に戻してもらえさえすれば、アッラーの印を嘘とは呼ばず、信者と共にいるのに…」と言うのを見たら、その状態の酷さに驚くだろう。

(28) 事はもし戻されれば信じたはず、というわけではない。むしろかれらの手足が反証したとき、「アッラーにかけて、わたしたちは多神教徒ではなかった」というかれらの言葉で覆いをかけていたものが露わになったのである。万が一この世に戻ったならば、かれらは禁じられた不信仰や多神教崇拝へと戻っただろう。戻ったら信じるというかれらの約束は、嘘なのである。

(29) 多神教徒は言うだろう。「今ある人生のほかに人生はない。清算の日に蘇らせられることはないのだ。」

(30) 使徒よ、復活を否定する人が主の前に立たされるとき、いかにかれらの状態が酷いかを見るだろう。アッラーは仰せられる。「これがあなた方の否定していた、疑いの余地なき復活ではないのか。」「主にかけて誓いますが、確かにこれは疑いの余地なき真実です。」そこでアッラーはかれらに言うのである。「この日を信じようとしなかった不信仰のせいでこの懲罰を味わうがよい。生前あなた方はそれを嘘としていたのである。」

(31) 復活の日の復活を否定し、アッラーの前に立たされることなどありえないとした人は損失をこうむり、その時が何の前触れもなく突然やってくれば、激しい後悔のあまり言うだろう。「ああ、なんと悔やまれることだろうか。不信仰や復活の日への備えでアッラーに対して怠ってしまった」と。かれらは自分の背中に悪行を載せることになる。かれらの運ぶ悪行のなんと醜いことか。

(32) この世での人生は、アッラーのお喜びになる行いをしない者にとっては、戯れや自惚れに過ぎない。一方あの世は、信仰や忠誠といった義務行為を通してアッラーを意識し、多神崇拝や違反といった禁止行為を避けることでアッラーを意識する者にとっては、よりよいところなのである。多神教徒よ、それを考えて信じ、よい行いをしようとはしないのか。

(33) 使徒よ、われらはかれらが表面的にあなたを否定することであなたが悲しんでいるのを知っている。だがかれらは心中ではあなたを否定してはいないのだということを知れ。あなたの誠実さをよく知っているからである。しかしながらかれらは不義をなす者たちであり、心の中では確信していながら、表面的にはあなたを否定するのである。

(34) この否定があなたにだけ起こっていると思ってはならない。以前の使徒たちも否定され、自分たちの民に迫害を受けたのである。それに対してかれら(使徒たち)はアッラーの勝利が来るまで伝教をもって応じ、アッラーの道において最善の努力を尽くす上で辛抱をもって応じた。アッラーが定められた勝利や約束を置き換えることのできる者はいない。使徒よ、以前の使徒たちがその民から被ったこと、かれらの敵を殲滅(せんめつ)するというアッラーの勝利がもたらされたこと(知らせ)があなたには届いたはずである。

(35) 使徒よ、もしかれらから被る否定や真理への反対が辛いなら、もしあなたが地上で金銭を費やすか、昇天する乗り物を求めてわれらがあなたを助けたものとは別の証拠や印をかれらのもとに持って来られるのなら、そうするがよい。万が一アッラーがかれらを真理にこぞって導かれることを望まれたなら、そうされただろう。しかしながらかれはある深い英知のためにそう望まれなかったのである。だから無知で愚かな振る舞いをする者の一人となってはならず、かれらが信じないからといって嘆き悲しんではならない。

(36) あなたがもたらしたものを受け入れるのは、話を聞いて理解する者である。不信仰者は死人同然であり、考慮に値しない。心がすでに死んでしまっているからである。死人は復活の日にアッラーが蘇らせられ、それからかれにのみ帰り行き、行ったことに応じて報われるのである。

(37) 多神教徒は信仰を馬鹿にしてわざと言う。「ムハンマドに奇跡の印が下されはしないのか。間違いなく主からのものであることを明らかにするものとなるのに。」使徒よ、言ってやりなさい。「アッラーはお望み通り印を下すこともできます」と。だがほとんどのそうした多神教徒は、印の啓示は求められるとおりにではなく、かれの英知に基づくものであることを知らないのである。万が一かれがそれを下してからなおかれらが信じなければ、かれらを滅ぼされることになっただろう。

(38) 地上を動く動物または空を飛ぶ鳥で人間のように創造や糧において様々な種類を持たない存在はない。守られた碑版に記されたことでそれを定めずに放置しておいたものはない。全ての知識はアッラーの御許にあり、それから主のみによって復活の日にかれらは裁きにかけられ、それぞれが相応しい報いを受けるために集められるのである。

(39) われらの印を嘘と否定する者は、聞こえない聴覚障碍者や話の出来ない発話障碍者に等しく、加えて暗闇の中にあって見えないのである。こうした状態にある者が導かれるということがあろうか。アッラーが迷うに任せるように望んだ者は迷わせられ、導きを望まれた者はまっすぐな道を行けるようにしてくださる。

(40) 使徒よ、多神教徒に言いなさい。「もしアッラーからの懲罰や到来を約束されたその時がやって来たならば、自分たちの崇めるものは利益をもたらして害を払いのけるという主張においてもしあなた方が誠実なら、そうしたときに試練や困難を取り払ってくれるようアッラー以外の存在にお願いするかどうか知らせてください。」

(41) 真実は、そうしたときにアッラー以外の存在に祈ることはなく、試練や害を払いのけられる存在はないということである。かれはそれができる全能なる御方だが、あなた方がアッラーに並び立てた、崇められる存在については、あなた方自身がそれらは役にも立たず、害にもならないのを知っているだろう。

(42) 使徒よ、われらはあなた以前の共同体に使徒たちを遣わしたが、人々はかれらを否定し、反抗した。だからわれらはかれらが主にお仕えし、謙虚に卑下するために貧困や病気で罰したのである。

(43) もしわれらの試練がやって来たときに払いのけてもらえるよう、かれらがアッラーに対して謙虚に従ったならば、われらもかれらに慈悲をかけただろうが、かれらはそうはしなかった。むしろ心を一層頑なにし、教訓を得ようとせず、考慮もせず、悪魔が不信仰や違反を飾り立てるままにそれまでのあり方を続けたのである。

(44) 貧困や病気の厳しさのせいで諭されたものを放置し、アッラーの命を実践しなかったため、われらはかれらに糧の門戸をいくつも開き、貧困の後に豊かさを与え、病気の後に健康を与えることで段階的試練を与えた。そうしてかれらは与えられた恩恵が自分の力で成し遂げたものという自惚れに襲われ、われらの懲罰が突然やって来たときには、希望を絶たれて慌てふためくのである。

(45) 破滅とアッラーの使徒たちの勝利によってかれらは全滅させられたため、不信仰の民の最後の一人が絶たれた。敵を滅ぼし、友を助けた、万物の主アッラーお独りにこそ感謝と称讃はある。

(46) 使徒よ、多神教徒に言いなさい。「もしアッラーがあなた方の聴覚を奪って耳の聞こえない者とし、視覚を取り上げて目の見えない者とし、心に封印をしてしまわれたなら、あなた方が失ったものを持って来られる、崇拝に値する存在は誰なのかを聞かせてください」と。よく見てみよ、使徒よ。われらがいかに様々な証拠を明らかにしてもなおかれらが反抗するかを。

(47) 言いなさい、使徒よ。「聞かせてください。あなた方のもとにアッラーの懲罰が突然やって来るか、目の当たりにはっきりとしたかたちでやって来るかしたら、アッラーを信じようとせず、その使徒たちを否定する不義の者しかその懲罰に襲われることはないのではないですか」と。

(48) われらが使徒を遣わす際は、信仰の民には尽きない恩恵といった喜びの知らせと、不信仰の民にはわれらの激しい懲罰で脅かせる知らせとともに遣わさないことはない。よって使徒たちを信じ、行いを正した者には、あの世で待ち受けているものを恐れることはなく、世俗的な幸運で得られなかったものを口惜しく感じて悲しむこともないのである。

(49) われらの印を嘘と否定した者は、アッラーへの忠誠からはみ出したために苦しみに襲われる。

(50) 使徒よ、多神教徒に言いなさい。「わたしのもとにアッラーの糧の宝庫があって好きなようにできるわけではありません。啓示で見せてもらえたものの他に、わたしに目に見えない世界のことがわかるわけでもありません。わたしは天使ではなく、アッラーの使徒なのです。啓示されたことに従うだけで、わたしに相応しくないことを唱えたりもしません。」使徒よ、言いなさい。「真理を見定める洞察力を失った不信仰者と、真理を見定めてそれを信じた信者とが等しいことがあるでしょうか。多神教徒の皆さん、皆さんの周りにある様々な印について、頭を使って考えてみてください」と。

(51) 使徒よ、復活の日に主の御許へ蘇らせられるのを恐れる者をこのクルアーンで脅かしなさい。アッラーのほかに援助者はおらず、執り成しもいないのである。ひょっとするとかれらは命令を果たし、禁止を避けることでアッラーを意識するかもしれない。そうした者こそ、クルアーンを役立たせることのできる者である。

(52) 使徒よ、日中の最初と最後に純真な信仰行為でアッラーを崇め続ける貧しいムスリムたちを集まりの場から遠ざけてはならない。多神教徒の要人を気にして、かれらを遠ざけてはならない。貧しい者たちの行いの清算があなたに問われるわけではなく、その清算は主の御許にある。また、かれらがあなたの行いの清算を問われるわけでもない。あなたがもしかれらを集会から遠ざけたなら、あなたは定めの境界線を踏み越える者の一人となってしまうだろう。

(53) そのようにわれらはかれらをお互いに試練に合わせ、世俗的な幸運においてお互いに違いのある者とし、裕福な不信仰者が貧しい信者に、「これらの貧しい者たちが、導きによってアッラーに優遇された者たちだろうか。信仰がよいものであったなら、かれらがわたしたちの先を行けるわけがない。わたしたちこそ先頭に立つに相応しいのだから」と言って試練を与えた。アッラーこそがその恩恵に感謝する者のことをよりよく知り、信仰へと成功させ、あるいは感謝せずに恩を忘れる者のことをよりよく知り、辱めを与えて信じられないようにされる御方ではないだろうか。そのとおり。まことにアッラーこそが、かれらのことをよりよく知っておられるのである。

(54) 使徒よ、あなたがもたらしたものが正しいことを証言するわれらの印を信じる者たちがやって来たなら、かれらを丁重に迎えるべく平安の挨拶を返し、アッラーのお慈悲の広大さでよい知らせを伝えよ。アッラーはあえて恩恵を課すかたちで慈悲を自らに課せられた。よってあなた方のうち無知と愚かさであやまちを犯してしまった者があったとしても、その後で悔い改め、行いを正したならば、アッラーは犯したあやまちを赦してくださる。アッラーは僕たちのうち悔い改める者をよく赦してくださる、慈悲深い御方なのである。

(55) 前述のようにわれらはあなたに明らかにし、虚偽の民に対して証拠を明らかにする。それは罪人の道を明らかにし、それを避け、注意喚起するためでもある。

(56) 使徒よ、言いなさい。「わたしにはあなた方がアッラーのほかに崇めているものを崇めるのをアッラーから禁じられたのです」と。使徒よ、言いなさい。「アッラー以外のものを崇めるあなた方の我欲に従うつもりはありません。もしわたしがあなた方の我欲に従うことがあれば、わたしは真理の道から迷い離れた者となってしまい、導かれることはなくなってしまうでしょう」と。これはアッラーからの明白な証なしに我欲に従う全ての者のことである。

(57) 使徒よ、多神教徒に言いなさい。「わたしは主からの明白な証の上にあり、我欲の上にあるわけではありませんが、あなた方はこの明らかな証を嘘と否定しました。あなた方が求める奇跡的な印や急かそうとする懲罰がわたしのもとにあるわけではありません。決定はアッラーただお独りのものであり、かれこそが真理を語り、決定されるのです。欠点とは無縁なかれこそが相応しくない人から相応しい人を明らかにし、区別する最良の御方なのです」と。

(58) 言いなさい、使徒よ。「万が一わたしのもとにあなた方が懲罰を急かそうとするものがあり、わたしの手の中にあったなら、それを下したでしょう。そうすれば、わたしとあなた方の間にある事は成就されたこととなります。どれほど猶予を与えられ、いつ処罰するか、不義をなす者のことをアッラーはよりよく知っておられるのです」と。

(59) アッラーただお独りのもとにのみ目に見えない世界の宝庫はあり、かれ以外の存在がそれを知ることはない。かれは動物、植物、鉱物といった地上にある被造物をはじめ、海にいるものも全て知っておられ、どんな所への落ち葉であれ、地上に秘められた植物の粒も、湿ったものも乾いたものも、明らかな書(守られた碑版)に定められていないものはないのである。

(60) アッラーこそはあなた方の魂を睡眠時に一時的につかみ取られる御方であり、またかれこそはあなた方が日中の活動時間の行動で得たものを知る御方である。それからかれは睡眠により魂をつかみ取ったあとで、日中の行いを果たせるようあなた方を蘇らせられる。アッラーの御許で一定期間定められているあなた方の寿命が尽きるまでである。それから復活の日にはかれにのみ復活によるあなた方の帰りどころはある。それからかれはあなた方が生前行っていたことを告げ、それに応じて報いられるのである。

(61) アッラーこそは僕たちを打ち負かし、辱めを与え、全ての面で高みにあられ、全てのものがかれに謙虚に仕え、かれの荘厳さに相応しいかたちでその僕たちの上にあられる御方である。人々よ、かれはあなた方に高貴な天使たちを遣わし、誰かの寿命が死の天使に魂をつかまれることで尽きるまで行いを記録する。かれらが命じられたことにおいて怠ることはない。

(62) それからアッラーという真実の所有者のもとへ召された魂は全て戻され、行いの報いを受ける。かれにこそ実行される決定と公平な裁定はあり、かれこそは数えることの最も速い御方であり、行いを最も網羅する御方なのである。

(63) 使徒よ、多神教徒に言いなさい。「陸の上や海の暗闇の中で遭遇する災害からあなた方を救い、安全をもたらしてくれるのは誰でしょうか。あなた方も(そうしたときには)裏表なく謙虚に低い姿勢で「もしわたしたちの主がこの災害から救ってくださったなら、もうかれの他には何も崇めず、きっとかれの恩恵に感謝する者の一人となるでしょう」とかれだけに祈って言うでしょう。」

(64) 言いなさい、使徒よ。「アッラーこそはあなた方を救い出し、全ての苦難から助けてくださる御方です。それなのにあなた方はその後で順調な時にはかれに別の存在を並べ立てます。それ以上の不義があるでしょうか」と。

(65) 言いなさい、使徒よ。「アッラーこそはあなた方の上からは石つぶてや雷電や洪水のような懲罰を、下からは地震や地盤陥没のような懲罰を、あるいはあなた方の心には相違をもたらし、それぞれが自分の我欲に従い、お互いに殺しあう懲罰を下すことのできる御方です」と。よく見てみよ、使徒よ。いかにわれらが証拠を明らかにするかを。きっとかれらもあなたがもたらしたものが真実であり、かれらのもとにあるものが偽りであると理解するだろう。

(66) あなたの民はこのクルアーンを嘘と否定した。それはアッラーからの疑いのない真理である。かれらに言いなさい、使徒よ。「わたしは監視を任されているわけではありません。わたしは厳しい懲罰の到来を告げる警告者に過ぎないのです」と。

(67) 全ての知らせには、それが落ち着く時間があり、それが終わる終結がある。その一つがあなた方の行く末と待ち受ける結果の知らせである。やがて復活の日にそれを知るだろう。

(68) 使徒よ、もし多神教徒がわれらの印を馬鹿にして嘲笑しながら語るのを見たならば、話を切り替えるまで遠ざかりなさい。もし悪魔があなたを忘れさせ、かれらとともに座ってしまい、それから思い出したなら、その集まりからは立ち退き、これら反抗者たちとは一緒にいないようにしなさい。

(69) ご命令を果たし、禁止を避けることでアッラーを意識する者がこれらの不義なす者の清算において責任を問われることは何もない。悪行をやめるように勧めなければならないだけである。きっとかれらもアッラーを意識するようになり、ご命令を実践して禁止を避けるようになるだろう。

(70) 使徒よ、自分たちの宗教を遊びや趣味として馬鹿にして嘲笑い、刹那的な享楽などこの世に騙されているこれらの多神教徒は放っておきなさい。預言者よ、クルアーンで人々を諭しなさい。自我が自らの犯した悪行のせいで破滅に身を任せることのないように。アッラーのほかには助けてくれる同盟者もいなければ、復活の日にその懲罰を防いでくれる仲介者もいない。よってアッラーの懲罰から逃れるために、どんな貢ぎ物を捧げようと受け入れられることはない。これらの者たちは違反行為を犯したせいで自滅するに任せた者たちであり、かれらには復活の日にその不信仰のせいでこの上なく熱い飲み物と痛ましい懲罰があるのである。

(71) 使徒よ、多神教徒に言いなさい。「益をもたらしてくれるわけでもなく、害を与えるでもないアッラー以外の偶像を崇め、アッラーに導いていただいた後で信仰に背くのですか。そうしたらわたしたちは、悪魔に迷わされた者のようになってしまいます。まっすぐな道の上から真理へといざなう友が何人もいながら、その呼びかけを拒み、正しく導かれないままさまよい続けることになるでしょう。」使徒よ、言いなさい。「本当にアッラーのお導きこそが真の導きです。アッラーはかれだけを信じ、かれだけを崇めることをわたしたちに命じられました。かれは万物の主に他なりません。」

(72) かれは礼拝を確立することをわたしたちに命じられ、ご命令を果たし、禁止を避けることでアッラーを意識することを命じられる。かれこそは復活の日に僕たちを一同に集められ、行いに応じて報いられる御方なのである。

(73) かれこそは真理によって天地を創造し、アッラーがあることに「あれ」と言えばすなわちあり、復活の日に言うのである。「立ちなさい」と言えばかれらは立つ。かれの言葉は必ず起こる誠実なものであり、復活の日にはかれにのみ王権はある。イスラーフィールが2回目の角笛を吹くときである。かれは見えなくなったものも知っておられ、目撃されたものも知っておられる。かれこそはその被造物とご計画において英明な御方であり、何一つ見逃すものはない通暁者である。かれにとっては、内側も外側も等しいのである。

(74) 使徒よ、イブラーヒームが多神教徒の父アーザルに言ったときのことを思い起こしなさい。「父上、アッラーのほかに偶像を神として崇めるのですか。わたしには偶像を崇めるあなたやあなたの民が明らかな迷いの中にあり、アッラー以外のものを崇めるせいで真理の道から外れてしまっているように見えます。かれこそは完全な真に崇拝に値する御方であり、かれ以外のものは偽りの崇拝対象なのです。」

(75) かれの父や民の蒙昧ぶりを見せたように、われらはかれに天地の王権を見せよう。その広大な王権を通してアッラーの唯一性やいかにかれだけが崇拝に値するかの証を見出せるように。そしてアッラーが唯一にして並ぶ者なき存在であり、万能な御方だということを確信する者となれるように。

(76) そうして夜も暗くなると、かれは惑星を見て言った。「これがわたしの主だ」と。だがそれが見えなくなると、「消えてしまうものは嫌だ」と言った。なぜなら真の神は常にあり続け、消えたりしないからである。

(77) 月が昇っているのを見ると、「これがわたしの主だ」と言い、それが見えなくなると、「アッラーがわたしをかれのみを崇め、かれのみが崇拝に相応しいとみなす純粋な信仰へとお導きくださらなかったなら、わたしも真理の教えからは遠く離れ去った人たちの一人になってしまっていただろう」と言う。

(78) 太陽が昇るのを見れば、「この昇りゆくものがわたしの主だ。この昇りゆくものは惑星よりも月よりも大きい」と言うが、それが沈めば「皆さん、わたしはあなた方がアッラーの他に崇めるものからは無関係です」と言う。

(79) 「わたしは多神教信仰から純粋な唯一神信仰に傾倒しつつ、前例なしに天地を創造された御方に自分の信仰を純粋に捧げます。わたしはかれに別の存在を並べ立てて崇める多神教徒ではありません。」

(80) かれの民である多神教徒はアッラーを唯一の神として崇めることに反抗し、偶像でかれを脅かした。かれは言った。「わたしの主が正しくお導きくださってなお、あなた方はアッラーだけを唯一の神とみなし、かれだけに信仰行為を捧げることにおいてわたしと言い争うつもりですか。わたしはあなた方の偶像を恐れたりはしません。アッラーがお望みにならないかぎりは、それらの偶像はわたしを益することも害することもできないのです。アッラーの望まれたことだけがあり、アッラーの知識とともに全ては存在します。ですから天地にあるものは何一つアッラーから不鮮明になることはありません。皆さん、あなた方がアッラーに対して不信仰であり、多神崇拝を行なっていることを思い起こし、かれだけを信じようとはしないのですか。

(81) あなた方がアッラーの他に崇める偶像を怖れるなどということが、わたしにありえましょうか。あなた方はアッラーが創造されたものをなんの根拠もなくアッラーに並べ立てて崇めるようなことをし、恐ろしくはならないのですか。一神教徒と多神教徒のどちらが安全と平和に相応しいでしょうか。もしあなた方がより相応しい優れた集団を知っているなら、そちらに従うべきでしょう。もちろん、疑いの余地なしに一神教徒の信者の集団がより相応しい優れた集団に他なりません。」

(82) アッラーを信じ、その定めに従い、多神崇拝を自分の信仰に混ぜ合わせない人にこそ安全と平安はある。かれらは成功者であり、主が導きの道へと成功させてくださったのである。

(83) その証拠は、『それでどちらの集団が安全に相応しいだろうか…』というかれの御言葉で、イブラーヒームが民に打ち勝ち、かれらの論拠が尽き果てることとなったものである。それはわれらがかれに自分の民へ明らかにするためにもたらしたわれらの証拠である。われらは僕たちのうちわれらの望む者のこの世とあの世での位階を高める。本当にあなたの主は、使徒よ、その創造と計画において英明なる御方であり、その僕たちを知る御方である。

(84) われらはイブラーヒームに息子のイスハークと孫のヤアクーブを与え、皆をそれぞれまっすぐな道へ導いた。かれら以前にはヌーフを導き、ヌーフの子孫からダーウードとその息子スライマーン、アイユーブ、ユースフ、ムーサーとその兄弟ハールーンを皆それぞれ真理の道へと導いた。預言者たちへその誠意に報いて報奨を与えたようなこの報奨で、かれらへもその誠意に報いるだろう。

(85) 同じようにザカリーヤーやヤハヤー、マルヤムの子イーサー、そしてイルヤースを皆それぞれ導いた。これらの預言者たちは皆アッラーが使徒として選ばれた敬虔な人である。

(86) また同じようにイスマーイールやアルヤサウ、ユーヌスとルートを導いた。そして皆、預言者ムハンマドを筆頭にこれらの預言者たちをわれらは全世界に対する選良としたのである。

(87) そしてわれらはかれらの一部の父祖たちや子孫、兄弟のうちでわれらが成功を望む者を選び、導いた。アッラーだけを崇め、かれにお仕えするまっすぐな道を歩めるよう導いたのである。

(88) かれらに起こった成功こそ、僕たちのうちお望みの者に恵まれるアッラーの成功である。万が一かれらがアッラーとは別のものを並べ立てたなら、かれらの行いは無効となっていただろう。多神崇拝は善行を台無しにしてしまうからである。

(89) 言及された預言者たちこそ、われらが書を与え、英知を与え、預言者性を与えた者である。よってもしあなたの民がこうしてわれらが与えた三つのものを信じようとしないなら、不信仰でない人たちを(訳者注:代わりに)備えて用意するだろう。むしろかれらは信者かつそれ(啓典、英知、預言者性)にしかと掴まろうとする者たちであり、ムハージルーン(マッカからマディーナへの移住者たち)とアンサール(マディーナで移住者を迎え入れた援助者たち)であり、復活の日に至るまでかれらに誠心誠意従った者たちのことである。

(90) そうした預言者たちやかれらと共に言及されたその父祖や子孫や兄弟こそ真の導きの民である。だからかれらに従い、見習いなさい。使徒よ、あなたの民に言いなさい。「わたしはあなた方にこのクルアーンを伝える見返りを求めたりはしません。クルアーンは人間とジンがまっすぐな道へと導かれるためにある、万物にとっての訓戒でしかないのです」と。

(91) 多神教徒が預言者ムハンマドに、「アッラーが人間に啓示など下されたことはない」と言ったとき、かれらはアッラーを正しく尊崇しなかったのである。使徒よ、かれらに言いなさい。「ムーサーに律法をその民への光と導きとして下されたのは誰でしょうか。ユダヤ教徒はそれを冊子にして自分たちの好みに合うものだけを示し、ムハンマドの特徴のように都合の悪いことは隠すのです。アラブの皆さん、あなた方はクルアーンであなた方自身も先祖も知らなかったことを知らされたではありませんか」と。使徒よ、かれらに言いなさい。「それはアッラーが下されたものです」と。そうしてかれらのもとに確信がやって来るまで、かれらを無知と迷いの中に放っておきなさい。

(92) 預言者よ、このクルアーンはわれらがあなたに下したものである。それは祝福された書であり、マッカの民や東西の果てに至るまでの全ての人々がそれで導かれるよう、あなたが警告できるように、以前の啓典の書を確証するものである。あの世を信じる人は、このクルアーンを信じ、そこにあることを実践し、イスラームの教えで定められた時間内にその必須作法や義務行為、そして推奨行為に留意して礼拝を守る。

(93) 「アッラーが人間に啓示を下したことはない」と嘘をでっちあげるか、アッラーが何も啓示していないのに「アッラーがわたしに啓示した」と嘘をつくか、「アッラーがクルアーンを啓示されたようにわたしもやがて啓示を下す」と言う者以上に大きな不義をなす者はない。使徒よ、これらの不義なす者たちが死の苦しみに襲われ、天使たちが翼を広げて懲罰と暴行を繰り返し、「魂を出すがよい。わたしたちが取り上げてやろう。今日この日こそ、あなた方が生前アッラーに対してついていた預言者性の偽りや啓示の嘘、アッラーが啓示したように啓示するといった嘘や傲慢さのせいで、あなた方を屈服させる懲罰で報いられるのである」と脅かすように言うのを見たならば、驚異の光景を見るだろう。

(94) 復活の日にかれらは言われるのである。「今日、あなた方はわれらのもとへ一人ずつやって来た。財産も地位もなしである。われらがあなた方をこの世に生まれさせた最初のときのように、裸足かつ丸裸、割礼なしの状態である。あなた方の意に反してわれらが生前あなた方に与えたものも置き去りにして来るしかなかった。あなた方のための仲介者だと言い張っていた、あなた方の神々の姿が今日見られないのはどうしたことか。かれらはアッラーと等しく崇めるに相応しいと言い張っていたではないか。あなた方の間のつながりは断ち切られたのである。あなた方が生前アッラーと並ぶ存在だからと執り成しを主張していたものは消え去ったのだ。」

(95) 本当にアッラーただお独りが種を割り、芽を出させ、核を割りヤシの木を出させ、人間やあらゆる動物を精子から出させるように死んだものから生きるものを出させ、人間からは精子を出し、鶏からは卵を出すように生きるものから死んだものを出させるのである。これらを創ったのがあなた方を創ったアッラーである。多神教徒よ、かれの驚嘆すべき創造の御業を見ておきながら、いかにして真理から離れられるのか。

(96) 至高にして完全なかれこそは夜の暗闇から朝の光を分かつ御方であり、かれこそは人々が糧を得るために活動する日中の疲れから休めるように、夜は動きを休める落ち着いたものとされた御方であり、かれこそは太陽と月を一定の計算で動くものとされた御方である。言及された驚嘆すべき創造の御業は、威力並ぶ者なく被造物全てにとって何が役立つかを知る御方のご計画である。

(97) 至高にして完全なかれこそは、アーダムの子孫よ、あなた方のために天に星を創ってくださり、陸や海の旅をする中で道に迷ったとき道しるべにできるようにされた御方である。われらはわれらの力を指し示す証拠の数々を明らかにした。そうした証拠をよく考察し、役立てることのできる民にとってである。

(98) 至高にして完全なかれこそは一つの魂、すなわちあなた方の父祖アーダムからあなた方を創った御方であり、土からあなた方の父祖を創ることであなた方の創造を始めた。それからあなた方をかれから造り、母親の子宮のようにあなた方が落ち着く場を造り、父親の腰のようにあなた方が置かれる場を造ったのである。われらは確かにアッラーの言葉を理解する民のために、様々な印を明らかにした。

(99) 至高にして完全なかれこそは天から水すなわち雨を降らせ、それを通して植物の全ての種類を育てる御方である。そうして植物から穀物や緑葉樹を茂らせ、それから穂に生じるような互いに交配する種を生じさせ、ナツメヤシの木の頭花から立っているものも座っているものも得られるような近いところに散房花序を生じさせ、葡萄の庭園を茂らせ、オリーブとザクロを葉は似ても実は異なるものとして生い茂らせた御方である。人々よ、つき始めの実や熟れるころの実をよく見てみよ。本当にそこには、アッラーを信じる民にとってはそのお力を示す明らかな証拠があり、かれらこそこれらの証拠から教訓を得る者たちなのである。

(100) 多神教徒はジン(幽精)が損得を生じさせうると思い込み、ジンをアッラーに並び立つものとして崇めるようになった。かれらを創造したのはアッラーであり、ほかの誰が創造したわけでもなく、かれこそが崇められるにより相応しい存在であるにもかかわらず、である。またかれらはユダヤ教徒がウザイルとし、キリスト教徒がイーサーとしたように神の息子について、多神教徒が天使たちをその娘としたように意見を違えさせた。虚偽の民がかれを描写することから、かれは無関係で遠くかけ離れたところにある。

(101) 至高にして完全なかれこそは前例なしに成し遂げた天地の創造者である。伴侶もいないのに、いかにしてかれに子供などあり得ようか。かれが全てを創ったのであり、全てを知る御方であって、何一つかれには不鮮明なことはない。

(102) 人々よ、そうした特徴を持つのがあなた方の主であり、かれのほかにあなた方にとっての主はなく、本当に崇拝に値する対象はないのである。かれこそが全てを存在させた御方なのだから、かれだけを崇めなさい。かれこそが信仰行為を捧げるに値する御方であり、全てのものを守る御方である。

(103) かれを視線が覆うことはないが、かれは視線を掌握し、覆いきることができ、敬虔な僕たちに優しく、万事に精通した御方である。

(104) 「人々よ、明らかな証拠の数々があなた方の主からやって来たはずです。よってそれらを理解して従った人はそれらの益を得られますが、それらが見えずに理解せず、従わなかった人は、その害を自分でこうむるだけです。わたしはあなた方の行いを全て把握する監督者ではありません。わたしの主に遣わされた使徒に過ぎないのです。かれこそがあなた方の監督者です。」

(105) アッラーのお力に関する明白な証拠を様々な形で示したように、その吉兆それぞれのお約束や訓戒に関しても様々な印を示すだろう。多神教徒は言うだろう。「これは啓示ではない。以前の啓典の民から学んだことだろう」と。われらはこれらの印を様々な形で示すことで真理を人々に明らかにした。ムハンマドの共同体の中でも、信者こそは真理を受け入れて従う者である。

(106) 使徒よ、主があなたに啓示した真理に従いなさい。かれこそは完全な御方であり、本当に崇拝に値する存在はかれの他にないのである。だから不信仰者とその頑固さを気にしてはならない。かれらのことは、アッラーにお任せすればよい。

(107) 万が一アッラーがかれらに他の誰も崇めないようお望みになれば、誰もかれに別のものを並べ立てたりはしなかっただろう。使徒よ、われらはあなたを全て監督者としたわけではなく、評価者としたわけでもない。あなたは使徒であり、あなたの責任は伝達することだけなのである。

(108) 信者よ、多神教徒がアッラーと共に崇めている偶像の悪口を言ってはならない。たとえそれらが最も軽蔑に値するようなものであったとしても、完全なかれに相応しいものを知らないために多神教徒が仕返しでアッラーを罵らないように。かれらに自分たちの迷いの状態が美化されたように、われらは全ての共同体にとって自分たちの行いを良くも悪くも美化されたものとした。われらがかれらに美化したものを持って来てみなさい。それから復活の日には主の御許がかれらの帰りどころであり、かれはかれらがこの世で行っていたことを知らせ、それに応じて報いられるのである。

(109) 多神教徒はアッラーにかけて誓いを立て、できるだけの激しい誓約をした。「もしムハンマドがわたしたちの注文した印を持って来たなら、それを信じただろう。」使徒よ、言いなさい。「印はわたしのもとにあって好きに下すわけではなく、アッラーの御許にあってお望みのときに下されるのです」と。信者よ、これらの様々な印がかれらの注文通りに来たとしても、信じるかどうか何でわかるだろうか。むしろかれらは導きを望まないために頑固な反抗をし続けるだろう。

(110) われらはかれらの心や視線をひっくり返し、真理に導かれるのとかれら自身を分かつだろう。かれら自身とクルアーンへの信仰を最初から頑固さのせいで別々に分けたように。そしてわれらはかれらを迷いの中で主への反抗によって混乱するままに放っておくだろう。

(111) もしわれらがかれらの注文に応えて天使たちを下してかれらがそれを見たとしても、かつまた死者がかれらに話しかけてあなたがもたらしたものが正しいことであるのを知らせたとしても、さらにかれらが注文したものを全て目の前にもたらしたとしても、かれらはなお疑いの目で逐一吟味しようとするだろう。アッラーが導きを望まれた者以外は、そもそもかれらにあなたがもたらしたものを信じるつもりはないのである。かれらのほとんどはそれを知らず、導いてもらえるようにアッラーに縋ろうとはしない。

(112) 多神教徒の反対であなたに試練を与えたように、われらは以前の全ての預言者に試練を与えた。われらはかれら(預言者たち)一人一人に、人間やジンの反抗者をもたらした。かれらはお互いに囁き合い、騙そうとして虚偽を美化するのである。万が一アッラーがかれらにそうしないことをお望みになったなら、かれらはそうしなかっただろう。しかしながら、かれは試練としてそれを望まれたのである。だからかれらが不信仰で嘘をつくのを放っておき、かれらのことを重荷に感じなくともよい。

(113) お互いに囁き合うのに偏るのは、あの世を信じない心であり、かれらは自分自身のためにそれを受け入れ、満足し、違反行為や罪を獲得するだけ獲得するのである。

(114) 使徒よ、アッラーのほかに別のものを並べ立てて崇めるこれらの多神教徒に言いなさい。「アッラー以外の存在をわたしとあなた方の間の裁定者として受け入れるのがまともなこととして考えられるでしょうか。アッラーこそは、全てを余すことなく解明するものとしてあなた方にクルアーンを下された御方なのです」と。われらが律法を与えたユダヤ教徒や、福音書を与えたキリスト教徒は、クルアーンが真理とともにあなたに下されたのを知っている。それはかれらの啓典にその証拠となるものを見出していたからであり、われらがあなたに下したものを疑う者となってはならない。

(115) クルアーンはその言説と情報において究極の誠実さに達し、その言葉を変え得るものはない。かれこそは僕たちの言葉を聞き、知る御方である。かれにとって不鮮明なものは何一つなく、かれの御言葉を変えようとする者には、相応の報いを与えられるだろう。

(116) 使徒よ、万が一あなたが地上にいる大多数の人に従ったならば、かれらはあなたをアッラーの教えから逸らしてしまうだろう。真理は少数派とともにあるというアッラーの摂理が成立したとおりであり、ほとんどの人は根拠のない思い込みに従うだけである。かれらは自分たちの崇めるものが仲介者としてアッラーに近づけてくれると思い込んでいるが、かれらは嘘をついている。

(117) 使徒よ、本当にあなたの主は人々のうち誰が道に迷うかを知っておられ、正しく導かれる者についてもよりよく知っておられる。かれにとって不鮮明なものは何一つない。

(118) 人々よ、もしあなた方が明らかな証拠を本当に信じる者であったなら、屠殺の際にアッラーの御名が唱えられたものを食べなさい。

(119) 信者よ、アッラーの御名が唱えられたものを食べるのを妨げるものは何か。すでにアッラーはあなた方に何が禁じられるかを明確にされたのだから、それらはもうやめなければならない。ただ、必要不可欠な事態に陥った場合は別であり、必要不可欠さは警告されたものを容赦する。多神教徒の多くはその無知のせいでかれらの信奉者を真理から遠ざけている。死肉などのようにアッラーが禁じられたものを許可したり、バヒーラ(ある数の子を産むと耳の切られるラクダ)やワスィーラ(メスを産み続けたラクダ)やハーミー(何頭か子どものできたラクダ)などのようにアッラーが許可されたものを禁じたりするからである。使徒よ、本当にあなたの主は定めの境界線を越える者たちを誰よりもよくご存知であり、その越え方に応じて報いられるのである。

(120) 人々よ、人目についてもつかなくても、罪を犯すのはやめなさい。こっそりとであろうとあからさまにであろうと、罪を犯す者たちにはアッラーがかれらの稼いだことに応じて報いられるだろう。

(121) ムスリムたちよ、アッラーの御名が唱えられていないものを食べてはならない。かれ以外の名が唱えられていてもそうでなくても、である。それを食べるのはアッラーに背くことになる。悪魔たちは死肉を食べることであなた方に議論をけしかけようと、その仲間に疑念を囁きかける。だからもしムスリムたちよ、あなた方がかれらの投げかける疑念に従って死肉を許可することになれば、あなた方もかれらと同じように多神崇拝に陥ったことになる。

(122) かつては不信仰と無知と違反にまみれていたために死人同然であったにもかかわらず、信仰と知識、そして従順さへと導かれることでわれらが蘇らせた者と、不信仰や無知、違反の闇の中にあり続けて出られず、正しい道が暗くて見えなくなってしまった者とが等しいなどということがあるだろうか。これらの多神教徒にとって自分たちの行う多神崇拝や死肉を食べること、虚偽での論争が美化されたように、不信仰者にとって自分たちの行う違反行為は美化され、復活の日に痛ましい懲罰で報いられるのである。

(123) マッカの多神教徒の頭領格の者たちがアッラーの道を妨害したように、われらは全ての村に悪魔の道を広めようとし、使徒たちやその信奉者に敵対するうえで策略や謀略をめぐらせようとする首領や重鎮をもたらした。現実にはかれらの策略や謀略はかれらに跳ね返るものだが、無知と我欲追従のせいでかれらはそれを感じないのである。

(124) 不信仰者の首領たちにアッラーがその預言者に下す印の一つがやって来ると、「アッラーが預言者たちに与えた預言者性や使徒性をわたしたちに与えてくれるまでは信じるつもりはない」と言う。アッラーはそれに返答をし、かれこそは誰が使徒になるのに相応しく、その重責を負えるかをよりよくご存知であり、預言者性や使徒性を特別に選んで与えられるのだということを明らかにされた。これらの一線を越えた者たちは真理をその高慢さで拒絶したために恥辱を得ることになり、その策略のせいで痛ましい懲罰を得るだろう。

(125) アッラーが導きの道への到達を望まれる者には、その胸を広げ、イスラームを受け入れやすいようにしてくださる。一方、かれが辱めを与えようとし、導きの道へ到達できないようにされた者には、真理の受け入れに対してその胸を激しく狭められ、人間が自分で天へと昇っていくことなどできないように、真理が心に入らないようにされるのである。アッラーがこうした激しい胸の窮屈さを迷った者にもたらされるように、かれを信じない者には懲罰をもたらされるのである。

(126) 使徒よ、われらがあなたのために定めたこの宗教こそが、まっすぐなアッラーの道なのである。自覚と理解のある、アッラーについて認識する者にわれらは様々な印を明らかにした。

(127) かれらには嫌なもの全てから安んじていられる家、すなわち天国がある。アッラーこそがかれらの行っていた善行への報奨としてかれらを助けてくださり、支援してくださる御方なのである。

(128) 使徒よ、アッラーが人間とジンの両世界の住人を蘇らせ、仰せられる日のことを思うがよい。「ジンの集団よ、あなた方は何度も人間を惑わし、アッラーの道を妨害した。」すると人間でかれらに従ってきた者たちが主に答えて言う。「わたしたちの主よ、わたしたちはお互いにそれぞれの友で楽しい思いをしました。ジンは人間に従われることで楽しい思いをし、人間は欲望を満たすことで楽しい思いをしました。そうしてあなたが先延ばししてくださった寿命に達し、こうして復活の日にあるというわけです。」アッラーは仰せられた。「地獄の業火があなた方の永遠の住まいである。墓よりの復活から地獄へ連行されるまでの期間は別であり、その期間だけはかれらが地獄の業火に永遠にいなければならない期間からアッラーが取り除かれよう。」使徒よ、本当にあなたの主はその定めと計画において英明な御方であり、僕たち全員かつその中でも懲罰に相応しい者をよく知る御方である。

(129) ジンの中でも反抗的な輩をある人間と仲良くさせ、惑わせようと支配下に置いたように、不義をなす者全てに不義なす者を仲良くさせ、悪行を勧めさせ、善行から遠ざけ、善行には無関心にさせるだろう。かれらが稼いできた違反行為への報いとしてのことである。

(130) 復活の日にわれらは言うだろう。「人間とジンの集団よ、あなた方にあなた方の同類~人間に対して~である使徒たちがやって来なかったか。かれらはあなた方にアッラーから下されたものを読み上げ、この日という復活の日の対面で脅かしはしなかったか。」かれらは答えて言う。「そのとおりです。今日、わたしたちはあなたの使徒たちが確かに伝えるべきことを伝えたのを認め、この日の対面を認めますが、あなたの使徒たちをわたしたちは否定し、この日の対面を否定してしまいました。」華美で絢爛かつ刹那的な恩恵といったこの世の生活に騙され、生前かれらはアッラーとその使徒を信じない者であったことを自ら認めたが、時を逸したこの承認も信仰も、もはや役には立たないのである。

(131) その弁明は、使徒が遣わされておらず、伝教も到達していなければ、人間とジンの誰も自分が行ったことで罰せられることはないというものであり、どんな共同体であれ使徒が派遣されるまではわれらが罰することはないのである。

(132) 行いに応じて位階は異なる。善行をなす者への報奨が等しいことはないように、数多くの悪行を犯した者が少ししか犯していない者と等しいことはない。従う者と従われる者が等しいこともない。あなたの主はかれらが行っていたことに不注意であったことはなく、かれはしかと見ておられ、かれにとって不鮮明なものは何一つなく、行いに応じて報いられる。

(133) 使徒よ、あなたの主は満ち足りた御方であり、僕たちを必要とすることも、かれらの信仰行為を必要とすることもない。また、かれらの不信仰がかれを害することもない。かれはかれらを必要とはしておらず、慈悲深い御方である。罪深い僕たちよ、もしかれがお望みになれば、あなた方を懲罰で殲滅(せんめつ)させることもできる。以前にいた別の民族の子孫からあなた方を創造したように、あなた方の破滅の後、かれに従う信者たちの中でお望みの者をあらしめることもできるのである。

(134) 不信仰者よ、約束の蘇生と復活、清算と懲罰は必ずやって来る。あなた方の主から逃げ切ることはできず、かれはあなた方の前髪を掴んで罰するのである。

(135) 使徒よ、言いなさい。「人々よ、不信仰と迷いにある、ありのままのあなた方でいるとよいでしょう。もうわたしは何度も言い訳を与え、明白な伝達で証拠を立ててきました。だからもうあなた方の不信仰や迷いに気を揉むことはありません。むしろこのままわたしは、わたしの歩む真理の上にあり続けます。やがてあなた方は知るでしょう。この世での勝利が誰に与えられ、誰が大地を受け継ぎ、誰のためにあの世があることになるかを。」多神教徒が勝つことは、この世でもあの世でもないのである。むしろかれらの結末は、たとえこの世でかれらが楽しむことがあったとしても、損失なのだ。

(136) 多神教徒は逸脱した道を編み出し、かれが造った農作物や家畜の一部をアッラーに捧げるべきものとし、別の一部をかれらの偶像のためのものとした。かれらが自分たちの仲間に捧げるものは、アッラーがあるべき使い道として定めた貧者ら寄付の対象に届くことはなく、かれらがアッラーに捧げるものはかれらの仲間である偶像のために使われる。かれらの規定と分与のなんとひどいことだろうか。

(137) 悪魔がこの野蛮な規定を多神教徒のために美化したように、多くの多神教徒にその仲間の悪魔たちを美化し、貧困を恐れて自分たちの子供を殺させた。正当な理由なしに殺害することを禁じられた殺人を犯すことで、かれらを滅ぼすためである。また、かれらの宗教を混同させ、何が合法で何がそうでないかをわからなくさせるためである。万が一アッラーがそうしないことを望まれたならば、かれらはそんなことをしなかっただろう。しかしながらかれはそれを深い英知があって望まれたのである。だから使徒よ、これらの多神教徒のアッラーに対する嘘は放っておきなさい。それがあなたを害することはない。アッラーにお任せしなさい。

(138) 多神教徒は言う。「これらの家畜や農作物は禁じられていて、かれらが思い込みと嘘で望むところの偶像の奉仕者だけが食べてよいものである。これらの家畜の背中は神聖にして犯してはならないものだから乗ってはならず、荷物を載せてもならない。」それはバヒーラ(ある数の子を産むと耳の切られるラクダ、サーイバ(ある年齢に達すると偶像のために放置されるラクダ、ハーミー(何頭か子どものできたラクダのことであり、これらの家畜は屠殺の際にアッラーの御名が唱えられることはなく、かれらの偶像の名で屠殺される。かれらはそれら全てがアッラーの御許からもたらされたものだと嘘をついたのであり、アッラーはかれらがついていた嘘のせいで懲罰をもって報いられるだろう。

(139) かれらは言う。「サーイバやバヒーラのお腹の子で、生きて産まれてきたものはわたしたちの男には許されているが、女には禁じられている。死んで産まれてきたものは男も女もその扱いは同じである。至高のアッラーはかれらのこの言葉に対して相応しいものを報いるだろう。かれはその教えとその被造物の諸事を司るうえで英明かつ全知なる御方である。

(140) 自分たちの子供を理性の軽さと無知のために殺してしまい、アッラーが恵んでくださった家畜を嘘でアッラーに結び付けて禁じた者たちは確かに滅び、まっすぐな道からは遠ざかってしまい、導かれることはなくなってしまった。

(141) 完全なアッラーこそは庭園を大地に茎なしで広がるもの、茎ありで背の高いものとして創造された御方であり、ナツメヤシや農作物の実を形や味の異なるものとして創った御方である。またかれこそはオリーブとザクロを葉は似ていても味は異なるものとして創った御方である。人々よ、その実が実ったときにはそれを食べ、収穫のときにはその定めの施し(ザカー)を払いなさい。食べることや費やすことにおいてイスラームの教えで定められた境界線を越えてはならない。アッラーはその境界線を越える者を好まれないどころか、むしろ憎まれるのである。それら全てを創った御方であるかれこそがその僕たちに許可するのであって、多神教徒が禁じてよいものではない。

(142) かれこそは家畜を育て、大人のラクダのようにその上に乗ってよいものや子供のラクダや羊のように乗るのに相応しくないものをもたらされた。人々よ、アッラーが与えてくださった糧のうち、かれが許されたものを食べなさい。多神教徒がするようにアッラーが禁じたものを許可し、許可したものを禁じることで悪魔の歩みに従ってはならない。人々よ、悪魔は明らかな敵であり、あなた方がアッラーに背くのを望んでいるのである。

(143) かれはあなた方のために八つの種を創造された。羊のオスとメス、ヤギのオスとメスである。使徒よ、多神教徒に言いなさい。「果たして至高のアッラーはそれらのうちのオスをオスだから禁じられたのでしょうか」と。もしかれらが、「そのとおり」と言えば、かれらに言いなさい。「なぜメスを禁じるのですか。あるいはかれはメスをメスだから禁じられたのでしょうか」と。もしかれらが、「そのとおり」と言えば、かれらに言いなさい。「なぜオスを禁じるのですか。あるいはかれはメスの胎内にあるものをメスの胎内にあるものだから禁じられたのでしょうか」と。もしかれらが、「そのとおり」と言えば、かれらに言いなさい。「なぜ同じ胎内にあるものでありながら、時にはオスを禁じ、時にはメスを禁じて区別するのですか。多神教徒の皆さん、もしそうした禁止はアッラーからのものであるというあなた方の主張が誠実なものであるなら、どんな正しい知識に依っているのかを教えてください」と。

(144) 八つの種の残りは、ラクダのオスとメス、牛のオスとメスである。使徒よ、多神教徒に言いなさい。「アッラーがオスだから禁じ、あるいはメスだから禁じ、あるいは胎内にあるものだから禁じたのでしょうか。あるいは多神教徒の皆さん、あなた方がこれらの家畜を禁じるのにアッラーが禁止を命じられるその場に居合わせたとでも言うのですか」と。依って立つ正しい知識もなく、人をまっすぐな道から迷わせるために、アッラーに対して嘘をでっちあげ、禁じられていないものを禁じるのにかれの名を騙る者以上に大きな不義をなし、大きな罪を犯す者はいないのである。本当にアッラーは不義をなす者を、アッラーに対する嘘のせいで導きへ到達させられることはない。

(145) 使徒よ、言いなさい。「清めなしに死んでしまったか、流れる血か、豚肉といった不浄で禁じられたものか、偶像に捧げられたもののようにアッラーの御名以外によって屠殺されたもののほかに、アッラーがわたしに啓示されたもので禁じられたものを見つけることはできません」と。必要性に迫られ、食べて楽しもうとしてではなく、必要な分を越えることなしに空腹のあまりこれらの禁じられたものを食べたとしても、罪はない。使徒よ、本当にあなたの主は必要に迫られた人がそれを食べたとしてもよく赦してくださる、慈悲深い御方である。

(146) われらがユダヤ教徒に禁じたのは、ラクダやダチョウのように足指の分かれていないものや、背中に引っかけられたものや腸の運ぶもの、お尻や尻尾のように骨と混ざったもの以外の牛や羊の脂であり、われらはかれらの不正に対してそれらを禁じることで報いた。われらが知らせることは真実である。

(147) 使徒よ、もしかれらがあなたを否定し、あなたが主からもたらしたものを信じないなら、かれらをやる気にさせるべく言いなさい。「あなた方の主は広大な慈悲の持ち主です。そのお慈悲の一つが、あなた方のために猶予を与えられ、懲罰で急かしはしないことです」と。また、かれらに警告を伝えるべく言いなさい。「本当にかれの懲罰は違反行為や罪を犯す民から返されることはない(訳者注:民に必ず起こる)のです」と。

(148) 多神教徒はアッラーのご意志と定めを根拠としながら、かれらがアッラーに別のものを並べ立てる正当性を主張して言うだろう。「万が一アッラーがわたしたちにもわたしたちの父祖にも多神崇拝をしないように望まれたなら、わたしたちは多神崇拝をしなかっただろう。また万が一アッラーがわたしたちの禁じたものを自分自身で禁じることのないように望まれたなら、わたしたちはそれを禁じなかっただろう。」かれらの虚偽の証明のように、以前の者たちも使徒たちを嘘と否定して言う。「万が一アッラーがわたしたちにかれらを嘘と否定しないように望まれたなら、わたしたちがかれらを嘘と否定することはなかっただろう。」われらがかれらに対して下した懲罰をいざ味わうまで、かれらはこの否定を続けたのである。使徒よ、多神教徒に言いなさい。「あなた方のもとに、あなた方がアッラーに同意者を並べ立て、かれが禁じたものを許可し、許可したものを禁じることにアッラーが満足しておられるのを示す証拠はありますか」と。単にそれが生じることがかれの満足を示すのではないのである。あなた方は思い込みに従っているだけで、思い込みが真実を前に意味を持つことはない。あなた方は嘘をついているだけなのである。

(149) 使徒よ、多神教徒に言いなさい。「もしあなた方にこうした脆い証拠しかないのなら、アッラーにはあなた方の言い訳を断ち切り、あなた方のこだわっている疑念を無効にする証拠があるのです。多神教徒の皆さん、万が一アッラーがあなた方皆を真理へ到達させることを望まれたなら、あなた方を成功させてくださったでしょう」と。

(150) 使徒よ、アッラーの許可されたものを禁じ、アッラーこそがそれを禁じられたと唱える多神教徒に言いなさい。「あなた方が禁じたこれらのものをアッラーが禁じたことを証言する証人を連れて来てください」と。使徒よ、そうしてかれらが知識なしにアッラーがそれを禁じたということを証言したなら、かれらの証言を信じてはならない。嘘の証言だからである。我欲に突き動かされている者の我欲に従ってはならない。アッラーが許したものを禁じることでわれらの印を嘘と否定したのである。あの世を信じない者に従ってもならない。かれらは自分たちの主に別の存在を等しく並べ立てていて、自分の主との道がこれである者がいかにして従われようか。

(151) 使徒よ、人々に言いなさい。「来て下さい。あなた方にアッラーが禁じられたものを読み上げましょう。かれの創ったもののうち、何であれかれに等しい存在として並べ立てること、親不孝をすること。むしろ親には真心を尽くすことが義務付けられます。貧困を理由に子供たちを殺してしまうことです」と。イスラーム以前の無明時代の民がしていたように、である。われらがあなた方に糧を与え、かれらにも糧を与える。また、あからさまに、あるいはこっそりと、淫らな行いに近づくことを禁じられた。また、結婚で貞節を守られた後で姦淫を犯すことや、イスラーム入信の後で背教することのように、正当な理由なしにアッラーの禁じた生命を殺害することを禁じられた。これらをかれはあなた方に託けた。きっとあなた方はそのご命令と禁止でアッラーについて理解するだろう。

(152) また、孤児~身体的な成人になる前に父親を亡くした者~の財産に手を付けることを禁じられた。ただ、その子にとって役立ち、成長して一人前となるまでにその財産を増やすことでなら別である。また、計量器や秤でのごまかしも禁じられた。売買においては、得ることも与えることも公平にしなければならない。われらは誰であれ、できることしか責任として課すことはない。よって計量の増減を注意しきれないものについては、お咎めなしである。また、情報の伝達や証言においては、正しくないことを述べてはならない。近親者や友人への贔屓なしに、である。また、もしあなた方がアッラーと誓約をしたとき、あるいはアッラーに誓って誓約をしたときは、アッラーとの誓約を破ってはならない。それに忠実でなければならない。これら言及されたことが、自分たちの行く末についてあなた方が思いを馳せてくれるよう願いつつ、アッラーがあなた方に命じられたことである。

(153) また、様々な迷妄の道に従うことも禁じられた。まっすぐなアッラーの道に従わなければならない。迷妄の道は分裂と真理の道からの遠ざかりをもたらすだけである。まっすぐなアッラーの道に従うことこそ、かれの命じたことを実践し、禁じたことを避けることであなた方がアッラーを意識してくれるよう願いつつ、アッラーがあなた方に託けられたことである。

(154) それから前述の知らせの後、ムーサーに恩恵を完遂し、その誠意を尽くした行いへの報奨として、宗教において必要な事柄を全て明白にするものとして、真理と慈悲の証拠として、復活の日に主とお会いすることを信じてそのために善行で備えるよう願いつつ、われらは律法を与えた。

(155) このクルアーンは多くの恩寵を持つものとしてわれらが下した書であり、実生活的かつ宗教的な利益を内包するものである。あなた方が慈悲にあずかれるよう、そこに下されたものに従い、違反しないように注意せよ。

(156) アラブの多神教徒よ、「わたしたち以前のユダヤ教徒やキリスト教徒に律法や福音書をアッラーは下されたのに、わたしたちには啓典が下されなかった。わたしたちにはかれらの言葉で書かれている、かれらの啓典の読み方がわからない。わたしたちの言葉ではないのだから」と言わないように、である。

(157) 「もしアッラーがユダヤ教徒やキリスト教徒に下されたようにわたしたちにも啓典を下されたならば、わたしたちはかれらよりも公正な者となっただろう」と言わないように、アッラーがあなた方の預言者ムハンマドにあなた方の言葉で下した書がやって来た。それは明らかな証拠かつ真理への正しい導きにして、共同体にとっての慈悲であり、偽りの理由で根拠のない言い訳をしてはならない。アッラーの様々な印を嘘と否定してそれから背を向ける者以上に大きな不正をなす者は一人としていないのである。われらの印に背を向ける者には、その離反への報いとして、地獄の業火に入れるという痛ましい懲罰をもって罰するだろう。

(158) 真実を拒否する人びとは、死の天使とその補佐たちが現世の命を奪うためにやって来ることを待っているだけである。あるいは、使徒よ、あの世での審判の日、あなたの主が、かれらの間を裁くために来ることを。または、その時の到来を示すいくつかの印が来ることを。あなたの主のいくつかの印、例えば太陽が西から上ることなどが来る日には、不信仰者の信心は、もはや役に立たない。また以前には何も善行をしていなかった信者のすることも、もはや役に立たない。使徒よ、これらの拒否する多神教徒たちに言え、これらのどれかを待っていろ、わたしも待っているところである。

(159) 使徒よ、これらのユダヤ教徒やキリスト教徒が、自分の信仰を分裂させ、分派をなしたのは、教えの一部を取り、他の一部を残したからだ。しかしあなたはかれらとは異なり、かれらの過ちには何の関わりもない。あなたの義務はかれらに警告することである。かれらのことはアッラー次第だが、復活の日には、アッラーは現世でかれらがしてきたことを告げるとともに、それに対して報いるであろう。

(160) 復活の日に、誰でも善行を持って来た人には、アッラーはそれの10倍の報奨をされる。でも悪を持って来た人には、重量や大きさがそれと同じようなものが報いとしてあるだけだ。でもそれ以上ではない。最後の審判では、善行への報奨で減じられることはないし、他方悪行への懲罰で積み増しされて不当に扱われることもない。

(161) 使徒よ、これらの拒否する多神教徒たちに言え。わたしの主は自分を正しい道で、現世と来世の利益を与える信教の道に導いてくださった。それは真実に尽くすイブラーヒームの教えであり、全くかれは多神教徒の仲間ではなかった。

(162) 使徒よ、言いなさい。わたしの礼拝と犠牲、そしてわたしの生と死は、アッラーのためであり、その御名においてだと。それ以外ではないのだ。すべては創造の主であるアッラーだけのためであり、それについては他の誰も分掌することはできない。

(163) 至高なるかれに同位者はなく、他に崇拝されるべきものはない。アッラーは、わたしに、多神信仰のないこのような単一性を命じられた。そしてわたしは、この共同体でムスリム(アッラーに服従する)の先駆けなのだ。

(164) 使徒よ、これらの多神教徒たちに言え。かれはすべての主なのに、わたしがアッラー(至高であり称賛を)以外に主を求めるだろうか。あなた方がそれ以外に崇拝する、すべての崇拝されるものの主なのだ。無辜な人は、他人の罪を負うことはないのだ。復活の日にあなた方が帰るのは、主の元だけである。そのとき主は、あなた方が現世において教えに関して意見を異にしてきた事柄について、あなた方に知らせるでしょう。

(165) かれこそは、あなた方を地上で先達から継承させられたのだ。住居を与えられ、ある人の身体を良くし、糧なども多くして、位階を他の人よりも高められた。それはあなた方に与えたものによって、あなた方を試みるためなのだ。使徒よ、主は懲罰に早く、やって来るものはすべて近いのだ。そしてかれは、僕の中で悔悟する者には実によく赦される方であり、慈悲深い方なのである。